●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2001-05

2001/05/29-9548
スタジアム 虹の事件簿 青井夏海 創元推理文庫 2001年4月13日初版
 毒毒度:1
“満場を埋めつくす、空席”
“そうだ、走ればいい、もしあと一打が出なくても。ひとり朱村がホームに届けば優勝なのだ”

いつも優雅なロングドレスに身を包み、銀の靴をはいてレインボー球場に姿を見せる、虹森多佳子。何をかくそう彼女は東海レインボーズの現オーナー、先代の未亡人である。野球音痴の彼女だが、毎日球場へ足を運び、スタジアムで起きる様々な事件をゲーム観戦の合間に解決してしまう。パラダイス・リーグきってのお荷物球団レインボーズはシーズン後半大躍進、優勝はできるだろうか??? 
東海レインボーズの選手全員に色の名前、対戦相手には地名がつけられているというお遊びはさておき、プレーの細部にわたって筆は冴えている。自費出版から口コミで人気が広がり、このたびメジャー(しかも面倒見のよい出版社だ)から出版されたという話題の本とのこと。ゼンゼン期待していなかったが、意外な釣果。野球好きで、ミステリ好きには花マルおすすめ。

2001/05/27-9549
クラッシュ
絶望を希望に変える瞬間(とき)
太田哲也 幻冬舎 2001年5月10日第1刷発行
2001年6月8日第5刷発行
 毒毒度:1
“「少し若いけれど、君は濃い人生を送った」
 その声は、まるで吸い取り紙にこぼれたインクのように、僕の左半身から染み込んできた”
“死なない? そうなのかな? でも、それじゃあ、なぜおまえは泣いているんだよ”
“正直に言おう。そのとき、僕は写真の顔が美しいと思った。素晴らしく輝いて見えた。遠い昔の友人に再会したような懐かしさがあった。けれども、僕はそれを失ってしまった…”

「日本一のフェラーリ遣い」太田哲也は、1998年5月3日、雨のFISCOで事故に巻き込まれた。前方で発生した事故を避けようとした真紅のフェラーリF355GTは、燃料タンクが剥き出しになったポルシェに衝突炎上、1分24秒もの間、太田の肉体は燃え続けた。命はとりとめたものの、熱傷の程度はニキ・ラウダの10倍、全治3年と診断される。壊死した皮膚を取り除く熱傷浴でのこの世のものとは思えない痛み、皮膚から血を流しながらのリハビリ。肉体もさることながら、精神的な傷は目に見えぬだけに、周囲の人間にとっても、辛い。自分の状況がわからぬいらだち、幻覚…。事故後、はじめて自分の顔を見る。鼻も眉もあるべきところに何も無い恐怖。崩れるようにベッドに倒れ込むと、雑誌の表紙を飾る自分の「かつての」顔を見る。私的にはこの、Defectの感覚は、痛い程良くわかる。そして著者にとって辛いのは、顔はともかく、自分の肉体がどう見てもレーシングドライバーとして復活できるとは思えなくなったことだ。それは単なる失業ではなく、レーゾンデートルの否定ですらある。死を決して登りついた屋上には、しかし鉄柵がはりめぐらされていた…。
あてなく入った書店で思わず手に取る。表紙はフェラーリの赤。そして黒く焦げたヘルメット。太田哲也は事故から1年後にステアリングを握り、2年半後、筑波サーキットを走行した。奇跡的に助かったのではない、あのとき、太田哲也は死んだのだ。今あるのは新しい太田哲也だと思っている。前の人生よりももっと濃い人生を送ろうとしている。

2001/05/27-9550
雨の名前 高橋順子 文
佐藤秀明 写真
小学館 2001年6月20日初版第1刷発行
 毒毒度:-2
“ゆとり、というよりは、緊張の糸が切れるようになった、と言ったほうがいい。糸が切れたところを雨の糸がやさしくつないでいる”

予報どおりの雨、である。青葉雨か。窓からながめられる雨なら誰でも歓迎だろうが、心は雨注か、弾雨か、沐雨か。そしてもうすぐ雨の季節が来てしまうではないか。
写真と歳事記の組み合わせ、売らんかなまんまんの題名はさておいて、文字を読みやすくしたのは正解。値段は高め。利休鼠にこだわる一方で、騒々しい表紙と背の装幀はいただけないが、雨に縁有る私的には、辞典のように使いたい。

