●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2001-01

2001/01/30-9627
朝日新聞が伝えたプロ野球 西村欣也 小学館文庫 1999年6月1日初版第1刷発行
1999年7月1日第2刷発行
   毒毒度:1
“くわえたばこの火が唇につきそうになるまで、市川さんは話し続けた。「喜怒哀楽。この四つの感情のうち、『哀』を除く三つの要素をむきだしにすることが、人を動かすエネルギーになる」”(「哀」が見え過ぎる)
“スポーツライターの仕事は、選手の「今」を切り取り、読者に提示することだと思う。”
“取材をする。言葉を引き出す。言葉にならない背景を探る。そうして集めたチップを並べ直してみる。ゆっくりと浮かんでくる気泡のような「物語」がある。その「物語」にこだわることで、「彼ら」の本質を見誤っているのではないか、という不安が消えることはなかった。”(あとがき)

2月1日に日本のプロ野球は一斉にキャンプイン。しかしわが身が多忙ということを置いても、なんとなくプロ野球の開幕に胸躍らぬシーズンである。スワローズは凡庸が予測されるし、池山、飯田ら黄金時代を賑わせた選手たちの引退も実は近い。希望の星は平本あたりか。大事にしすぎるとものにならない過去の教訓を思い出し、上手に起用していってほしいものだ。マリナーズはオープン戦からイチローを3番ライトで起用するらしい。こちらにはやはり興味がひかれる。
西村欣也は報知新聞を経て朝日新聞で活躍するスポーツ・ライター、「EYE 西村欣也」と「閑話休題」というコラムを連載する。その1996年から1998年の連載に加筆、修正した「物語」。「物語」には思いと人生が凝縮され重くなるのが世の常であるが、気持ちのよい長さで文章が歯切れよく並び、うっとうしくはならない。映画監督市川昆をはじめ野球人以外の人の言葉が人生に滲みる。「時間と空間と自身との格闘という意味では、哲学とスポーツは、なんら変わるところはない。特に野球はね」という作家埴谷雄高の言葉が印象に残った。

2001/01/28-9628
天涯1 鳥は舞い 光は流れ 沢木耕太郎 集英社文庫 2001年1月25日第1刷
   毒毒度:-3
“「夢」の種類だけ旅する理由が存在する”(アトランティックシティ、アメリカ)
“ある時、ある場所で、ふと思う。私はここに来るのが遅すぎたのではあるまいか”(フィデル・カストロ/ハバナ、キューバ)

旅への誘い。果されなかった夢の旅。瞳まで白く埋もれさせるシベリア鉄道、ヘミングウェイの酒を飲りながら物憂気に過ごすハバナの午後、に思いを馳せる。
クリスマス本にも選んだ沢木耕太郎の第一写真集が、このたび文庫本になってしまった。メキシコシティの月、チューリッヒのドーン・パープル、イスタンブールの夕景色。アスリートとしてのアルベルト・トムバの視線、ボケボケだが存在感のあるカストロ。街角の猫、鳥、子供。撮るための旅ではく、旅をしながら撮った写真ばかり、ストロボもたかず、三脚も立てず。写真集を出すことになった経緯について語った「通過地点」が収録されている。

2001/01/28-9629
ボブ・グリーン 街角の詩 ボブ・グリーン
香山千加子 訳
新潮文庫 1983年6月4日初版発行
1989年9月18日13版発行
    毒毒度:1
“それから二人は小さな部屋にこもって、古いブルースやジャズのレコードをかけた。食事は温め直され、二人でそれを食べ、またレコードをかけ、また食べた。笑ったり、話したり、歌ったりした”
“年老いたブルース奏者とローリング・ストーンズ。この世の中にも、ときどき、すてきな瞬間があるものだ”(ワイマンとウルフ)

