●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2000-12

2000/12/31-9645
100人の20世紀 上 朝日新聞社 編 朝日新聞社 1999年6月5日第1刷発行
2000年2月20日第5刷発行
   毒毒度:-2
“車体とエンジンがドッキングする。案内係が「この作業はマリー、結婚と呼ばれます」と説明した。すると青いつなぎを着た組立工がこちらを向き、「マリー!」と叫んで笑った。人間的なラインだった。”(フェルデイナント・ポルシェ)

現在、朝日新聞日曜版がどんな企画なのかまるで印象にないのだが、数年前はこの「100人の20世紀」であった。20世紀の100人ではない。特に印象深いのが「フェルディナント・ポルシェ」だったか。スターリン、ヒトラーという悪名高き独裁者が礼を尽くしたのに比べ、独房に拘束してルノー4CVを設計させた自由の国フランスの仕打ちがあまりに酷く、憤ったのを記憶している。当然紙上ではカラーの図版が多かったのだが、こうして本にまとめられた時にはモノクロ2点〜3点というのが少々寂しい。新しい世紀へ。上巻50人分の20世紀を読みながら旅をする。名前とその人生に覚えがない人物は4人。山極勝三郎、ウォーレス・カロザース、レイ・クロック、アルフリート・クルップ。名前とおおまかな業績を知っていたとしても、意外な事実にでくわすこともある。ガガーリンの飛行、選考されたのは「笑顔がよかった」ためだった。当時のソ連の技術では生還の確率は半分だった…などなど。今世紀最後の一冊。ちょっと予定外だったが、それもよし。

2000/12/29-9646
審問(下) パトリシア・コーンウェル
相原真理子 訳
講談社文庫 2000年12月15日第1刷発行
   毒毒度:1
“「俺はどうなるんだ? モルグへいってもあんたがいねえんじゃ。あんたがいると思うから、あのいやったらしい場所へいくんだぞ、先生。あんたがあそこでの唯一の救いなんだ。ほんとだよ」私はマリーノを抱きしめた。”

人生の最後に行きつくところは、The Last Precinct…最終管区。この名はルーシーとマガヴァンが始めた新会社の名前。ベントンの秘密のファイルと同じ名前なのは偶然だろうか? やり手の女性検事ジェイミー・バーガーに反発を感じながら、ひとつひとつの糸をほぐしたりより合わせたりしていくケイ。少年の死をきっかけにすべての死が繋がった、ベントン・ウェズリーの死にすらも。だが遅すぎた。気になる今後…検屍官シリーズの主人公が辞任???

2000/12/28-9647
審問(上) パトリシア・コーンウェル
相原真理子 訳
講談社文庫 2000年12月15日第1刷発行
   毒毒度:1
“心をとざすのは否定することよ。過去を否定すると、それをくりかえすことになる。あなたがいい例よ。最初の喪失を体験して以来、何度となくそれをくりかえしている。皮肉なことに、あなたは喪失を職業にした。死者の声をきき、死者のまくらもとにすわる医師になった。”

シリーズ第11作。物語は前作の24時間後からはじまる。狼男シャンドンに自宅で襲われそうになり、ホルマリンの瓶を投げつけて重傷を負わせたケイ。ケイは被害者のはずだった。しかし事態は悪意のある方向へすすみはじめる。なんと副署長ダイアン・ブレイ惨殺の容疑がケイにかかっているというのだ。3日前に愛をかわしたジョン・タリーももう信じられない。公休をとらされているルーシー、ルーシーの新しいパートナー元ATF捜査官マガヴァン、精神科医アナ・ゼナーらに支えられ何とか自分を保とうとするケイだが…。
強い意志は傲慢と非難される。聡明で美しい女性がどんどんキャリアを積み、だらしなくて無能な男性たちと闘っていく展開は受け入れられないときもあるようで。

2000/12/27-9648
MEXICO HOTELS 小野一郎 アスペクト 2000年11月8日第1版第1刷発行
   毒毒度:-2
“どこの部屋にも、何がしかの宗教的なメッセージが壁、窓、家具、調度品に隠されており、祭壇のような存在を感じさせる。メキシコのメイドが部屋を整えると、石鹸、シャンプーの類いですら「お供え」のように神々しい。”

写真家にして一級建築士・小野一郎による「メキシコ3部作」の一冊。
過剰ともいえるメキシコ・パワーは『メキシコ・バロック』『メキシコ・アイコンズ』で堪能するとして、この本ではメキシコ流の癒しが表現されていると言ってよいだろう。
ホテルの前身は、19世紀に建てられた闘牛場だったり、鉱山労働者のアパート群だったり、古い農場(鉄道つき!)だったり、廃虚と化した修道院だったりする。コロニアル建築。ガラス屋根のホールをぐるりと囲むように配置された客室。植物と花と泉の湧く中庭。ドイツ人がオーナーという白が基調のホテルを除いてはどのホテルも壁が赤かったり派手なタイル使いだったりして、私は落ち着かない気がするが、小野一郎に言わせると巡礼宿のような落ち着きをもたらしてくれる場所らしい。メイドたちは部屋のすべての場所に「神のご加護」があるよう手を尽くす、客が守られんことを祈るように。

