●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2001-10

2001/10/31-9461
銀座の酒場 銀座の飲り方 森下賢一 角川ソフィア文庫 2001年10月25日初版発行
   毒毒度:1
“一見実直そうだが、バクチや女に弱く、仕事はできるが、ついに自分の店を持てなかった、というようなバーテンダーが理想的だ”
“ある人が好む酒場は、ある意味でその人間の生きざまの鏡のようなものだ”

昭和30年代から、銀座を中心に飲んできた人であるらしい。スリルを期待したのだが、特別な収穫はなかった。なにせこちらはいきつけのバーを持たない人間であることだし。

2001/10/30-9462
グランプリ・ライダー 泉優二 ちくま文庫 1993年9月22日第1刷発行
   毒毒度:2
“レース後の一瞬の解放感のためにライダーは走っている。そして次にくる、異常な緊張感に身を震わせるのだ。生涯にこんな緊張感を味わったことがあるか、というような緊張を彼らは、毎レース味わっているのだ。麻薬だ。彼らにとっては、他の何ものにも代えられないものだ。片山も例外ではない。” (チームカタヤマ始動!)
“素質や感性という、つかみどころのないものに平は挑戦し、それを見極めようとライディング理論を限界までつきつめ、自らに与えられた素質や感性をも乗り越えようと努力し、99%までは成功したが、どうしても最後の1%に手が届かなかった”(疾走! トップ・ライダー)

「英雄」片山敬済と、「プリンス」平忠彦の、グランプリへの挑戦。勝つためには何でもすると言い切る片山。1977年日本人で初のワールドチャンピオン獲得。華やかな戦績の陰に食うや食わずの日常がある。それでも彼には絶対的な速さという自信があった。限界ギリギリまでやっている、これ以上は不可能なレベルまで自分を高めたという自信である。そして人一倍努力の人である平忠彦。準備、ライディングの積み重ね、自分の性格にあった走り、生き方を常に見せる。それでいて1986年最終戦サンマリノGPでの「キレた」走り。
週末は東京モーターショウ。夕方サーッと回って、YAMAHAブースでコンパニオンをやると言い張る(本当は開発である)友人に合う予定。

2001/10/28-9463
罅・別れの稼業 北方健三 集英社文庫 2001年10月25日第1刷
   毒毒度:2
“探偵の仕事は大抵無駄なものですよ。人間の心ってやつが無駄だと考えればね” (フローティング)
“いい眼をした男だった。やくざには、時々こういう男がいる。人を威嚇するような眼ではなく、弾き返すような感じの眼だ”(道草)
“心だけぶちのめしてくれればいいわ” (殺さない程度)

ハードボイルド連作集、探偵浅生シリーズ2作目。元商社マン。アウトサイダーである。街に詩を書いている、と女に言われ気に入っていたことを、苦い気分で思い出す。今は散文ばかりのような気がしてならないのだ。男と女のことは詩になりようもないことが多すぎる。時折、突然残酷な気分になることがある。苛立っているのは、自分自身にか。殴っているのは自分自身か。前作に比べ、殴り合いの場面多し。

2001/10/27-9464
乱調文学大辞典 筒井康隆 講談社文庫 1975年12月15日第1刷発行
1985年5月15日第22刷発行
   毒毒度:3
“小説に必要なのは「作家の考えかた」などではない。「作家の見かた」なのである”

魔の金曜日。なんでこうなるかなあ。2.5GBのデータを蹴り入れて土曜午前3時。ギックリ腰になりかけの師匠と、最終兵器にて帰宅。携帯の電源切って、はいおやすみなさい。
さて今回は筒井版「悪魔の辞典」再読。後半マンネリ化したとはいえ、このノリは見習わなければ。実は一番左の閲覧室のごくごく一部でその香りが…してるか???

