先輩がゴルフ場のコースで、思うようなプレイができず愚痴った時に、 キャディーさんに言われた言葉だそうだ。 まぁ、要因はいろいろあるのだろうが、自己のショットに対しての責任というべきものは己にある。 そしてゴルフには、ハンディキャップなるものが存在する。 甚だ強引な話の展開ではあるが、人生においてもそれは当てはまるのではないだろうか。 かの福沢諭吉先生も『学問のすすめ』において、 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。 と述べている。 人道的見解からすれば確かにそうかもしれないが、物理的に貧富の差は歴然である。 社会に出れば、「上司」「部下」なんて言葉もあるわけだ。 そんなことは、子供だって知っている。 生物は生まれる環境を選べない。 要は、人間生まれながらにしてハンディキャップを背負っているわけだ。 そのハンディを踏まえた上での人生メイクが必要となる。 ゴルフにおいても当然だが、ハンディは縮めることが可能である。 それには努力が必要であるだろう。 同時に、練習の成果が100%本番で活かされるとは限らない。 ゴルフはパープレイが72なのだ。プロだって時に、その数を上回る場合だってある。 人生の達人と呼ばれる人でもミスはあるわけだ。 同時に、ゴルフは自己申告制のスポーツでもある。 あるホールにて8打打とうが、「5」と申告すれば「5」となる。 (まぁ〜周りの連中もそれなりに見ているのだが・・・) 出しづらいといって、ナイショでボールを移動することだって、 可能といえば可能だろう。 日々の生活だって、ズルはできる。 が、それが発覚した際に、その人は信用という大切なものを失う。 もう一緒にプレイしたくない、一緒に生活したくないという事になる。 安易な言い方だが、みんな日々の生活において、ナイスショットやOBを演じているのだ。 そう言った意味で、不識院は人生のシングルプレーヤーになれるよう精進したい。 それはミスのない生活をということではない。 ゴルフも人生にもミスはつきもの。 如何にそのミスのリカバリーができるかということだね。。。 | |
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