●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2000-04

2000/04/30-9816
ドラキュラ(完訳詳注版) ブラム・ストーカー
新妻昭彦+丹治愛 訳・注釈
水声社 2000年4月25日第1版第1刷
毒毒度:2
“ワルプルギスの夜、何百万の人々が信じているところによれば、それは悪魔が外に出てくる夜なのだ”(ドラキュラの客)

創元推理文庫から平井呈一の『ドラキュラ』完訳版が出たのが1971年。長き年月を経て、新訳登場である。この完訳版第1刷を持っていながらも、実は読み通したのはかなり最近なので、比較が容易いともいえる。新訳は確かに読みやすい。しかも時代的背景、ストーカーのケアレスミスに至るまで詳細な注釈つき。ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』創作ノートが収録されており、文学研究の資料として読むには至れりつくせり。今晩は5月1日の前夜、ドイツではワルプルギスの夜といって、魔女が集い、悪魔と酒宴をくりひろげるという夜である。この偶然の邂逅に乾杯しよう。孤独めがけて走り抜けた夜のために。

2000/04/28-9817
桟橋で読書する女 マーサ・グライムズ
秋津知子 訳
文春文庫 1994年8月10日第1刷
毒毒度:2
“言葉はみんなそこのあるの。箱に入ったチョコレートみたいに次から次へときちんと並んでいるの。頭のなかに、はっきり浮かんでいるのよ。ところが、なぜなのかしらね、それがただ、わたしの腕から指へと伝わって紙の上へ出ていかないのは? 手紙を書きはじめたら、それがみんな消えてしまったの。まるで頭のなかのインクが干上がってしまったように”
“たぶん、人はみな、そんなものかもしれない--湖の対岸にいる人物、遠くにいるのでただ大声で呼びかけるだけの人物、われわれはみな、結局は、その人物目ざして泳いでいくという致命的な誤りを犯してしまうのだろう”

“「母親は何でも信じるよ。たとえ水の上を歩いたと話しても」”

アメリカ人でありながら、英国人以上に英国的なミステリイを書いてきたマーサ・グライムズが、極めてアメリカ的な人物を主人公に描いた、初のノンシリーズ。
湖畔の町、リゾートが終わりかけた時期。カフェでウェイトレスをしているモードという女性。夜は桟橋に電気スタンドをたてて読書する。飲み物はマティーニ。極端に内気、控えめな微笑、実は高学歴。亭主は車のセールスウーマンと駆け落ち、その後ファッションモデルを妻にした。ひとり息子チャッドの養育権はモードにある。チャッドは大人に歓迎される青年に育ち、旅立ちの時を迎えているようだ。子の自立を素直に受け取れないモード。憂状態。モードが唯一正直に話ができる人物は保安官サム。典型的なよきアメリカ人だ。実はこの湖畔の一帯で、ここ数年間に女性が何人か殺害されている、ナイフを使ったかなり猟奇的な方法で。連続殺人ではないかとのサムの見解は誰にも相手にされていない。
風変わりなミステリイ…モードの空想世界と、サムの現実のぶつかりあい、チャッドが見聞きするスノッブなパーティの描写など。猟奇的な事件よりも登場人物の母子関係が物語の核である。モードと息子チャッド。カフェの女主人シャールと息子ジョーイ。チャッドの友人の母親エヴァとゼロ・ケイシー兄妹。カフェに立ち寄る児童精神科医エリザベス・フーパーと、別れた息子。殺された女性たちと、その子供たち。そして連続殺人犯の家庭も。愛情に飢え、どこか居心地の悪い思いをしている人たちの物語。

2000/04/25-9818
ハリウッド・ノクターン ジェイムズ・エルロイ
田村義進 訳
文芸春秋 1997年1月20日第1刷
毒毒度:3
“記憶--それは追憶が歴史と交差する場所。記憶--それは《そのとき》と《いま》との共生的な融合。私にとっては、ろくでもない好奇心のスパーキング・ポイント”(過去から)
“いまふと気がついたのだが、わたしがこんな話をするのは、ハワードとミッキーが懐かしくてならないからであり、できることなら、もう一度あの頃にもどりたいからだ。そう。わたしはあのふたりが好きだったのだ。どちらも極めつけの下司野郎だったとしても。”(おまえを失ってから)

