【罪の力からの解放】
★御霊に従う
2番目に、御霊は、罪の力からも解放して下さいます。
罪のさばきから解放されたクリスチャンですが、この地上での生活においては
依然、罪が私たちに働きかけ、誘惑してきます。
ローマ8:4,5
それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全う
されるためなのです。
肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属するこ
とをひたすら考えます。
御霊に従うということが、クリスチャンになってからの勝利の生活の秘訣です。
1コリント3:1、3
さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するよう
には話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように
話しました。
あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いが
あることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして
、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。
肉に従ったクリスチャンは、幼子、成長していない者とみなされています。
★私たちは自由
ガラテヤ5:13
兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その
自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
かつては、罪の奴隷でした。しかし今は私たちは自由です。肉に従うこともできるし、
御霊に従うこともできます。
以前のように罪に支配されてはいません。罪に勝つことができるのです。
自由にされ、解放されたのですから、さばきに会うことはありません。
しかし、新しく生まれた者としてふさわしい生き方をすべきです。
牢屋から釈放されたものが、自分で牢屋に戻っていくのはべきではありません。
ローマ8:6
肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
常にこのことを覚えながら、御霊に従うことを選びとっていかねばなりません。
ローマ8:9
けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがた
は肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、
キリストのものではありません。
私たちは肉の支配下になく霊の支配下にあります。
もし・・住んでいるなら、とありますが、これは不確かなのではなく、
「・・住んでいるのだから」、という意味です。
★肉は神に反抗する
ニューエイジの本が最近多く出版されています。
脳内革命、神々の指紋、聖なる預言、聖なるビジョン、神との対話などです。
これらの根底に流れる思想は、人間は神の一部。罪はない。人間は善。イエスの
救いは不要。ということです。「あなたもキリストになれる。」とまで言います。
しかし、聖書ははっきりと言っています。
ローマ8:7、8
というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法
に服従しません。いや、服従できないのです。
肉にある者は神を喜ばせることができません。
肉は神に反抗するものです。
人間は生まれながらに罪と死の原理に支配されていて、ただキリストの救いを受け
入れたもの、キリストの御霊を持つものだけが、解放されて神に喜ばれる生き方ができ
るようになります。
★御霊はキリスト
さて、この「御霊」ということばを聞くとき、私たちは、日本で良くいういわゆる
「霊」ということばから連想する、お化けとか人魂のような、神秘的な実体のよく
わからないものを想像してしまいます。
しかし、9、10節をよく見ると
けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがた
は肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、
キリストのものではありません。
もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでい
ても、霊が、義のゆえに生きています。
御霊は、神の霊であり、キリストの霊であり、そしてキリストご自身であると書か
れています。「聖霊とは私たちの中に住んでおられるイエスである。」とも言われます。
「御霊に従う」とは、キリストに従うことです。それはまず聖書を学ぶことと祈る
ことによってどう従うべきかわかります。決して神秘的な導きや、感情に従うので
はありません。具体的に聖書に示されています。
ガラテヤ5:16ー24
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足さ
せるようなことはありません。
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つ
は互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをする
ことができないのです。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
御霊に従うとは、このような実を具体的に求めていくこと、キリストに似たものに
なることを求めていくことではないでしょうか。
そして御霊がわたしたちを助け、力を与えて下さいます。クリスチャンは罪と死の
法則から解放されて、いのちの御霊の法則の中に生きているのですから。
そしてそれは、私たち対する神の絶対的な愛に支えられているのです。
ローマ8:31ー39
31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、
だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、
どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないこ
とがありましょう。
33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえら
れた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりな
していてくださるのです。
35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみです
か、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふら
れる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのこ
との中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今ある
ものも、後に来るものも、力ある者も、
39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスに
ある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
戻る