教師と生徒

いつやったかなぁ〜、先生 vs 問題児といったタイトル内容の討論?番組をみた。
お互いの実体験をもとに、タレントを交え協議していたようであったのぉ〜
主に生徒の体験談より、「先生達はわかってくれない」的な提議に、先生サイドが
アプローチするといったかたちであったろうか・・・

生徒が話す内容は、当人と担当教師間の問題であり、その場にいる第三者的立場の
先生連中が、その問題に対して発言しても、根本的解決には至らないであろうと思われた。
まぁ〜番組の主旨は、その討論をまわりで見ている100人が、どちら側の意見に
賛同するかというものであったので・・・
総評するに、実にEQ(こころの知能指数をあらわすものらしい)低き番組であった。

金髪の子が口火を切った。「恰好だけで判断しないでほしい!」
よく聞く話である。
別に誰に迷惑をかけてるってわけではなし、化粧だっていいじゃん。
では問いたい。同じクラスに、全然普通なのだが、股間丸出しの生徒が
いたら、アナタはどう思う?
話のレベルは同じようなものだ。あまりにも次元が低い。
認めてほしいなら、周りが納得する態度をとるべきである。
そこからがスタートラインなのではないだろうか・・・

そもそも、学校とはなにをすべき場所であるのかを再認識してほしものである。

「大人は信用できない!」確かにそうだ。身共も思い当たる点は多々ある。
だが、それを理由に腐っても進歩はないだろう。
だったら自分はどうするか?ということを考えなければ、
いずれ自分も同じような大人にしかなれないんとちゃうかな?
まぁ〜学校において、先生が信用できないのであれば、
なにを信じろって話にはなるんやけどね・・・
そういう意味では、先生にも大いに反省してもらわなぁ〜アカン部分や。
担任を学校側が決めるのではなく、生徒側が入札するシステムも
面白いかもしれんなぁ〜
教員も緊張するやろ〜 生徒にダメ出しされたら、お飯食い上げや。
生徒側に、そこまでの強権を持たせていいかという問題点もあろうが・・・

結局、感受性が強くバイタリティーに溢れていても、自己のアピールが
ヘタクソなんやろうなぁ〜
言葉を変えれば、不器用ということや。
その表現方法は一辺倒となる。
根底には、自己を認識してほしい欲が渦巻いているのであろうが、
教師側が一般見識を脱却できず、型にはめた接し方が多いため、
先生と生徒間に温度差が生じるのであろう。

別に馴れ合い関係にあれということではない。
如何に信頼関係を構築できるかが、教師の真骨頂なのではないだろうか。。。
信頼関係は教育現場に限らず、全ての人間関係に通じる。
その始めの一歩が学校なのかもしれない。
今や、親子であっても信頼関係がない家族も少なくないと耳にする。

学問のみなら簡単なのかもしれない。
教師はテキストをもとにキャリクラムをこなし、生徒もテストの点数で
結果がわかるわけだ。
ことが人間育成となると、ほんとに難しい問題やと思う。
「学校が!」「家庭が!」と責任を押し付けあっている場合ではない。
よい環境作りを・・・
そして生徒は、出会いを大切に。。。







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