2001/11/28-9441 |
開高健の博物誌 |
開高健 解題・奥本大三郎 |
集英社新書 |
2001年11月21日第1刷発行 |
毒毒度:2
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“真の悦楽には剛健の気配がどこかになくてはいけない”(「私の釣魚大全」)
“言葉を眺めることに疲れてくると私は猫をさがしにたちあがる”(「猫と小説家と人間」)
“耐えに耐えた果てに激情が炸裂した場景に出会ったようなのである。すぐうしろに荒い波。暗い沖。さらされきった砂丘。ひくい空。くもった夏の日に赤いハマナスの群落を海岸で見ると、いつでも、一歩たちどまりたくなる。いちめんに血が流されている。それもたったいま流されたばかりである。まだ乾いてもいず、転化もしていず、腐ってもいない。濡れぬれとし、うごき、ゆれ、危険なほどいきいきと輝いている流血現場である”(「眼ある花々」)
“男たちがほんとに夢中になれるのは遊びと危機だけだとニーチェがいったが、遊びを追っていけばきっと危機が登場するし、危機と対峙するこころのなかにはきっとどこかで遊びが顔を明滅させる”(「新しい天体」)
潔い。スリリング。花々の妖気。虫の可憐。魚の艶かしさ。執拗な描写はあるが、うざったくならない。生き物の一瞬を切り取る手際のよさ。さすが釣り師。 |
2001/11/27-9442 |
壁画修復師 |
藤田宜永 |
新潮文庫 |
2001年10月1日発行 |
毒毒度:-2
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“壁画を修復できる人でも、人の関係まで修復できんよ”
毒読初お目見えの作家。奥さん(小池真理子)の毒にはよくお世話になっている。フランスの片田舎、林檎の産地でひっそりと活躍する日本人、まんま田窪恭治氏を思わせるような主人公。田窪氏は礼拝堂をよみがえらせたが、この主人公アベはフランス文化省の依頼を受け、各地でフレスコ画を修復している。そして神父(アベ)のように、土地の人々の話に耳を傾ける。というより、異邦人であるアベにだけは不思議と誰もが真実を語っていくのだ。どのエピドードもほどよくミステリアスでほろ苦い。 |
2001/11/25-9443 |
暗鬼 |
乃南アサ |
文春文庫 |
2001年11月10日第1刷 |
毒毒度:3
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“私達は、みぃんな、家族なんだからねえ”
怖。血を守るために。家族という名の宗教。洗脳の仕方を知りたければ読みましょう。やっぱり悪意やグロは女性作家に任せるのが王道とは思うけど、こういう毒は性に合わん。
連休中日、読む本がないので、キオスクで買って出勤。撤退目標時間は午後3時半だったが、実際の会社脱出は12時間遅れ。最後はエネルギー切れでシグナル点滅状態。こんな時間に帰られても迷惑とは思うが、とにかく今は家で寝たいのだった。タクシーに道順を説明できないほど疲労困憊していた師匠はさてどうなったことやら。 |
2001/11/23-9444 |
有限と微小のパン
THE PERFECT OUTSIDER |
森 博嗣 |
講談社文庫 |
2001年11月15日第1刷発行 |
毒毒度:0
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“私たちみんなが、おもちゃなんだわ”
日本最大のゲームソフトメーカー「ナノクラフト」が経営するテーマパークに招待された西之園萌絵。ナノクラフト社の社長塙理生哉は実は萌絵の元許婚者。彼はお姫様を迎えるためにテーマパーク内に教会まで作って待っていた…。話題のゲームソフト「クライテリオン」の秘密とは? 天才・真賀田四季博士はどこにいるのか? 犀川&萌絵シリーズ完結。850ページ超。半端な辞書ほどに見た目は厚いが、薄い。毎回私でもわかる密室トリックのため、悩まずに読み進められる1冊である。人間の悪意を描かない。理系な会話。突然詩的。どろどろチクチクの英国ミステリイで鍛練している私には、毒ではない。今日は勤労できることを神様に感謝しつつ働く日。明日も仕事、ことによったら明後日も? |