2000/12/27-9649
夏のレプリカ 森博嗣 講談社文庫 2000年11月15日第1刷発行
  毒毒度:-1
“皆、仕事をして、疲れて、それでも何かを求めて、誰かを愛して、毎日、電車に乗り、階段を上がり、汗をかいて、要求して、妥協して、喜んだり、怒ったり、それでも、忘れてしまう…、そう、最後には、全部忘れてしまうのだ。何も残らない”

萌絵の同級生、蓑沢杜萌を襲った事件。『幻惑の死と使途』の事件と数日違いで発生したという設定。したがってこの物語には奇数章がない。杜萌の兄は美貌で盲目の詩人、蓑沢素生。事件と共に行方不明になった兄を気づかう一方で、杜萌は忘れようとしていた3年前の山荘での事件、そして子供の頃山荘で起きた出来事を思い起こす…。
いつのまにか、少女は悲しいくらい大人になった…という話。連休の移動時に読み終わるはずが、ありとあらゆる乗り物で居眠りをしてしまった結果、毒了を週明けに持ち越してしまった。偶然、この物語に関連する地方へ行ってきたばかり。大阪から高速に乗って駒ヶ根ICで降りたりしたので、いつもよりは物語の中へ入っていける。誘拐された県議が駒ヶ根に山荘を持っているというのが変わっている。別荘地あったっけ?結構地味な場所という印象だが。
恒例、著者の「綺麗」好きコレクション。当初いらいらさせられたものだが、最近ではゲームのような気持ちで接することにした。
“綺麗なお金ばかりじゃない” P57-1行目
“綺麗過ぎた”        P85-後ろから5行目
“綺麗な青年”        P142-1行目
“綺麗な方”         P158-後ろから6行目
“ぞっとするほど綺麗だった” P225-後ろから2行目
“ずっと綺麗なのだから”   P226-3行目
“綺麗な色”         P227-後ろから3行目
“綺麗なもの”        P228-5行目
“花は綺麗”         P228-7行目
“綺麗なセラミック人形”   P232-後ろから2行目
“綺麗に燃えてます”     P277-後ろから5行目
“視線が綺麗だ”       P454-1行目
“綺麗な声”         P462-9行目
“綺麗な瞳”         P463-後ろから1行目
“綺麗な瞳”         P468-後ろから7行目
“綺麗なチェスの駒”     P489-2行目
“綺麗な発音”        P500-9行目
“綺麗な色彩”        P504-後ろから6行目

2000/12/26-9650
ニャーンズ・コレクション 赤瀬川原平 小学館 1999年12月10日初版第1刷発行
   毒毒度:-3
“猫はもて遊ぶ名人である。見ていると時間をもて遊んでいるし、人生をもて遊ぶ。飼い主である人間の人生をもて遊ぶし、自分の人生(猫生?)をももて遊んでいる。この辺は考えだすと難しい問題で、猫は哲学をももて遊ぶのである”(ミロ『アルルカンの謝肉祭』)
“猫は時として詩人だけど、自分のきちんとした生活は崩さないリアリストである”(シャガール『詩人、または三時半』)

12月中送料無料キャンペーンに乗じ、アマゾンでごっそりネット購入したうちの一冊。美術愛好家アルベルト・B・ニャーンズ(1872〜1951)による“泰西猫名画”コレクションという設定に、にんまり。すべての絵画は木天蓼(またたび)幸之助が設立した木天蓼美術館所蔵だが、現在世界各国の美術館に貸し出されているそうな。まさか『最後の晩餐』(ドメニコ・ギルランダイオ画)の中にも猫がいるとは思わなかった、しかもユダの足元に。こうして猫は歴史的瞬間にも立ち合っている、自分ではそうとは知らずに。ボッスの『快楽の園』みたいな、人の世の百貨事典的絵画や、大ブリューゲルによる村の生態事典『ネーデルランドの諺』になら、猫の一匹くらいいるとは思うけれど、一番驚いたのはマネ『オリンピア』にも黒猫が闖入していたこと。木天蓼美術館館長・赤瀬川原平の解説がいい。描きたくなるのか、気に入った絵に闖入してしまうのか。猫好きの画家(画メラマン)の気持ち、猫の気持ちになれる。木天蓼美術館には200点もの所蔵作品があるらしいが、ひき続き美術館未所蔵の“泰西猫名画”を募集中。発見した暁には学芸員の資格を貰えるそうだ。

2000/12/25-9651
蒼き影のリリス
シビルの爪1
菊地秀行 中公文庫 2000年12月20日発行
   毒毒度:2
“おれを含めて吸血鬼たちの誰にも--どんなに由緒ある家系、どんなに高貴な歴史を誇っていても、どこかに揺曳して離れぬ血の匂いが、リリスには感じられないのだ。澄んだ夜、白い月、遥か天空を彩る銀河。--リリスに関するおれのイメージはそれだけだ”
“人間になる。--今までどれくらいの夜の生きものたちが、この言葉に取り憑かれ、忌わしい最期を遂げていったことか”