2001/05/26-9551
エロスの涙 ジョルジュ・バタイユ
森本和夫 訳
ちくま学芸文庫 2001年4月10日第1刷発行
2001年5月10日第2刷発行
 毒毒度:3
“エロティシズムは、詩なしには、完全に顕示され得ない”

愛の年代記のあとは、死の年代記。たしかに死あってこその生。われわれには第一に死があり、与えられているのは、泣いたり笑ったり惚れたり憧れたりできる人生である。
フランスで発禁処分となったバタイユ最後の著作、待望の原著復元文庫化。夥しい死と「小さな死」である性の図版は、通勤電車の中では広げにくいが、好調な売れ行きのようだ。「百刻みの刑」に処せられる中国の処刑囚の写真だけで売れているかも知れないけれど。

2001/05/24-9552
愛の年代記 塩野七生 新潮文庫 1978年3月30日発行
2001年5月25日第1刷
 毒毒度:2
“良いこともできなければ、かといって悪事に徹底できない人とは、何もできない人間ということになる。こういう種類の男たちに対して、ルネサンスという時代は厳しい時代だった”(ドン・ジュリオの悲劇)

「病のときに塩野七生は強すぎる」とmon amiは言った。女史の著作には、様子ではなくその生き様において、いい男の理想型が溢れているのだが、強い意志が迸る文章はなるほど衰えた体力では受け止められない。さて舞台は中世末期〜ルネサンス期のイタリア。冠をつけた肖像画を残さなかった大公妃の真実の愛は? 花婿に肉体的欠陥がないかどうか試験台にされた処女の運命は? 公爵夫人の身替わりとなった女官長ビアンカリエリと、トルコの提督との秘めやかな恋の行方は? 伯爵夫人の浮気の果ては? 法王ジョバンニ八世は実は女性だった!…等など男たちの野望と謀略の陰にいた9人の女性たちの生き方を綴ったものである。

2001/05/22-9553
紅茶のある食卓 磯淵 猛 集英社文庫 2001年5月25日第1刷
 毒毒度:-3
“おいしさって、忘れることではないか。味を忘れればすぐにまた食べたくなる”

隠れ家の水は井戸水である。不思議とおいしい紅茶が煎れられる。濃い目に煎れたアッサムをミルクティーにして。フレーバーティーも、なかなか。さて、紅茶党にうれしい一冊。意外なところでは、てんぷらの後に紅茶。タン塩に紅茶。もちろん紅茶とティーケーキ、紅茶とカレーの話も満載、ちょっと幸せになれる本。

2001/05/20-9554
天涯2
水は囁き 月は眠る
沢木耕太郎 集英社文庫 2001年5月25日第1刷
 毒毒度:2
“春日 天涯に在り
 天涯 日 又斜めなり
 鴬は啼いて涙有る如く
 為に湿す 最高の花
 
 季節は春。ところは地の果て。私はその地の果てでぼんやり太陽が傾くのを眺める。春の鳥である鴬はここにも啼くのだが、その声は涙を含んで啜り泣くように聞える。それ故に露には湿らぬ一番高い枝に咲く花さえぬれてしまうのだ。    李商隠「天涯」(高橋和己注)

“旅はひとつの病い
 永遠に癒されることのない”

休日は魂の旅、すなはち毒書。久々ナマ本屋で収穫した数冊。書き手の意志の強さにひっぱってもらえる本が時には欲しい。旅をテーマに引用された言葉たち。旅の途中で語られる、自身の言葉たち。世界の一瞬を切り取った写真たち。第一巻よりもすこおし苦い旅がここにある。アルベール・カミュが卒論だったり、その中でゴッホについて述べたりしたというエピソードを読むと、なんだか身近に感じてしまう。(私は入学早々にカミュに決め結局ヤスパースにしたのだが、芸術哲学の面からゴッホについて書いている)そして今気がついたのだがAlphabet Stadiumは、山際淳司パスティーシュというよりも、むしろ、「天涯」の模倣とはいえまいか、この本に会ったのはこれが初めてだというのに。あまりにもおこがましすぎるなら、それはそれで安心なのだが。

