●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2000-03

2000/03/31-9834
黒幕は闇に沈む(上) デイヴィッド・L・リンジー
山本 光伸訳
新潮文庫 1998年3月1日発行
毒毒度:3
“しかしいま彼は、待たせる側の人間になった。男たちは世界中いたるところで、暗闇のなかで彼を待つ。夜のかもし出す雰囲気は、訪れる街ごとに異なることをカラティスは知っていた。トリエステとプラハでは違うし、リマとリスボン、ニューオリンズとミラノでもそれぞれに違った。しかし、そう、暗闇だけはいつも変わらなかった”
“おそらくそれは、最初はわずかな傷なのだろう。それほど苦ににならない目立たない傷。しかしそれは決して消え去ることがなく、さらにごまかしが重なるうちに悪化し、大きく不快なものとなり、内側から彼らを蝕みはじめる。やがては完全に食い尽くそうとするその腐敗を、いったい人はどこまで我慢できるのだろうか?”

デイヴィッド・L・リンジーの邦訳はこの作品を除いてすべて既読。雑誌ダカーポのおすすめとして記憶しているが、買いそびれたままになっていた。今年刊行された『ガラスの暗殺者』に刺激され、閉店直前のYブックセンターにて入手。
ヒューストン市警犯罪情報課(CID)警部マーカス・グレイバーは、部下ティスラーの自殺という新たな問題を抱えることとなった。連れ添った妻には逃げられ、子供たちは独立し、プールのある家で孤独な夜を過ごすマーカス。秘書ラーラとは互いの好意に気づかないふりをしている。調査をすすめていくと、弟のように思っているディーンの背信行為が発覚する。マーカスは、元政府機関諜報部員アーネットに協力を依頼、CIDの中からはたった4人の精鋭で、独自の捜査をはじめるのだった。
リンジーの作品では犯罪を犯す側の人物がとても魅力的に描かれているのだが、事件の鍵を握る謎のギリシア人パノス・カラティスも例外ではない。愛人にして暗殺者ジェイルは『ガラスの暗殺者』のヒロインの原型ともいえる人物だ。かつて『拷問と暗殺』(まんまやないけ!)でリアルとしか思えない拷問の描写をしてくれたリンジー、今回は暗殺者ジェイルの仕事ぶりを興味深く読ませてくれる。リンジーのヘイドン・シリーズについては、隣の部屋でプロファイルする予定ではいるが、いつになるやら。

2000/03/30-9835
999--狂犬の夏 アル・サラントニオ編
田中一江・夏来健次 他訳
創元推理文庫 2000年3月17日初版
毒毒度:3
“すべてが完全に消費された時、あらゆる存在物の中で、ただひとつ残るもの、それは本質の底知れぬ深みにある永遠の成功とともに、みずからを動かし、みずから食べて栄える、この咆哮する漆黒の果てしない身体なのだ”(「影と闇」トマス・リゴッティ、渡辺庸子 訳)
“エレベーターのドアが開いたとき、最初に漂ってきた血の臭いは、花瓶に挿した薔薇の切り花の香りに似ていたが、やがて底に潜む生臭さが鼻をついて、メリックはごくりと唾を飲んだ”(「ヘモファージ」スティーヴン・スプライル、金子浩 訳)

アル・サラントニオによるアンソロジー3部作『999』完結編。作家は闇を愛し、毒者は描かれた闇を愉しむ。この共犯行為が堪能できるアンソロジーだ。今、何か読むべき本を探しているなら、今すぐ手にとってみるべきだろう。
1930年代のアメリカ南部を舞台にした「狂犬の夏」には理想的なホラーの要素がすべてある。愛する家族…強い父親、優しくしっかりものの母親、守ってやるべき小さな妹。女性連続殺人、異形の山羊男、流れ者、黒人差別、狂信者、噂。とどのつまり、愛のない、優れたホラーなどは存在しないということを改めて感じる。
ホラーの主人公を、吸血鬼(不死者)、フランケンシュタイン(異形)、ジキルとハイド(変身)と分けるなら、私にとって一番ロマンティックな主題は吸血鬼である。これまた魅力的な吸血鬼を主人公とした「ヘモファージ」には長編三部作があるそうだ。求む邦訳。
アンソロジーの最後を飾るのは、映画《エクソシスト》の脚本家ウィリアム・ピーター・ブラッティによる小長編「別天地館(エルスウェア)」。典型的な幽霊屋敷に出向く、辣腕不動産仲介レディ、辛らつな作家、有名な女性霊能者、そして心霊現象の権威であるケース教授。彼らの身に何が起こっているのか? 真相を明らかにすると同時に、新たな謎が生まれるエピローグだけでも、独自の作品になりえるだろう。“死者の霊が嘘をつく”我々が死ぬまでに真実に近づくことは稀である、そしておそらく死してからも。

2000/03/27-9836
999--聖金曜日 アル・サラントニオ編
金子浩・渡辺庸子 他訳
創元推理文庫 2000年2月25日初版
毒毒度:3
“新しい修道女キャロル--それは、闇の炉で鍛えられて鋳なおされたことで、仮借なき復習心を胸にいだき、向こう見ずといえるほど大胆不敵に生まれ変わった人間だった。そればかりか、いくぶん正気をうしなったかもしれない--”(「聖金曜日」F・ポール・ウィルスン、白石朗 訳)
“2000年ははじまりではなく、すでにはじまったあとにやってくるのだ。千年紀は現実の人間にとってなんの意味ももたない。人生はもっと小さなサイクルで動いている。ものごとを切り捨てていこう。最後まで切り捨て、残った数字が何かを意味する。だがそれは付け足しにすぎない”(「無理数の話」マイケル・マーシャル・スミス、梶元靖子訳)

