澤野<広島高校生平和ゼミHP>
水島朝穂さんのお話
HP<水島朝穂メッセージ>
TOPへ戻る
『花咲き山』にようこそ <花咲き百花辞典>
36th平和教育シンポジウム
2008年 9月27日(土)・28日(日) 生涯学習センター
あいさつ 佐貫浩(日平研代表委員) 基調提案 事務局
記念講演 村上登司文(京都教育大学)
平和教育に期待するもの
1。はじめに
(1)私と平和教育
(2)問題意識 日本と広島の平和教育
(3)平和教育に期待すること
2。平和教育とは
(1)平和教育の概念
@平和についての教育
@平和のための教育(間接的平和教育)
@平和を通じての平和教育
@教育における平和
@積極的平和としての教育
(2)国内の政治的緊張と平和教育との関連
3。平和教育の展開
(1)年代別展開
(2)平和教育の実践状況
4。世界の平和教育
(1)パラダイム転換
(2)アメリカの平和教育
(3)国際機関が進める平和教育
5。子どもの平和意識の実態
(1)被爆体験の伝承
(2)日英の子どもの平和意識
6。戦争についての教育
(1)戦争記憶と平和意識
(2)被爆状況の教育
(3)平和教育の三つのポイント
@子ども中心の平和教育を
@子どもの生活につながる平和教育を
@戦争体験を学び伝える平和教育を・・・・追体験を継承するために
7。まとめ
@平和形成力の育成を視野に
@いきいき平和学習への工夫を
-----------------

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわ へいわをかえせ
のページものぞいてみんさい
2000年11.12.<県教研> IN明徳中
「平和と国際連帯の教育」の分科会では、4本のレポート。
「平和教育って、仲間づくりだと思いました」女性の分科会参加者が発言されました。今回、「教室の中の戦争」、つまりいじめや暴力に取り組むことも含めての平和教育も出されました。それは、2002年からの新教育課程(総合的な学習)のことも考えて。
全国教研へは、広島支部の小学校の実践が行くことになりました。総合学習がらみです。
さて、別のレポートに『六年三組学級憲法』というのをみつけました。
『六年三組学級憲法』
前文
学級のひとりひとりは、いっぱいのやる気を持ち、満足のできる毎日を送りたいと思っている。よって学級の中にひとりぼっちをつくらないために、友達とかかわり合いながら、みんなの協力と一人ひとりの努力によって学級づくりを進めていかなければならない。
学級の一人ひとりがその決意を持つため、ここに、学級の主人公は学級の一人ひとりであることを宣言し、この憲法をつくる。
そもそも学級の活動は、学級のみんなで考え、話し合い、助け合いながら進めていくものであって、一部の発言力のあるものが勝手に決めつけるものではない。また、自主的にいけんをいわず、みんなとかかわっていこうとしない者を放っておいて活動を進めるものではない。みんなが知恵を出し合い、納得いくまで話し合い、やる気を持って活動を進めていける学級こそ、われわれが目指すべき学級の姿なのだ。これは、人間社会において基本となる考え方であり、われわれは、これに反する行動や発言をいっさい取りのぞくために、ひとりひとりが協力していくべきである。
人間は、永遠の平和を願い、やさしい人間関係を求めているのであって、われわれもそのような社会をつくる一員となりたいと思っている。よって、まず学級という小さい社会の中で生活する人間として、この憲法のもとに団結し、一人ひとりが本当の主人公となれる学級を目指していくことをここにちかう。
2000年
・
・・・平和の文化国際年
http://www.unesco.or.jp
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、
人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」
(ユネスコ憲章前文)
第6回平和のための広島の戦争展
下のボタンをクリックして、
戦争展HPにGO!
![]()
ねっ!詳しく出てるでしょ!!
