「福音の力 その1」 by Luke 1998.2.23

聖書:ローマ人への手紙1章16、17節

(新改訳)
私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての
人にとって、救いを得させる神の力です。
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませ
るからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

(新共同訳)
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべて
に救いをもたらす神の力だからです。
福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現さ
れるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。


福音を恥とするとはどういうことでしょう。
福音というものが、ユダヤ人やギリシャ人にとって、「愚か」に見えるからです。
ユダヤ人とは宗教人です。宗教人にとって、イエスの十字架は理解に苦しみます。「神の子」が
十字架に付けられて殺されるなんて。イエスが立派な教えを説いた宗教の開祖であり、その教え
を守っていく、というなら理解できます。しかし、神の子が十字架で死んで、それが私たちの罪
を許し、救いをもたらすという福音は、唯一絶対の神を信じるユダヤ人には「愚か」でした。
ギリシャ人とは、知識人です。人間の知恵によっても、十字架は理解に苦しみます。

しかしパウロは恥としません。なぜなら福音は「信じるすべての人にとって、救いを得させる神
の力」だからです。この力という言葉は、ダイナマイトの語源となったディナミスという言葉で
す。福音は「ダイナマイト」のように、私たちを変える力をもっています。
宗教的教えや修練によっても、また人間の知恵や文明によっても解決しない、罪と死の問題を解決
する力を持っています。

神の子が、私の罪のゆえに十字架について下さった、そんなにも私たちを愛して下さった。その
愛の力が私たちを変えるのです。その愛を信じ受け入れる「すべての人」が救いを受けるのです。
信仰によって神に近づく者だけが、「神の義」を与えられるのです。神の前に正しい者とされる
のです。信仰とは神との信頼関係です。宗教的修練や行いではありません。ましてや宗教団体に
入ることや、お布施をすることではありません。1年に1回拝みに行けばよいというものではあ
りません。「初めから終わりまで信仰を通して実現される」のです。
日々「信仰によって生きる」者となりたいと思わされます。

<祈り>

神様、あなたの福音の力によって、信じる私たちを救いに導いて下さってありがとうございます。
その力によって、また日々の生活をも導いて下さい。人々を愛し受け入れることができますよう
に。また、混迷するこの社会が、福音の力によって変えられていきますように、私たちをも用い
て下さい。

(イエス・キリストについて、また聖書について、福音について更に詳しくお知りになりたい方
は、バイブル・クラスの入門クラスを御覧下さい。)

戻る