『999』と題されたアル・サラントニオによるアンソロジー3部作の第2弾。実は第1弾『妖女たち』は未読、というのも今ごろ出るホラー・アンソロジーには正直言って期待を抱いてはいなかったからだ…が、第3弾『狂犬の夏』が面白そうに思えたついでに第2弾を繰ってみたら…F・ポール・ウィルスンをはじめ、ナンシー・A・コリンズ、ラムジー・キャンベル、エドワード・ブライアント等なじみの作家たち、白石朗(キング、クーンツ、マキャモン等訳書多数)、田中一江(クーンツ、マキャモン、シモンズ等訳書多数)ら私と相性のいい翻訳者の名を目にし、即購入とあいなった。
ウィルスンの「聖金曜日」は、人間が吸血鬼に襲われるより、修道女が吸血鬼を狩る方が数倍も恐ろしい話になるだろうと予感させられる。吸血鬼ハンターとしてはコリンズの生んだソーニャ・ブルーがいるけれど、キャロルもなかなかいいセン行きそう…しかし残念ながら、キャロルが変身したところで物語は終わってしまう。続き求む。
殺人の行為自体は描写されず、語り手がほのめかしているにすぎないのに奇妙に怖い「無理数の話」(イラショナル・ナンバー)は、スプラッタに慣れた頭には新鮮かも。
街道のまんなかに落ちている靴が事件の発端となる「リオ・グランデ・ゴシック」(デイビッド・マレル、渡辺庸子訳)。靴のホラーといえばキングの「スニーカー」を思い起こさせる。しかし複雑にからみあった靴の紐を解きほぐしていった先は都会の恐怖ではなく、田園の恐怖だ。これでもまだあなた、有機野菜を採り続けますか?

2000/03/25-9837
闇が噛む ブリジット・オベール
香川由利子 訳
ハヤカワ文庫HM 2000年3月15日発行
毒毒度:4
“ローリーは思った。この生き物たちはみんな、本当に肉でできてるわけじゃない。におっているのは、彼らの魂だ。肉体と同じように腐った魂だ。紫がかった光に染まった雲海の渦巻く中で、むかつくような魂が燃え尽きている”
“死者が勝つことなんかあるんだろうか? それは可能性の領域に入ることなんだろうか? いずれにしても、数えきれない死者たちの波が、通りがかりにすべてを食い尽くしながら、大天使の軍団に向かって押し寄せている。赤蟻の襲来みたいだ。戦闘は猛威を振るっている。執念深い死体たちは、すでにバラ色の斑岩の上壁をよじ登りはじめている”

ブリジット・オベール好きの友人が途中で悲鳴を上げ返本してきた『ジャクソンヴィルの闇』。友人は『マーチ博士の四人の息子』や『鉄の薔薇』のイメージで読み始めてゲーッとなったらしい。だってゾンビの描写がすごくて、口からはウジ虫がはきだされるは、体の中をゴキブリが這うわ、腐敗臭までただよいそうでしたからね。ラストはキングの『呪われた町』よろしく、町がひとつ燃えつきて、脱出した老若男女が6人…という前作の続編が本書なわけだ。6人はいまや別々の町に離れて暮らしている。友人同士だったジェムとローリー。ジェムは孤児院、黒人少年ローリーは叔母さんの家へ。FBI捜査官、赤毛のサマンサは巨漢の保安官ハービーといい仲。黒人捜査官ヘイズは分析官となった。未亡人ルースは、ラスヴェガスのカジノに生きがいを見い出している。どうやらキーサーという謎の人物と恋もしているらしい。ジェムはいまだ悪夢を見る。ローリーもだ。悪夢はだんだんひどくなる。遺体安置所から消えた幼い姉弟の死体。もしかして再びあれが起こるのだろうか?
荒唐無稽なストーリーをもはや誰も止められない。ありとあらゆるホラー・アクション映画のパロディがちりばめられ、精神分裂症の神まで登場、何のジャンルにも属せない物語だ。神のバーカウンターにいろいろな瓶があり、地上の人間のエッセンスが詰まっている。飲んだりすると、その人間の寿命が縮まるという説明のあとに精力剤としてスティーヴン・キングの瓶が選ばれたりするので笑ってしまう。エロール・フリン似のオカマちゃんや白人至上主義者の警部補、ゾンビの親子まで誰も死なない結末を一体どう解釈すればよいのか。もしかしたらこの本はこれらのキャラを使ったゲームの試作品なのかもしれない。

2000/03/24-9838
73光年の妖怪 フレドリック・ブラウン
井上一夫 訳
創元SF文庫 1963年10月27日初版
毒毒度:1
“彼はいま、自分が値ぶみされて、値打がないと判断され、おかげですぐに早死にしてしまう結果になるような目にあわずにすんだのだということは、知りもしなかったし思いもよらなかったのだった”
“彼女の人生は、読書以外はこれまで無味乾燥なものだった。だが、それもむだではなかった。人類が行きつくところへ、人類がそうなるだろうし、またそうならなければならないものになりかけてきたいまも、彼女はまだ生きているのだ”