ごあいさつ 2000年8月
「戦争の事実」を次世代へ <平和のための広島の戦争展実行委員会>
20世紀最後の夏を迎えています。 この100年間の前半には、人類は大きな世界大戦を二度も経験しました。なかでも第二次世界大戦では、日本がアジアの各国に侵略して多くの被害を与えるとともに、ヒロシマとナガサキに地上初めての原子爆弾の被害を受け、軍隊のみならず多くの非戦闘員である住民が被爆しました。それから、55年が経ちます。当時の戦争体験者の年令が高齢化するとともに、少数者になっています。
現在の平和な生活は、当時の悲惨な生活と、多くの戦争の犠牲者の上に築かれた「平和憲法」の存在によって、もたらされていると思います。
20世紀の最後になって、きたる21世紀にむけて、私たちの暮らしの基本法である「平和憲法」を検討し直そうということになりました。これからの数年間は、そのための大事な期間です。21世紀に生活する人々、特に若い人にとっては、過去の体験者である老人との対話を通じて、日本の歴史や戦争についての体験談を聞き、新たな歴史の創造に活かされねばならない時期であると思います。
「平和のための広島の戦争展」が、多くのご賛同・ご協力をいただき、今年で第6回の開催を迎えることになりました。この戦争展が、次代を背負う若者にとって、少しでもそのような考え方の礎になればと思っています。多くの人々のご来場を期待します。
******************************************
「戦争展感想文」より
戦中を体験した者として、特に広島の戦争展は、涙と痛みの心でいっぱいです。21世紀を生き抜く世代の人に、一人でも多くこの会場にきてほしい。今の平和の原点を考えてほしい。二度と、このようなときがきてはいけない。 戦争展を開いていただき、ありがとうございました。 知識だけの人間であってはいけない。真実を求める知恵が平和を創る大きな力になると思います。 <広島市 沼田鈴子 77才>
***************************************
アンケートの中身は、千差万別。「マンネリ感がある」というもの。まあ、これは毎年見に来ておられるからこそ。また、「多くの人に見てもらいたい。これからも続けてほしい」というもの。「原爆だけにかたよってなくてよい」というご意見も。
どこに焦点をあてるのか、なかなか難しいです。
やはりそれぞれの団体が、各コーナーを責任を持つような形がのぞまれます。そうすることでもっと広がりも出るし、参加者も増えるのでは?
しかし、今年の集いの広場の企画は、とってもいいのにね。もったいない。
長く続いた山手教会から
大学生協渋谷会館に会場を移して
1999.8.10〜15
平和のための戦争展【東京】へリンク
<平和のための埼玉の戦争展>
<立命館大学国際平和ミージアム>
ピースウエーブ報告・・・・・S
2000年8月5日、今年も、二高慰霊祭<写真が花咲き平和館別館へ>がしめやかに執り行われました。私は4回目の参加(もう4年目!!)ですが、テント5張りというのは大変でしたね
。 85歳という二高の教職員の方が来られていて、代表で挨拶をされましたが、
3日がかりで原稿用紙にしっかりとした書体でびっしり4枚書いておられました。
来年は(生きてないので)もう来られないから・・・と冗談ぽくおっしゃるのが、
55年という月日の重みを感じさせてくれました。参列者の中にも顔見知りの方も
増えました。
ピースウエーブ2000・・・・・・・
娘はM中出身で、ゲルニカや20万人の人、長崎の山里中学校との平和交流、被爆体験者の語り部の話・・・などの取り組みをまじめに受けているのです。
フェニックスホール、会場は満席で、立ち見の人や通路に座っている人もいました。
第1部は、村上弦一郎さんのピアノと森純子さんのチェロの演奏で、本物の音楽を堪能しました。