翻訳エルロイ最後の牙城。ひとつの書き下ろし中編と、導入にあたるエッセイ、そして5つの短編。リー・ブランチャート、エリス・ロウ、スペード・クーリー、ミッキー・コーエン、ハワード・ヒューズ、バズ・ミークス…懐かしい顔ぶれ、そしてお約束のファム・ファタル。文体はホワイトジャズに一番近いと言われている。ピカレスクの形態をとりながらも、エルロイ作品特有の、瞬間的な、吃るような暴力に突きうごかされている登場人物たちという印象は薄れている。ほのぼのとした気持ちにすらなれるとは意外。『アメリカン・タブロイド』に続くアンダーグラウンドUSAトリロジーを早く読みたくなった。

2000/04/22-9819
999--妖女たち アル・サラントニオ編
白石朗 梶元靖子 他訳
創元推理文庫 2000年1月28日初版発行
毒毒度:4
“しかし、孤立すること、運命に呪われること--それは、彼に自分が特別であることを教えてくれる証拠だった。”
“ぼくが失ったもの:ユーザーネーム、パスワード、自分の魂(ソウル)”(コントラカールの廃虚:ジョイス・キャロル・オーツ)

たしかにスティーヴン・キングが「道路ウィルスは北へ向かう」という作品を寄せているが、そのキングの作品がかすむほど他の作品のレヴェルは高い。恐怖の饗宴にふさわしい。
ついこの間までパソコンやサイバー空間で遊んできた子供たちが、父の逮捕という負い目を追って、祖先の遺した古い屋敷に住むようになる「コントラカールの廃虚」は、ポーの悪夢を現代に蘇らせたような空間がある。途中、顔のない怪物の正体はおおよそ見当がつくのだが、真相を知りたくはないと思わせる怖さ。編者自身の手による「ロープ・モンスター」では、無邪気と恐怖がないまぜになって訪れる。ブラッドベリに近いかもしれない。知り合う美女がいずれも恐ろしい死を迎えるという悪夢を描いたエリック・ヴァン・ラストベーダー(名前が怖いゾ)の「妖女たち」には、クライマックスで涙するだろう。巻頭を飾るゾンビもの「モスクワのモルグにおける死せるアメリクァ人」はキム・ニューマン作。今まで女性作家だとばかり思っていたのだが、実は男性。アン・ライスといいナンシー・コリンズといい、吸血鬼に関心のあるのは女性ばかりと思っていたのは偏見だったか。さっそく「ドラキュラ紀元」を読んでみようという気持ちになっている。3冊読み終わってみて、《これまででもっとも分厚くて執筆陣が豪華な、至高のホラーおよびサスペンスのオリジナル・アンソロジー》というキャッチに納得。

2000/04/20-9820
一年分、冷えている 大沢 在昌 角川文庫 1994年7月25日初版発行
毒毒度:1
“天気なんて、そんなものだ。きのうまで、この世の終わりのように空がまっ暗で、雨と風が叩きつけていたのが嘘のようにまっ青な、歌いだしたいような空が、一夜明けると広がっている”(低気圧去って)

この短編集には、息を飲むような、仕掛けは、ない。「ビデオショップで」や「記念日」のように、ぼんやりしていると少々隙を突かれる話はあるにしても。想像力の豊かな人間なら、容易に察しがつく。予想できる話であることに慰められることもある。短編に求めるのは鋭利な刃物ばかりではない。

2000/04/19-9821
闇の狩人 デヴィッド・ウィルツ
汀 一弘 訳
扶桑社ミステリー文庫 1995年1月30日第1刷
毒毒度:3
“警察の似顔絵描きの守備範囲に、笑顔は入っていなかった。実際問題として、彼らが笑顔のことを問いただすことはなかった。被害者にほほ笑みかける犯罪者などめったにいるものではない。しかし、バホウドはほほ笑みかける。なぜ、笑顔を見せてはいけない? 結局のところバホウドは仕事を楽しんでいるのだった。”

