「天の故郷」   by Luke 1999/4/6


聖書:ヘブル人への手紙11章8〜16節

8	信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て
	行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らない
	で、出て行きました。
9	信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約
	束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
10	彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その
	都を設計し建設されたのは神です。
11	信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿
	す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考
	えたからです。
12	そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星の
	ように、また海ベの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたの
	です。
13	これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手
	に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、
	地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
14	彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを
	示しています。
15	もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあっ
	たでしょう。
16	しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあ
	こがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥と
	なさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられま
	した。

 ここに登場するアブラハムはユダヤ人の祖先とされている人です。神はこの
アブラハムにイスラエルの地(現在のパレスチナ)を与えると約束されました。
アブラハムはカルデヤのウルという地(現在のイランにあった古代都市)から
イスラエルに移住しました。
 何百年かの後イスラエル民族はやっとそこに自分たちの国を作ることができ
ましたが、やがてローマ帝国に滅ぼされ(AD70年)ユダヤ人は全世界に散
らされ、およそ1,900年後の1945年再びその地に帰り、現在のイスラ
エル共和国が独立しました。しかし長い間そこに住み着いていたアラブ人とそ
の所有権をめぐって争いが続いています。
 ユダヤ人は神がアブラハムに与えた約束に基づいてその所有権を主張してい
る訳です。

 しかしこの聖書の個所では、アブラハムが最終目標にしていたのは、パレス
チナではない。生まれ故郷のウルでもないと言っています。彼が目を向けてい
たのは「天の故郷」と呼ばれているところでした。そこは堅い基礎の上の都と
も呼ばれ、生ける神の都、天にあるエルサレム(ヘブル12:22)とも呼ば
れています。

 この地上の国は滅びます。永遠に続くものはこの地上にはありません。やが
て神が新しく造られる国だけが永遠に続くのです。それは堅い基礎の上に建て
られています。それはイエスキリストの救いです。その救いは完全であり、永
遠です。その救いを受けた者が待ち望むのが「天の故郷」なのです。アブラハ
ムは、それに「あこがれていた」のです。だれでも故郷は良いものです。生ま
れ故郷に帰るとほっとする経験をした方も多いでしょう。私たちの魂も、私た
ちの造り主であり、魂の父である神のおられる「天の故郷」にあこがれている
のです。そこには本当の平和とやすらぎがあります。

	また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過
	ぎ去り、もはや海もない。
	私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁
	のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
	そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。
	神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民と
	なる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっ
	かりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみ
	もない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
	すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、す
	べてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことば
	は、信ずべきものであり、真実である。」
	また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガで
	ある。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水
	の泉から、価なしに飲ませる。
	勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、
	彼はわたしの子となる。
					(黙示録21:1ー7)

 私たちの目はどこを見ているでしょうか。滅び行く世界の富や栄光でしょうか。
快楽でしょうか。一時的な世界の地位や名誉でしょうか。

	私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。
	見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
					(競灰螢鵐硲粥В隠検

 心の目を、目に見えないもの=永遠の世界=神の世界に向けるということは
神の国の価値観で生きるということです。その上でこの目に見える一時的な世
界に生きていくとき、ほんとうの愛と平和と正義が実現するでしょう。

お祈り
	私たちの魂の父なる、目に見えない神様。
	私たちはこの目で見えるものしか信じない者、目に見えるものが無いと
	不安で仕方の無い者です。しかしまた私たちを生かし、支えている最も
	大切なもの、愛や信頼は目に見えないことも知っています。そして目に
	見えるものが決して私たちに究極の満足を与えないことも良くわかって
	います。
	どうぞ、見るべきものを見、見てはいけないものから目をそむける勇気
	と力をお与えください。あなたの国の豊かさと喜びを垣間見させ、ます
	ます天の故郷を待ち望むものとしてください。 アーメン。

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