第2部は、混声合唱組曲「悪魔の飽食」の作曲をした池辺晋一郎さんとあの森村誠一さんのお話でした。とは言っても、池辺さんは最初に森村さんを紹介した後、退場され、森村さんが淡々と、かつての満州の日本関東軍・・・731部隊の事実を語るのが主な内容でした。私は「悪魔の飽食」がベストセラーだった頃、高校生くらいで、内容を知っていたのですが、さすがの平和マニアの娘も知らなかったようで、良い勉強になった
と感動していました。
当時3000人の人間をマルタと呼んで人体実験したこと。それも、1段階目は細菌に感染させ、生き残ったらさらに水をかけてマイナス30度の屋外で凍傷実験
し、最後に手足や鼻のもげたマルタは、銃や爆弾の威力を試したり、毒ガス実験に使用した・・・・死体は、皮は工芸品に、髪は毛布に、焼いた後の油は食料に、灰は肥料に・・・完全に使い切った・・・というか証拠隠滅。
600万人のユダヤ人を犠牲にしたアウシュビッツ・・・数こそ違え、人間のうちに潜む残虐性にゾーーーっとします。
森村さんは、この36年間秘密だった加害者としての事実を、戦争の被害者として核の廃絶を訴えるヒロシマと一緒に、21世紀に伝えなければいけない、それが
、人としての良心、自他双方の戦争の犠牲を考える意義は大きい、と訴えておられました。そして、人間はどんな不幸も芸術にできる、非人間的な行為も、芸術に浸るこ
とで魂を鎮め、心身に刻むことができると締めくくられました。
では、ここで、森村さんが作詞した曲の一部を紹介します。
「生体の出前いたします」 ・・・・1/2番 略
発病し 生き延びたマルタは凍傷実験
飢餓、水断ち実験、感電に 火傷実験
空気静脈注入実験、胃腸の位置を逆転するイチョウ返し
馬や猿の血による代用輸血実験
どんな実験も 731ではお望み次第
凍傷で五体損傷のマルタは毒ガス実験
731のマルタに無駄はない
医者としてなすことあらんと期する者は 731にいらっしゃい
「友よ 白い花を」
マルタは人間です それぞれの祖国があり
妻があり 子があり そして 愛する人がいるのです
あらゆる人が その祖国を愛するのと同じく
私たちも 私たちの祖国を愛したのです
・・・・・以下 略
310人の大合唱で、本当にすばらしかったです。
パンフレット、お渡ししますね。
2000年3月4日(土)
アレン・ネルソン
(1947年、ニューヨーク生まれ)
海兵隊入隊後、ベトナム戦争に従軍。
参加者の質問に、丁寧に答えられるネルソン氏。そのお答えの一部を・・・・。
<写真は、高校生の要求に応じて、ペンを走らせるネルソンさん>
小さい頃から、ベトナムは共産主義だから、世界の平和のために戦わなければならないと教えられていた。それは、兵隊だからという以前のことだった。今なら、その相手国は北朝鮮とかになっていると思う。
復員しても、後遺症が残り、精神的にも立ち直るまでに、10年以上かかりました。今でも、直っているわけではありません。 自分の場合は、ホームレスのあと結婚することができたから、妻の援助もあり、かなり立ち直ることができました。
<新ガイドライン><国旗国歌法>そして、次は<憲法改悪>です。安全な後方とか、あると思いますか? 戦争に出ていくための
準備ではないのだろうか。
湯布院(日出生台)でも、演習があるでしょ。
私は、基地の外から若い海兵隊員にチラシを配ったり、マイクを使って呼びかけたりしている。ときには、脱走の方法まで書き込んで。・・・<沖縄駐留米軍をアメリカに連れ戻す
>ネットワーク>の呼びかけ人・・・・・ 戦争や基地の問題を、たくさんの人に知ってもらわないといけないと思うのです。日本人も含めて、声を集めること。それが、力になると思うのです。
さて、最初に戻りましょう。
3月4日(土) YMCA 1Fチャペル 「アレン・ネルソン講演会」
<通訳:平塚先生>
射撃訓練で、最初は同心円の標的を狙うんだけど、ベトナムへ行く前の沖縄では、人間の形をした標的を練習台にした。