クリスマスに読む本としては???か。別な用事で書店に行き、目があってしまったのだ、いたしかたあるまい。目下のところ、日本のイキのいい吸血鬼ヒーローといえば秋月だと思われるし、敵か味方か正体いまだ不明のリリス、そのアルドナリスティックな容貌を想像するだに狂おしい。
凄絶な熟女。四聖者(フォーセインツ)を名乗る刺客たち。ドーベルマン使いの外科医デヴィッド・グレイ。人狼やらFV(フォールス・ヴァンパイア=疑似吸血鬼)やら、死をもたらすものオンパレードで、物騒だが美しい、都会の吸血鬼物語はしかしながら、つづく…なのである。

2000/12/24-9652
他力 五木寛之 講談社文庫 2000年11月7日第1刷発行
   毒毒度:2
“すべてが自分の責任というわけではない。目に見えない大きな力が私たちを生かし、なかなかやる気さえ起こさせてくれないときもあれば、また思いがけない勇気とファイトをもたらしてくれるときもある。
 もし〈他力の風〉が、いつかは吹くのだと信じられたとすれば、それはすでにその人に他力が訪れているのだと言っていい。どうしてもそれが信じられなくても、それは待つしかないのです。”

以前、日曜朝のTV番組に著者がゲスト出演し、キャスターのインタヴューに応えて「他力」を語っていた記憶がある。発行年を見てあれから2年もたっているのかと驚く。文庫化されたのは今年の11月。『他力』と『人生の目的』を同時刊行した講談社と幻冬舎が共同で新聞広告をうったのが珍しかった。
著者は蓮如に強くひかれている。話すように記された言葉が100章。悲しみが大きく深いほど、喜びは大きい。

2000/12/22-9653
ドラキュラ学入門 吉田八岑 遠藤紀勝 共著
現代教養文庫 1992年3月31日初版第1刷発行
1996年5月30日初版第10刷発行
   毒毒度:1
“吸血鬼の殺害は、死者に安らかな眠りをもたらすことよりも、生者が安心して生きていくために必要な処置であった。”

特に目新しいアプローチではないが、一族についての記述とあらば放っておくわけにもいくまい。吸血鬼伝承、死と埋葬と再生研究、フィクションの吸血鬼と民間伝承の相違。スラヴ以外の土地、特にギリシアの吸血鬼について記述あり。吸血鬼紳士録の中に、ルイとレスタトの名あり。1ページほど割かれている。

2000/12/18-9654
松田優作 炎 静かに 山口 猛 現代教養文庫 1994年3月30日初版第1刷発行
1998年11月30日初版第11刷発行
   毒毒度:1
“松田優作との付き合い、彼との会話は、一種の格闘にも似ていた。問いかけに対して、彼は答え、反論し、さらに次のものを求めた。なんの目的もなしにただ会うことなど、出来るはずもなかった。そこでは、たんなる聞き役であることは許されず、いつも自分が何者であるか、なにをしようとするのかが問われていた。彼はひとりの俳優という以上に、誇り高い芸術家だった”

その昔、市ヶ谷の坂の途中にある店にたむろしていたころ。マリカというその店は宮城まり子さんの経営で、大家さんは吉行あぐり美容室だった。しかしそのころの私は、吉行淳之介氏とまり子さんがあぐりさん公認の愛人関係にあるなどとは全然想像していなかった。知ったのは吉行淳之介氏が亡くなった時、それほどものを知らなかったのである。店には当然ながら俳優の卵たちも出入りしていた。私は何者だったのだろう、しいていえば人間の卵とでもいおうか。古井戸の「讃美歌」なぞ弾き語るような暗めのヤツだった。カウンターで聞いたウワサの中で今でも憶えているのは「松田優作は相当のワル」というものだ。その後、松田優作は乱暴者という評判から徐々に俳優としていい仕事を残すようになり、絶えずその質を高める努力を惜しまず、「ブラック・レイン」で国際俳優として鮮烈な第一歩を記した直後、ガンで亡くなってしまった。この本は松田優作最後の一年を(最後とはしらずに)密着取材していたジャーナリストによるノンフィクションである。「ブラック・レイン」のオーディションから撮影現場、クランクアップへと、役づくり、そして映画作りの熱がたかまっていくさまが強烈だ。

2000/12/18-9655
白いメリーさん 中島らも 講談社文庫 1997年8月15日第1刷発行
2000年2月15日第7刷発行
   毒毒度:1
“私が走るのは、一点に留まって物事の推移を見ずにすむのが快かったからではないのか、流れる水は腐らない。流れない水は腐っていく。しかし、流れる水にとって、流れの中で垣間見るとどこおって腐った水たまりは一瞬の通過点に過ぎない。
 いつも動いていること、走っていること。それが私を清浄の中に保っていてくれる唯一の法則だったのだ” (夜走る人)