積雪の中、郊外をめざす。ふだんならクルマで30分なのだが、バスと電車とまたバスと徒歩、計2時間の旅になってしまった。このコラム・コレクションにはストーンズやロッド・スチュアートのような有名人もいる、一市民もいる。殺人者もコメディアンも名もなき少女も、たった一発の銃弾で一生のチャンスを奪われた若者も。そして取材に駆けずり回る若き日のボブ・グリーン。コラムが人を動かすこともある。有名になったストーンズが無名時代に聞きまくった当のハウリン・ウルフはコンサートの切符を手に入れることができなかった。ストーンズはウルフのことなど忘れてしまっていた。グリーンのコラムはしかし、常識派のビル・ワイマンを動かした。ウルフはコンサートに招待され、メンバーとも会えたし、翌日食事の約束もした、しかし忙しいストーンズはもう一度ウルフのことを忘れた…「ローリング・ストーンズが忘れた男」「ワイマンとウルフ」…コレクション中の例外的な連作でストーンズの代表として活躍?しているワイマンがストーンズっぽくなかったことは周知の通り。だいたいにおいて人生はほろ苦い、だからこそすてきな瞬間が心に残るのかもしれないけれど。

2001/01/27-9630
一色一生
現代日本のエッセイ
志村ふくみ 講談社文芸文庫 1994年1月10日第1刷発行
2000年7月17日第9刷発行
   毒毒度:-5あるいは5
“色はただの色ではなく、木の精なのです。色の背後に、一すじの道がかよっていて、そこから何かが匂いたってくるのです。”(色と糸と織と)
“糸は生きていて、私にこたえてくれます。いとしいと思います。抱きしめたいほどいとしいと思います。釜の中で生きたままの蚕を煮るのはこの私ですのに、こんな言葉は白々しいというものです。しかし、こういう過程を一つ一つたどってみて、最後にこの思いののこるのはどうしようもありません”
(色と糸と織と)
“おそらく三十色位の杼を使っているだろう。谷あいにひとところ陽の射したような灰緑色の暈しが、やがて紫に翳り、旅人がそこに憩うているようである。絶えず主題として流れる細い黄土と退紅色の旋律は、あるかなきかの白、または墨色にふちどられ、一線一線は鋭く何か喰い込んで来るようである。それでいて、全体はしみじみとした懐かしい音階である。それはまさに母の色合というしかいいようのないものである”(母との出会い・織機との出会い)

あまりにも日常がすさんでささくれだったときは、美しい文章を声に出して読む。染織家、志村ふくみの織りなす文章は、まさに再生のためにある。色への思い、母への想い、夭折した兄たちへの想い。華麗なのではない、自然なままでこれほどまでに日本語は美しかったのか。糸の音、色の音色に、高価なヴィジュアル本すら色褪せてしまうほどである。

2001/01/23-9631
異端の肖像 澁澤龍彦 河出文庫 1983年6月4日初版発行
1989年9月18日13版発行
   毒毒度:3
“ルドヴィッヒは自分自身に対してしか王でなかったのであり、ニーチェは自分自身に対してしか皇帝ではなかったのである”(パヴァリアの狂王)

徹夜明けプレゼン終了。はて困った、帰りに読む本がない。電車1本先行してS駅コンコースに出店している古本屋へ奔る。こういう時にピンがきた本こそ買いである。ヴィスコンティが描いた狂王ルードヴィッヒをはじめ、男児殺戮者ジル・ド・レエ、プルーストの作中人物のモデルとされるモンテスキュー伯爵や、ゴシック小説家の先駆者ベックフォードら特異な人物ばかり7人の評伝集。ジャンヌ・ダルクを失い、遊びとしての戦争に餓えたあげく殺戮者になってゆくジル・ド・レエ、ワグナー音楽に代表されるようなスペルタクルジャンキーとしてのルドヴィッヒなど、宗教的な意味ではない「異端」の人生。

2001/01/21-9632
自然のことのは ネイチャープロ編集室 構成・文 幻冬舎 2000年11月10日第1刷発行
2000年12月20日第2刷発行
   毒毒度:-3
“時の綺羅”“すべてのわざには時がある「伝道の書」”(時と季節の章)

夕轟きとは夕暮れ時につのる恋ごころ。藍微塵とも呼ばれるわすれな草。紅差し指、紫匂、零れ梅、花逍遥、桜尽し、蒼き狼、仄明かり…その昔なら光琳社出版から出たような本である。瞬間を記した言葉と、瞬間を切り取った風景。写真集のごときジャンルは読了といえる瞬間はない。それでいて、いずれかの写真に一目惚れした瞬間も毒了といえるのではないかとも思う。物語の泉、そのほとりに私は住みたい。似た企画で他の出版社の本も平積みになっていたのだが、記憶にあるタイトルではネット検索できずにいて、実はイライラしている。