ウィスコンシン州バートルスビル町から数マイル離れた森。その知性体は、73光年の彼方から飛来して、宿主となるべきものをじっと待っていた。野ねずみ、男子高校生、犬、ふくろう、ドイツ生まれの老農夫…彼らが寝ている間に、心へ侵入し、過去を学習し、生活を把握する。宿主を代えるとき自殺しなければいけないのが難点だが。やがて、人間や町の様子を観察するには、猫に宿るのが便利だと知る。動物や人間の奇妙な自殺に不審を抱いたのは、たまたま友人の別荘に滞在していたスターントン博士だ。知性体は、博士にターゲットを絞り、グレイの猫の姿で接近する。
当初は突発的なことに対処できずに失敗を重ね、反省ザルと化す知性体が、結構ほほえましい。猫に姿を変え、猫らしくを装いながら、博士と暮らすさまなど、いじらしいほどだ。結果として、空想科学小説好きな女教師ミス・タリーの機転で人類の危機は乗り越えられるのだが、亀に似ているらしい知性体の元の姿もユーモラスですらある。

2000/03/23-9839
死者の心臓 アーロン・エルキンズ
青木 久恵 訳
ミステリアス・プレス文庫 1996年3月31日初版発行
毒毒度:1
“アルドレッドやジェイムズとともに研究した経験をもつ自分が、こんな情けない連中を知識探究の仲間としながら長い研究生活に終止符を打つのかという思いが老いた肩にずっしりとのしかかる。こいつらを見てくれ。あの粗雑で閉鎖的な頭の中で何が進行中なのか”
“これはぼくの得意とする骨だ。ギデオンは茶色に干からびた古代の骨を見下ろして思った。司法鑑定とは無縁の考古学の対象だ。濡れていたり、臭ったり、胸がむかつくようなことはない。”
“エジプトでは誰も急がない。さらには必ずしも明快でない神の意志の表われとやらに逆らわない態度に、思いあぐねた西欧人が逆上するのもしばしばということになる”
“感じているすべてを、そのジャンプにこめた。暑さ、痛み、恐怖、口中の血、胸の鼓動。そしてそれよりも何よりもジュリーを。”

記録ビデオの進行役としてエジプトのホライズン・ハウスに招かれたギデオン。他人を辟易させる特技の持ち主ハドン所長の言動に悩まされつつ、撮影は進行。放置されていた物置で発見された骨。すわ、事件?と色めきたったが、どうやら収納庫から持ち出されたものらしい。骨には番号がふってあるのだ。ギデオンの鑑定の結果、テーベの書記という職業まで判明する。そのどさくさにハドンが見たと主張する石像の首。その謎が解けぬまま、船上でハドンが墜落死する。事故なのか。さらに、ホライズン・ハウスの敷地内で新たに人骨が発見される。驚くべきことに最初の骨と同じナンバーがふられていた。ギデオンの鑑定ミス? すべての死には関連がある。あてになりそうにない警察の先回りをして、変装したギデオンは、盗掘人の本拠地へと潜入することとなる。
グイン・サーガと並ぶお約束もの、スケルトン探偵シリーズ8作目(邦訳第7作目)。毎回楽しい世界旅行、今回の舞台はエジプト。市場での立ち食いエスニック料理など、思わずヨダレが出る場面も。ジュリーの推理があまり述べられていないのは、ちょっと残念。

2000/03/22-9840
グイン・サーガ第71巻
嵐のルノリア
栗本薫 ハヤカワ文庫JA 2000年3月15日発行
毒毒度:2
“俺は…世界なんか望んでいなかった…ましてや…こんな、マルガの夜のはてに、ただ二人ゾルーガの指輪の毒をあおってリリア湖に身をしずめてゆくほどの妄執など…俺は望んだことなんかなかった”
“お前は愚かしき半人半魔の浅知恵により、してはならぬことをしてしまったのだ! お前は魔界の入口をときはなとうとしている--お前は魔界との回廊をつなごうとしている! それをしてはならぬ!”

パロ。クリスタルの都に雨が降る。雨季以外に大雨の降ることは稀である。やがて起こる事変の予兆ともいうべき雨。国王レムスを倒し、アルド・ナリスを擁立するという陰謀はひそかにすすめられていた。アドリアンを王宮まで送ったナリスの妻リンダは、足止めをくい、国王との会見を強いられる。王妃アルミナの懐妊を告げられ、世話係を急命されるリンダ。レムスには何か企みが?…そこにいたのはレムスの形をした別のものであった。かつてカル・モルの霊に乗っ取られていたレムスの脳はすでに、竜王ヤンダル・ゾックに喰われていたのである。アルミナは人間ではないものの子を身ごもったことになる! 幽閉されるリンダ、リンダを探す宰相ヴァレリウスも行方知れず…カリナエからランズベール塔へと密かに脱出するナリス一行。囚われたヴァレリウスをゾンビとなったリーナスの鞭が襲う。…と書いても一体なんのことやらか? 実際すごい展開なのだが。パロの話がしばらく続くらしいし、ナリスもそうはあっさり死なないようだし、次なる72巻が楽しみ。

2000/03/21-9841
ベースボール・スケッチブック
24のプロ野球物語
山際淳司 講談社文庫 1985年2月15日第1刷発行
毒毒度:1
“正岡子規が明治三十一年に詠んだとされている短歌に次のようなものがる。
 今やかの 三つのベースに 人満ちて
   そぞろに胸の 打ち騒ぐかな”
“ぼくは、一人の選手が光り輝いた日のことを数多く書いているような気がする。言いかえれば、日常からぬっと顔を出し、突出した一日のことである。そういう意味でいえば、ここに集めた文章はいずれもメルヘンである。
 それでいいと、ぼくは思っている。三つのベースに人満ちたとき、思わず足を止めてその状況にのめりこむという行為自体、多分にメルヘンなのだから。”

古本屋で発見した山際淳司本。ゴルフもの以外ほとんど初版第1刷を購入している私にとっては珍しいことである。週間ベースボール掲載のコラムをまとめたものであるらしく、1982〜1984年頃のプロ野球選手たちの一瞬を切り取った24章から成り立っている。復活直前の村田統治がいる、首位打者を争う若松勉がいる。掛布雅之は素手でバットを握り、高橋慶彦が走る。何者かになろうとしている24人のプロ野球選手が、きらめいている。今週末には神宮オープン戦OFF会へ参加予定。2000年が心騒ぐシーズンになるだろうか?