このシリーズを正規の順に読んでこれなかったうしろめたさがつきまとう。ウィルツのジョン・ベッカーシリーズ最後の牙城。シリーズ第2作でありながら、一番過去のベッカーに会える。つまり、現在の妻カレン・クライストとのつきあいのきっかけとなった事件であると同時に、「人殺しが気に入るかもしれない」危険な素質を、ベッカーがカレンに対して見い出した事件である。
描かれるのはまずFBI捜査官ベッカーの仕事ぶり。暗闇への恐怖ゆえに、心で見ることのできる男。それからテロリスト、バホウドの仕事ぶり。どちらもその殺しをしなければ生き延びられなかっただろう。一方は犯罪者を文字通り死ぬほど怯えさせ、一方は鋭利な物体で耳を突き脳を損傷させるという自らの手口の熟練を見せつけた。ベッカーとバホウドの相違。ベッカーは自分のなしてきたことや、自分の有り様にかき乱され、バホウドは動揺とは無縁。動揺の欠如こそが、バホウドをありきたりの性格異常から怪物のレベルまで押し上げている。そしてこの二つの点は、ニューヨークであいまみえる。生き残るのはベッカーか、バホウドか。

2000/04/18-9822
海外ミステリー作家事典 森英俊 編著 光文社文庫 2000年4月20日初版1刷発行
毒毒度:1
『EQ』1997年11月号巻末付録をもとに大幅改稿したもの。事典を一冊と数えるかどうか…結果数えた。名も知らぬ作家がまだまだ多数存在するという確認した。120人のうち既読は3分の1弱。特に本格推理に未読作家が多いことが判明。巨匠30人のうち1作でも既読きっかり半数。巻末の「翻訳ミステリーオールタイムベスト100」(『EQ』休刊号、1999年7月号を再録)のうち既読は4分の1。わが毒書の偏向を確認。
カバーをコピーしただけ?しかも何度か?的な作家の肖像がチープ。少なくともアートワークとは呼べないだろう。お気に入りのリンジーもウィルツもいないのが少々謎。ハンドラーがどこにもいないのはもっと謎。本格好き、古典好き、英国ミステリイ好きな編者らしいといえばその通りだ。

2000/04/15-9823
黒澤 明と『七人の侍』
“映画の中の映画”誕生ドキュメント
都築政昭 朝日ソノラマ 1999年9月30日第1刷発行
毒毒度:3あるいは-3
“作中人物と「もう二度と会えない」という思いだった。勘兵衛も菊千代も、黒澤にとって足かけ三年つき合ってきた人物である。特に黒澤は自ら作った人物になり切る、いわば憑依の思いの強い人である。勘兵衛らと共に、あの決戦を共に生きてきたのである。”

ホームページに部屋を設けてはいないのだが、映画には結構興味がある。音楽も然り。毒書が聖書から性書までなら、音楽はバッハからMEGADETHまで。毎日観たい映画といえば《エイリアン2》であり、《ヒドゥン》である。別格で《荒野の七人》と、この《七人の侍》が存在する(時間が長いので毎日はキツイというただそれだけだ)。もちろん黒澤明の《七人の侍》がオリジナルで、ジョン・スタージェスの《荒野の七人》が翻案であるのは映画好きなら誰でも知っている。《七人の侍》は、1991年のリバイバル上映時、英語字幕付きで観た。最前列に陣取った外国人のグループも、盛んに笑い声をたてていた。途中で休憩が設けられているほどの長編だが、全編を通じての躍動感が、長さを感じさせない。
《七人の侍》のストーリーをおいながら、“映画中の映画”誕生までの黒澤組の長い道のりが、この本には語られている。関係者の証言と、黒澤自身があちこちで遺した対談等、資料も写真も豊富だ。この本を読むと、豪胆にして繊細な映画が、黒澤明監督そのものであったことがわかる。撮影に妥協を許さず、納得いくまで撮り直しを重ねる。一方、決してクライマックスの戦闘場面は撮りはじめず、会社に撮影を切り上げるよう命じられまいとするしたたかさ。厳冬の2月にどしゃぶりの雨を降らせ、戦闘場面を撮る。長靴を履き、一日中泥の中に埋まって過ごす。「カット!」と叫ぶとスタッフが黒澤を泥の中からひっこ抜く。寒さと圧迫で、足の爪は黒く死ぬ。本書には書かれていないが、宮口精二扮する久蔵が種子島の銃弾に倒れるシーンでは泥の中に倒れ込む際、鬘がとんでしまった。木村功や土屋嘉男ら俳優たちの機転でかばうように運ばれて撮り直しをせずに済んだという。撮影終了と同時に、創造した人物と別れねばならない寂寥感が、黒澤を襲う。いまや魂は一万七千フィートのフィルムに込められた。