2001/01/20-9633
死のドライブ ピーター・ヘイニング編
野村芳夫 訳
文春文庫 2001年1月10日第1刷
   毒毒度:3
“バンザイ・ランナー、あんたは魂をなくした”(アラン・ディーン・フォスター「最後のレース」)

週の後半は布団に寝ていない。あげく関西へ旅立つはずだったが、またもや雪のため、出発を断念した。旅立つ予定の日に読む本としてはいささか物騒なタイトルと内容だったか。過去から現在、そして未来へ。遠くに連れていってくれる所有物から、殺人機械へと変ぼうしていくクルマたち。行きつくところはオートゲドンか。キング他と片付けるなかれ、ランズデールやマシスンなどおなじみのホラー作家が腕をふるっているアンソロジー。スピルバーグの出世作《激突》の原作、リチャード・マシスンの『決闘』をこうして2001年に読めるとは。通勤で読むにはほど良すぎる長さ。なにかワナがあるのではないかと疑ってしまう悲しい性。

2001/01/17-9634
勉強はそれからだ 象が空をIII 沢木耕太郎 文春文庫 2000年3月10日第1刷
   毒毒度:2
“私は、自分が取材しようと思う対象について、一般に流布されている程度のことすらも知らなかった。だから、いつでもゼロに近いところから出発しひとつひとつ知っていったのだ。知ることで、驚いたり、喜んだり、打ちのめされたり、感動したりしながら”(「情報」の洪水の中で)
“ひとりの人生より自分の書くものの方が大事だなどとはとうてい思えない”(してやられる)
“時として、スポーツの競技者に、心を震わす瞬間というものが訪れる。だがそれは、単に勝利と敗北の刹那にだけ訪れるものではなく、そこに至る過程にも現れる”(自分を鍛える)

書くという行為について、そして暮らすことについて、私の中では「まっとうな人」沢木耕太郎のエッセイ集。ありがたい、今日も一冊本が読めた、もうこのひとことに尽きる。

2001/01/16-9635
十月はたそがれの国 レイ・ブラッドベリ
宇野利泰 訳
創元SF文庫 1965年12月24日初版
1997年3月7日57版
   毒毒度:3
“世界を遠くはなれて、彼らふたりだけ。どこからも二千マイルははなれた夢の町。町のなかにはなにもなく、周辺は、果てしなくつづく砂漠と、その上空を旋回するタカ。1ブロックほどさきの国立オペラ劇場の屋根には、金色のギリシャ彫像が、陽に照らされて、高く立っている。ビア・ホールでは、蓄音機がやかましくさけびたてる--マリンバだ!……コラソーンだ……どれもみな、聞き慣れぬ異国の言葉ばかりだが、風がそれを吹き散らしていた。”(つぎの番)
“殺人事件というやつは、華氏92度のときに起こるのがいちばん多い。”
“人間というものは、精神的にいって、毎日のように死んでいくのです”(熱気のうちで)

メキシコの町。ジョゼフとマリーが旅をする。夫婦生活はすでに枯れ、夫は仕事に夢中。妻はすぐ気分が悪くなる。訪れた地下墓地で、遺族が使用料を払えないために掘り返されたミイラを見る…妻はどんどん病んでいくが最後まで夫は気がつかない…「つぎの番」はなんだかヘミングウェイっぽい展開である。小野一郎の撮るウルトラバロックの教会堂がふいに浮かぶ、風が吹いている。
ブラッドベリの処女短編集『闇のカーニバル』に5編の新作(といっても45年以上もたっているが)を加えたもの。ここにあるのはかなりダークな世界である。『みずうみ』『びっくり箱』『集会』は、萩尾望都によりコミック化された。家族と共に旅していた男が、そうとは知らず大鎌をふるう死神に任命されてしまう『大鎌』はかなり絶望的だが、吸血鬼一族を描いた『集会』の後日談?とおぼしき『アンクル・エナー』には救いがある。異動となり毒書ができないかもとぬかしながらおまえは…とあきれられそうだが、実は暮れごろから徐々に読みためていた(笑)ため、毒了したまでのこと。明日はどうなるかはわからない。