2000/03/18-9842
封じられた指紋 アントニイ・オリバー
三宅 真理 訳
扶桑社ミステリー文庫 1990年3月26日第1刷
毒毒度:1
“警官の常として、ウェバーも人の口のまわりの筋肉の動きを読むコツを体得していた。ここの筋肉が弛緩すると、人の顔はうつろになる。人の考えていること、感じていることが一番よく現れるのは、実は目よりも口なのである。”
“つまり、ウォルトンは自分の才能を世間に認めさせたかったわけでしょう? そして専門家たちは彼の贋作を本物と見分けられなかった……。だとしたら、いったいウォルトンはどうやってそれが自分の作ったものだと証明するつもりだったのでしょうか”

北フランスのル・ボスケーというリゾート地、散歩中のイギリス人老夫婦が焼死した。事故として片付けられたが、果してパイプの火が化繊のドレスに燃え移っただけで、黒焦げになるほど人は死ねるものだろうか? 娘の調査依頼に応じた元警部・ウェバーは、パートナーであるリジーをフランスへ送りだす。旧知のベルナール神父の助けを借りて調査を開始したリジーは、恐ろしい事件に巻き込まれる。フランスで起きた第2、第3の死は、果して相互関係があるのだろうか? イギリスで調査を続けるウェバーは、老夫婦の息子の死体を発見、捜査には圧力がかけられはじめ、ついにウェバーは狙撃されてしまう…もしも明るみに出れば、英国骨董美術界を震撼させる大事件となる、素晴らしい陶器コレクションに隠された秘密とは?
アンティーク・ビジネス界にいたという著者のシリーズ3作目(邦訳としては1作目)。会話や美味しい食べ物への執着がイギリスらしいミステリー。食べ物が不味いといわれるイギリスだが、それは偏見らしい、味覚の優れた人はいる。離婚経験のあるウェバーは、リジーとはイイ感じの恋愛関係。リジーは奇妙キテレツな服の趣味があるにしても、料理が上手だし、愛情は熱すぎず、細やかであり、ほのぼのとしていて、年を取ってからの恋愛も悪くない。小さな村の骨董屋店主ジミー・トロッドウッド(おや、マーサ・グライムズのシリーズにもたしかこんな感じのわき役が)や、聡明な少年アランら、わき役たちもなかなか印象深い。感じのよい外見には惑わされてはいけないし、すべてはつながりがあると考えることも重要というのが、事件を解くカギ。

2000/03/16-9843
ミステリーゾーン4 リチャード・マシスン他
矢野 浩三郎 訳
文春文庫 1994年8月10日第1刷
毒毒度:1
“あたしの正体? もちろん、機械よね。でも、そう答えられるくらいだから、ただの機械じゃないということはわかるでしょう。あたしを考案し、設計し、組み立て、始動させた人たち、その人たちみんながあたしなの。つまり、あたしはいろいろな人というわけ。あたしは、その人たちがそうありたいと望んでいたすべてを備えているの。そう望んではいたけど、なれなかった、ということかもしれない。それで、その望みを実現してくれるような、優秀な子供、驚異のオモチャを作ったわけなのね”(「素晴らしきかな、電子の人」レイ・ブラッドベリ)

リチャード・マシスンをじっくり読もうと思ったのだが、引用してしまったのは、やはりというかブラッドベリ。マシスンが劣るのではない。テレビシリーズ“The Twilight Zone”の原作としてマシスンは多くの作品を残し、どれも優れているが、短編の性格上、ここで引用するのはかなり難しいということだ。そのかわり、マシスンによる解説を引用してみる。
“時というのは、控えめにいっても、人を欺くくせものである。ことに未来
はそうだ”
“過去は、それに較べればまだしもだが、それでも過去には過去につきものの陥穽がある。そのひとつは、記憶が当
てにならないということである。”
“いうまでもなく、私たちは過去の出来事を、レンズを通して眺めるのであり、そのレンズは完全に曇ってはいないにしても、たいていはバラ色に染まっている。”

2000/03/15-9844
殺意という名の家畜
(日本推理作家協会賞受賞作全集18)
河野典生 双葉文庫 1995年11月15日第1刷発行
毒毒度:3
“わずかだが、私の精神の底に怒りのようなものが浮かんだ。それは、ひさびさの経験だった。その怒りは、理由のないものだったから、誇るべき怒りではない。いわば豚の怒りである。”
“永津は、美智の、傷だらけになって笑い転げているような性格に、ひどく引かれる自分を感じた。それは、私にとって、いとわしい経験に過ぎなかったのだが、永津にはそうではなかったらしい。それは、私の方が多かれ少なかれ美智の棲む、血まみれの世界に属する人間の一人に過ぎず、永津はその反対の世界の住人だったせいなのかも知れないのだ”

