「自由、信仰、愛」   by Luke 1999/5/19


聖書:ガラテヤ 5章1節

「キリストは自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」

	 キリストへの信仰を持つことは自由人になることです。これは本当でしょう
	か? 宗教に入るとか、信仰を持つとかいうと何か、自分を束縛して難行苦行
	をしたり、禁欲主義的生活を強いられたりして、自由を奪われることのほうが
	多いと多くの方々は思っておられるでしょう。はてはマインドコントロールさ
	れて悪賢い連中の餌食になるのが落ちだ、むしろ自分を信じ、自分の思う侭に
	生きていく無宗教者こそ「自由人」だと思われるでしょう。
	 そのような日本人の宗教観から脱しきれずに「不自由」の中に”自ら”留ま
	るクリスチャンが多いのも事実です。国民性の違いもありますが、外国のクリ
	スチャンに比べて「明るさ」に欠けています。

	 かく言う私自身もそんなクリスチャンの一人なのですが、冒頭のみことばに
	出会い、ある時「ハッ」とさせられました。キリストにある者はまず「自由」
	なのです。キリストが私たちの罪の身代わりに十字架にかかって下さったおか
	げで、私たちは罪のさばきから解放されています。死の恐れもありません。何
	者をも私を神の恵みと愛から引き離すことはできません。何にも束縛されず、
	自分の人生を送ることができるのです。

	 厳しい戒律を守って、自分を苦しめて、奴隷のように神に従う者を神は求め
	ておられるのでしょうか。NOです!

	    すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になる
	  わけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、
	  私はどんなことにも支配されはしません。
						1コリント6:12

	    兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。
	  ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
						ガラテヤ5:13

	 強制されてではなく、自発的に、自由意志を持って神に喜ばれる生き方をし
	ていくこと、愛によって生きること(愛は本来自発的なものです。)を神は
	望んでおられます。そしてそれができる力をも、聖霊によって与えて下さる
	のです。

	  キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことで
	 はなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。
						ガラテヤ5:6

	 信仰は自由を与えてくれます。そして信仰と自由と愛が、私たちを本当に
	生かし、喜びにあふれた人生を与えてくれます。

	 クリスチャンにも、そうでない人にもお伺いします。あなたは自由ですか?


戻る