皆さん、この人の絵に、指で撃つ格好をしてもらえますか。少し、とまどいがありましたね。最初私も、躊躇しました。 さて、どこを狙えと教えられると思いますか? この会場の4人が頭と答えましたが、あなたたちは、反対にやられるでしょう。もちろん、腕や脚はだめです。一発でダメージを与えないといけません。じゃないと、自分がやられてしまいます。 多くの人が「心臓」と答えましたが、映画の見すぎだよ。正解は、「男性の急所」です。
たいてい、胃のあたりに当たります。これは、即死できずに、一番苦しみながら死んでいかなければなりませんから、兵隊は恐れています。
沖縄では、タクシー等の代金とか、女性と遊んだあとの代金だとかの踏み倒しを、海兵隊員がやっていました。今日のようなこういう話を、私がすることになったきっかけも、あの少女暴行事件でしたが。表には出てこないものも含めたら、ものすごい数になるのではないでしょうか。
沖縄から、ベトナムへ移動したときは、胸の高鳴りがありました。以前からイメージしていたことが、現実になるのです。 ベトナムでは、死体の数をカウントしました。バラバラになたものは、一つの体になるように集めます。
人殺しの方法しか教えられてない私が、あるとき偶然に、避難豪の中でベトナムの少女の出産に出会います。私の妹とダブりました。全く、未知の世界です。
さすがにショックでした。ベトナム人も人間だった。自分が殺してきたベトナム人も、人間であることを、痛感したのでした。 このことは、仲間の海兵隊員にも話せませんでした。その後、私のベトナム人への接し方が変わったのがわかりました。
2000年1月 27日(木)〜30日(日) 全国教研(IN 山口)
全国教研の報告は・・・HP<花咲き学園>へ
********************************************** 「平和と国際連帯の教育」の分科会<2日目>。がんすは、司会のおつとめも、2回分を終わり、ホッとしているところです。広島のレポも、無事(?)終わりました。 ヒロシマで、ヒロシマを学習することが難しい、というのが、他府県の人に印象的だったようです。
本日のキーワード(?)は「総合的な時間の中での総合学習」「学び、調べ、表現する」「物事の善悪を判断する力」「小学校低学年では、感性をしっかり育てる」「発達段階に即した、教材を考える」 ********************************************** 「平和と国際連帯」<3日目>・・・・和光大学:伊藤武彦先生の提案
今年は<平和の文化国際年> 2001〜2010年は、世界の子どもたちのための平和と非暴力の文化10年 「平和の文化をきずく会」が、2000年1月に発足。
その中で、<日本ユネスコ協会>が、「わたしの平和宣言」と題して署名を呼びかけています。今回、インターネットでも署名が送れます。http://www.unesco.or.jp さて、「暴力」と「戦争」の問題について、論議になりました。同等なものと考えていいのか? 自分は、「まず教室の中の戦争を無くそう」とか言って、「いじめ」「暴力」(体罰も含めて)にとりくみます。相互の関連について、特に違和感は無い。「直接的平和教育」と「間接的平和教育」ととらえます。
森田先生は言います。「平和教育は人間を育てる教育でしょう」
**********************************************
全国教研で知り合った・・・・、
<滋賀の西村さんのHP>
99年<県教研>
IN観音小
「平和と国際連帯の教育」の分科会では、3本のレポート。全国教研へは、海田支部の中学校の実践が行くことになりましたが、福山からの小学校の実践もなかなかのもの。小6でも、これだけの平和新聞ができるのかと、感心。
班ごとに、それぞれテーマを持って、新聞づくりに臨んでいる。もちろん、小4での社会見学で、原爆資料館を見学していたり、いろいろな積み重ねの上に、この平和新聞ができていることは言うまでもないが。
