●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2000-11

2000/11/30-9670
ハイペリオン(下) ダン・シモンズ
酒井昭伸 訳
ハヤカワ文庫SF 2000年11月30日発行
 毒毒度:-3
“これは死ぬな、と直感した。そして、そう思ったとき--情報の奔流がなだれこんできた。ジョニイの手が神経直結ソケットを探しあて、シュレーン・リングの内部にあたたかく白い光の奔流を迸らせたのだ。ジョニイ・キーツが経験したこと、これから経験するであろうことのすべてが、怒涛のように押しよせてきた。それは--そう、二晩前に味わったオルガズムとそっくりおなじ感覚をもたらした。荒々しい奔流、疼き、突然のぬくもり、そして官能の余韻を残しての弛緩…”

領事…正確には元領事。
ヘット・マスティーン…森霊修道会の聖樹船〈イグドラシル〉船長にして〈聖樹の真の声〉
ルナール・ホイト…カトリック神父。モルヒネ中毒
フィドマーン・カッサート…大佐。通称「南ブレシアの死神」
マーティン・サイリーナス…詩人。400歳
ソル・ワイントラウブ…学者「さまよえるユダヤ人」。赤子のレイチェルを連れている。
ブローン・レイミア…私立探偵、女性。惑星ルーサスの住人

そして終わりに歌ありき。やってくれた、ダン・シモンズ。夭折の詩人キーツの作品とイメージが巧みに配されているのに興味をひかれ、思わず『キーツ詩集』を購入してしまったほど。毒毒度が低いのは、ほんとに素直に読めるから。巡礼たちの物語の中では、「探偵の物語 ロング・グッドバイ」がいい雰囲気だ。ジョニイという名のサイブリッドとの恋と冒険。ハードボイルドで甘い。言葉に耳をすませ、想像力をはたらかせつつも、心配になったのは残りページの少なさ…エピローグに涙を滲ませつつも、してやられた感ありあり。どうしてくれるんだ、早く『ハイペリオンの没落』を文庫で出してもらわないと。扶桑社では横顔だったが、ハヤカワでは正面からの肖像。雰囲気的にヘミングウェイを連想したら、おやなんとキューバ時代のヘミングウェイを描いた長編が日本で刊行予定だとか。これを機に文庫化がすすんで欲しいし、イリアッド、オデッセイアを下敷きにしたSF二部作とやらにも、『サマー・オブ・ナイト』続編とやらにも早く会いたい。

2000/11/27-9671
ハイペリオン(上) ダン・シモンズ
酒井昭伸 訳
ハヤカワ文庫SF 2000年11月30日発行
 毒毒度:2
“〈時間の墓標〉のそばの低い丘陵に建つ荒れはてた廃虚、その廃虚に舞う氷晶のきらめき、その氷晶より冷たい鋼の輝きをたたえたシュライクの速贄の樹…そして、夜をつんざく絶叫、精緻なカッティングを施したルビーのごとき血の色にきらめくシュライクの双眸--。ハイペリオン。”
“ここにいるおのおのが時間の孤島であり、相互に隔絶されたパースペクティヴの海だということだよ。より適切に表現するなら、われわれひとりひとりが、人類がハイペリオンに着陸して以来だれも解くことのできなかったジグソーパズルのピースをひとつずつ持っているかもしれないということだ”
“公表という苛酷な踏み絵を踏むまでの、おのれの詩人や作家としての才能に対する思いこみは、自分は死なないという若者の思いこみに似て、ナイーブで無害であり、やがてかならず訪れる幻滅もまた、同質の苦痛に満ちている。”
“大むかしから、監獄とはもの書きにとって最高の場所だった。行動の自由と着散じ--この双子の悪魔の憑りつきようがないからさ。”