2001/05/20-9555
全ての聖夜の鎖 らもん(中島らも) 文芸春秋 2000年12月10日第1刷
 毒毒度:2
“見上げると満天の星々はそれぞれの伝説にまとわりつかれて空一面がまるで意味の海のように見える。こんな夜、星々に始原の涼やかな無を取り戻してやる為になら、僕は無数の礫で最後の人間を打ち殺しさえするだろう”
(「摘みし葡萄に染むる指 無弦の竪琴かき鳴らす おもえば眠りの浅い夜 御身の姿の白いこと」)

中島らも、幻の処女作完全復刻版。印刷屋の営業マン時代、してはいけない恋をして、その相手に贈ろうと思い、たった一冊にすればよかったもののついうっかり100部刷ってしまったとのこと。こういうものをドライフラワーと共に贈られた彼女はぽかんとしたそうだ(あとの99冊は一体どうなったのだ)。20代ならではのとんがった文章。腰巻きにはポップ&シュールとあるけれど、間違ってもポップではない。“ここ何年もかけて魂の中で静かに腐らした林檎の異臭”等々時折刺さるような表現にぶち当たる。誰にでも「天空が自分を突き抜ける」夜は来るのだろうか。ホラーな日常、ピュアな非日常。ディータソーダを飲って数寄屋橋からタクシーで帰宅。無謀な夜を越えてまたひとつ朝が来る。

2001/05/18-9556
超ピープルとの時間 中山 清美 スタープレス 2000年12月8日初版第1刷発行
 毒毒度:1
“素面で原稿書くの、勇気がいるね。ツールとして、ドラッグや酒があると、自分が自分でないという妄想に陥る。自分じゃないから何でもできる”(FILE:028 中島らも)

週刊ポストに掲載された39人へのインタビュー記事&独善の記で構成されている。貴志祐介、中村敦夫、沢木耕太郎、藤原伊織、馳星周、中島らも…たしかに聞いてみたい人物、読んでみたいピープルなのだが、残念ながらこの本は誤植が多く興をそがれる。「分泌」活動はないでしょう、ねえ。巻末特別企画番外編も、後味悪し。それが狙いなのか?

2001/05/13-9557
光る砂漠 詩・矢沢 宰
編・周郷 博  写真・薗部 澄
童心社 1969年12月10日初版発行
1970年5月5日3版発行
再再再   毒毒度:-5
“僕から
 詩を
 とり去れば
 僕は灰になる”(僕から)

“これまで生きてこられたことは、
 神が俺達に何か役にたたせようと
 思っての事かもしれないから、

 そうかんがえれば俺達はなんの力もないようだが
 どうにかして生きていけないこともないように
 思うなあ”(二人で話したこと)

人の死を読み、自分の生を考える。夭逝。矢沢宰君は7歳で腎結核に冒され、8歳で右腎臓の摘出手術を受ける。13歳の春から2年数カ月寝たきりの生活。病院附設の養護中学にて中学課程を特別進級で終え、18歳の春、自力で高校へ合格、晴れて自宅通学がはじまる。しかし2年後に病気再発で再入院、翌年21歳の若さで亡くなった。かれは500篇余の死と、14歳の11月3日から一日も欠かさぬ日記を遺した。かれの人生にはまず、死があった。死と自分だけの世界。祈りが生まれ詩が生まれた。大空の死にしても、志半ばにして病に倒れる若者にしても、こういう人たちの死を考えれば、自分や他人の命を粗末にすることなどできない。

2001/05/12-9558
墜落遺体
御巣鷹山の日航機123便 
飯塚 訓 講談社+α文庫 2001年4月20日第1刷発行
   毒毒度:5
“疲労が極限状態になると、さまざまな形で変調をもたらす。
 怒りっぽくなる反面、やけに涙もろくなる。集中力が鈍り、忘れっぽくなる。簡単なことばも出てこないし、一桁の足し算さえ間違うこともある。
 私は生来、感情移入の激しい性質だが、仕事でこんなに泣いたのは初めてだ。泣きっぱなしのような日もあった”