友人の見舞に、行った先は信濃町。馴染みのない街の慣れない書店で思わぬ邂逅というのもなかなか捨てがたいが、今回はフツーの収穫。ちょっと久しぶりの中島らもと、今話題の五木寛之といったところだ。
町民が年に一度自らの職業にちなんだ武器で殺しあうという「日の出通り商店街 いきいきデー」で度肝を抜いたあとは、目覚めると蛇女になっていた話。カフカの『変身』かと思わせる出だしだがおっとどっこい、主人公は部屋に閉じこもるどころかヘビ・メタ女として明るく生きていく(クロウリング・キング・スネイク)。ないようなあるようなギリギリのところ、都市伝説の中で「らも節」が冴える。しょーもない酔っ払いを描くと当然ながら天下一品だが、カーミラ=マリカのアナグラムまで登場とは、らもさん、吸血鬼についてお勉強なさったのですね。

2000/12/17-9656
魔の聖域
グイン・サーガ第76巻
栗本 薫 ハヤカワ文庫JA 2000年12月15日初版発行
   毒毒度:1
“どこかおぞましい、ぞっとするような敵意と違和感にみちた、異形の夜。
 月--青ざめた美しいイリスの女神もまた、黒いあやしい雲にどろどろとおおいかくされ、襲われて悲鳴をあげてでもいるかのようだ”

実の母ラーナを人質としてジェニュアを抜け出したアルド・ナリス一行だが、ルーナの森にて国王軍と激突!自分を生かしたまま捕らえることが敵の目的と悟ったナリスは、馬車の天蓋を外し、正面からの強硬突破をはかる。一方実の弟レムス国王に幽閉されたナリスの妻リンダは、レムスの案内で、変わり果てたた王宮内を見て回ることとなる。牛頭、鳥頭の宮廷人たち。お産を終えたアルミナは骸骨の様な姿で死を迎えようとしていた。思いもよらぬことにアルミナはリンダとナリスへの憎しみを口する。レムスとの間に生まれた赤ん坊は姿が見えぬ魔物。あのノスフェラスの地で、レムスの中に宿った種子は途方もない形をとったのだ。レムスを内部から食い尽くした竜王ヤンダル・ゾックはおぞましいことに、アルミナ亡き後、リンダを妻としようとしている! レムスに導かれ、ルーナの森上空から血みどろの戦いを見せられるリンダの耳に「ナリス陛下、御自害!」の悲鳴が…!
やーこんなところでつづくになってしまっては、堪りませんな。早くアルゴスの皇太子スカールが助けに来てくれないと。2月まで待てってか。うーん。

2000/12/16-9657
20世紀SF 2
1950年代 初めの終わり
ディック/ブラッドベリ他
中村融/山岸真 編
河出文庫 2000年12月4日初版発行
   毒毒度:2
“そのわずかな一瞬、テッド・ウォルトンの顔はまるで見慣れないものに変貌した。なにか異質で冷たいものが、ちらりと顔をのぞかせた。ねじくれた、のたうつかたまり。瞳が濁り、奥のほうへと後退して、その表面に謎めいた光沢が膜のように広がった。疲れた中年の父親のあたりまえの外見が消え去った。そして、またもどってきた--あるいは、ほとんどもどってきた。”(フィリップ・K・ディック「父さんもどき」)
“かつての陳腐な小技と手癖を捨てて、斬新なものをつくりあげようというあの決意--そのすべてが、習慣の力の前にたわいなく屈服していた。いまひとたびの生を得たというのは、結局は深く刻みこまれた反射的な様式が復活したということでしかなかった”(ジェイムズ・ブリッシュ「芸術作品」)

初めは終わった。ここには侵略の脅威がある。人間が宇宙へ行くということは、宇宙からも何かを招き入れている可能性があるということだ。それは胞子にはじまり、やがてはエネルギーを吸収して果てしなく成長を続ける「ひる」となり(ロバート・シェクリイ「ひる」)、父親の皮を被ったなにかおぞましいものだったり(フィリップ・K・ディック「父さんもどき」)するのだ。
年代別英語圏SFアンソロジー第2巻。14作品中8作が新訳である。旧訳にも手を入れてあるそうで、読みやすいというか違和感がないのはそういうことか。C・M・コーンブルース「真夜中の祭壇」の苦味が気に入った。〈未来のスリック雑誌に載る普通小説〉、なるほどね。

2000/12/15-9658
生きる読書 群 ようこ 角川Oneテーマ21 2000年12月1日初版発行
   毒毒度:2
“もたいまさこさんがいう。彼女は私たち二人のことを「邪悪な狛犬」と呼んでいる。二人揃っていつも「けっ」という顔で世間を見ているからだ”
“たしかに本を読むと経験できないことを追体験できる。しかし私は子供のころから本を読み続けていたために、文学の上での追体験が新鮮ではなくなっていたのかもしれない。やはり頭の中の体験と、体で感じる体験とは、どちらがいい悪いではなく、やはり違うのだ”(モデル)
“彼女は、「何になりたいとか言ってもみんな終局的には死体になるのでしょう。だからシタイことしてシタイになる」といった。すると酔っぱらってふざけていた人々までが、しーんとなってしまった。”(「廣津里香という生き方」)