2001/11/20-9445 |
アメリカン・タイム |
ボブ・グリーン
菊谷匡祐 訳 |
集英社文庫 |
1993年11月25日第1刷 |
毒毒度:-3
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“異端者なんかじゃありません。ただ、いい音楽が好きな男だってことです”
“大事なことは、つねに勝つことじゃない。大事なことは、つねに希望を持つということなのさ”
アメリカ的でもあり、そうでもなし。8歳のファミリー・ニュース編集長、11歳のプレスリー狂、ブロンドの女性操縦士、自前の搭乗音楽をかけるパンナムのパイロット。小さなできごとが絶妙なコラムになる。ボブのコラムが人を動かすこともある。冗談のつもりが全米のアイドルを生んでしまったり、行方の知れなかった人が見つかったり…。「死の訪れる夜にしてなお、希望は星を眺め、ささやかれる愛の言葉は翼のはばたきを聞く」取材記事の言葉がウッディ・ヘイズの記念碑に刻まれたというエピソードを綴った「新聞記者の仕事」が一番泣けるか。 |
2001/11/19-9446 |
トライアル |
真保裕一 |
文春文庫 |
2001年5月10日第1刷
2001年6月5日第3刷 |
毒毒度:-1
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“後ろ向きになるにはまだ早すぎるぞ”
競輪、競艇、オートレース、競馬…レーサー(そして騎手)を描いた異色の作品集。ギャンブルの世界ならではの誘惑あり、世のしがらみあり、ほのかにミステリイタッチである。訳ありの厩務員が登場する「流れ星の夢」は高倉健主演でいけるかも。 |
2001/11/18-9447 |
宇宙船ビーグル号の冒険 |
A・E・ヴァン・ヴォークト
沼沢洽治 訳 |
創元推理文庫SF |
1964年2月5日初版
1969年9月26日15版 |
再再 毒毒度:2
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“熱線銃を手にして、卵のひびが広がってゆくのを見つめていた。醜悪な、丸い、まっ赤な頭が突き出した。小さなガラス玉にような目が輝いて、口が耳もとまで裂けている。ずんぐりとした首をひねると、燃えるような目玉が人間たちを、恐ろしい光を放ちながらにらみつける。あっというまに、この小動物は立ち上がり、容器の壁をよじのぼろうとしたが、なめらかな表面がこれを妨げた”
SFファンとはいいがたい。SFの古典と呼ばれるものは実は読んでいなかったりする。好きなSF作家はといえばダン・シモンズ、レイ・ブラッドベリ。SF作家としてのアシモフよりもミステリ、ホラーのアンソロジストとしての方がなじみ深い。そう言えばホームズものは嫌いだし、クリスティはほとんど読んでいないのでミステリ・ファンともいえないか。ちなみに創元推理文庫での購入順は『宇宙船ビーグル号の冒険』『怪奇小説傑作集』『ローマ帽子の謎』である。当時はホラーというジャンルはなくて一般的に「怪奇と幻想」と呼ばれていたように思う。
久しぶりに再読。以前にも書いたが、このSFを読んだきっかけは少年マガジンかサンデーの巻頭特集で水木しげる描くところの「怪物ケアル」に一目惚れ?したからである。ケアルもさることながら、三番目に登場するイクストル編では、怪物が寄生主にすべく乗組員たちを一人ひとりさらったり、ダクトの中に隠れていたり、特に引用した部分などはまんま映画「エイリアン」の一シーンではないか。やっぱりホラー系を好む現在の毒書傾向は芽生えの時点ですでに確立されていたということだ。
明日未明、しし座流星群が見られるらしい。八ヶ岳にはほど遠いが、今晩は都会ではないところにいるので、もしかしたらチャンスがあるかも。 |