星の名はハイペリオン。時を超えた何処かから人類の最後を告げにやってくると伝えられる苦痛の神シュライク。その怪物は〈時間の墓標〉周辺に待機していて、人類最期の時が訪れたとき、解き放たれて阿鼻叫喚の地獄をもたらすという。創ったのは、人類か神か。不穏な動きを見せはじめた〈時間の墓標〉へと旅立つ巡礼は七人。苦悩する神父。高名な戦士。ガサツな詩人。学者と謎の赤子。森霊修道士。女私立探偵。フル・ネームが明かされない領事。そしてこの中には少なくとも一人のスパイがいるらしい。試練の旅の途中で七人は、自らと〈時間の墓標〉とのかかわりを順番に語りはじめる…。
キーツいわく「心からの愛情の神聖さと、想像力の持つ真実--美が真実であるように、想像力もまた真実なり。--それが以前に存在したものであろうとなかろうと」
初めに言葉ありき。久々のSFと緊張して読みはじめたが、ダン・シモンズモードに一度入っていたせいか読みやすい。大事業になるかと思われたが意外に読み進みが好調である。ダン・シモンズの読者なら、その後の作品集『愛死』の数編に見られるエピソードがちりばめられていることに気づくだろう。フラッシュバック中毒、戦士の寝台へ尋ね来る謎の美女、ヴァギナに歯を持つファム・ファタルとの逢瀬等々。

2000/11/24-9672
幻惑の死と使途 森 博嗣 講談社文庫 2000年11月15日第1刷発行
 毒毒度:-2
“人間は幻惑されたい生きものなのだ”
“私は、必ずや脱出する。それが、私の名前だからだ”
“いつだって、最優先の問題がある。世界で僕だけしか考えていない謎があるからね”

萩尾望都を敬い、デヴィッド・ハンドラーのホーギーシリーズが気に入っているという点が森博嗣の読者である理由だ。私がかかわるシクロクロス3Kは「汚い、キツイ、結婚できない」。ここには刑事3Kが出てくる、すなわち「危険、きつい、帰れない」だそうな。それはともかく。『すべてがFになる』『冷たい部屋と博士たち』『笑わない数学者』『詩的私的ジャック』でも、人と人の入れ替わりがあったが、今回はなんたってマジシャンの話である。死と使途、加えて使徒。仕掛けだらけと思いきや、素直に読んでいけばなあるほどって結論が…。後半怒涛のごとく「綺麗」が出現するので、私は一気に集中力を失ってしまう。これって本当に、わざとなのかも。
P123 お住まい、綺麗ですね。
P174 綺麗な中古車
P174 「綺麗」は
P253 綺麗に並んだ白い歯
P293 お綺麗ですね
P334 クロスが張られていて、綺麗だ
P379 綺麗に壊れたじゃないか
P455 綺麗な緑
P481 綺麗な瞳
P498 マジックは綺麗だった
P498 本当に綺麗だったなあ
P521 いえ、お綺麗ですよ
P521 お綺麗ですよ
P523 綺麗なスイッチだね
P549 とても綺麗でした
P554 綺麗だと思う
P554 綺麗という形容詞は 

2000/11/19-9673
スは宇宙(スペース)のス レイ・ブラッドベリ
一ノ瀬 直二 訳
創元SF文庫 1971年10月8日初版
1999年3月5日23版
 毒毒度:3あるいは-3
“憎みながら、彼は大地から出てきた。憎悪が彼の父だった。憎悪が彼の母だった”(火の柱)

時々ブラッドベリを読むことは悪くない考えだ。200年以上前、詩の好きな友人がよく読んでいたものだが、やっと今頃になってブラッドベリの効用が私にもあらわれるようになった。その想像力に浄化されるとでも言おうか。長き間にわたって秘かに愉しめる美酒でもある。
1946年から1962年までの作品を集めた自選アンソロジー。ポオ、アンブローズ・ビアース、ラブクラフトらが遺した想像力を持つ最後の人間として、地中から出現する主人公(「火の柱」)、深夜徘徊する男(「孤独な散歩者」)など、前アンソロジー『ウは宇宙船のウ』よりもダークな味わいがある。

2000/11/18-9674
薔薇の荘園 トマス・バーネット・スワン
風見 潤 訳
ハヤカワ文庫SF 1977年11月15日発行
2000年9月15日7刷
 毒毒度:1
“愛について言うべきことがあるかね。それは幸福ではない。悲しみなのだ。ある考えにとりつかれることにすぎないんだよ。”(火の鳥はどこに)
“象牙の天使像に似ていた。美しく、超然として、無表情。”(薔薇の荘園)