たしかに怒ったり泣いたりする毎日だがこの本を読めば、現在の私の状況など極限状態というのにはほど遠い。羽田を発ち大阪へ向かう空の上で突然死を宣告されることもないし、不眠不休で検屍を続けたあげく家族の名前も出てこないほどの疲労にも陥ってはいないからだ。1985年8月12日に発生した日本航空123便事故。死者520名。遺体は山中に4万平米にわたり散乱、実際に回収されたのは2065体に及ぶ。当時高崎署刑事官だった著者は8月13日から127日間にわたり身元確認班長として任務にあたった。ただでさえ厳しい群馬の夏。暗幕に覆われ換気扇も無い体育館は、凄まじい死の悪臭と線香と遺族の悲しみと怒りに満ちている。配給の鳥弁当が遺体の肉片に見え、米が蛆に見える。幻覚を見るほどの極限状況で検屍を続け、遺体の口を開け防護手袋もつけない手で支えレントゲンを撮る。看護婦は丁寧に遺体を清拭、傷を縫合し、たとえ皮一枚になってしまっていても復顔する。女性には紅をさすという気づかい。本当のプロフェッショナルとはどういうことか。命じられた仕事だからではない、無念の死を遂げた人たちへ生きている者から可能な限りのことをしようという、人間としての責任感、人間愛を見る。

2001/05/11-9559
しりとりえっせい 中島らも 講談社 1993年12月15日第1刷発行
1994年12月1日第5刷発行
   毒毒度:1
“自分の中で変わったことといえば、世界に対する憎悪と呪いを多少なりとも「隠す」技術を覚えたくらいだろう。「協調性の欠如」にペンキを塗って「独創性」に偽装したのだ、とも言える”(連帯)

銀座にユニクロがあるのは大変喜ばしい。徹夜明けに着る服がなかったら即買いに走れるというわけで。しかし本日は朝着替えたにもかかわらず午後には自分の汗くささに発狂寸前、一番近いショップにてTシャツその他を購入する羽目に。虚ろな週末。C駅前がいつもの金曜と違ってブルージーな音に満ちていた。バスはいつのまにか回数券ではなく、カード化され、リップ・ヴァン・ウィンクルの気分である。明日はMEGADETHの新譜発売。7月の公演分は本日先行予約にて確保した。前回と違ってスタンディングを避け2F指定。高揚したい今日このごろ。さてしりとりで綴るエッセイはかなりきっちり字数が決められたせいか、なんだかマトモ(そうはいっても、ひさうちみきおの可愛くも怪しい絵つき)で、けっこう不満だなあ。

2001/05/06-9560
恋人たちの森 森茉莉 新潮文庫 1975年4月30日発行
1977年9月20日五刷
再再再   毒毒度:5
“その若者を見ていると、二重写しのようになって、千七百八十年代の仏蘭西の書物にある、アルファベットの林檎の枝なぞの絡んだカットが見えてくる。鵞鳥の羽のペン、羊皮紙の巻物、首を幾重か巻いて花形に結んだ白絹の襟飾り、或は又バスチィユの牢獄内の寝台、マラアの半裸身が乗り出している陶器の風呂桶、短い洋袴に徽章のあるベレを被りEgarit Libert Fraternit のプラカアドを持ったサンキュロット、そんなものが出て来る。智慧と達識のありそうなこの若者は、たしかに仏蘭西の名誉と、仏蘭西の淫蕩とを、内側に潜めて、いた”(恋人たちの森)