2000/04/14-9824
ハンニバル(下) トマス・ハリス
高見 浩 訳
新潮文庫 2000年4月10日発行
毒毒度:5
“メイスンがハンニバル・レクターを殺したがるのはわかる。メイスンが自分の手で彼を殺したり、だれかを雇って殺させたりするのなら、まだしも我慢できる。メイスンはたしかに、それなりの動機があるのだから。
 だが、レクター博士が何かしらおぞましい手段で拷問されたあげく殺されると思うと、耐えられない。遥かな昔、羊たちや馬たちが殺されるのが耐えられなかったように、耐えられない。”
“人間業とは思えない器用さで、博士は固まった脳髄を皿に移し、スパイスを混ぜ合わせた小麦粉を軽くつけてから、新鮮なブリオッシュのパン粉をまぶした”

レクター博士にしてみると、美しいフィレンツェの街を血に染めるようなふるまいは実はしたくなかった。彼はブラジル生まれのフェル博士としてカッポーニ宮の翻訳官兼司書という仕事がいたく気に入っていたのだから。だが、かの有名な「イル・モストロ」連続殺人事件の主任捜査官パッツィにその正体を悟られ、復讐に燃えるメイスンに売りとばされ、生きながら豚のエサになるつもりがなかっただけのことだ。ああ、ハープシコードももっと弾いていたかったのに…。
メイスン。食肉加工会社経営。レクター博士の初期の患者にして、数少ない生存者。彼は17年前、レクター博士を支配下におこうとして失敗、腹をすかせた犬に顔の肉を食われた。無事だったのはメイスンの頭蓋とその中身だけである。鼻もなく、口唇もない。寝たきりとなった彼はレクター博士への復讐を練りはじめた。考えついたのは、レクター博士を捕え、生きながら豚に食わせるというものだった。金に糸目をつけない情報網はヨーロッパにおよび、パッツィによってレクター発見の情報がもたらされた。レクターを狂人と呼ぶなら、メイスンは何であろうか? 年下の子供たちをキャンプで凌辱していた過去、子供たちをわが身と話術で絶望させ、その涙をマティーニに落として愉しむ現在。 妹のマーゴ、使用人頭のコーデル…メイスンの周囲の人間は少なからず狂っている。「レクターをおびき寄せるためにクラリス・スターリングに苦難の道を歩ませる」べく、メイスンと秘かに手を結ぶ司法省のポール・クレンドラーはクラリスを休職へとおいやってしまう。クラリスにヴィンテージもののワインを贈ろうと立ち寄ったマーケットで、レクターは拉致される。レクターを救うためにメイスンの牧場へと単身乗り込むクラリス…。
長編はまだ4作目という驚くべき寡作。前作から実に11年振り、『羊たちの沈黙』を超える作品は、やはりトマス・ハリス自身にしか書けなかった。あくまでも優雅なレクター博士の趣味。優雅な晩餐はポール・クレンドラーの脳髄。かたわらで艶然と微笑むクラリス。ハンニバル・レクターが“記憶の宮殿”を築きあげてきたように、クラリスも彼女自身の“記憶の宮殿”を築きつつある。彼女はついに、一番の理解者の花嫁となったのだ。

2000/04/12-9825
ハンニバル(上) トマス・ハリス
高見 浩 訳
新潮文庫 2000年4月10日発行
毒毒度:4
“きみは戦士なのだよ、クラリス。敵は死に、赤子は救われた。きみは戦士だ。最も安定した元素は、周期率の真ん中、ほぼ鉄と銀のあいだに現われるのだ、クラリス。鉄と銀のあいだ。まさしくきみに相応しいでないか。                         ハンニバル・レクター”
“何であれ、人の信念が崩壊する様を見るのが、彼には楽しいんです。”
“一人の人間のなかで、ある資質が別の資質を抹消し去ることは決してあり得んのです。それは両立するのですよ、良い資質と恐るべき資質とは。ソクラテスは、それをもっと巧妙な言葉で述べていますがね。最高度警戒の監房では、そのことを一瞬たりとも放念しちゃいかんのです、絶対に。”