牢獄暮らし?に耐えかね、昼休みに、歌舞伎座近く、ひいきのK造社本店にて解き放たれる。一応新聞の出版広告を見て収穫リストに載せていた本。角川は最近廉価文庫とこのOneテーマ新書シリーズをはじめた。A:生きる、B楽しむ、C知るというテーマ分類。執筆陣はなかなか。打ち合わせに行く車中と、データ待ちの間に読了。著者とは本好き、シングル、猫好き程度しか共通点はないのだが(これくらいあれば十分か)なんとなく同志めいているような関係。1ヵ月ごとの本購入リストつき。仕事本もあるのだろうが、取りつかれたように同じ著者、同じテーマを求めていたりして面白い。生活が本を引き寄せる。やっぱり読書は私生活。ひょんなことからショーモデルをしたり、思い立って三味線を習ったり。いつもの群節も楽しめるのだが、書き下ろし「廣津里香という生き方」が圧巻。痛いほどピュアな人生。これだけで買い、だろう。さて余談。ある月には池田晶子の本を5冊も購入している。池田晶子女史はウワサの(笑)J大T学科出身。一度一番左の掲示板にも書き込みしてくれている…と書いてから一年後、池田晶子違いが判明。でもまだ納得いかないなあ。

2000/12/13-9659
20世紀SF 1
1940年代 星ねずみ
アシモフ/ブラウン 他
中村融/山岸真 編
河出文庫 2000年11月2日初版発行
   毒毒度:-3
“果てなき蒼穹、燦然と星降る夜空のもと
 わが墓を掘り、この身を横たえよ” (ロバート・A・ハインライン「鎮魂歌」)

先月からSF、ファンタジーの頭になりつつある(素直に流れにまかせることにした)。河出文庫の20世紀SFシリーズ。6巻完結だそうな。20世紀SFの3大巨匠と呼ばれるアシモフ、クラーク、ハインライン。さらにはブラウン、ブラッドベリ、ヴォークトなど錚々たるメンバーによる11短編が収録されている。今週既に会社に2泊しているせいかシオドア・スタージョン「昨日は月曜日だった」がなんだか今の気持ちにぴったり。私的に評価の高いK造社書店にて収穫。ここのすごいところはマンディアルグであろうとも、私が買った本は必ず補充されている点だ。Yブックセンターでは見られないようなハヤカワ文庫JAの在庫も多い。ブラッドベリも殆どあるし、ル・カレが12冊もあるなんて、イカしてる。

2000/12/09-9660
キーツ詩集 ジョン・キーツ
出口 保夫 訳
白凰社 1975年7月25日初版第1刷発行
1996年9月30日新装版第8刷発行
毒毒度:-5
“《美は真であり 真は、美である》と。--これこそは、きみたちが この地上で知り、
 また知るべきすべてのものなのだ”(ギリシア古甕のうた)
“詩と、名声と、美は、たしかに強烈だ、
 けれど、死はもっと強烈であり--死は生命の高価な報いなのだ”(今夜どうして)
“この広い世界の出来事を、力強い巨人のように
 把握し、両肩に誇らかに 翼の生えるのを見て
 魂の不滅性を発見するまで、
 わたしは、自分の魂をいためつけたい”(睡眠と詩)
“現世(うつしよ)の人間が、さまよいながら、苦悩の人生を歩み、
 それでも その嶮しい路を放棄しようとしないのは
 なんとも不思議なことよ。あるいは ただ目覚めているにすぎない
 未来の運命を あえて独り眺め見ようとしないのは。”(死について)

夭折の詩人ジョン・キーツ。守護神は「詩心」、恋人の名はファニー・ブローン。死と隣り合わせで生きながらも、絶えず詩神と話し、その想像力を駆使した詩作に耽る。1821年2月23日、結核が悪化、療養先のローマにて死去。愛した雛菊の花の咲く新教徒墓地に葬られる。享年25歳。物語詩「エンディミオン」、ギリシア神話に基づく没落神の叙事詩「ハイピリァン」とその続編「ハイピリァンの没落」など。
ダン・シモンズ『ハイペリオン』でキーパーソンともいうべきキーツ。なるほど、こうしてその詩と死を読むと、シモンズの思い入れというのがわかる気がする。極めてわかりやすい詩である。特に引用した「死について」の4行だけでも、人生の意味、そこにファンタジイの真髄が見られるではないか。こうなってくると、「ハイピリァン」も「ハイピリァンの没落」も載っている「キーツ全詩集」を購入することになるかも。(だったらシモンズの続編の方をとっととハードカヴァーで読め?)

