彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。 わたしは苦しみのときに彼とともにいて、 彼を救い彼に誉れを与えよう。 (詩篇91:15) 喜びは分かち合えても、苦しみは分かち合えない、という人がいる。 確かに人にわからない苦しみ、悩みがあるだろう。 どんなに同情しようとしてもできないことがあるだろう。 幼い子どもが病気で苦しんでいるとき、親は代わってあげられたら、 とどんなに願うことだろう。まして他人に何ができるのか。 そんなときはどんな慰めの言葉も空虚に聞こえてくる。ただ沈黙しかない。 しかしその人を真に愛する人はそこを立ち去らない。黙ってじっとそこに居る。 ただそれだけしかできない。いやそれだけいい。その人が呼んだときに、すぐ 答えることのできるように。 ハレルヤ!感謝します。神はいつも私と共におられ、私に答えて下さる! 「神が共におられる」というメッセージは創世記から黙示録に至るまで、 聖書全体を貫く祝福のメッセージである。その明確な証がイエス・キリスト である。アーメン。 (詩篇91篇は、作者の神への深い信頼と、それにこだまするような、神の 素晴らしい約束とからなる、実に美しい詩です。全体を何度も読み、じっくり 味わってみることをお勧めします。) (注:新改訳聖書においては、人間である作者または登場人物が語っている ときは「私」、神が語っておられるときは「わたし」と書き分けています。)
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。 私は主に申し上げよう。 「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、 あなたを救い出されるからである。 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。 あなたは、その翼の下に身を避ける。 主の真実は、大盾であり、とりでである。 あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。 また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。 千人が、あなたのかたわらに、 万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。 あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。 それはあなたが私の避け所である主を、 いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。 わざわいは、あなたにふりかからず、 えやみも、あなたの天幕に近づかない。 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、 すべての道で、あなたを守るようにされる。 彼らは、その手で、あなたをささえ、 あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。 あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。 彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。 わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。戻る