クラリス・スターリング。現在32才の彼女は、組織の中で孤立させられている。もちろん同僚のアーディリア・マップや、行動科学課長のジャック・クロフォードという数少ない理解者は存在するのだが。クラリスの孤立は、7年前、連続婦女誘拐殺人事件の犯人ジェイム・ガムをしとめたからに他ならない。脚光を浴びた彼女を嫉妬する者たちの手で、必要以上に危険な汚れ仕事にかりだされる毎日なのだ。そして今、麻薬組織との銃撃戦で、信頼を寄せていた教官を失い、司法省とマスコミから激しく糾弾されている。5日後には自分に破滅をもたらす可能性が十分ある聴問会へ出席せねばならない…そこにあの《人喰い》ハンニバル・レクター博士からの手紙が届く。ハンニバルこそ、7年前の事件解決の手がかりをクラリスに与えた人物、そして彼女の、最も恐るべき理解者だった。ハンニバルを見つけだすこと、これが彼女に与えられた使命となる。

2000/04/11-9826
封印された数字 ジョン・ダニング
松浦雅之 訳
ハヤカワ文庫HM 1998年12月31日発行
毒毒度:0
“わたしは作家の歩む道程を、三つの部分からなる旅だと考えている。書くための闘い、認められるための闘い、生き残るための闘い。幸運の絶えざるあと押しがないかぎり、そのどれひとつとっても難儀な闘いだ。” (序文より)

『死の蔵書』が1996年邦訳刊行、翌年の『幻の特装本』で人気を不動にしたダニングの小説第一作。ひとことでいえば宝探しの冒険物語。しかしながらデビュー作はやはりフツーにデビュー作である。テンポが悪いのか、読み終わってもすっきりしないのである。過去の催眠実験の謎、妻の失踪、催眠実験の関係者の失踪、謎のヒッチハイカー、謎の宿屋、謎の女性カメラマン、謎の屋敷、謎の洞くつ…。題名が『封印された数字』であることなど、読んでいる最中も忘れていた。

2000/04/10-9827
封印再度 森 博嗣 講談社文庫 2000年3月15日第1刷発行
毒毒度:0
“「結局のところ、からくりは、わからないうちが、からくりでございましょう? 知れない間が楽しいのではございませんか?」そう言って諏訪野は萌絵を見て子供のような表情で微笑んだ。”
“「歴史に残る建築物は、人が生きるための必然性から造られたものではありません。例外なく、無駄なものです……人間の歴史は、無駄でできた地層みたいなものなんです。これらは、偶然ではなく、意図的に役に立たないように、わざと無駄に設計され、それゆえ、普遍性を得るのです」”
“「最初は計算、次は実証、これを繰り返し、仮想のモデルを組み立てる。しかし、不可欠なのは、飛躍です。ちょっとした飛躍。そして、ついに源泉に到達する。そうなれば、最後は、一般への展開です」”

このシリーズの登場人物が複雑に思われないのは、泥々と複雑な英国ものの読みすぎか。西之園萌絵は結構小細工(大細工?)をして犀川の気持ちを試そうとしたりして、フツーの女性に近づいてしまったようで、残念。国枝女史も愛想がよくて意外な感じ。ピュアな謎解きはそんなわけで楽しめない。恒例の中盤過ぎると多くなる「綺麗」攻撃もまあヒトケタならよしとするかと思ったが、クライマックスに怒涛の出現で許せなくなった。その瞬間私はとても意地悪になる。お決まりの「白っぽい上品な和服」じゃあ納得できないんですよ、描写としては。今後、犀川の会話中講義だけ楽しむことになるんだろうか?

ソースが感動的に綺麗だった(P70最終行)
綺麗な血(P159の9行目)
とても綺麗(P159の後ろから2行目)
とても綺麗(P161の4行目)
綺麗な絵(P168の最終行)
肌が綺麗で(P301の1行目)
不自然で綺麗な色だ(P399後ろから2行目)
透き通るような綺麗な原色(P420最終行)
それは綺麗で(P506の3行目)
綺麗な雪が(P506の4行目)
綺麗な形をした(P508の1行目)
綺麗な赤い血が(P509の後ろから4行目)
綺麗なこと(P518の1行目)
綺麗な夕日(P518の2行目)
綺麗な感情(P518の4行目)
知らないままの方が、綺麗だ(P538後ろから3行目)

