魂の渇き

2000.8.19 By Luke
民は喉が渇いてしかたがないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためか。」出エジプト17:3
エジプトで奴隷として苦しめられていたベブライ人をモーセは奇跡によって救出し、約束の地ユダヤに向けて出発したのでした。しかし、十分な飲み水や食料はありませんでした。今でもこのシナイの砂漠を歩くときは水筒が欠かせないそうです。喉が渇いたな、と思ったときにはもう遅いので常に水分を補給しなければ倒れてしまうそうです。そのような過酷な土地を徒歩で旅をしたかれらの苦悩は想像を絶するものだったのでしょう。日本という気候の良いところで、夏のちょっと暑い日に「ああ喉が渇いたなあ」というのとは比較になりません。彼らにとってそれはまさしく死を意味したのです。 もちろん神は彼らの願いを聞き入れ、岩から涌き水を出して与えたのでした。 旧約聖書の詩人は、このことを神と私たちの魂との関係に例えています。
涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。 神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て/神の御顔を仰ぐことができるの 昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。人は絶え間なく言う/「お前の神はどこにいる」と。 (詩篇42:2−4)
そういう環境を考えてこの聖書を言葉を読むと、その切実さが伝わります。私たちの魂には神が絶対に必要なのです。あなたの魂は渇いていませんか。 イエスは、井戸に水を汲みに来た、ある魂の渇いたひとりの女性に向かって次のようにおっしゃいました。
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネ4:13,14
どんなことをしても、どんなものを手に入れても、一時的な満足であって、またすぐに渇いてしまいます。永遠に私たちの魂に潤いを与えるのは、イエスだけなのです。
祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」 ヨハネ7:37,38
こんなことを言えるのは、誇大妄想狂か、そうでなければ「ほんとうの救い主」しかいません。

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