2000/12/08-9661
ファンタジイの殿堂
伝説は永遠に(2)
ロバート・シルヴァーバーグ編
幹 遥子・他訳
ハヤカワ文庫FT 2000年11月15日発行
   毒毒度:-1
“(あの人はあそこで立ったまま死んだけれど、一度は剣で、そして、一度は言葉で、おれを救ってくれた)一介の放浪の騎士を生かすために、偉大なプリンスが死んだとすると、世の中は意味をなさない。”

「〈真実の剣〉骨の負債」テリー・グッドカインド
「〈氷と炎の歌〉放浪の騎士--七つの王国の物語」ジョージ・R・R・マーティン
「〈パーンの竜騎士〉パーンの走り屋」アン・マキャフリイ
以上3作がおさめられた、ファンタジーのアンソロジー第2巻。中世騎士物語の流れというのはかなりの魅力なわけで、ジョージ・R・R・マーティンをターゲットとして収穫。長編『フィーヴァードリーム』や中編『皮剥ぎ人』でファンになった作家。この人の持ち味が発揮され、嬉しい再会。プリンス・ビーラーが倒れるくだりには思わず涙。マーティン作品はもちろんのこと、マキャフリイ作品も、続きがどんどん読みたくなる、話の波にどんどん乗っていきたくなるというファンタジーの魅力たっぷり。ただし「放浪の騎士」の中で「て」抜きと「た」抜き(こんな初歩的な校正ミス)が1回ずつあったのは、ハヤカワだからこそ、しごく残念。

2000/12/07-9662
アルカイック・ステイツ 大原まり子 ハヤカワ文庫JA 2000年11月15日発行
毒毒度:-3
“人というのは、そばにいる大きなもの--ひょっとしたら、愛し、あるいは崇拝さえしているかもしれないものから、かえりみてもらえないと感じたとき、害をなすのだね。愚劣さで驚嘆させて、注目を浴びたいと思うのかもしれない”
“男の価値というのは、女がからむとはっきりするもの。女の問いは、魂をはかる”

「SFの醍醐味をおしえてくれた、A・E・ヴァン・ヴォクトに捧げる」とのことだ。大原まり子には短編のみしか触れていない、長編としてはお初。歯切れよく、見ても声に出して読んでも、なかなか美しい文だ。主人公の名アグノーシア。その響きと、正しい意味で、マル。まさかエピローグで哲学の意味を再確認することになろうとは思わなかった。これをきっかけに『弁明』とか読み返してたら、毒書道としてはかなりの寄り道になりそう。私的にはテロリストの描き方はちょっとヤワすぎて不満が残った。

2000/12/07-9663
カタログ+Web グラフィックス
衣・食・住の商品カタログとそのホームページ特集
ピエ・ブックス 2000年10月18日初版第1刷発行
   毒毒度:-3
www.fdcp.co.jp

ひさびさのシゴト本。まず印刷カタログ、続くページで同じ会社のWEBサイトが掲載されている。コンセプト、チャートの紹介もわかりやすい。カタログだけ、あるいはホームページだけのデザイン集はよくあるのだが、今後の傾向として必要なのはこのようなスタイルだろう。全体を眺めるに、文字の背景は白、または単色というのが一番であるようだ。文字だけの情報を寂しいと感じて背景画像やらロゴやらを配することは避けたい。私は普段の環境でトップページの出現に45秒以上かかるサイトへは行きたくない。で、Atelier Milletを制作・公開にあたってひたすら気を使ったのは、「画像のせいで重くならない」ということである。「閲覧室」資料のせいで、プロバイダの無料サーバの容量をはなから超えることは必至だったのだが、なんとか無料サーバにしまい込むことができた。トップページにロゴと最小限度のビジュアルというデザイン面では冒頭にあげたようなアパレル系のサイトに近いかもしれないと思っている。

2000/12/06-9664
バッド・チリ ジョー・R・ランズデール
鎌田三平 訳
角川文庫 2000年9月25日初版発行
   毒毒度:2
“ブレットが言った。「あたしはあなたが好きなの、ハップ。あなたには欠点もあるけど、あたしにもある。今回のことはあなたのせいじゃないわ。来るなら来い、よ。弾を存分にお見舞いして、テニスコートのネットだと思いこむくらい穴だらけにしてやる。以前にくそったれの頭をひとつ燃やしてやったことがあったけど、今度のには弾丸を食らわしてやるわ」おれは思った。もしこれが真実の愛じゃなければ、真実の愛ってなんなんだ?”