2001/10/25-9465
Lines
線の事件簿
松田行正 構成・文+造本・装幀
望月澄人 ヴィジュアル・レコンフィグレイション
発行・牛若丸
発売・星雲社
1995年12月10日初版発行
毒毒度:2
“偶然かあるいは必然によって生じた微妙な彩を醸しだす線条痕は、おそらくどんなケースでも美しい”

「シロアリの採餌地下道」から「コウモリとガの対決の軌跡」「北朝鮮工作員の日本潜入ルート」などを経て「国生みイメージでつくられたカオス」まで計80の事件簿。空間を走る亀裂の緊張感。読むページは黄色地にスミ文字。図版の右ページは黒か赤かベタ白抜き。「タイタニック号の遭難信号をキャッチして救助にむかい氷山に遮られた4隻の船の航跡」が涙を誘う。

2001/10/25-9466
流線形の女神
アールデコ挿絵本の世界
荒俣 宏 編著 発行・牛若丸
発売・星雲社
1998年5月20日初版発行
毒毒度:2
“アールデコの本質は、すべてがファッションであるということです”

アールデコ期の絵本コレクション。ポショワール刷り(ステンシル刷り)の手法による絵入り本とファッション風俗雑誌の美しさ。メランジェやぬのがみ多用で、松田行正の手になる造本もこれまた美本仕上げ。古の雑誌に見立てて薄く色付けした断ちの部分など、凝りようがただごとではない。単なるシゴト本にあらず。

2001/10/24-9467

夢想と現実のモニュメント
澁澤龍彦 河出文庫 2001年10月20日初版発行
毒毒度:2
“おそらく城とは、何よりもまず、専制君主の夢想のための場所なのだ。権力意志を一点に集中するための場所なのだ”

城フェチ(カステロフィリア)澁澤せんせーが思いの丈を綴る。大スキなのは幻の安土城とラコストのサド侯爵の城であったとか。何らかの喪失感が、城への執念を生んでいる。

2001/10/24-9468
東京 夜の街角 安住孝史 河出文庫 2001年10月20日初版発行
毒毒度:-2
“僕は美しい山や川の景色よりも、何げない日々の中の風景が好きだ。人間の営み、人に対するいとおしみが絵を描く出発点だと思っている”

HBの鉛筆1本あればいい。潔さと眼差しの温かさ。それにしても不思議なスケッチである。すべて夜の風景なのだ。画家を志し、銀座でサンドイッチマンなどをして、1970年初個展、芸術新潮にもとりあげられパリに学ぶ…しかし家庭の事情で絵筆を折り、タクシーの運転手専業となる。1978年に雑誌に連載をはじめ、好評をもって迎えられる。1984年より画業専念。そういう数奇な人生だが、よほどよい人たちに恵まれたのだろう。人間への愛おしみにあふれた画文集。

2001/10/23-9469
ジャズ小説 筒井康隆 文春文庫 1999年12月10日第1刷
毒毒度:3
“さっきからキイボードの横でヴォーカルやってる奴がいるんですがね。あれ、もしかしたら、ライオンじゃないかと思うんですが” (ライオン)

ミュージシャン路線一直線! ホラー、ファンタジー、ショートショートがある。ズージャの世界も、書き尽くすということがないほどなんでもアリの世界らしい。筒井康隆という人は芝居好きとは思っていたが、ありとあらゆる楽器をもこなす。フリージャズだからといって基礎をないがしろにはしない性分だとか。なるほど、この短編集は即興演奏のようにみえて綿密なスコアが影にあるのだ。個々の作品のディスク情報も懇切丁寧だが、圧巻は山下洋輔氏による解説大作65枚。

2001/10/22-9470
狂熱のデュエット 河野典生 角川文庫 1973年11月30日初版発行
再再再再…   毒毒度:4
“幻でない現実をいま見せてやる。
 これは地獄から這いあがろうとする男の声だ。おれの声で、何の装飾もないこの店に、ありとあらゆる音の色彩を塗りたくり、飾り立てるのだ”

中島らもの「えびふらっと・ぶるうす」がきっかけで、ミュージシャンものに奔る。1960年から1972年までに発表された、河野典生のジャズ小説集。何度も読み返し、フレーズもほとんど暗記している状態。ほとんどソロだった私からすると、バンドの音のせめぎあいというやつには憧れるのだ。

2001/10/21-9471
終わりのないラブソング8 栗本薫 角川ルビー文庫 1995年12月1日初版発行
   毒毒度:3
“ハッキリいうけど、あんたと竜ちゃんには未来はないよ。ヤクザの男とホモじゃないのに男を好きになちゃった男の子とじゃ…心中にも演歌にもおカマにもなんにもなりゃすまい。だけど竜ちゃんは変らないだろう。けどアンタが女になって竜ちゃんのバシタやるわけにもゆかないんだよ。あんたたちには未来はないんだ。…だからさ。--だからあんたが捨ててゆくんだよ。…竜ちゃんじゃない”