出かけるときにはブラッドベリと森博嗣を読む予定だったのだが、書店で萩尾望都の表紙につられて購入。ハヤカワ文庫30周年記念フェア、「読んでみたいハヤカワ文庫の名作」第3位。ファンタジーである。騎士の時代、少年十字軍、食人鬼マンドレイク…。十字架を抱いた天使のような少女は、本当は食人鬼マンドレイクなのだろうか? 失われたという記憶、森での智慧、そして何よりもマンドレク退治の話に対する激しい嫌悪感、それらすべてが証となってしまうのだろうか。少年の戸惑いと不安に満ちた冒険を記した表題作の他、牧羊神、狼に育てられたレムスとロムルス、森の精、空から堕ちてきた天使らが活躍する中編二作を収録。

2000/11/18-9675
タダで入れる美術館・博物館
お得で楽しいTOKYO散歩
東京散策倶楽部 新潮OH!文庫 2000年10月10日発行
 毒毒度:-2
500円以内で、気軽に買える新文庫が増えている。この本にはかねがね気になっていた「警察博物館」も載っているし、人気の「目黒寄生虫館」も載っているので購入。バッグに入れて持ち歩ける。「タダで入れる」これほどの数の美術館・博物館が東京にあるとは思わなかった。予想はしていたにしても、土日休館が多いのは残念。

2000/11/17-9676
記憶の隠れ家 小池真理子 講談社文庫 1998年1月15日第1刷
1998年7月15日第7刷発行
 毒毒度:2
“絡みあわない二人の視線は、絡み合わないがゆえに、いっそう淫靡になまめかしく、真紅に染まった小径の上をさまよい続けた。何を見た?”(花ざかりの家)

平井呈一『真夜中の檻』ばりの鬼女の登場に息を飲む「花ざかりの家」をはじめ、一つの家庭内で封印されていた事どもが些細なことから露呈していくさまを描く連作集。人の生、男女の性。あたりまえのことがこれほどまでに怖くて哀しくて醜くて残酷で、すべてをひっくるめて美しいのは、さすが。

2000/11/16-9677
快楽の伏流 鑑定医シャルル 藤本ひとみ 集英社文庫 2000年9月25日第1刷
 毒毒度:-1
“征服してやる。完璧な支配だ。”

美貌の鑑定医シャルル・シリーズ第3作。酒鬼薔薇聖斗事件を思わせる残虐な連続殺人事件、スタイリッシュで孤独な主人公。迫真のサイコ・サスペンスというふれこみで、巻末には佐木隆三との対談まであるのだが、作中、イザボーという人物名に思わず笑ってしまう。こだわりは解るけど、イザベルの方が自然だと思うのだが。読書時間が半分しかないときに読むコミックだと思っているので腹はたたないが。

2000/11/15-9678
翻訳夜話 村上春樹・柴田元幸 中公新書 2000年10月20日第1刷発行
 毒毒度:-3
“ビートとうねりがない文章って、人はなかなか読まないんですよ。いくら綺麗な言葉を綺麗に並べてみても、ビートとうねりがないと、文章がうまく呼吸しないから、かなり読みづらいです”(1996年11月、東大教養学部柴田教室にて、村上春樹)
“ビートは赤ペンである程度直せる。ここを一気に続けないで点を打つとか、そういうかたちで。全体のうねりというのは、どこをどう直すというレベルではないですね”(柴田元幸)
“良い文章というのは、人を感心させる文章ではなくて、人の襟首をつかんで物理的に中に引きずり込めるような文章だと思っています。暴力的になる必要はぜんぜんないですけど”(村上春樹)

