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12使徒


ダビンチの「最後の晩餐」をCG化したもの。
「この中の一人が私を裏切る」というイエスの言葉に動揺する12使徒の姿を描写している。

 イエスの弟子達の中で、特に選ばれた12人が使徒と呼ばれていますが、彼らの中には 当時の社会の指導的立場の人はいませんでした。ほとんどが、イエスと同じガリラヤ地方の出身です。首都エ ルサレムから見れば田舎者でした。しかも無学で気性の荒い漁師ペテロやヤコブ、ローマ支配に抵抗するテロ リスト熱心党員のシモン、逆にローマの手先となって同胞から税金を徴収し、しかみ私服を肥やす徴税人マタ イなど、おもしろいメンバーが揃っています。
(シモンとマタイは仲が良くなかったかもしれません。)

また、彼らは野心を持っていましたから、誰が一番偉いかという議論をいつも繰り返し、イエスにたしなめら れていました。ヤコブとヨハネは母と一緒に「神の国では私たちをあなたの右と左に座らせてください。」と 願い、他の弟子たちの反感を買いました。(ダビンチの絵では、その二人がイエスの左右に座っていますね。)

そして最後にはユダがイエスを裏切っただけでなく、皆逃げてしまいました。そっと後をつけて行ったペテロ も、自分に身の危険が及ぶと、裏切ってしまいました。

こんな弟子たちですが、イエスの忍耐強い訓練によって、そして復活したイエスに出会い、その後に彼らに与 えられた聖霊によって彼らは命を懸けて宣教する者に変えられたのです!

12使徒のプロフィール

■ ペテロ
本名はシモン。イエスのよって「岩」という意味の名を付けられた。同じ意味のアラム語で「ケパ」とも呼ばれている。
漁師であり、アンデレの兄弟。
ヨハネ、ヤコブと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にした。
「わたしを誰だと思うか」というイエスの質問に、まっさきに「神の子です。」と答えるほど、まっすぐな性格だが、失敗も多い。「死んでもあなたを否認することは無い」と言いながら、イエスの逮捕後にはイエスの弟子であることを否認してしまう。
しかし復活の主に出会った後は、教会の指導者として勇敢に活動。後にローマ教会の指導者となり、伝承によればネロ皇帝の迫害下にローマで逆さ十字架に掛けられ殉教した。

■ アンデレ
ペトロの兄弟で漁師。
最初は洗礼者ヨハネの弟子であり、ペテロをイエスに引き合わせた。
伝承によれば、60年ごろアカヤ(現在のギリシア)でX型の十字架に架けられて殉教した。

■ ゼベダイの子ヤコブ
弟子のヨハネと兄弟で漁師。
ヨハネ、ペテロと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にした。
気性が荒いことでヨハネと共にイエスから「雷の子」というあだ名を付けられた。
弟子の中で最初の殉教者となった。(使徒12:1)

■ ヨハネ
弟子のヤコブと兄弟で漁師。
最初は洗礼者ヨハネの弟子であった。
ヤコブ、ペテロと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にした。
気性が荒いことでヤコブと共にイエスから「雷の子」というあだ名を付けられた。
しかし、ヨハネ福音書では自分のことを「イエスの愛しておられた者」と呼び、ヨハネ第1の手紙では「愛」について多く教えを残していることから、イエスの愛によって変えられたのであろう。
十字架上のイエスから、母マリヤを託され、引き取った。
新約聖書中の第四福音書と3つの手紙を書いた。ヨハネ黙示録も、このヨハネが書いたとすれば、弟子の中で一番長生きしたことになる。

■ ピリポ
ペテロ、アンデレと同じベツサイダ出身。
ナタナエルをイエスの元に連れてきた。
アンデレと共に行動することが多かったようである。
小アジアで十字架に架けられて殉教したと伝えられる。

■ バルトロマイ(あるいはナタナエル)
ピリポに導かれてイエスに会う。
律法には通じていたらしく、イエスに「本当のイスラエル人」と呼ばれた。
伝承によればアルメニアで生きたまま皮をはがれて殉教したといわれる。

■ トマス
「双子」の意で、ギリシア語では「ディディモ」
「主といっしょに死のう」という忠実を持っていたが、自分ひとりだけ復活したイエスに会えなかったとき「見て、触れなければ信じない」と言った話は有名。
紀元52年にインドに渡り宣教し、殉教したと伝えられている。

■ マタイ
レビとも呼ばれ、徴税人(取税人)であり裕福であったと思われる。
マタイ福音書の著者と思われる。
後にエルサレム教会の指導者となった。

■ アルファイの子ヤコブ
小ヤコブとも呼ばれる。
エルサレム教会の指導者であったヤコブ(使徒15章)や、ヤコブの手紙の著者が、この小ヤコブなのかそれともイエスの兄弟のヤコブ(ガラテヤ 1:19 )なのか定かでない。
エルサレム教会の指導者であったヤコブであれば、62年に石殺しで殉教した。

■ タダイ
ヤコブの子ユダ、「イスカリオテでないほうのユダ」とも呼ばれる
ユダの手紙の著者と思われる。

■ 熱心党のシモン
ローマの支配に武力で反抗し、律法を遵守した熱心党のメンバーであったことから、こう呼ばれる。
エジプトで宣教し、のちにタダイと共にペルシアで殉教したといわれる。

■ イスカリオテのユダ
「ケリヨト(カリオテ)の人ユダ」の意味であれば、ユダヤの町ケリヨテ出身者。
「刺客」という意味で熱心党に属していたという説もある。
使徒一行の会計係であった。マリヤが高価な油をイエスに注いだとき、マリヤを非難した。イエス逮捕の手引きをしたが後悔し、自殺した。

■ マッテア
イエスの昇天後、イスカリオテのユダの後任として十二使徒に加えられた。
カパドキア(現在のトルコ東部)で宣教し、62年ごろ殉教したと伝えられる。