最終章。竜一と生きていく、と誓った二葉。互いがその人だから好きになる…この領域はたしかに倫理学だな。大学の講議に出なくたって、こういう重要なことを学べるんだってこと、子供たちはわかってるんだろうか。
全身疲労のため、スポーツ紙を買いに出た以外一日寝て暮らす。アイスクリームなんか食べて、これじゃまるで病人。そういえば、明日から読む本がないのだった。

2001/10/20-9472
寝ずの番 中島らも 講談社文庫 2001年10月15日第1刷発行
   毒毒度:4
“そして、おやっさんは、途中でゆらりとマイクの前に出ると、サックスを吹いた。誰に似ているとか、うまいとか下手とか、そんな次元の音ではなかった”(えびふらっと・ぶるうす)
“おれの人生は破れている。その破れ目の中にアルコールがすいすいと入っていく。もしできることなら、その破れ目におれ自身を放り込んでみたい”(グラスの中の眼)

打ち上げ→直帰の夢破れ、新橋のナマ本屋に寄る楽しみが奪われた。東銀座の交差点、信号が赤の合間に速攻で購入。明日の楽しみにとっておこうとしたが、ついうっかり読みはじめて止まらなくなってしまう。噺家一門の、あることあることを綴ったとおぼしき「寝ずの番」3部作はもちろん笑えるが、らも版『キャバレー』の「えびふらっと・ぶるうす」と、ギューカイ人のあることあることを綴ったと思われる「グラスの中の眼」のホロ笑いホロ泣き加減が好きだ。

2001/10/20-9473
終わりのないラブソング7 栗本薫 角川ルビー文庫 1995年2月1日初版発行
   毒毒度:3
“お前は絶対に、自分の心のままにしか生きられねえ。そういうようにできているんだ。俺にはお前を制服できない…暴力をふるおうが、どれほど愛してようが、それでお前を自由にはできない。お前の--お前の魂は金でも力でも買えない。……俺が好きなのはそこなんだってことをよく覚えとけ。”

時速200ページの快毒書で、ビッグサイト入り。展示会も、一番の人出が予想される最終日。連日会社のプリンタサーバ壊れて修復しに戻ったり、1週間凍結していた下版が一気に開花して金曜は終電だったりもしたが、本日こそは直帰の予定。しっかーし! スタッフ以外は展示会研修とのおふれが出ていたにもかかわらず欠席者続出で、ボス大激怒。前日倉庫泊のためチェックのシャツに会社置きのチェックのジャケットと柄タイという強引なコーディネート(キミはジェフ・ベックか?)で来場していた師匠は、会議へととんぼがえり。展示会人生をまっとうしようとした私も、会社に呼ばれるはめになる。打ち上げ→直帰の夢破れたり。窮屈なスーツ姿で結局Macに向かうのであった…。

2001/10/19-9474
終わりのないラブソング6 栗本薫 角川ルビー文庫 1994年5月1日初版発行
1994年6月10日再版発行
   毒毒度:3
“ぼくたちの子供が存在しえないのはおそらくいい、正しいことなのだ。ぼくたちはこのぼくたちの愛の存在そのものでもって、長い長い虐待された子供たち、殺される子供たちの列をぼくと竜一で断ち切ることができるのだから。もし本当にすべてがものすごく素敵にいって、ぼくと竜一とが本当に愛し合って一緒にいられたとしても、それでどちらかが死を迎えたときにはもう、何もかもが消滅してゆく”

幼児虐待、近親相姦…実はあらゆる困難を強いられた子供たちの物語なのである。吉田秋生の挿し絵さえのぞかれなければ、通勤電車での毒破も可。ビッグサイトにはナマ本屋があろうはずがなく?このシリーズを読み続けていくことになりそう。美少女奈々さんの教えの通り、「なるようになる、なるようにしかならない」のだった、人生は。

2001/10/18-9475
終わりのないラブソング5 栗本薫 角川ルビー文庫 1993年6月3日初版発行
1993年8月20日3版発行
   毒毒度:2
“ぼくたちは肩をよせあい、ぴったりとからだのぬくもりを感じながら、ひきはなされるまで二人で終わりのないラブソングを歌い続ける。ひきはなされてもこんどは別々の場所で互いのために歌い続ける。これでいい--こうしているほかはないのだとぼくは思った”