ひとつの班が、「地雷」について新聞を作っていた。絵もしっかりしているし、クラスのみんなにアンケートをとったり、自分たちの意見も、編集後記に書いている。先生にお聞きすると、5年生の頃地雷の絵本を見せたことがある、との答えが返ってきたが、その後も関心を持ち続け、いろいろ読んだり調べたりしていたそうだ。
今の子どもたちを、「指示待ち族」とか言ったりするが、けっこう意欲的にやっている。例として適確ではないかもしれないが、あのジャニーズの<嵐>の握手会に8万人が集まるエネルギーは、何なんだ。ただし、二極分化はあるかもしれないが・・・・。
この辺り、平和学習と総合的な学習との関係の、ヒントとなるものがあるかもしれない。「意欲」「やる気」が、押しつけの中で生まれるのか? かつて、「ゆとりの時間」という押しつけの時間があった。生活科を経験した子どもたちが、今中学に入学してきて、苦悩し、あえいでいる。
土台のしっかりしてないところに、りっぱな家を建てようとしているのではないか。私の心配のしすぎであればいいのだが。ともあれ、今回の教研では、「教育課程の分科会」にはたくさんの参加者があり、二つに分けるほどであった。「総合的な学習」が、みんなの関心事であることは言うまでもない。2002年からは、確実にスタートする。
さて、地雷は安い物では1個350円。それを除去するのに35000円かかるという。まだまだ、知らされてないですね。
地雷関連ホームページ「天使になりたい」へジャンプ
【ビキニデー】の3月1日、『対人地雷全面禁止条約』が発効した。当初の締約国は45カ国で、保有する対人地雷を4年以内に、埋設した対人地雷は10年以内に廃棄することが義務づけられている。
日本は、45番目の締約国で、最初の発効グループに加わった。1999.3.1.現在、計133カ国が調印し、計65カ国が批准書を寄託した。条約は、批准書を寄託した国が40カ国になって6か月後に発効することになっているが、その要件を満たした98年9月に日本も最初の発効グループに何とか入れたというわけだ。
日本では、自衛隊が貯蔵する対人地雷約100万個の処理を99年度から開始し、期限内に完了する方針でいる。しかし、ロシア、中国、インドなどの主要な生産・使用国が未署名で、アメリカも署名を拒んでいる。そのため、この条約の実効性を危ぶむ意見もある。
赤十字国際委員会や国連の報告によると、対人地雷は1億1千万個以上埋設され、毎月2千人以上が死傷している。
6月11日(金)
教育センター【平和教育】・・・・
四国五郎さんが講師
がんす久治郎が、教育センターの研修に参加することは、未曾有のことなんじゃけど、お世話になっている四国五郎さんが、広島のこと、平和のことを話てじゃゆうんで、そりゃあ行かんわけにはいかんじゃろう、ということで、牛田の山に登ってきたでがんすよ。
参加者は、約50名。小・中の先生や、公民館の人も参加しとられました。
四国五郎という名前は、本名じゃそうです。男ばかりの5人兄弟の3番目。それでも五郎なのは、生まれる前に死んだ子がいるんじゃないかと、ゆうとられました。
戦場では、前線への物資の輸送。今ガイドラインで後方支援とかゆうとりますが、前線よりも運輸の方がよっぽど危険ですというお話は、説得力がありました。そういう状況の中でも、限られた物資と時間の中で、絵を描き日記を付けられとりました。さすがに、便所の中は、いくら軍隊じゃゆうてもプライバシーが守られたそうでがんす。ときには、上官に呼ばれて似顔絵も描いたとか。それは、故郷へ送るため
のもの。写真じゃと、封書にせんといけんので、検閲とかで手間がかかりすぎたんじゃそうでがんす。それで、ようかんとかもらったりもしたとゆうことでがんす。
それから、ソ連での抑留生活。その捕虜の生活の中でも、四国さんは絵を描いています。そのときの絵も、持ってきとられました。初めて、外国の人も描いたそうでがんす。あるとき、それがお医者さんに認められて、解剖図を模写する仕事とかもしたそうでがんす。