翻訳という堅苦しいイメージを脱却した、親しみやすい内容。「翻訳は愛」、のってくるとトランスレイターズ・ハイすら感じるという柴田。読者がいるからこその翻訳、自分のためにだけはおそらくしないだろうという。これに対して「翻訳は極端に濃密な読書」と村上。体が自然に翻訳することを求めるそうだ。「小説が好きだから翻訳をやりたい」が出発点。小説を書こうと思う以前にまず翻訳をやりたい気持ちがあった。カポーティやフィッツジェラルドの美しく精緻な文章を日本語に訳する作業を通じ心が洗われるとのこと。作家の名前よりも訳者名が大きな文字で載っていることには正直反発を感じてきたのだが、文章が好きだから、優れた文章に浸かりたいという村上春樹の気持ちが今は伝わってくる。
下手な文章につきあってはいけないという点では二人とも考え方が一致。柴田はテレビを遠ざけ、村上は雑誌をなるべく読まない。計3回のフォーラムに加え、柴田「カーヴァー」、村上「オースター」の競訳が楽しめる。原文も載っているということは、一冊で3度おいしい?のかも。

2000/11/12-9679
写真集 三島由紀夫 '25-'70 三島瑶子藤田三男 編 新潮文庫 2000年11月1日発行
 毒毒度:2
“私は自殺をする人間がきらひである。”
“武士には武士の徳目があつて、切腹やその他の自決は、かれらの道徳律の内部にあつては、作品や突撃や一騎打と同一線上にある行為の一種にすぎない。。だから私は、武士の自殺といふものはみとめる。しかし文学者の自殺はみとめない” (「芥川龍之介について」)

三島由紀夫没後30年とのこと。文芸誌では特集が組まれているし、全集や未発表の書簡など、動きは活発である。三島に関しては、『午後の曳航』の映画化作品を見た記憶と、最近になって「外套」という短編をひとつ読んだくらいで、好んで手にとることは今までなかった。亡くなり方にインパクトがありすぎたのが原因かと思われる。死を伝える朝日新聞には、切り離された頭部が鮮明に写っていたからだ。
この写真集は1990年に『グラフィカ三島由紀夫』として刊行されたものの文庫版である。細江英公写真集『薔薇刑』の2枚が載っているのも魅力。私が好きなのは昭和30年に緑ヶ丘の自宅で撮られた書斎風景。書棚を背に煙草をくゆらしながら、大きな縞猫と見つめあっている風に見える三島。撮影は土門拳。数々の自筆原稿も掲載されているが、興味を惹かれたのは『仮面の告白』の自序原稿。タイトルをドイツ語訳しているからだ。単語を並べふさわしい訳を書き記すまでの、推敲の跡が、実に興味深い。『薔薇刑』は再版されたものを入手したいし、ルーペを持ち出して書棚に並ぶ本の背を読むことも、そのうちしてみたいと思っている。

2000/11/11-9680
スポーツ名勝負物語 二宮清純 講談社現代新書 1997年11月20日第1刷発行
 毒毒度:3
“ベースボールはフットボールやボクシングと違い時間に拘束されないスポーツである。拘束されないということは、漫然と使っていいということではなく、使い手の側に知恵と技が要求されるということだ”(日本シリーズの勝者と敗者)
“人間だからこそ、完璧になることができるんだ。なぜなら、人間には理想を求める意志がある。憧れを抱くべき対象がある。しかし、ロボットにそれがあるだろうか。結果も大事だが、それ以上に大切なのは経過だと思ってほしい。すなわち自らを開発すること。それを休まずにやり続けることによって、一歩でも完璧に近づくことができるんだ”(ボクシングの深淵)
“天才とは何か--。これは有史以来のテーマだが、以前、ひとつの仮説を立てた。それすなわち「欠如する」ことではないか。恐怖心を欠くから戦えるのであり、羞恥心を欠くから演じられるのだ” (天才たちの瞬間)

人間は果してどこまで完璧なファイティング・マシーンになれるのか? それに対する勇利アルバチャコフの言葉にゾクゾク。
本書は『最強のプロ野球論』を遡ること3年前に発行されている。構成的には先月読んだ海老沢泰久『暗黙のルール』に似ているが、野球にはじまりボクシング、テニス、ラグビー、柔道、陸上、サッカー、高校野球、ベースボールというようにかなり広範囲にわたるライター活動の集積である。決定的瞬間を目撃するにあたってかなり感情を素直に迸らせているのが印象に残る。シュティ・グラフ-伊達公子戦(1996年のフェド・カップ)の興奮は歯医者の待合室にいることを忘れさせるほど。名勝負をテンポのよい文章で綴られるのは刺激的だが、こうして読むばかりではなく、実際に決定的瞬間に出会えることがウォッチャーとしての至福の瞬間ではないかと思う今日この頃。始動しなければならない。