ハードボイルド作家である私のもとへ昔ちょっとかかわりのあった娘、星村美智から電話がある。頼みごとがあるというが、眠いし、仕事の予定もあったので会わない。すると美智は失踪してしまった…そして高松市内で黒焦げの心中死体となって発見される。美智の隣室の予備校生の自殺、暗がりで私を襲う何者かという事件が次々起こり、調査をすすめていくと、過去に起きた高松市内でのレイプ事件へと行き着く…そして物語の終わりには再び一本の電話があるのだ。
「私」が、高松へ急行『瀬戸』と宇高連絡船を乗り継いで行くのには、なんとも時代を感じるにしても、仕事もせずに都会でぷらぷら生きている娘や、ギョーカイ人と言える人々のうさんくささが生々しい。日本のハードボイルドを知ったのは河野典生の作品によってである。『陽光の下、若者は死ぬ』『狂熱のデュエット』という文庫本をどこへ行くのも持参していたひととき。モダンジャズ(ダンモと言うらしい)・ハイミナール(睡眠薬=バナナと一緒にポリポリ齧るとよく効くらしい)・フーテン娘。そして、単行本『ペインティングナイフの群像』の「一秒一秒死んでいる」というフレーズがずっと頭から離れなかった。

2000/03/15-9845
かくれんぼ ジェイムズ・パターソン
小林 宏明 訳
新潮文庫 2000年3月1日発行
毒毒度:2
“はぐくむ価値のあるウィル・シェパードのよいところはすべて、父親とともに溺れ死んだようだった”
“驚いた、すごい殺人裁判だわ。結果がどう出ようと、世界が変わるわけでもあるまいに。彼女が夫をひとりやふたり殺したからって、どうだって言うの? 世の夫の大半は殺されて当然だもの!”
“わたしについてぜったいの確信がありますか? 絶対絶命の窮地に陥ると、わたしはかんたんに銃をぶっぱなす女なのだろうか? 殺人だけがわたしの唯一の武器なのだろうか? わたしは怪物と関係を持つ傾向にあるのだろうか? それとも、わたし自身が怪物なのだろうか?”

成功への階段を上るシンガー・ソングライター、マギー。実は、夫フィリップの暴力に耐えかね、正当防衛とはいえ、撃ち殺してしまった過去がある。愛娘ジェニーとの暮らしに、ある日偶然飛び込んできたのがホテル王パトリック。同棲中に、息子アリーも誕生した。パトリックの息子ピーターはもちろんマギーを快く思っていないが。一方、母に捨てられ、父に自殺されたウィル・シェパードは、弟と共にイギリスの叔母の元へ。年若い叔母と関係し、フットボールで才能を開花させる。ピッチを走り抜けるさまは『ブロンド・アロー』と評された。天使の顔に悪魔の振る舞い、女好き。暴力。アメリカ代表としてワールドカップ決勝で、ブラジルと戦う。全得点をたたきだし、同点ゴールを決めたかに思われたが、惜敗。自らに敗者のレッテルを貼る。そうだ、おまえがすべて悪い。リオでヤケをおこして女性を殺してしまう。もみ消してくれたのは弟パーマーだが、以後口止め料を払うはめになる。
やがてパトリックが心臓発作で死亡、マギーはウィルと巡り会ってしまう。90年代最高の結婚は、悪夢のはじまりだった…。
もういいかげん良質なサイコものは刊行されないかと思いきや、時々ビンゴ!となる。パターソンは刑事を主人公としたシリーズでアメリカンブックチャートの上位にあげられている作家。感受性豊かな女性が、暗い過去を捨て、才能を開花させていく成長の物語とも読めるし、ジキル=ハイド現象も踏襲しているし、女性の成功に対する男の嫉妬の醜さを描いたのも評価できる。ハリウッドの裏話やワールドカップの栄光、陪審員制による裁判の描写など、芸の細かいファンタジー(と呼んでもよいだろう、困難の克服というテーマゆえに)。

2000/03/13-9846
F1走る魂 海老沢泰久 文春文庫 1991年6月10日第1刷
毒毒度:2
“彼はのちにもっとも車を壊さないドライバーとして有名になるが、それは当然のことであった。スピンをしてクラッシュするということは、彼にとっては車を自分の制圧下におけなかったということで、もっとも恥ずべきことだったのである”
“おれは自分でも非常に運のいい男だと思うし、人も運のいい男だというけれど、でもおれがF1ドライバーになれたのはそれだけじゃないと思うんだよ。だって、レーシング・ドライバーなら誰だって一度はF1ドライバーになる夢を見るだろうけど、ほかの人には絶対にその可能性がないんだからね。なぜかというと、ほかの人はそのためのアクションを何も起こしていない。なりたいなりたいというだけでさ。でもおれは、運はいいと思うけども、運を天にまかせてはこなかった。”
“だから人間の生き方というのは、そのときそのときのできどとは無関係のように見えても、じつはずっとつながっているんだと思ったね”

2000年、HONDAが再びF1に参戦する。そしてシューマッハ対ハッキネンの争いがまた注目されるシーズンとなるだろう。『F1走る魂』で語られるのは、日本人初のF1ドライバーとしてデビューした中島悟と、チャンピオンを狙うホンダ・エンジンの1987年の物語である。1987年のシーズンがはじまったとき中島悟は、まるでF1ドライバーらしくなかった。彼がセカンド・ドライバーとしてロータス・チームにむかえられたのは、もちろんホンダのエンジンといううしろだてもあったが、テスト・ドライバーの時にクルマを非常に丁寧に扱ったからというのもあった。なによりもクルマを徹底的にコントロールすることに喜びを感じていたかれはしかし、丁寧に乗っているにもかかわらずF1カーが壊れるという現実に直面することになる。慎重に走り、抜かれるときも速いドライバーの邪魔をせぬよう気を使っていたため、トップ・ドライバーたちにはライバル視されない。7つも年下のセナは親切にもスタートはしっかり前を見るようになどとアドヴァイスしてくれる。苦手な公道コースでマメだらけになった中島の手に包帯を巻いてやるのもセナである。セナはまだ、この時点でカリスマ性を発揮してはいない。マンちゃん(ナイジェル・マンセル)はいつものマンセルだ。派手に飛ばして、派手なブレーキング、燃費の悪い走り。だだっこそのもの。妄想の人。チームメイトであるはずのピケに対してはほとんどパラノイア状態。誰かがベスト・タイムをたたきだすと、それっとばかりにタイム・アタックに出る。強引にセナを抜きにかかった結果、譲らなかったセナとクラッシュ、マシンを降りたあとで殴りかかったりする(最もセナは冷静に、時計を外して待ち、殴り返したのだが)。ピケ、プロスト…個性的なドライバーで溢れた、ひとつの時代に思いをはせる。