バッド・チリ、それがおれの人生だ。殺人に嵐に破壊、そして愛する者を失うこと。いい知らせもあるし、悪い知らせもある。悪い知らせは、おれが狂犬病のリスに噛まれて入院するはめになったこと、レナードの同棲相手のラウルに別の男ができたらしいってことだ。おれにとっていい知らせは美人看護婦ブレットといい感じになれたこと、前の恋人フロリダを、恋人としても生きている人間としても失ったことはショックだったが、やっと本気でつきあえる女性が見つかったってことさ。おれたちの友人で今は警部補に昇格したチャーリーにとっては、昏睡状態だった元警部補ハンソンが意識を戻したのはいいことの方で、チャーリーのかみさんに男がいたことは確かに悪い知らせだな。ラウルはレナードの家をおん出ちまった。レナードはラウルの新しい男をこてんぱんに痛めつけたあげく、走行中のバイクに向かってライフルを撃ち、もちろん相手は死んだって話だ。信じられるか? おれは病院を抜け出してまたまた捜査をはじめることになっちまった。
ハップ&レナードシリーズ第4弾! この秋初版。ほんのチョイ役にいたるまでキャラクターづくりが丁寧で好感が持てる。ただ、主人公たちがあんまり暴れるので死人も多く、出演者が不足気味。そのため今回はノン・シリーズ『凍てついた七月』から私立探偵ジムが、黄色いポンティアックに乗って出稼ぎにきた。魅力的なフロリダは早々に亡くなってしまったが、個性派の元警部補が昏睡状態からさめたし、元暴力亭主を廃人にした過去を持つ新恋人もなかなかタフで楽しみ。本国ではすでにもう1作出ているらしい。ということは、とりあえず初版が売れれば来年の夏ごろ、続編に会えるというわけだ。

2000/12/05-9665
罪深き誘惑のマンボ ジョー・R・ランズデール
鎌田三平 訳
角川文庫 1996年8月25日初版発行
   毒毒度:3
“世界が凍りついた。コハクに閉じこめられた、有史以前のハエのような気分だった。居あわせたグローブタウンの非の打ちどころのない住民たちの心に、炎が燃えあがるのがわかった。黒んぼが白人を骨が折れるほど叩きのめすなど、けっしてあってはならないことだし、白人がその黒んぼの助太刀に出たことは、やつらの怒りをますますかきたてたにすぎない。前者はクソをむりやり食わされるようなものだし、後者はクソを食いながら笑えと命じられるようなものだ”
“ひとつだけ、いいこともあった。殴られた傷の痛みは、いまではそれほど気にならなかった。寒さと闘い、溺れまいと水をかき、頭を腐ったカボチャのように砕かれないよう身を隠すのに精いっぱいで、痛みを感じる余裕もないのだ。ことわざにもあるとおり、どんな黒雲も裏は銀色だというわけだ”

おれの愛したフロリダが、人種差別の巣窟グローブタウンで失踪した。たしかにおれは振られた身だし、フロリダが選んだ男はこともあろうにラボード警察の警部補なんてクソッタレな事情だが、夢に出てきたフロリダは半分粘土にまみれて、まるで死んじまったみたいだった。警察はてんで役立たない。捜査をはじめたおれとレナードは、カフェでとんでもない騒ぎを引き起こしちまったんだ…
ハップ&レナードのシリーズ第3作。前作からさらにパワーアップして(とはいっても展開がド派手なせいか、第3作がシリーズとしては本邦初訳ということだ)ストレートな白人ハップとゲイの黒人レナードのコンビが大暴れ。登場人物にいちいちインパクトがあって目が離せない。ワケありの客にトレーラーハウスを貸し出す母と、一見人当たりのよいGS経営者の息子。これってまるで『サイコ』のノリじゃんと思ったアナタ、その第一印象をお大事に! デヴィッド・リンチ監督で映画化の情報もあったらしいが、どうなったことやら。

2000/12/04-9666
ムーチョ・モージョ ジョー・R・ランズデール
鎌田三平 訳
角川文庫 1998年10月25日初版発行
   毒毒度:2
“プライドを持つ機会なんて誰もが与えられたわけじゃないぞ、大先生よ。そんなやつを持って生まれたわけじゃないんだ。新車みたいなもんで、いろいろオプションを載っけなきゃいけないのさ”
“つまり、あたしがどれほど野心家かってことなの、いい? あたしは火の玉みたいなもので、あなたは濡れた糸の塊だっていいたいの。それで、正直なところをいうと、あたしはまだ、自分の野心を満たしていないのよ”

レナードの叔父チェスターが亡くなった。美人弁護士フロリダがいうには、レナードには遺産がおくられるらしい。家と10万ドルと、『吸血鬼ドラキュラ』と、瓶一杯のクーポン、そしてどこのものともわからぬ鍵。レナードとおれは、とにかく家中を掃除しまくりまクリスティーしたわけだ。すると床下から古いトランクが見つかった。鍵は…ビンゴだった。中から出てきたのはなんと少年の死体さ。こいつはチェスター叔父がやったことなのか? それとも叔父さんは誰かにはめられたのか? おれたちの捜査がはじまったってわけさ。
ランズデール週間。下品な怪作との誉れ高いハップ&レナードのシリーズ第2作。第1作は未訳。舞台は『凍てついた七月』と同じ東テキサスの地方都市ラボード。典型的な南部のまちだ。ストレートな白人である「おれ」ことハップ・コリンズ、ゲイでマッチョな黒人レナード・パイン。組み合わせ自体がセンセーショナルすぎる。ひたすらマシンガンと散弾銃のごとく繰り出される毒舌、ジョーク。もちろん卑猥な言葉でたっぷり味付けされている。暴力と毒に満ち、荒唐無稽なストーリーの中でミソもクソもいっしょくたになっているようでいて実は、愛情、友情、信頼、正義、そういったものが浮かび上がってくるのはランズデールの底力か。