へこたれた一日の終り。足をひきずり終バスへ乗り込むと、「発車まで1分ほどお待ちください」と思いがけず爽やかな女声のアナウンス。最近女性のタクシードライバーや女性の駅員さんも珍しくなくなったが、バスの運転手さんというのは初めてである。うーん、セクハラかもしれないけど、なんだか健気で感動する。降りる時ちらっと見る。(ありがとう、頑張っているんだね)長い髪に帽子をまっすぐ被った彼女は、目をキラキラさせて、アイドリングストップから元気よく終点目指して走り出した。今日の天使がそこにいた。

2001/10/18-9476
魔界の刻印
グイン・サーガ第81巻
栗本薫 ハヤカワ文庫JA 2001年10月15日発行
   毒毒度:2
“あなたがもし、グインと会ったらそれで望みがかなって死んでしまう、などといわれるのなら、私は、この手で邪魔してでもお会わせしませんよ! ナリスさま!”

アルド・ナリスのカレニア政府へ加担しようとするイシュトヴァーンへ、レムスは死者の軍勢をぶつける。中原の平和のためにだけ動こうとするグインは、レムスとの会談に臨み、ついにレムスの正体を知ることとなる。魔の巣窟と化したクリスタル宮へと、レムスはグインを導くのだった…。リハビリならこのシリーズ。久々アルド・ナリスからグイン、イシュトと、オールスター出演の巻。

2001/10/17-9477
傷心 デイヴィッド・ハンドラー
北沢あかね 訳
講談社文庫 2001年6月15日第1刷発行
   毒毒度:3
“きちんとした捜査をイカれたヒステリックな混乱状態に陥れる上に、ひとつ間違えば全員が死んじまうような策を弄する。しかもその尻拭いを誰に押し付けると思う?”

疲労困憊ではあるが、電車にひたすら乗っているおかげで毒書は絶好調である。皮肉なものだ。皮肉と言えばホーギー&ルルのこのシリーズは毒舌、皮肉の応酬。シリーズ第7作。元妻メリリーと娘トレーシーと共に田舎暮らしをしているホーギーのところへ、師匠ともいうべきソア・ギブスが訪ねて来る。こともあろうに、義理の娘、53歳年下のクレスラと駆け落ちしてきたのだ。クレスラの自叙伝を書く手伝いを依頼されたホーギー…なにやらスキャンダラスな事件の香りがしてくる。犯人探しはそれほどスリルなし。いつもながらエキストラで出演する実在のスター達おつかれさま。何にも増してホーギーとメリリーの会話の可笑しさ絶好調、古のドラマ『ルーシー・ショー』や『じゃじゃ馬億万長者』『パートリッジ・ファミリー』なんかで育ったハンドラーらしい。作者自身の脚本でドラマ化されるといいんだけど。

2001/10/15-9478
終わりのないラブソング4 栗本薫 角川ルビー文庫 1992年12月3日初版発行
1994年11月20日9版発行
   毒毒度:3
“生きとし生けるものすべてが生まれながらに知り得ているその最後の秘密。
 それを見つけるために、ぼくたちみんななんと遠回りをしなくてはならなかったのだろう。
 だがそれは悪いことじゃない--あまりにも遠回りをしたけれども、その分かえってぼくたちはとことん真実に近づくことができた”

そして愛する者たちは、激流のなかで互いを見失う。誰の助けも借りずに、愛する竜一のもとへたどり着こうという村瀬二葉の誓いは果して実現するのだろうか。
ごくごく内輪にて慌ただしく打ち上げ。明日からは週末まで展示会常駐。半年椅子で暮らして展示会、さらに3ヵ月椅子で暮らして展示会…よろしくないぞ、これは。

2001/10/15-9479
終わりのないラブソング3 栗本薫 角川ルビー文庫 1992年3月1日初版発行
1993年7月30日9版発行
   毒毒度:2
“人間てものは、そこまで人を愛し過ぎちゃ、いけないんだよ……愛し過ぎる、好きになりすぎるってのは、あんまり苦しい、悲惨な、気だって狂うようなことなんだよ”

amazon.co.jpにてまとめ買いしてあったシリーズにふたたびとりかかる。たしかにセンセーショナルな展開であるが、テーマは愛以外のなにものでもない。人類の誕生から未来永劫、生きているうちにはひとが答えを決して得られないことなのだ。

2001/10/14-9480
終わりのないラブソング2 栗本薫 角川ルビー文庫 1991年9月1日初版発行
1994年11月20日14版発行
   毒毒度:2
“愛しあうために本当は何ひとつ必要ではないのだ。”
“それはまるで海の水が、かき立てられた濁りが消えてすみわたると、その底が見えてくるようにだ。ひとと人が恋におち、愛しあうのは、何というか互いの心--魂のかたち、というのか、においというのか、そんなものさえあればいいのだった”