2000/04/08-9828
影のプレーヤー 赤瀬川 隼 文芸春秋 1985年1月31日第1刷
毒毒度:5あるいは-5
“「赤峰、何かが欠けているというやつは、集まった連中の中にも多いんだよ。いや、みんなだ。みんな、この三十年の間に何か欠けたものを秘めて集まったんだ。きみのようには、はっきりしていないものをね。ゆうべみんなと話していてつくづくそう思った。もちろん、おれもだ。さあ、行こう」(捕手はまだか)”
“血のあとのある健康ボール。皆さん探してください。泥棒さん返してください。戰死した名取少尉の形見です。たましひです(1946年のプレーボール)”
“ジャイアンツのホーム・グラウンド、後楽園。あのきれいなタッチ・プレーで接戦に終止符を打ったと思ったファンにとっては、後味が悪いのは当然だ。さあ、もっと言え、もっと汚いことを言え。おれは、罵詈雑言を浴びれば浴びるほど、さっきのジャッジの正確さをくっきりと思い出すことができるのさ。何なら、ファイン・プレーしたあとの選手のように、あんた方に手を振って応えてあげようか。おれは今、それくらい気持ちがいいんだ(影のプレーヤー)”

くー、泣かせやがるぜ。野球用具が入った袋を、雨に濡れないように大事に抱え直すという最初の3行でもう涙。33年前の高校球児(正確には旧制中学)たちが再び対戦するべく集う「捕手(キャッチャー)はまだか」、終戦直後の焼跡での草野球を描いた「1946年のプレーボール」、プロ野球審判をつとめる男の半生「影のプレーヤー」の3作収録。対抗戦が終わっても姿を見せない正捕手の謎(捕手はまだか)や、大事な試合用ボールを泥棒にとられて探し回るエピソード(1946年のプレーボール)など、たかが野球なのに、ミステリィやサスペンス!に満ちているではないか。そして何よりも、野球をする主人公たちの瞳の輝きが見てとれる。こういうのを読むと、野球が好きなわけではない某球団のファンって、つまらない人生を送っている気がするが、余計なお世話かな。

2000/04/07-9829
歪んだ愛 デヴィッド・ウィルツ
汀 一弘 訳
扶桑社ミステリー文庫 1995年11月3日第1刷
毒毒度:2
“子供をさらう、とベッカーは考えた。誘拐さえ辞さないほど他人の子供が欲しくなる。その少年の人生を、その子の両親の、その子の身内の、その子の祖父母の人生を永遠に別のものに変えてしまう。家族と結ばれていた人生のかせが広がってゆく。捕まる危険を繰り返しおかしながら、しかも、人間的苦痛という代価を支払って手に入れた賞品に飽きる。その子を死の瀬戸際にまで虐待し--ついには命を奪い、ごみかなにかのように捨て去る。道端に、さらにひとつのごみを投げ捨てるかのように”
“夜明けが近づいたころ、カレンが小声でたずねた。「なにがわかったの?」
ベッカーは何時間も話をつづけていたかのように、躊躇なくこたえた。
「彼はみんなを愛していたのだ。ラモントはあの男の子たちを愛していたのだ」”
“おまえは頭のおかしくなった連中を殺すのが好きになった。おまえの肉体、心、魂、そのすべてで殺しが気に入った。ほかのなにごとからも得られない、得たことのない、刺激をもたらしてくれた。さあ、どうだ”

牛乳パックに行方不明の子供の写真が載せられているのを10年前くらいの映画で見たことがある。アメリカではショッピングセンターでの誘拐も実に多いという。どういう手口なのか。事件は男の子ばかりの連続誘拐殺人。『不定期の医学的延長期間』に入っている元FBI捜査官ジョン・ベッカーのもとへ10年前の恋人、現在はFBI誘拐部副部長であるカレン・クライストが訪ねてくる。お互いに半年に一度、非公式ファイルをのぞく関係。ベッカーが事件に関わりを持たぬように生活しているのは、彼が過去の事件で犯人を殺したいという欲望を感じてしまったからだった。ベッカーはFBI随一の腕利きハンターであり、様々な噂が、彼を危険な男といっている。ベッカーは殺人者と一体になれる。殺人者の気持ちになれる。殺人者にすらなれるのだ。追う側と追われる側の時間、心理描写が交互になされていく。捜査の途中で連続誘拐殺人犯との邂逅に気づかないベッカーとカレン。ましてカレンの息子ジャックが次の獲物として狙われることになろうとは…。ラストはカレンと連続誘拐殺人者ディーとの凄まじい闘い。母性と母性の闘いは、映画《エイリアン2》のラストを思わせる。そしてすべてが終わった時、カレン・クライストは、ベッカーをとらえている闇の衝動(殺人)が自身の内に目覚めたことに気づくのだった。
21時まで開いていてしかも在庫の豊富なYブックセンター閉店ギリギリに入手。扶桑社のミステリーは読みたいときに入手しづらいという欠点がある。私が順序通りに読めていない二つのシリーズのうちのひとつが、これ。この第3作『歪んだ愛』は本来『倒錯者の祈り』『闇の狩人』の次に読まなくてはいけなかったのだ。そして呪うべきことに『闇の狩人』も未読…。ウィルツ描くところのジョン・ベッカーは、リンジーの主人公ヘイドンの洗練と、エルロイのホプキンスの能力(殺人者と一体となれる能力)を兼ね備えた人物である。優雅さと途方もない危険性。ベッカー・シリーズはすでに6冊が邦訳刊行されており、ヘイドン、ホプキンスと並び、このホームページの隣の部屋CHASERS のメインとなるキャラクター。追跡者たちのプロファイルという作業は読書の忙しさを理由に全然はかどっていないが…。ベッカーとカレンの関係のその後は、第4作『黒い賛美歌』以降で知ることができる。バラしてしまうと、同居ののち結婚する。カレンはFBIの中で女性として最高の地位(副長官代理)までのぼりつめていく。