2001/01/15-9636
臨床読書日記 養老孟司 文春文庫 2001年1月10日第1刷
   毒毒度:1
“面白いと思うが、ほんとうには役に立たない。そういう本が、ときどきある。自分とほとんど意見が一致する。そういう本が、それである。著者の言うことが、こちらによくわかるので、参考にならない。「違和感によって学ぶ」ことができない”
“意見が一致したからといって、それが正しいとはかぎらない。二人して間違っただけ。そういう可能性も高い”(うわさの遠近法)
“科学に頼ってなにかをしたとしても、最終的な決定は各人の判断である。他方、きちんとしようとすれば、科学はかならず無味乾燥なものとなり、続いて死ぬ”(常温核融合)

『文學界』1992年12月号〜1996年12月号連載をまとめたもの。解剖学の権威は、勤めていた東大を辞め、昆虫採集なぞしている。疲れていても本を読む。仕事におわれているときほど、くだらない本をごっそり鞄に詰めまくっている。おかげで鞄はしょっちゅう壊れる。気分が生きていれば、読むべき本がわかっているので、たくさん持ち歩く必要がない。自由な時間がないと、どこかで読めるかもと、ほとんど守銭奴の気分で本を持ち歩き続ける…なんだか共感を覚えますなあ。結果的に参考にならなかったかといえばそうでもない。以前から気になっていた『真夜中のサヴァナ』はぜひ読もうと誓ったのであった。

2001/01/14-9637
秘密のダイエットケーキ マドモアゼルいくこ 21世紀ブックス 1980年11月15日初版発行
1981年9月20日第22版発行
   毒毒度:-3
ストレス解消のため、私はしばしば菓子職人となる。《マドモアゼルいくこ》こと潟口いくこの秘密シリーズは、手軽にケーキ作りをしたい人にはかなりのおすすめ。普通のケーキ作りの本は写真は美しいのだが、材料、分量や手順が面倒なことがとにかく多すぎる。その点、この本は巻末に便利な計量表つき、立派なはかりがなくても粉類から生クリーム等の液状の材料まで200ccのカップひとつでどうにでもなる。粉をふるうのだって1回だけ、私はさらに、振っておかずに振るい入れるという荒技を使う。材料も、バターではなくサラダオイルを使ったり、甘さはおさえつつアーモンド粉を使って風味を出したり、野菜を焼き込むなどダイエットを意識している。それでいて美味しい。『秘密のケーキづくり』のチーズケーキはどれも絶品だし、《ヨーグルトポムポム》は毎日3個焼いても苦にならない(なんたってオーブンに入れるまで15分だ)、友人は一度に半分いけるとすら言う。そしてこの『秘密のダイエットケーキ』の《アーモンドショコラ》は絶賛されること間違いなし。焼き上がり待ちながら、ひと風呂あびたりする午後は至福の時間である。再生された私は、再び戦地へと赴く。

2001/01/12-9638
身体の文学史 養老孟司 新潮文庫 2001年1月1日発行
   毒毒度:3
“三島はおそらく深沢七郎と自然をはさんで対極にある作家であろう。三島の脳裏には、人工しか存在しなかった。人工世界だけが、かれの現実だった”
“『野火』の主題は人肉食であり、主人公は自分個人の決断で人肉を食べない。その背後にあるのは大岡昇平の規矩なのだが、私にはそんなものはないというしかない。解剖していれば、私の口には人体の切れ端くらいは飛び込む。それを飲み込んだからどうかといえば、どうでもないのであって、無意識に人間を食ってしまう側から見れば、意識的に人間を食うことがなぜ興味の対象であるのか、そこが根本的に私には不明なのである”

今を時めく解剖学の権威が関心を寄せるのは「明治以後の日本文学が、身体をどう扱ってきたか」である。身体に目を据えて、文学表現を追う試み。芥川龍之介、深沢七郎らを主軸に、後半は「三島事件」を論じている。

2001/01/09-9639
巨人軍に葬られた男たち 織田淳太郎 新潮OH!文庫 2000年10月10日発行
   毒毒度:3
“『南無阿弥陀仏』の題目が刻まれた漆黒の側面には『法名 釋浄証 巨人軍 湯口敏彦 昭和四十八年三月二十二日 行年二十歳』という文字が刻み込まれた”