船で舞鶴に帰ってこられるんですが、小さな手製の本に書いた日記帳を、靴の中に隠して持って帰られました。それも、見せてもらったでがんすよ。感動でした。
広島へ帰ってきて、初めてすぐ下の弟さんが原爆で亡くなったことを知らされます。もしこの死がなかったら、自分の絵は随分変わっとったじゃろうと、ゆうとられました。絵で金儲けするのはやめよう。パン代は、市長からもらおうと、市役所の職員に。広島市の広報誌に、広島の橋を描き続けたのは、皆さんもよう知っとられるでしょう。
四国さんの平和カレンダー、今年は画集制作のためお休みじゃったですが、来年はぜひと、お願いしときました。
高校生平和ゼミナール(熊谷篤)
_
代表委には:山住正巳や藤本義一氏も
【子どもと教科書全国ネット21】
平和研究所じゃなくて
<平和教育研究所>
98年 9月14日(日)、映画「在日」を見た。と言っても、都合で半分しか見られなかった。半分だけでも2時間を超えていて、充分学習になると、映画センターの牛尾さんも言っておられたが・・。ぜひまた機会を作っていただいて、後半の2時間あまりをみたいと思っている。
内容は、「在日」という題のように、「在日朝鮮人」の戦後の50年を、様々なできごとを確認しながら進んでいく。本当にここまでよく集めたなと思うし、よく調べてある。(これだけの長さになってしまったのも仕方ないのか) 知らなかったことも多々あった。これは、誰も一度は見ておいた方がいいなと、正直思った。会場の西区民ホールは、超満員であった。教員が多かったと思う。高同教などが世話をされていたようだ。
帰ろうとしていたら、西区民の館長(昨年まではアステールの館長)の金子さんに呼び止められて、いろいろお話を聞かせてもらった。この映画は、前にも一度上映しているという話を聞いた。
映画の中には、この夏休みに訪れた韓国の光州や、また日本総督府の取り壊し場面なども出てきて、あの「韓国平和の旅」の5日間も思い出された。まだまだわだかまりのようなものはかなりある、というより「独立記念館」などは「反日感情」をしっかり植え付けていく方向で建てられたようにも思われる。「反日感情」を利用して、国をまとめようとしていると言えば、言い過ぎだろうか。
西区民文化センターには、韓国に一緒に行った高校生の顔も見られたが、若者の純粋さには、旅の間でもずい分と助けられた。あの世代が社会の中心となる頃には、関係や意識も様変わりしていることだろう。
偶然にも、14日付の中国新聞に、海老根論説委員が「ミサイルを越えて北朝鮮に食料援助を」という記事を書かれていた。「北朝鮮食料支援の会(代表李実根)」が、ちょうどあのミサイル騒動の時に、北朝鮮を訪れて(第2回目)、食料が本当に届けられたか確認している。
北朝鮮側の反応は、「人工衛星で、日本は何を大騒ぎしているのですか」といった感じだったそうだ。「むしろ、わたしたち北朝鮮はいつも大国の脅威にビクビクさせられている」とまで言われたそうだ。じゃあ、人工衛星を打ち上げるお金で何故食料を調達しないのか? という疑問が湧いてくるが、小さい国だからこそ、ここまでできるんだということを見せたいという気持ちが先行しているようだ。
こういうことがあると、つい防衛力の強化というようなことになりがちだが、そう短絡的にならないことを強く願っている。
海老根氏の記事の中で、「北風と太陽論」が引用されていたが、食料支援は、イデオロギーを越えたもの。決して「太陽」ではない、と書いている。
映画「在日」の中で、指紋押捺に関わって、個人の闘争だったものが、いつの間にか政府間の交渉ごとにすり替わって・・・・、というくだりがあるが、最終的には人間と人間の関係ということだろうか。人と人は、必ずどこかでつながれると信じている。
14日は、一日朝鮮のことを考えることのできた、すばらしい日であった。
ぜひ、みなさんのご意見もお聞かせください。
<陸上自衛隊ホームページ>
ジャンプ花咲き山歳時記 へ
情報は<花咲き掲示板>へ