暗い薔薇色の襯衣に、mon amiから貰った、濃灰色と焦茶と濃い紫が花の形に絡んだネクタイをして、いる。大抵の人間のネクタイの趣味の悪さはおおむね妻や恋人のせいである。銘柄に頼るのはいけない。ネクタイの趣味に自信を持つには審美眼を持つ女友達が側にいるに、限る。
神谷敬里(巴羅)、山川京次(茘於)、伊藤半末…豪華絢爛一歩手前にしっくりはまったこのネイミングの見事さ。役者は勿論のこと、舞台装置、衣装、小道具、調度品、消えものに至るまで、解説に曰く「小説家森茉莉の、美しさを作りあげる熱狂」がふんだんに味わえる作品集。愛される美少年。情人は仏蘭西人の血をひく年かさの美丈夫。それぞれが表向きに付き合っている少女やら上流階級の夫人。少年の美しさに憑かれ割り込んで来る残酷な黒い男…「恋人たちの森」「枯葉の寝床」「日曜日には僕は行かない」の登場人物はいずれもこんなふうである。本物のロマンはリアリストにこそ創られる。

2001/05/06-9561
ペインティング・ナイフの群像 河野典生 新潮社 1974年4月15日発行
再再再   毒毒度:2
“たとえば新宿花園街の狭い路地裏、まるで気の狂った交番の連なりにもみえる赤い灯の戸口まえ、深夜、女たちの誰何(すいか)の声に首をすくめ、通り抜けて行く。
 そして、何かのぐあいで朝になると、戸口に女たちの影もなく、ただ、しらじらした朝の光をあび、思いがけないほどたくさんの、三輪車や子供車が、雲霞のように沸いているのだ”(作品4「朝」)
“飛ばない鳥に何の意味がある。見えない鳥に何の意味がある。さわることさえ出来ない鳥に何の意味があるというんだね?”(作品55「鳥のイメージ」)
“1秒1秒、おれは死んでいる”(作品62「空について」)

たしか腰巻きには「62のストレンジ・フルーツ」という言葉があったような気がする。インプロヴィゼイションのように生み出された作品集。喫茶店で、電車で、酒場で。世界とスレ違う一瞬から物語が生まれくる。少なからずジャズのフレーバーが漂う。人間のたまごだった私にとって、大人でいるとはどういうことなのか教えてくれ、少なくとも過去に3回以上は読み返している本である。たった4行の作品4「朝」や作品51「壁」には惚れさえした。大道具に自転車がよく出てくる。「自転車のある風景」と題した章にはじまり、「遠い、はるかな、何か」という最終章最後の作品「空について」は、家族が伊豆のサイクルスポーツセンターにて自転車に乗る話である。数年後、自分が自転車にとり憑かれるとは全く知らずに読んでいた奇妙な偶然に、今さらながら驚かされる。

2001/05/04-9562
朝日のあたる家IV 栗本薫 発行 光風社出版
発売 成美堂出版
1999年10月25日発行
   毒毒度:4
“透にとっては、さまざまな相手とのさまざまな性のかたちと行為があり、愛があり、にくしみや、しらけた気分や、欲情があって、生きるということがあった。良には、すべてはまるで醒めているとも眠っているともつかぬ夢のなかのようなものではないか、と思う。”
“あんたはこの世の中で一番のロマンティストなんだ。最初は巽竜二、次は島津正彦、そして今度は今西良--いつだって、あんたは、誰かそうやって、愛してる、っていう相手を探すために、長い、長い旅を続けてきたようなものなんだからな…”

前巻はやはり嵐の前の静けさだった。追い立てられるようにして横浜のホテルの一室に閉じこもった透と良…ベッドシーン付である。こんなに晴れた五月の午後に読んでいるべき話ではないのだが、引き込まれずにはいられない。つまりはその1ページがもし存在しなくともあとの99ページが実に丹念に描かれているからだ。よく読むと矢代俊一とか(『キャバレー』の主人公だ)月刊ファクトとか(『怒りをこめてふりかえれ』にも登場)さりげなく登場させている。いつ終るとも果てない物語、この巻が出てからそろそろ2年…次に会えるのは一いつになるのなるのだろうか。もしも万が一透であっても傍らに良はいない。氷入りの白ワインを飲りながらBGMはマル・ウォルドロンの「レフト・アローン」…このシチュエイションは我ながら出来過ぎ。