おそらく巨人ファンは読まないだろう。少々キワモノもある新潮OH! 文庫の創刊50冊に名を連ねていて、昨年からちょっと気になっていた。V9時代に活躍した巨人軍OB、K氏の回想録『巨人軍の光と陰』のゴーストライターとして取材をはじめた著者が巨人軍最大のタブー『湯口事件』に触れる。この事件に関する記述を巡ってK氏とは折り合いがつかず結局『巨人軍の光と陰』は出版されることはなかった。この本は『湯口事件』と『王解任劇』を軸に、様々な『巨人軍に葬られた男たち』を追ったノンフィクションである。昭和48年3月22日、ドラフト1位投手の湯口敏彦が、入院先の精神病棟で急死したという『湯口事件』を、私は記憶していない。同年1月にボクシングの大場政夫が事故死しているが、こちらはよく覚えている。私は当時もスポーツには興味があったし、野球には特に詳しかった。その私が覚えていないということは、かなり巧みに隠されてきた事件なのか。しかし当時16歳の著者は記憶しているという。湯口が亡くなった時、川上監督の「巨人こそ大被害を被った。大金を投じ、年月をかけて愛情を注いだ選手。マイナス面になるかもしれません。せめてもの救いは、女を乗せて交通事故などという形ではなかった点です」という冷酷なコメントに著者は非常な怒りを感じている。制球難に苦しみ、フォーム改造を余儀無くされ、今度はスピードをなくす。期待されながらも他人を蹴落としてまで1軍に上がるようなしたたかさはなかった。精神修業を強要され、休日もストレス解消できない。やっと調子が上向きになったとき決定的な事件が起こる…。ドラフト1位で将来を嘱望されていた湯口が、巨人軍という重圧に屈したのは果して彼が精神的に弱かったからだろうか? かくして巨人軍という特殊な集団の姿が露にされていく。

2001/01/08-9640
郊外へ 堀江敏幸 白水uブックス 2000年7月10日発行
   毒毒度:2
“写真の一枚は土手下からの仰瞰で、米粒大の人影があつまってできた黒い塊が、競技のコースに沿って幾何学的な模様を描き、土手のうえには、サンドラールを「これほど絶望的なものがあるだろうか」と嘆かせた、公団住宅HLMの前身、HBMがならんでいる。その上方に、おそらくは日曜日の、まだ霞の晴れ切らぬ空がひろがっている。早朝からはじまった自転車競技を食い入るように見つめる郊外人の姿。その心象を代弁する、不思議な明暗をたたえた空だ。”(レミントン・ポータブル)
“希少な書物を発掘して転売し、生活の足しにしようなどという考えを、私はもうすっかり棄てていた。やはり本は秘めやかな愉しみのために買うものなのだ” (霧の係船ドック)

シクロクロスの追っかけで野洲をめざしたものの、私の乗った滋賀行き夜行高速バスは、東名は小山バス停付近で約8時間足留めをくらい、全然間に合わず。では毒書がはかどるかといえばそうでもない、ただ単にバスと新幹線に乗っただけ、やっと名古屋から本を開く気分になる。以前から気になっていたエッセイなのだが、読みはじめてシクロクロスが出てくる偶然に驚く。それ以外にも、子供の頃好きだった本としてヴァージニア・リー・バートンさく、いしいももこやく『ちいさいおうち』や、ポール・ベルナ『首のない木馬』(これは映画でも見た)や、アラン・ドロンの出るフィルム・ノワールに耽溺したことなど、不思議な郷愁を呼び覚ます文章である。サスペンスあり、ミステリあり。車窓にはほの暗いトルコ石色の空。私は郊外から都心へ戻る。

2001/01/06-9641
都立桃耳高校
--放課後ハードロック!篇--
群ようこ 新潮文庫 2001年1月1日発行
   毒毒度:2
“都立校の場合、どこの高校に入学するかは、自分たちには決められない。桃耳に決まって不幸だと我が身を嘆いた子もいただろうが、ほとんど少数だったはずだ。そういう子たちには気の毒だったが、私たちは本当に楽しい高校生活を送った。それは自分たちが選んだわけではなく、すべては偶然だった”