2000/04/06-9830
青の美術史 小林康夫 ポーラ文化研究所 1999年10月25日第1刷発行
毒毒度:1
“青はわれわれを夢へと誘います。つまり、青にはわれわれのさまざまな夢が託されています。青を通じて、われわれの奥深いところにある夢に触れることができるかもしれません。青の旅は、われわれの夢の旅でもあるのです”
“色でありながら、色を超えたものです。色のシステムのなかに入っていながら、その彼方、色の「海」の彼方を指し示す色でもあるのです。そして言うまでもなく、それこそが青の根源的な魅力です”
“ヘルダーリンといい、マラルメといい、詩人は本質的に青に対する感度が高いのかもしれないとすら思います。もしそうだとしたら、それは、青が、詩がそうであるように、感覚的なものと知的なものとの合一の精神を暗示する色であるからかもしれません”

昨年秋、朝日新聞の書評で紹介されていたのだが、いつも新刊を購入する銀座K書店にはついぞ見つからず、今年になって気紛れで入った銀座K文館にて発見。やっと巡り会えた本だが、まず、苦情から。図版が少ない、そしてモノクロでは意味がない。せっかく色の話なのだからもう1000円高くでもよいので、見せるべきものは見せてもらいたい。
なぜ心をとらえたのが青なのか--青がモノの色ではないことから旅ははじまる。身近な自然の中に、極端に少ない色、近づきがたい色。天空の青。光と空間との作用によって生まれる青。ラピス・ラズリ(「天空の石」の意)の青。青金石。瑠璃。ウルトラマリン・ブルー。海の向こうのオリエンタルな色、青。イスラムの聖なる色、青。トルコ石の青。聖母マリアの着衣の青。青の画家ジョットー。シャルトル大聖堂薔薇窓の青。フェルメールの青Bleu de Vermeer。シャルダン青Bleu Chardin。性格、生命、現在の感情を伝える青。絵画に表現されたさまざまな空の青。「ヴィーナスの誕生」の平板な薄い青。ティツィアーノの官能を約束する青。フラゴナールのロココ的な空間の泡立つ青。スペイン絵画の紺碧の空。フランドルのもの悲しい薄青み。光が暗黒を覆うときに現れるロマンティック・ブルー。生と死を繋ぐ青。蒼空。「欲望」を表現するセルリアン・ブルー。浮世絵のプルシャン・ブルー。セザンヌの深さと奥行きを示す青。マチスの青、ピカソ「青の時代」。「ブルーは目に見える闇の色」と言ったデレク・ジャーマンの青一色の映画。青にとり憑かれたアーティスト、イヴ・クライン。そして、ガガーリンが人類として最初に宇宙から地球を見た時、今まで遠かった青は、地球の青として一番われわれに近い色であったことがわかる。まさに青色革命が起きたのだ。
私が青にひかれるのはなぜだろうか。その先に闇があるからかもしれない。闇はすなわち詩であり、その先は死。