2000/03/11-9847
ガラスの暗殺者(下) デイヴィッド・L・リンジー
山本光伸 訳
新潮文庫 2000年3月1日発行
毒毒度:4
“神はわたしに、ガラスの心臓を授けた”
“硬くて……もろくて。どちらも生き延びるために欠かせないものだった。そして最後には、救済されるはずだった。神は慈悲深いものだわ。地獄に墜ちた人間にさえ、慈悲をくださる。神の大いなる逆説の一つね”

クルパティンへの囮(エサ)として組織へとおくり込まれたケイトだったが、取り引きの現場へはクルパティンは姿を見せず、代理人として偽名を使ったイリーナが登場する。イリーナの使命は取引相手香港マフィアのウェイ、シチリア・マフィアのボンターテを暗殺することであった。長年クルパティンに道具として扱われているイリーナの願いはひとつ、人質同然にとらえられている娘を取り戻すこと。しかし、クルパティンというサタンから永遠に逃れるのには、殺すか死ぬかのどちらかしか選択肢はない。イリーナはカーロと組み、クルパティン暗殺を企てる。自ら志願したとはいえ、孤独な闘いを強いられるケイトはイリーナへ惹かれていく。そしてイリーナもケイトに心を開いていく。意外な展開で、秘密捜査は路線を変更することとなった…。
ロシア・マフィア、クルパティンは道具としてイリーナを利用しているが、実はFBIもケイトを道具としてしか見ていないことがあらわになってくる。ケイトの腕に埋め込まれた超小型盗聴器は、バンドエイドを貼れば音声を拾わないとの説明だったが、実はそれはウソだった。行きがかり上、
ウェイとイリーナとの3人プレイに臨まなくてはいけないケイトは、バンドエイドを貼るが、その間の音はすべて盗聴されていた。そして、このいまいましい超小型盗聴器は、クルパティンとの死闘という最大の局面をむかえたとき、何の役にも立たない…ケイト、イリーナ、クルパティン…一体誰が生き残れるのか。エピローグには救いがある。約束を守る悪人もいる、名誉を重んじる悪人もいるというのは皮肉なことだが。映画化権をユニヴァーサルが買い取ってデミ・ムーアに出演交渉をしているとのことだが、えっ、デミがケイトとイリーナのどっちを演じるの? はて。

2000/03/11-9848
ガラスの暗殺者(上) デイヴィッド・L・リンジー
山本光伸 訳
新潮文庫 2000年3月1日発行
毒毒度:3
“全編を貫く主題はあくまでも暗殺である。舞台を降りるときは、たった一人で死体の山を踏み越えなければならない。話し相手のいない孤独感と連続性のなさが苦しかった。思い出を共有できる相手はなく、さらに悪いことに、覚えておきたいと思うこと自体が皆無に近かった”
“わたしたちは、各自の方法であなたを縛りつけようとする。そしていったん縛られたら、逃れるには根本的な外科手術しかありません……つまり、相応の血が流れることになる”
“パリ。死ぬのにふさわしい街。先のない身ならば、この美しい街の喧噪と景色と匂いに囲まれて最期の思いに耽りたい。最期の時、美以上に欲しいものがあるだろうか? 美はあらゆる人に--富者にも貧者にも、健康な者にも瀕死の者にも--平等に、無償で与えられる。パリこそ死にふさわしい街”

なぜか日本ではあまり評価されていないデイヴィッド・リンジーの新シリーズ。かつてスチュワート・ヘイドン・シリーズで私を虜にした筆致はますます冴えているのだが、解説によれば、この執拗ともいえる描写力が日本人にはウザいらしいのだ、ちょっと意外。主人公は相対する二人の女性。ひとりは暗殺者イリーナ。もうひとりはFBI秘密捜査官ケイト。イリーナにとってはこの仕事がおそらく最期の仕事。ケイトにとっては夫を亡くしてから最初の大きな秘密捜査。ロシアマフィア、シチリアマフィア、香港マフィアの主要人物はいずれも危険な魅力をそなえ、主人公である二人の女性は美貌、知性も最高級。そして私は孤独な暗殺者イリーナに共感を抱きつつ読みすすめる。エルミタージュで絵画の修復につとめた女性。その才能の評判は広くヨーロッパの各美術館にとどろいていたにもかかわらず、ロシアのマフィア、クルパティンというサタンに魅入られた彼女は…。

2000/03/10-9849
決戦前夜 金子達仁 新潮文庫 2000年3月1日発行
毒毒度:3
“中田には、世界大会というだけで意識過剰になる周囲が信じられなかった。
 周囲には、恐ろしく醒めて見える中田という男が理解できなかった”
“サッカーが盛んなヨーロッパや南米では、ワールドカップは夢ではなく現実である”
“ヨーロッパのサッカーは、国家間、都市間の戦争や紛争を繰り返してきたがゆえに生じる、強烈な郷土、国家への帰属意識のぶつかりあいである。そうした、いわばサッカーの本質とは関係ない部分と、《ワールドカップは出場して当り前の大会》という自国のサッカーに対する誇りが入りまじり、日本のファンがテレビや雑誌でみる熱狂的な雰囲気は醸成されていく”