2000/11/10-9681
地を這う虫 高村薫 文春文庫 1999年5月10日第1刷
1999年5月25日第2刷
 毒毒度:2
“今は人も時間も規則も何も追ってはこないが、代わりに遅々として進まない時間と一緒に歩かねばならない”(愁訴の花)
“微笑みかける者にこそ福は来るべきだ”(巡り逢う人びと)
“人生の課題をみな先送りにしている自分を振り返るまでもなく、男の三十三歳は中途半端に若く、中途半端に軽く、明るいような薄暗いようなだった” (父が来た道)
“秩序の中の異常や変化を発見することで、どうでもいい己の身体一つにそれなりのリズムを感じる。ばかだなと自分で認めつつ、人間が無意識に楽な生き方へ流れる生きものであるなら、省三には、何でも見て歩くことがそれだった”(地を這う虫)

名前と、社会派という印象だけで、著者を男性だと思っていた時期がある。ちなみに北村薫は女性だと思っていた。90年代になってからの日本のミステリに関する私の知識といえば、幼児のような状態だと言ってもよいだろう。
4編とも主人公は元刑事。それぞれの理由で退職し、現在は警備員や金融会社の取り立て屋、大物政治家のお抱え運転手といった職業に就いている。社会派、硬派というイメージはますます強まる。文体は簡潔、感情には流されないが、程よく愁いが感じられて好ましい。ところが読みはじめてから、NHKで「高村薫サスペンス」と題した放映があったのを思い出した。「愁訴の花」と「巡り逢う人びと」二話のエピソードを映像で偶然見ているではないか(調べたら「地を這う虫」のエピソードも合わせて同じ主人公という設定で3話放映されている)。この状況はかねてから対戦を願っていた強打者への第一球をストレートではなく変化球ではじめてしまったようなものだ。近々、仕切り直しが必要と思われる。また、文庫化にあたっては全面改稿されたらしいが、変化がどの程度なのかも知りたい。

2000/11/09-9682
奇跡的なカタルシス
フィジカル・インテンシティII
村上龍 光文社知恵の森文庫 2000年10月15日初版1刷発行
 毒毒度:2
“ウクライナの名門クラブ、ディナモ・キエフはナチス・ドイツの代表チームと対戦したのだ。万が一勝ったりしたら、命はないと思え、選手たちはそう宣告されていた。だがディナモ・キナフは勝ってしまった。負けるしかないとあきらめ、飢えと寒さと恐怖でぼろぼろになってゲームを始めた選手たちだったが、彼らはプライドを捨てることができなかった。また、サッカーはウクライナの人々の生きる希望であっただろう。試合後ユニフォームのまま選手たちは銃殺された”
“サッカーにおける快楽とは、選手やチームの意図の実現を目の当たりにすることにある”
“わたしたちは、ある超人的な選手を、あるいはそのプレーを、当然この世界に存在すべきもの、大前提的に存在するものとして眺める。そしてその瞬間が終わったときに、初めてそれがある種の「奇跡」だったことに気づく。”
“個人能力の低さを組織力でカバーする、というような言い方は詭弁だとわたしは思う。個人能力の高い選手は自己中心的なプレーをしがちだ、というのは幻想だ”