出動要請待ち。しかも明後日からは展示会常駐を命じられている。またビッグサイトだ。前回酷い目に合ったものだが、今度は倍の日数。遠いし、飯はまずいし、しかも窮屈なスーツ姿。直行も直帰も許してはもらえなさそう。ま、電車に乗る機会だけは確実に増えるので、毒書ははかどるかも。そうだ、知らぬまに出ていたハンドラーのホーギーシリーズをどこかで手に入れよう。

2001/10/13-9481
「エルサレム亭」の静かな対決 マーサ・グライムズ
山本俊子 訳
文春文庫 1988年12月10日第1刷
   毒毒度:2
“三十代後半か、とジュリーは思った。服装に気を遣う女らしい。おそらく、二十歳のときよりも今のほうが美しく見えているにちがいない。その顔は、ジュリーがいつも美しいと思うタイプ、悲しみと悔恨とが墓地の彫像のように刻みこまれた顔であった”
“この女を見て、教会のことを思わないではいられない、とメルローズは思った。その一方、彼女がテーブルからクリスマス・ローズを摘んだことは、アーサー・ラッカムの描いた、デリケートな翼をキュー王立植物園の上ではばたかせている透とおった妖精を思い出させた”

クリスマスまであと5日というその日、リチャード・ジュリー警視は墓地で、ひとりの女性と出遇った。しあわせでない理由を訊きだそうと誓ったジュリーだったが、その次に会ったとき、彼女は死体になっていた…。
久々ミステリイ。ひいきのパブ・シリーズ。イギリスらしい詩心、ユーモア、辛辣さが見隠れ。毎度のことながら美しい女性、子供、動物の描き方は抜群である。イギリスのパブに行ったこともないし、イギリスの貴族なんかに会ったこともないのに、イメージが作者の描写力によって的確に形づくられていく興奮。それにしてもイギリス貴族は大変。爵位を返上してしまったメルローズ・プラントの気持ちがわかるような気がする。ラストに実現した「エルサレム亭の静かな対決」は、プラントからの粋なクリスマスの贈り物というわけだ。 

2001/10/10-9482
巨人がプロ野球をダメにした 海老沢泰久 講談社+α文庫 2001年2月20日第1刷発行
2001年9月13日第3刷発行
   毒毒度:1
“今年のジャイアンツの敗北が、今後のプロ野球の希望となることを願ってやまない”(ジャイアンツの敗北は球界の希望 95・10・3)

6年前の、海老沢のこの言葉再び。スワローズ4年ぶりのリーグタイトル。結局この10年で、カネにもの言わせようとしたジャイアンツよりも、優勝回数において勝ったことを、スワローズファンとしては誇りに思う。
海老沢といえば名作『監督』の作者であるが、実はもともと長嶋ファン(もちろんプレイヤー時代の)、そしてチームそのものが強くあるべく前進していたころのジャイアンツを愛していた。しかし、強くも、紳士でも、アメリカ野球を追いこそうともしなくなったジャイアンツに失望。その失望は年々深くなりこそすれ、希望に転じることは決してない。ジャイアンツが抱えてきた矛盾「長嶋茂雄」が、長嶋監督を辞め、事態は好転するのか。
私たちは「普通の野球場」での野球らしい野球が見たい。応援するのに笛や太鼓は要らない。ミットにおさまる球音、スイングとヒッティングの瞬間、目が離せないようなプレーの連続に拍手と声援を送りたいのだ。プライドと野球への敬意をもったゲームが見たいのだ。2001年の日本シリーズが20日からはじまる。

2001/10/09-9483
20世紀SF(6)
1990年代 遺伝子戦争
イーガン/シモンズ 他
中村融/山岸真 編
河出文庫 2001年9月20日初版発行
   毒毒度:3
“Cビューで猛烈なサージが発生して、〈アメリカン・ミッドナイト〉に出演していたホログラムが暴走した”(真夜中をダウンロード)
“生徒たちがノートから顔をあげると、その目には一様に、ある表情が浮かんでいた。みんなはそろって、世界が不変ではないことに気づきはじめたのだ” ( ケンタウルスの死)