今さらながら、日本のサッカーの特異性が明らかになる。ワールドカップ出場が「夢」であり「悲願」である国のサッカーが、ワールドカップフランス大会へと向かう過程。ひとつには中田と川口という2名の選手に密着取材をする方法で、ひとつにはジャーナリストとして試合のひとつひとつを解明することで、世間から「親・中田」と判断される危険性をはらみながらこの本は書き上げられた。著者は、アジア最終予選の71日間を生涯で最も激しく感情が揺れ動いたと語る。韓国に破れては2日間行方知れずとなり、UAEとの引き分けに泥酔し、イランを倒して涙する…。著者にとって最大の決戦も、しかし中田にとってはこれからが決戦だった。クライマックスといえるジョホールバルでの対イラン戦よりも実はその後の物語が興味深い。中田英寿が出場したヨーロッパ選抜対その他の世界チーム戦。最初の15分ほど「味方から」全く相手にしてもらえなかった中田が、一つのパスをきっかけに、ロナウド、バティストゥータの信頼を獲得していく場面。出してほしいと思った時に、イメージ通りの強さ、コースにパスをしたことが評価され、厳寒のベロドローム・スタジアムで、ヨーロッパ人や南米人のようにプレーする東洋人として記憶されるようになるのだ。しかし中田自身は日本人のくせに結構やるなという評価は決して望まないだろう。
2000年のJリーグ開幕。Jリーグ誕生時の高揚感、眩いライト、緑に輝く芝、国立競技場の観客席を埋めた観衆…あれからもう7年たった。とりあえずベベットの来日しか話題はないように見える2000年だが川淵チェアマンはかなり楽観的な発言をしている。現在FIFAのランキングで日本が60位以下である現実は直視されねばならない。ジョホールバルでの対イラン戦はアンチ・カズの物語と受け取られても仕方ないといっているけれども、カズが代表復帰したことを著者はどう見ているだろうか。さて、金子達仁が仕事中にヘヴィ・メタル&ハード・ロックを聴いていると知ってちょっと嬉しい。やっぱり高揚感は必要なのですね。 

2000/03/06-9850
ぼくのプレミア・ライフ ニック・ホーンビィ
森田義信 訳
新潮文庫 2000年3月1日発行
毒毒度:4
“何かにとりつかれた人間は、自らの情熱を客体化することができない。ある意味で、「とりつかれている」とは、そういう状態だ”
“ぼくが何より感心したのは、まわりにいた人たちの多くが、そこにいることをほんとうに、心の底から憎んでいたということだ。その午後起きたことや発せられた言葉をぼくなりに考えてみても、楽しんでいた人などいなかった。キックオフから数分しかたっていないのに、あたりにはもう怒りが満ちていた…フットボールファンにとって自然なのは、得点はどうあれ、苦々しく落胆している状態だ”
“スポーツと人生、とくに芸術的人生は、相似関係にはない。スポーツはたとえば、その残酷なまでの明晰さゆえにすばらしい。足の遅い百メートル走者や望みのないセンター・ハーフが運だけで生き残れるような世界ではない。才能の有無は必ずやあばかれる。また、どこかの屋根裏で飢えている、知られざる天才ストライカーも存在しない。スカウティング・システムは万全だ。見られないやつなどいない”

小さいころ芽ばえた感情が、どうして四半世紀も続いているのか。自分の意志で築きあげたほかのどんな関係より長続きしているのはなぜなのか。また、多くの人々にとってフットボールがどんな意味を持つかを探るための本である。そして、ファンであることについての、ぼくらのための本。私はプレミア・リーグのことはほとんど知らないのだが、この本が、長年アーセナルというひとつのチームに取り憑かれ続けたニック・ホーンビィその人の歴史であることに大きな共感を抱きながら読みはじめた。すべてのページを引用したくなる。いちいち頷きながら読んだので時間がかかってしまった。ホーンビィのその日その時の気持ちを思い浮かべ、自分のあの日あの時を思い出すというタイム・トリップだったのだから。フットボールと野球の違いこそあれ、ほぼ同じ期間をスワローズという球団を応援しつづけてきた私の「書くはずだった」物語はほぼこんな形だった。ホーンビィは恋に陥ったのだと言っている。熱狂のさなかには説明のつかなかったことも、今なら答えられる。私にとってのスワローズは、ちょうど幼なじみだと思う。モータースポーツは初恋で、自転車はファム・ファタル。

2000/03/03-9851
「跳ね鹿」亭のひそかな誘惑 マーサ・グライムズ
山本俊子 訳
文春文庫 1989年12月10日第1刷
毒毒度:3
“傷ついた鹿はいちばん高く跳ぶ そう狩人は言っていた それは死の陶酔でしかない そして薮は静かになる”
“二人はただちに強力なきずなで結ばれた。互いの好奇心と互いの不信。
 男爵夫人にとってキャリーという少女は、夫が死んで以来はじめて彼女の興味を引いた存在だった”

