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書評 久保有政著「聖書の暗号は本当か」 Luke 1999/1/25

「聖書の暗号」についての論点は、それが「偶然」によるものなのか、あるいは「神による」ものなのか、という点である。
この本の中で著者は、偶然にこのような「暗号」が発見される可能性について否定していない。
「聖書の暗号」について論文を発表したリップス博士が創世記の約八万の文字をランダムに並べ替えたもので調べた結果を紹介しながら、その中にも「暗号」が発見されたことを否定していない。(P53)ただ関連した暗号の近接度が低いというのみである。
結局「白鯨」や「戦争と平和」のヘブル語訳の中に偶然に暗号が発見されたことも認めつつ、聖書の特異性は関連した暗号の近接、集中現象にあるとする。(P74)

結局、私には、たった22文字の子音からなる30万文字の文書で、しかも母音を自由に付ければ幾通りもの読み方ができるというヘブル語トーラーの特殊性による「偶然」にしか思えない。いや「偶然」というよりも好きな言葉を探そうと思えばいくらでも出てきてしまうのではないか。このソフトウェアによる検索方法も初めに探したい言葉があって、それをあてはめようとすれば必ずどこかにあてはまってしまうのではないかと思える。

第2章で、発見された過去の出来事の暗号をこんなにもたくさん見せられると、著者の意図とは逆に「何でも思い通りにあてはまってしまうんだ」という確信を深めてしまう。

極めつけは著者の名前、生年月日、生まれた町の名が集中して現れたという事実である。(P207)それでは、どれくらいの人物の情報が聖書に暗号化されているというのだろうか。それとも(失礼な言い方かもしれないが)著者自身が聖書に暗号化されるほど歴史上重要な人物なのだろうか。「聖書の暗号」なるものが偶然の産物であることは明らかである。

最終的には著者自身も「聖書の暗号は聖書本文の権威の下にあり」(P210)「人間に必要なことはすべて聖書本文にある」(P211)と述べている。それでは「暗号」は何のためにあるのか。それは「神の署名」だという。(P216)聖書が神によって書かれた証明なのだという。

それでは未来のことについてはどうなのか。発見された未来についての暗号は変更可能なのか。それついて著者は、それは慎重に扱うべきで、警告として受取るべきだと言葉を濁す。(P188)
過去の出来事の暗号を見ると、複数の出来事が重なり合っているので、未来のことについてはどれとどれが関連しているのかわからないのだそうだ。(P208)過去のことは「探すことば」が決まっているのでいいが、未来のことはそれが無い、あるいはたくさんありすぎてどれだかわからないらしい。思い通りのことばがいくらでも出てきてしまうからだろう。

「xxの大予言」というようなちまたの「予言」と違って、未来のことをあれこれ詮索して右往左往するのは神の望まれることではない、聖書本文に従え、という結論に結局落ち着く。(P210)どうやら、「暗号」を研究するよりも聖書そのものを研究する方が、私たちにとって、はるかに大切なようだ。