「名選手必ずしも名監督にあらず」とはよく言ったものである。 だからと言って、並のプレイヤーが名監督だってこととも違う。 要は、人間には各々の器というものが存在するということである。 剛勇無双の葉武者もいれば、非力ながら用兵並ぶ者なき智将もいる。 適材適所で働ける者は、最大限のパフォーマンスを発揮できることだろう。 ここで解せないことは、政治家・タレントの2世ってなに?ってこと。 親がその道でそれなりの成功をおさめてきたから、子供にもその素質があると思っているのだろうか? 全員が全員とは言わないが・・・冷静に考えてもらいたい。実に滑稽な話である。 まぁ、タレントはいい。しかし、こと政治家に限ってはどうだろうか? ○○代議士のご子息という知名度だけで、議員となった腰抜けに政道を任せてよいのだろうか? その辺りをもっと熟考して頂きたい。そして、「立てよ国民!」 では、話を身近にもってこよう。 ある程度の評価を受け、その器でもないのに管理職のポストに就いた人の気負い。 そんな独り善がりな気負いのために、振り回された記憶を持つ人も少なくないはずだ。 悲しいことかもしれないが、人間の器は明確に見ることはできない。 「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」という孫子の言葉が重きをなしてくる。 そういったことを思い浮かべながら、自分の心のろくろを回す日々は続く。 |