ペットが謎の死をとげるアッシュダウン・ディーン。そうとは知らずこの地を訪れた女流ミステリ作家のポリーの猫も迷子になってしまった。しかも旅館の主人は宿の電話を使わせてくれないのだ。仕方なく外の電話ボックスまで雨の中を歩いていくと、ボックスの中で老女が死んでいた。ポリーはメルローズ・プラントへ電話してロンドン警察のジュリー警視に来てもらえるよう頼む。老女の死は心臓の発作と診断されたが、どうやら殺人らしい…。ポリーの猫を見つけたのは一人の少女だった。アッシュダウン・ディーンの動物愛護協会代表を実践しているキャリー・フリートは、記憶喪失のまま、森で拾われた過去を持つ。養父母はお金のためにキャリーを育てたが、お金のために男爵夫人へ手ばなした。男爵夫人の風変わりな屋敷の庭は迷路が仕立ててある。居間にはだまし絵。例によって、公然であれ、巧妙に隠されてであれ、関係者全員が秘密を持っている。アッシュダウン・ディーンでの連続殺人事件、記憶喪失の少女の過去をめぐって、ジュリーとプラントの捜査がすすめられ…。グライムズのこのシリーズは、子供と動物が重要な位置を占めているが、この作品では特に顕著というか、かれらが主人公なのである。ロング・ピングルトンの、のどかで、かつ、騒がしいアガサやトルーブラッドとの会話が存在しない分、物語の悲劇性が際だっている。生涯に二度殺される少女。死ぬことよりも忘れられることの方が哀しいという寓話。それぞれの女性のイメージカラーにまつわる描写が、いつものことながら素晴しい。

2000/03/02-9852
幻想の肖像 澁澤龍彦 河出文庫 1986年10月4日初版発行
毒毒度:3
“私はキリスト教の創始した諸観念のうちで、神と人との中間に位置する霊的存在である、天使という観念をいちばん好ましく思う者だ。アンジェリック(天使的)という形容詞が、しばしばモーツァルトの音楽に冠せられ、また、ランボーの詩にも冠せられるのは、ひとも知る通りである。”

古くは15世紀から、新しいところではダリやマックス・エルンストら20世紀の画家の手になる女性像をめぐるエッセイ集。図版つきだが、表紙と口絵を除いてはモノクロであるため絵の細部に関してはかなりの想像力をはたらかせるしかない。機会を作ってぜひ、これらの絵画のカラー写真を(むろん実物でもよい)見なければならない。おなじみのプリマヴェーラ(ボッティチェルリ)や、三美神(ハンス・バルドゥング・グリーン)があるが、私がとりわけ惹かれたのは、パルミジャミーノ『アンテアの肖像』と、アントワヌ・ヴィールツ『美しきロジーヌ』という二つの絵だ。前者はマニエリスムの時代に、ローマの高級娼婦をモデルに描かれたとされている。バックには何も描かれていないことに澁澤は注目する。闇の黒、魂の隠されている黒があるのみ。後者はブリュッセルのヴィールツ美術館蔵。向かい合った裸体の少女と骸骨。どちらも同じ人間の別の姿。美しい少女もやがては死んで肉体は腐り、骨となる。画家は自らの絵を売ることを拒んだ。生活費は、頼まれた肖像画を描いて稼ぎ、気に入った題材を自らのために描いた。遺言により絵はアトリエごとベルギー政府に遺贈され、ひとつの美術館として公開されているという。さながら「恐怖美術館」であるというこの美術館をぜひ訪ねたいものだ。

2000/03/01-9853
「独り残った先駆け馬丁」亭の密会 マーサ・グライムズ
山本俊子 訳
文春文庫 1990年6月10日第1刷
毒毒度:2
“タペストリーは高い窓から入ってくる光の中で、打ち寄せてくる波頭のようにゆらいで見えた。暗くなりかけた窓を見ると、雪はやんでいた。黒い柱が立っているように見えたブナの幹は今、灰色がかった茶色になっていた。降る雪の向こうで黒く見えていたのだ。ものごとの表面は人を欺くことがある”
“彼は--ダンテはね--殺人以下のものとして、《友人と恩人に対する裏切り》をあげてるんだ。殺人より悪いというんだよ、ジュリー”

マーサ・グライムズのリチャード・ジュリーシリーズ8作目(邦訳では7作目。こういう場合、順序通りに訳されていない1冊がどうしてそうなったのか気になる)。先日1作目を読んだばかりで飛躍しすぎではないかとも思ったが、古本屋で見つけてしまったので。考えてみると古本屋で探すにはいいカンジのシリーズではないか? 派手すぎず、通すぎない。かなり状態のよい本を入手できる楽しみがありそうだ。
2月29日の夜、ヒッチハイクしたロンドンの女性がスカーフで絞殺された。デヴォン・コーンウォール警察の管轄、そして主任警視はブライアン・マキャルヴィ、スコットランド人とアイルランド人を祖先に持つ火のような魂が、大好きなアメリカ警察映画でいやがうえにも鍛えられた男。さらに10ヵ月後、フィアンセと口論してパブを飛び出した女性がメイフェアで絞殺される。捜査には警視となったリチャード・ジュリーと、おなじみウィギンズ部長刑事があたることになる。二つの殺人には関連があるのか、だとしたら、一体誰が? 第1作に登場した元貴族、いい男ぶりを発揮したメルローズ・プラントがまたまた謎解きの手助けをするのかと思いきや、どうやら今回はマキャルヴィなしには、解決しないようなのだ。メルローズ・プラントは、容疑者デイヴィッドの友人から、無実の証明を依頼され、調査のために宿屋へ泊まる。前半のかなりの部分を占める「限りある命」亭での客のもてなし方があまりにもインパクトありすぎで、読者は大事なことを見過ごしてしまうかもしれない。容疑者の美しい親戚、マリオンとエドワード姉弟には何か秘密があるのだろうか? クライマックスではメルローズの存在なんか会話の中だけになってしまうし、なんと、エピローグ(事件が終わってやれやれのお茶会とか)が全くない。事件は唐突に終わりを告げる。まるでページが抜き取られているかのようなショックを味わうハメになる。 

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