讀賣のミレニアム日本一で、日本プロ野球は死んだ。金で解決できるところにスリルはない。メジャーに行ったイチローはきっと野球が楽しくて楽しくて、おそらく今後日本のプロ野球でプレイすることはないだろう。さてスポーツを読む季節が本格的にやってきたわけで、村上龍の眼から見たサッカーを読む。1998〜1999にかけてのエッセイ集。一章が、ひと駅分くらい。プロ野球やテニスなど他のプロスポーツ、もちろん政治にも話題は向くが、当時ペルージャにいた中田の試合を追う、きわめてまっとうな?サッカー・フリークとしての姿に清々しさを感じた。解説は偶然だが、二宮清純。フィジカル・インテンシティ…肉体的強度。ゴールという奇跡によって爆発的に成立するカタルシス。「サッカーより刺激的な人生を送れるか?」という挑戦である。

2000/11/07-9683
最強のプロ野球論 二宮清純 講談社現代新書 2000年6月20日第1刷発行
2000年8月3日第3刷発行
 毒毒度:2
“スポーツの真実はミリ単位の技術の中に宿り、そこにこそ人間の英知は秘められている”
“そこには一片の偶然も存在しない。スポーツを書くという作業の本質は、断定と検証の連続そのものであり、その過程で不純物を濾過していない限り、追い求めていた真実の像は浮かび上がってこない”
“尾崎、江夏、山口らのボールはいずれも《力いっぱいに投げられたボール》に過ぎない。しかし、金田のそれはボールそのものが《意志をもって自在に襲いかかってくる生き物》のように感じられた(山本一義)”

シドニーオリンピック女子マラソンが行われる前にNHKでの発言「高橋尚子選手の暴力的な走りに注目したい」が印象的。彼女がスパートした後は、瓦礫の山であると…テレビのスポーツ番組で、映像以外の事でゾクゾクしたのは久しぶりだった。まとまった著作を読んでみたいと思い、手にする。今週になってから野球関連のニュースではマリナーズ・佐々木が新人王。元ヤクルト・スワローズのエース高野光、投身自殺…。
さて序章は江夏豊論、史上最強の打者は? 究極のフォークとは? 丹念な取材、インタビュー。人間ドラマとしてではなく、またデータ主義ではないアプローチにより、浮かび上がってくる選手像が新鮮。「前田智徳というバッターは死にました」という97年春のインタビューは衝撃的ですらあった。

2000/11/05-9684
蔵の中 小池真理子 祥伝社文庫15周年記念特別書き下ろし 2000年11月10日初版第1刷発行
 毒毒度:3
“甘ったるさの中に漂う、人間の排泄物にも似たひどい臭み…その臭みの底の底には嘔吐を催されるような、鼻腔について離れない種類の腐臭が潜んでいる。にもかかわらずそれはたっぷりと潤いを含んだ、ぐしゃぐしゃの、熟れ、腐り、形をとどめなくなった、かつて明らかに果実と呼ばれていたものの匂いでもある”

古い冷蔵庫に置き忘れられていた果物の腐りようを描写するその数行で、ありきたりのホラーどもをゴミの山に変える力はさすが。この人の本は裏切らない。長野県という特殊な閉鎖性を持つ土地。資産家の女主人、息子は事故で半身が不随。嫁と、事故を起こした張本人である夫の友人。不倫。逢瀬を目撃した元家政婦による恐喝、やがては蔵の中の大型冷凍庫に屍体が収まることとなる……ひとことでいえばありふれた事件。人知れず腐っているのは語り手自身の心だったのか。

2000/11/04-9685
ゲッティング・ブルー ピーター・ゲザーズ
土屋晃 訳
新潮文庫 1996年11月1日発行
 毒毒度:-2
“選手、夢、舞台。これらが結びつくことはめったにない。だが昨日はこれがひとつに結びついた。シンシナティのリヴァーフロント・スタジアム、右翼のウォーニング・トラックの上で。百万の人々が見守るなか、そんな瞬間が現実となったのだ。アレックス・ジャスティンは完全を手にした…。(エド・ホーンのアラウンド・ザ・ホーン「プレイ」)”
“おれたち黒人は白い連中の二倍働いて、二倍うまくやって、やっと半分の評価だからな。ありがたいことにこの商売、そんなにきつくないけどね”
“あの瞬間。それが彼の秘密だった。あの瞬間、すべてがひとつにまとまり、意味を作り出すその刹那。アレックスは自分があの瞬間にたどりつくことを知っている。野球のフィールドでたどりつく。それが自分の人生を変えるのだと知っている”
“人生は複雑すぎるってあんたは言ったわ。間違いよ。死に直面すると、人生なんて単純もいいとこだってわかるのよ。人間のほうが複雑すぎるの。恐れないで。恐れることなんか何もないわ。たしかに愛だけじゃ何も生まれないかもしれない。でも愛があれば生きていくには十分なの”