群ようこ自伝。授業はサボリ放題、授業中にアイスを買いに走り、まわし食い。山岳部は授業中に飯盒炊爨。制服廃止とともに、闊歩するロンドンブーツ、網タイツ。桃色遊戯にふける子の下着はスキャンティ…。もちろんデブでチビの主人公シゲミには相手もいないし、親友のヤスコちゃんにもいない。「私、一生やれないような気がする」としみじみ語ってみたが、妊娠はイヤだし、なんだか女ばかりソンしてるみたい。めんどくさいこと考えないでまんじゅう食べてるほうがいいかも…シゲミが唯一燃えたのはグランド・ファンク・レイルロードのコンサートだった。
待ってたホイ、桃耳高校第二弾にして完結篇。なつかしいものだらけである。一世を風靡した庄司薫。横井さんの帰還。「アンアン」「ノンノ」の創刊。新宿「三峰」「taka-Q」「三愛」。映画「フレンズ」のマーク・レスター。「ベニスに死す」のビョルン・アンデルセン。そしてさりげなく触れられている事件…横綱玉の海の急死、クリスマスツリー爆弾、コインロッカーベイビーズ、浅間山荘…。

2001/01/03-9642
JAPAN UNDERGROUND  内山英明 アスペクト 2000年9月10日第1版第1刷発行
   毒毒度:4
“地下の非合理で測りしれない闇の深さだけは消せはしない。ぼくらはみんなそうした闇の中から生まれたのだ”

空をめざしたあとは、地下をめざせ。内山英明による地下写真集。写真を見たあとどれも日本の地下と知った人は驚くだろう。ほとんどホラー。カタコンプのごとき「都営地下鉄12号線」、リドリー・スコットの世界、《エイリアン》や《ブレードランナー》の映像そのもの、〈まんまギーガー〉もある。見づつけることはひどく息苦しい。

2001/01/02-9643
MEXICO: ICONS
[メキシコ:アイコンズ] 
小野一郎
角田純一
アスペクト 2000年11月8日第1版第1刷発行
   毒毒度:2
“マリアもマドンナもヌードの美女も、皆ありがたいアイドルなのだ。唯一この場にそぐわないのがディズニーのポスターだが、最近はポケモンが席巻している。数あるポスターの中で、私がつねに探しているのは、土着的でウソくさいB級品グラフィックだ。描いた人の手の痕跡や内面が投影されているという意味で、これらは本物なのだ”

『ウルトラバロック』の小野一郎とアーティスト角田純一の共著。妙に艶かしいキリストポスター、エロチックなマリアポスター、映画ポスター、看板、ディスプレイ、アイドルポスター、グラフィティ、雑誌、エロマンガ等、メキシコの聖と俗がシェイクされている。庶民にアピールする究極の聖と俗とでもいおうか。メキシコの聖がすでに型破りなので、俗の方はいわずもがな。「ルチャ・リブレ」のポスターにはエル・サントという超アイドル的覆面プロレスラーもいて、細かな語句はわからないにしても雰囲気でワクワク。

2001/01/01-9644
MEXICO: BAROQUE
[メキシコ:バロック] 
小野一郎 アスペクト 2000年11月8日第1版第1刷発行
   毒毒度:2
“毎日、どこの国にいるのかよくわからない。スペインのような、インドのような、韓国のような、アメリカのような。”
“これはこの世のものではない。カメラを向けても、どう撮っていいのかわからない。一つひとつのディテールを撮っても意味がないし、だからといって全体の構造を撮っても意味がない。カメラを振り回していたら、だんだん目が回ってきた。”
“良いとか悪いとか、好きとか嫌いということではなく、人間の奥底にあるイメージを見せてくれている気がした。宇宙の論理というか、動かしがたい真実というような。”

『ウルトラバロック』の著者によるメキシコ3部作の一冊。メキシコ、キューバ、グァテマラの教会建築写真集。隙間恐怖症。聖なる過剰、内も外も。なんだか艶かしい磔刑像。際限なく、蔦のように伸び続けていく天使の顔・かお、かお。かお。卒業旅行に選んだメキシコの地で「この世のものとも思えない」光景に出会った著者は、7年後、自らの宇宙を表現しはじめたのだった。

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