旧訳にも手を入れてあるこのシリーズはとても読みやすい。3〜5を飛ばして6にとりかかる。ひたすらせつない「しあわせの理由」(グレッグ・イーガン)、あの超大作『ハイペリオン四部作』がどうやって生まれたか納得できる「ケンタウルスの死」(ダン・シモンズ)。これだけでも買いでしょう。世界がSFと化した後で、一体SFにアイデンティティを与えるものがあるのか? そう、文学の形態をとる限り、もはや他のジャンルとの境界線は定かではない。歴史と現象のリミックス。いつかどこかで聞いた話。理系でない私でもついていける作品群。ジャパニメーションおたくらしい「マジンラ世紀末最終決戦」(アレン・スティール)も、「真夜中をダウンロード」(スペンサー)、SF版トラック野郎「平ら山を越えて」(テリー・ビッスン)も結構好きだが…SFに未来はあるのかは…。

2001/10/02-9484
敗れざる者たち 沢木耕太郎 文春文庫 1979年9月25日第1刷
1990年3月15日第20刷
   毒毒度:2
“生まれてから今日この時まで、お前が追いつづけてきた相手のすべてが、目の前にいるのだ。さあ、決着をつけようではないか。〈たった一度〉のこの時に〈追いつき〉〈追い抜い〉てやるがいい。その時、お前の追いつくだけの人生はかわるのだ。”(イシノヒカル、おまえは走った!)
“誰もが勝つと信じていなかった試合に、震えるような勝利を収めた輪島は、しかしリングの上でファンに抱きかかえられながら、まるで地獄の旅から生還した幽鬼のような顔をしていた。そうなのだ。彼は幾多の恐怖を乗り越え、乗り越えしながら、今、やっと彼自身を信じることができたのだ” ( ドランカー〈酔いどれ〉)

今さらなのだが読んでみる。はじめて触れた沢木耕太郎作品といえば朝日新聞の連載『一瞬の夏』である。燃えないボクサーの話が当時はピンと来なかった印象があった。世界最高タイムで優勝した高橋尚子という完璧な勝者をテレビで見てしまったあとで、ここに記された物語たち(特に「長距離ランナーの遺書」)を読み終えるのは、なんだか不思議な気がする。同じスポーツマンでありながら、自分との闘いを強いた者でありながら、あまりにもあっけらかんとスポーツの毒をも楽しみに変えてしまう高橋尚子の凄さが印象的すぎたのだ。

2001/10/01-9485
ヴァンパイア・ジャンクション S・P・ソムトウ
金子浩 訳
創元推理文庫 2001年9月28日第1刷
   毒毒度:1
“ぼくが愛と死の交差点(ジャンクション)だっていう事実さ”

天使の容貌と天使の声に、世界中のティーンイジャーが熱狂するロック・ミュージシャン。しかしてその実体は自らの歌そのままのヴァンパイア。あるときは邪悪な子供、悪夢の怪物、狼の魔物、死者の目をした少年として、ポンペイの阿鼻叫喚から、1918年のケンブリッジ、現代のニューヨークからアウシュビッツの死体置き場へ…2000年もの夜をさすらうティミー・ヴァレンタイン・シリーズ第一弾。
ヴァンパイアのロック・スターといえばアン・ライスの『ヴァンパイア・レスタト』があまりにも有名。しかし発表はこの『ヴァンパイア・ジャンクション』の方が1年早い。わが国では16年も未訳だったわけだ。この16年はイタイ。その間にレスタトはどんどん有名になるし、ナンシー・コリンズの『ミッドナイト・ブルー』シリーズやキム・ニューマンの歴史超大作『ドラキュラ紀元』も出て、ホラーというよりもダーク・ファンタジーのヒーローとしてのヴァンパイア・イメージが既に定着してしまっている。ユング心理学を持込んだあたりはユニークなのだが、残念ながらそれだけに終りそう。訳者は、萩尾望都『ポーの一族』のエドガー・ポーツネルを思わせるとあとがきに書いてしまっているけれど、おっと、そいつは違うぞ。似ているところといえば主人公が美少年であることと、成熟せずに不死者となってしまったがゆえ、ひとっところに何年も居られないという点だけだ。12歳という設定も幼すぎてイマイチ。吸血鬼ハンターたちに魅力なし。新しいところではジル・ド・レエが出てきちゃって「ジャンクション」度が増すが、ラスト近くはキング『呪われた町』やマキャモン『奴らは渇いている』のクライマックスを思わせるし、やっぱり「遅すぎた」少年の悲劇というところか。

 (c) atelier millet 2002
contact: millet@hi-ho.ne.jp