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カエルの話

このカエルたちのこと聞いて、進化論の立場をカエル、勇気ある人いませんか? 

                       

 チャールズ・ダーウィンは「種の起源」の171ページ(New York:
American Library,1958)でこのようなことを記している。「生物の複雑に
発達した器官のどれであろうと、僅かばかりの変化が継続的に、又、数限
りなくなされた結果、形成されたものでないということが、もし証明され
でもしたら、私の理論は完全に崩壊してしまう。」
 H.G.ウェルズとジュリアン・ハクスレー、そしてG.P.ウェルズ
共著の「生命の科学」という書物(New York: The Literary Guild,
1934,)の728ページに水のない環境でも生息している、地上生活をする両生
類の例としてサリナムヒキガエル(Surinam toad)のことがあげられている。
このヒキガエルがどのようにして進化した結果、現在のような能力を身に
つけたのだろうかと、その必然性を考えていくと、どう考えても、僅かば
かりの変化が、少しずつ、継続的に長い時間かけて繰り返し起こった結果
であるとはとうてい思えないのである。

 ご紹介しよう。メスのサリナムヒキガエルが卵を産むとき、何と長い輸
卵管がカーブを描き、自分の背中にまで伸びる。そして、メスは自分の背
中の上に産卵をする。雨がほとんど降らない乾燥地帯でカエルが水なしで、
照りつける灼熱の太陽のもと、背中に産み落としたゼリー状の卵をどのよ
うに乾燥から守り、孵化させる(かえす)ことができるというのだろうか。
あえてなぜ、そのようなところをわざわざ選んで産卵をするようになった
かということ、それだけでも必然性を考えると不思議だが、もっと我々を
驚かす、超ワンダフルな彼女の「子育てウルトラE難度以上の業」がある。
 なんと、産卵を終えたメスガエルの背中が、両脇からせり上がり、ドー
ムのようになって卵を包み込むのである。そしてそこが、卵が孵化するま
での保育器となるのだ。ちょうど、未熟児で生まれてきた人間の赤ちゃん
が、保育器に入れられているようなものだ。これがなんで、少しずつの変
化、改良を、長時間かけてなした結果だと言い切れるのか。なぜならば、
一度でも背中のせり上がりの業にトライして失敗してしまえば、彼らの子
孫は未来永劫、存在しないことになってしまうからである。背中に卵を産
み落とした最初から、背中の両脇がせり上がり、保育器のように内部を乾
燥から守ってくれなければ、卵はカラカラに乾燥し、日干しのミイラ状態
になってしまう。次世代のサリナムヒキガエルは生まれてはこない。背中
に卵を産み落とす業を試みた親ガエル一世代でオシマイというわけである。
カエルが背中産卵の術をマスターするには、走り高跳びの正面跳びを背面
跳びに変更すること以上に、比較にならないほど、あまりにも大きなリス
クをカエルは覚悟しなければならなかっただろうということである。仮に、
以前はサリナムヒキガエルも他のカエルたちと同じような産卵方法をとっ
ていたのに、ある日突然、ギンギラギンに輝く太陽のもと、背中に卵を産
み落とす産卵方法に変えてみたいと思いついた一匹がいたとしても、カエ
ルにカエラレナイ事情があったように筆者には思える。どうだろうか。
 もう一種類、風変わりなヒキガエルがいる。この種類のカエル、メスが
卵を産み落とすところは、何と、オスガエルの口の中なのだ。このカエル
たちも灼熱の乾燥地帯に住むカエルたちで、水が一滴もないところで産卵
をする。卵は湿度を保持する為にオスの口の中に産み落とされる。オスの
口の中の声帯にある袋が保育器となるのだ。仮に、オスの口の中に卵を産
み落とすことを最初に考えついたメスガエルがいたとしても、もしその時、
そのオスが不用意にもその卵を飲み込んでしまったとしたら、もう次世代
は期待できないのだ。理論的には、口の中に卵を産み落とされたオスが、
卵がかえるまではそれを絶対に飲み込まない、ガマならぬ我慢のカエルに
なるという進化を同時進行的に成し遂げていなければならないことになる。
進化の結果、奇抜な産卵方法を思いつく急進的なメスガエルが仮に発生し
たとしても、いくらカエルの卵だといってもカエルことはないのである。
ダーウィンの進化論という仮説は、このヒキガエルたちの存在によって、
根本からカエル必要があるのではないかと思うのは、筆者だけであろうか。

阿武山福音自由教会 牧師 池田 豊
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