2001/05/04-9563
美少年学入門 中島梓 新書館 1984年6月25日初版発行
   毒毒度:2
“美少年、それは瞬間である”(年齢篇)
“生きかたにおいて美少年であるということ。本名で美しくあれること。化粧とスポットライトなしで光り輝いていられること”(姓名篇)
“オトコノコは途方もない夢をみる。それが甲子園の優勝でも、月へ行くことでも世界一周でも何でもいい。とにかく女の子がマフラーをあみ、彼にどうやって思いを伝えようかと思い悩み、ウエストを二センチへらしたくて深刻に悩んでいるとき、男の子は、空をみている(ようであってほしい)
 そういう男の子が大人になり、大人の男になると夢がしょせんは実現しないこと、自分にできるのはここまでだった、というほろ苦いあきらめを身につけはじめる。妻子と毎日の生活と、愛人と月々のローンの日々にうちひしがれてゆく。ごくたまに、その中から雄々しく立ちあがり、何もかもふりすててまたしても夢を追って行っちゃう永遠の男の子もいる。
 それはなんとすてきで、セクシイで、グッとくることであろう” (花の美中年学入門)

うちにはたしかcomic JUN(その後JUNEと改題)創刊号があるが、真性JUNE度CあるいはDの作品群のなかにあってやはり竹宮恵子、木原敏恵は別格であった。このジャンルはいまやクリスタル文庫とか言って、いいんかい?と思うような表紙で白昼堂々と平積みされているのだが、やはり世界をまるごとダマしてやるくらいの異端ぶりがないと、私は惹かれない。ご存じの通り中島梓=栗本薫はこのジャンルの先駆者。先駆ける者としての覚悟はその小説でじっくり味わえるとして、ここでは比較的気軽なJUNE連載エエッセイと、対談集、そして書き下ろしの小説『遊戯』を愉しむことができる。

2001/05/03-9564
DISCIPLE MAITRE JOEL-PETER WITKIN Marval 2000年1月発行
   毒毒度:4
ナマ本屋へ入ってはみたものの、ほぼ完徹状態の精神に響いてくる本はなかった。人並みにはほど遠いものの連休中の本をどうする? というわけでストックもの、再読ものに頼ることになりそうだ。
さてこれは新聞で公募したフリークスや買い取った死体やらで細工した写真を撮るジョエル・ピーター・ワトキンの作品集。芸術かゲテモノ趣味か。ホっと和む写真集ではないことはたしかだ。

2001/05/03-9565
朝日のあたる家III 栗本薫 発行 光風社出版
発売 成美堂出版
1991年7月5日発行
1999年10月25日第4刷
   毒毒度:2
“今になって、思うことあるよ。--やっぱりおれって本当は、一回も、本当に生きてたことなんてなかったんじゃないか--ってね”
“(なぜ--人間には、愛などというものが必要なのだろう--愛などというものがあるのだろう)
(これは一体何のためにあるのか。誰が、何ゆえにわれわれに与えたのか)
それさえなければ、性が生殖と、欲望のためだけにあったのなら、どんなにかわれわれは安らかであったかもしれないのだ”

10年ぶりに読みはじめたこのシリーズ、しかし読みかけのまま2日ほど手に取ることかなわず。世の中はGWたけなわだというのにこちとら午前9時、48時間ぶりに解放され退社。そういえば午前2時の寿司も午前4時のラーメンにも行けぬままだったのを思いだしたが、上司と二人珈琲一杯を飲む元気もなく、冷たい雨の中をとぼとぼ。
さて、筋の方は過激な展開からひとまず落ち着いている状態。人気グループサウンズレックスとして共にステージに立っていたときも、脱退してソロデビューしたものの六本木のジゴロに堕ちていく時もあれほど憎んでいた相手今西良を今は森田透が助けて、実はあれはずっと愛だったと気づいたところである(われながらなんて乱暴な解説)。作者栗本薫のこの主人公今西良(ジョニー)というイメージが沢田研二(ジュリー)にあることはファンなら常識。さらには良を守る強い男の方には、作者の実生活の旦那である某編集者のイメージが反映されていると私は見ているのだが。『翼あるもの』にしろ『真夜中の天使』にしろ美少年と年かさの男性の組み合わせという森茉莉シチュエイションが人目をはばかった時代。形態はどうあれ愛というものをこれほど真剣に書ける勇気と才気に脱帽する。

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