2000/04/04-9831
氷の家 ミネット・ウォルターズ
成川裕子 訳
創元推理文庫 1999年5月21日初版
毒毒度:4
“彼女が吐き気を催したのは、眼窩がうつろな、黒ずんだ死体を見たからというよりも、そのはらわたにヘッジズが静かに、目的をもって鼻面を突っ込んでいたからだった。ヘッジズは尻尾を後肢のあいだに巻きこんで出てくると、頭を前肢のあいだに置いて、草の上に寝そべり、ご主人さまが胃のなかの茶を草の上に吐きだすのを見守った”
“机上のランプが作りだす光の輪が、三人を、心ならずも親密な形で包みこんだ。ウォルシュのパイプから立ち昇る煙が三人の頭上で、巻雲の、渦を巻くつるのように垂れこめている。ひとしきり完璧な沈黙が流れた末に、グランドファーザー・クロックがブーンとうなって九時を打った”
“人間というのはどこまでも自分を罰することができる。むずかしいのは、そのやめどきを知ることです”

長い間使われていなかった氷室で発見された死体。はらわたを何者かに喰われて。館の主人といえば10年前に行方不明となったままだ。妻フィービは、友人のインテリア・デザイナー、ダイアナ・グッドとフリーランス・ジャーナリスト、アン・カトレルという女性ばかり3人で屋敷に住んでいる。3人は同性愛の魔女とすら呼ばれていた…。夫の失踪時、フィービは夫の服をどこかの慈善団体に送ってしまい、家の中からは指紋一つすら見つからなかった。証拠隠滅? 使用人夫妻には息子を強姦し殺した男を絞首刑にした過去がある。行方不明者は3人、死体は一つ。死体は誰なのか。誰が誰を庇っているのか、全員がしめしあわせて嘘をついているのか。
刺激的な死体で幕を開けるミネット・ウォルターズのデビュー作。以前『女彫刻家』という作品をハードカバーで読んでいる。家族を殺害、バラバラにした罪で無期懲役の女性は本当に殺人を犯したのだろうかという物語のセンセーショナルな事件の表面だけにひかれると、背景の重さと深さに読み手が押つぶされる危険があった。この『氷の家』でもさすがに何でもありのイギリス人。家庭内暴力、性的虐待、同性愛、不倫、覗き、噂、秘密、悪意。文学からの引用と皮肉に満ちた会話。わずかな救いである親愛、友情、同情。
本筋とは関係ないが、ミセス・グッドが投資に失敗したシースルーのラジエーターって今なら売れるんじゃないだろうか。

2000/04/02-9832
谷川俊太郎詩集I
空の青さをみつめていると
谷川俊太郎
大岡信 解説
角川文庫 1985年8月20日改版初版発行
毒毒度:-2
“あの青い空の波の音が聞えるあたりに
 何かとんでもないおとし物を
 僕はしてきてしまつたらしい

 透明な過去の駅で
 遺失物係の前に立ったら
 僕は余計に悲しくなつてしまつた”
                  (かなしみ)

日曜日はこうして詩集や画集、昔の雑誌など読んで過ごすのがよいようだ。ブラッドベリは毎日詩を読んでいるらしいが。1952年、18歳でデビューした谷川俊太郎の1950年代、1960年代の代表作が収録されている。全体的に、空がうたわれている部分が印象深い。詩人を四谷駅のホームで見かけたことがある。友人に教えられると、詩人と目が合ってしまって、なぜかかれは泣きそうに見えた。

2000/04/01-9833
黒幕は闇に沈む(下) デイヴィッド・L・リンジー
山本 光伸訳
新潮文庫 1998年3月1日発行
毒毒度:2
“今度こそ彼は、大切な物を好きなだけ持っていくことができる。新しい人生はおそらく彼にとって最後の人生になるだろう。二度と姿を消し去るつもりはないし、かつてのようにゼロからやり直すつもりもない”

多額の報酬とひきかえに情報を漏らしていたと見られる捜査官が自殺、直属の上司にあたる人間は心臓発作、アナリストは爆死。死はこれだけにとどまらない。黒幕と思われるパノス・カラティスは元モサドの有能な諜報部員、今回の取引を最後にヒューストンから姿をくらまそうとしている様子だ。下働きを徐々に処分しているのだ。ヒューストン市警犯罪情報課(CID)警部マーカス・グレイバーは、元政府機関諜報部員アーネットのグループと、CID若手捜査官ニューマン、アナリストであるポーラ、秘書のラーラという少人数で危険な秘密捜査を続ける。カラティスがすべての黒幕なのだろうか。マーカスのインフォーマント(情報屋)ヴィクター・ラストは果して信用がおける相手なのか? 執拗な人物・背景描写に疲れることもあるので、堂々と息ぬきができる点は、上下巻ものの利点かも。

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