偉大で完璧な「プレイ」。それは永遠に人々の心に残る。巻頭コラム「エド・ホーンのアラウンド・ザ・ホーン」で語られる「プレイ」の瞬間までに、そして「プレイ」以後、その男にどんな人生があったのか。アレックス・“ジャッジ”・ジャスティン、38歳。リーグで三番めに年を食っている選手。華やかな場所もどん底もない、まあまあの選手生活。通算打率2割6分8厘、ホームラン219本、打点750、120盗塁。20年前ハイスクールを卒業、マイナー・リーグの一選手になるべくニューヨーク・シティを去ろうとしているときからずっと、彼はスタジアムでなら自分は完璧にやれると信じていた。ホームタウンはノース・キャロライナ州ウィルソン。黒人のライバルとの交流。彼らの寮で聞くチャールズ・ミンガス、天国から来た音楽。出会いがあり、別れがあった。人生において小さな不幸、大きな悲劇もあった。何回かのトレードを経て、選手生活も終わりになって辿りついたワールド・シリーズ最終戦9回裏2死満塁、守備固めで右翼にいたアレックスはついに「あの瞬間」を手に入れる。確か数ページは読んだような気がするのだが、どうやらそのまま約4年の間、放置されていた本。600ページ超は見た目は長いが、実は、映画を一本くらいの気持ちで読める。作者はTVや映画の脚本も手がけているそうで、人物や会話、通り過ぎる街の描写ひとつにしても、なるほどよい意味で映画的。「ブルー」は憂鬱を意味するのではない。空の高みとでもいおうか。限り無く永遠に近いブルー。

2000/11/02-9686
奇憶 小林泰三 祥伝社文庫15周年記念特別書き下ろし 2000年11月10日初版第1刷発行
 毒毒度:1
“少なくともそういうものがすでに一つは実現しているよ。本だ。ソフトとハード、メモリとディスプレイを一体化させた究極の存在だ”

人生がうまくいかないのは自分のせいではなく世界のせいだと思っている主人公。子供の頃、あの銭湯の帰り道で見た月はたしか2つあったのだが…。小林泰三にしては、肉の腐り具合がそれほどひどくはない。ただし、主人公の人生は腐っている。またもや『シュレディンガーの猫』の話が出てくるのだが、いい加減わかるように説明してくださいってば(笑)。その気になれば毎日5冊くらいいけるかも、ひと月に150冊、これだけ読んでいれば年に1500冊は軽い? ありがた味はないけれど。

2000/11/01-9687
文字禍の館 倉阪鬼一郎 祥伝社文庫15周年記念特別書き下ろし 2000年11月10日初版第1刷発行
 毒毒度:2
“意味なきことには意味があり、意味あることには意味がない。気づくと気づかぬで道が分かれる。せんじつめればそういうことです”
“字が蠢いている”

「文字禍の館」という秘密のテーマパークへ招待されたオカルト雑誌編集部のメンバー。彼らを待ち受けるのは偉大なる磁場、文字の霊が禍を喚ぶ処であった…長すぎない、短すぎない中編小説の愉しみとな。この恐怖、400円文庫とな。確かに400円分くらいか、中身はともかく、妙に軽い。最高時速150ページの私が約30分で読了。画数の多い漢字が生理的に嫌いな人にはとことん怖いかもしれない。古風な名の著者は、最近著書『屍舟』が話題。ハルキ・ホラー文庫には期待できないことがわかったいま、ちょっとヘンな祥伝社に期待する? 安心して?読める小林泰三『奇憶』も購入してみたが、菊地秀行による恋愛小説もあるらしい、まじか?

(c) atelier millet 2000-2002
contact: millet@hi-ho.ne.jp