2000/12/03-9667
凍てついた七月 ジョー・R・ランズデール
鎌田三平 訳
角川文庫 1999年9月25日初版発行
   毒毒度:2
“なぜだかわからないが、消臭剤は不気味な笑いを誘った。この消臭剤は魚やタマネギににおいばかりでなく、血でも、脳漿でも、吐瀉物のにおいでも消すことができますというコマーシャルを想像したのだ”
“死とは不快で、異臭があり、悪い病気のようにまとわりつく”
“死についての考えをひとつ残らず頭から追いだそうとした。家族や自分の死のことを。しばらくそのまま、永遠につづく完全な幸福という嘘が真実に思え、内なる目が曇ってその幸せが砂のように指の間からこぼれおちるのが見えなくなるまで待った”

額縁店の主人リチャードが妻アンと息子ジョーダンと共に平和に暮らしていた家は、侵入者によって汚されてしまった。撃ちあいの末、侵入者を射殺してしまうリチャード。正当防衛とは認められたものの、強盗の父親ラッセルからは逆恨みされることとなる。警察に訴えて警護を頼んだが、厳重だったはずの警護のスキをついてラッセルが侵入、リチャードの息子を手にかけようとする。しかし一瞬の躊躇があった。リチャードとアンはラッセルをとりおさえることに成功、ラッセルは逮捕された。これでことは済んだはずだった。警察が引き揚げた後、リチャードは現場でラッセルの財布を発見する。ありふれた家族写真…しかしそこに写っているラッセルの息子は、リチャードが射殺した男とは別人だった…。
アンソロジー『999』で目をつけていた作家。角川からなので、廃刊にならないうちに収集。悪名高きシリーズは置いておいて、ノン・シリーズの本作からスタートしてみた。陰謀、狂気、スナッフ・フィルム。暴力と父性愛に満ちた不思議な作品に仕上がっている。『デスペラート』でハリウッド進出前のロドリゲス監督『エル・マリアッチ』のノリとでもいおうか。悪くない。

2000/12/02-9668
吸血鬼伝承
「生ける死体」の民俗学
平賀英一郎 中公新書 2000年11月25日発行
   毒毒度:1
“トランシルヴァニアで注意しなければならないのは、ここに住むハンガリー人やトランシルヴァニア・ザクセン人の間には「吸血鬼」伝承がないことだ。”
“ルーマニア人のほうは、「ハンガリー人の吸血鬼」に襲われるのである”
“「吸血鬼」は襲われる人々の信仰なのである”
“「吸血鬼は血を吸わない」というのは強語であるが、そのくらいに考えていたほうがよい。吸血への拘泥は西欧近代の病理と言うべきだ”
“「吸血鬼」の最大の特徴は、墓の中で一種の生を保ち、夜そこを出て徘徊するという一点を除いて、「吸血鬼」にのみ特有の性質や処方が存在しないことである”

ブラム・ストーカー『ドラキュラ』以前の民間伝承にある吸血鬼の、フォークロア的研究。本書で引用されている『増補新版 スラヴ吸血鬼伝説考』(栗原成郎著、河出書房新社)は出版された1991年当時読んでいるので、アプローチ的、内容的には察しがついていた。「吸血」という行為は実は「吸血鬼」の本質ではない。ここにはロマンティックな吸血鬼はいない。「黒マントの上品な紳士」のかわりに、「生ける死体」としてありとあらゆるものに変身し、親族を襲い、あさましくて醜悪でおぞましく、一方で他愛無く退治されてしまうマヌケな面を持つ「吸血鬼という現象」が浮かび上がる。

2000/12/01-9669
佐藤君と柴田君 佐藤良明・柴田元幸 新潮文庫 1999年7月1日発行
   毒毒度:1
“そう、あのころのドロは輝いていた。ザッパ的混濁。ジミヘン的泥流。地べたに尻を落として土色のハッシシを吸うマディーな恍惚。ドロを愛し始めて佐藤君は、計画と生産の人生を踏み外した。”(さ)
“翻訳の快感は、自分の痕跡がどんどん消えていくのを目撃することにある。”(し)

先日読んだ、村上春樹・柴田元幸の『翻訳夜話』を人にすすめたら、この本をすすめ返してくれた。ともに東大教師、そして翻訳家である佐藤君と柴田君が交代で書くエッセイ集。翻訳は頭の良い人には向かないと、柴田君自らいうけれども、ほどよい生活感があり(高崎と川崎の話がよく出てくる)、ほどよくホラ話もあって、なかなかなごめる。解き放たれてばかりいて、積毒本が増えてしまったので、しばらくは収穫を控えることとする。

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