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>○ターパサの実力 ベルセルク第184話「千年帝国の鷹編 聖魔戦記の章 クシャーン猛襲」にて初めてその実力の片鱗を見せたターパサ。 鍛え抜かれた体や硬化し突起した拳等から想像できるとおり、力・技・スピードを兼ね備え、素手による一撃で鉄の甲冑をも破壊する。まさに体術のスペシャリストといっても過言ではない。 184話で実際に戦っている姿を描かれたのは2人のみで他の者の戦闘力は不明であるが、実力的に劣るとは考えにくい。むしろ、それほどの力を持ちながら何故にバーキラカ一族の中に埋没しているのか疑問に感じられてならない。 王を補佐するなどの心情かあるいは宗教的理由か? |
○額の印(司馬懿仲達サン、JDサン有り難うございました)![]() ちょっと話がそれるが、インド人女性の眉間に小さな点、ビンディーと呼ばれる化粧(最近ではファッションとして様々な物や形が存在しているようである)を見掛けたことがないだろうか。 これは本来、ヒンドゥー教の宗派を表す「Tilaka」又は「Tikaa」と呼ばれるシンボルマークで、ヒンドゥー教のShakta派中3番目に有名な宗派のものであるらしい。 そこでターパサの額の印を同様のシンボルマークだと仮定して、もう少し詳しく調べてみると次のようなことが判った。 ヒンドゥー教の宗派としては、シヴァ神を信仰するShaiva派、ヴィシュヌ神とその様々な化身を信仰するVaishnava派の二大宗派、その他シャークティ(生命の力)を崇拝するShakta派、カーストのスードラに属し、裸で戦う者という意味のNagasなどの数多くの宗派とそれに伴なう分派が存在している。 修行僧、禁欲主義者はsadhu(サドゥー)と呼ばれ、信仰する宗派によって、衣服の色・ゴピーチャンダナという白い粘土やサンダルウッド・瞑想時に焚く小さな火(ドゥーニー)の神聖な灰で額に描くTillaka(又はTikaa)などが違うらしい。 二大宗派によるTillaka(又はTikaa)の違い
種類的にはかなりの数があるらしいのだが、これだけでもターパサの額の印と合致するのが判るだろう。 また、苦行はサンスクリット語でtapas(Tapasa)とされ、ターパサの名称はこれに由来すると思って間違い無さそうである。 もともとTapasは「宇宙創造に関わる熱力」を意味し、この神秘的な熱力を獲得できる苦行自体をもtapasと呼ぶようになったとされる。場合によってはTapasを「苦行」、Tapasaを「火力」とすることもあるが同様の意味で使われることが多いらしい。また、同時にTapasは、インドラ神の怒りが擬人化されたマンユウ神と組み、敵や悪魔・魔人を退治する英雄神としても用いられるようになったとも言われている。 ちなみにsadhu(サドゥー)は、一般的には、ヨーガ行者や苦行者(禁欲修行者)を意味していることが多い。他にも、正確なゴールに辿り着く、正しい、善い、或いはその様な人を意味するほか、考えや言葉・行為が高潔な人、真実と終わりのない美しさと公正さを意味すると言われる。 ターパサの風貌を見るに、腰布一枚ほぼ裸同然という点からしてボロを纏う行者を連想できるものの、肉体的には精力的であり一般的な行者のイメージとはほど遠い。まぁ、あるいは「裸で戦うもの」Nagasの派ということも考えられなくもないが、・・・・ むしろ見た目は金剛力士像にそっくりだし、立ちはだかる魔敵を微塵に砕く英雄神のような趣があるといえるだろう。 最も、結局のところベルセルクの中でヒンドゥー教等が直接関係するとも考えられないから、ターパサがsadhu(サドゥー)だとか、英雄神だとか言うつもりはない。 額の印自体は単に「自らの意思で苦行・修練を積んだ者」又は「その達成者」、或いは「恐るべき修練により英雄神の如き強さを身に付けた者」の証しという程度で解釈するのが無難なところではないかと思っている。 追記: 額の印がヒンドゥーの神々(シヴァ、ヴィシュヌなど)を象徴しているのではないかという意見を頂いた。 たしかにターパサの内一人だけが「縦のTilaka」に見られるU字の特徴を持っている点に着目すると、これがヴィシュヌを表しているのではないかということも考えられなく無い。もしそうだとすると、他の3人はシヴァやその関係神と区分すべきとなる。 |
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