2001/11/14-9448 |
トニオ、天使の歌声(下) |
アン・ライス
柿沼瑛子 訳 |
扶桑社ミステリー |
2001年10月30日第1刷 |
毒毒度:3
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“カストラートになるための必須条件は単純な、ものを考えない存在になることだった--だが、それはまさしく彼の、そしてかつての彼自身の死を意味していた。これから先彼はずっとこの二つに引き裂かれていくことだろう”
“暗闇よ、暗闇よ。彼はほとんど愛情をこめてつぶやいていた。お前は僕を見えなくしてくれる。お前にまぎれて、僕は自分を男でも女でも去勢者でもなく、ただ生きている存在だと思い込むことができるのだ”
異形の者の悲しみ。カストラートの愛と孤独の物語。歌うことを愛する天使の顔と、兄カルロ(実の父)への復讐に燃える悪魔の顔…トニオの中には完璧な双児が棲んでいるのだ。当代きってのカストラート、ベッティチーノとの競演で華々しいデビューを飾るトニオだが、従姉からの手紙で母と兄の結婚、子供の誕生を知らされる。一方のトニオがその容姿と歌声でローマ中を魅了しているさなかにも、トニオのかたわれはカルロへの復讐の炎をたぎらせる。マエストロ・グイド、カルヴィーノ枢機卿、女流画家のクリスチーナ…どんな形の愛をもってしても、トニオの憎悪を止められないのだ…。
トニオの顔はそう、萩尾望都描くところのエーリクが、はまるかもしれない。アン・ライスって本当にどこで萩尾望都の絵を見たのだろうか? |
2001/11/13-9449 |
トニオ、天使の歌声(上) |
アン・ライス
柿沼瑛子 訳 |
扶桑社ミステリー |
2001年10月30日第1刷 |
毒毒度:3
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“そう、これだったのだ。これこそみなが噂していたことなのだ。ほかのものすべてが弱々しく聞こえてしまうほどに力強く、完璧に調律された人間楽器”
“もはや彼は存在していなかった。彼は声そのものになったのだ。小さな部屋は暗闇に包まれていた。蝋燭が、彼の目の前にある楽譜のなぐり書きのような音符に揺らめく光を投げかけていた。彼が耳にしている声はとうていこの世のものとは思われず、彼の頭のなかで形のない偉大な光がぼんやりとひらめき、彼をほとんど恐怖におとしいれた。それでも彼は歌い続けた。いつまでも”
18世紀のヴェネツィア。貴族の世継ぎトニオは、天使の声を持っていた。何不自由なく、小さな紳士の道を歩んでいた彼だが、父の死後、追放されていた兄カルロの帰還により運命の波に翻弄されていく。精神を病みつつある母への想い、カフェの娘との逢瀬、従姉との嵐のような抱擁…。やがて兄カルロの恐ろしい陰謀でトニオは去勢され、音学院へと去らねばならなくなる…。
アン・ライス初期の作品である。兄(実は父)の陰謀によりカストラートとしてしか生きられなくなった少年の苦難の道矩。実在のカストラート、カッファネッリも登場し、絢爛豪華な貴族の館から、ドレスの襞のひとつひとつ、光と影に彩られたイタリア独特の空気、夜の匂い、水の匂い、欲望の匂いまで丹念に、執拗にあらわすアン・ライスのイマジネイションとテクニックに読み手はどんどん導かれてゆくのだ。 |
2001/11/11-9450 |
HEMINGWAY 65 CATS |
和田 悟 |
小学館 |
1993年12月20日初版第1刷発行 |
毒毒度:-2
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“三食昼寝名前つき”
ヘミングウェイ家の猫。といっても、写真に撮られているのはパパ・ヘミングウェイが愛した猫たちの末裔。キーウエストのヘミングウェイ邸は、今ミュージアムとして一般開放されているが、猫屋敷状態である。お洒落なケーリー・グラント、愛らしいマリリン・モンロー、精悍なエドガー・アラン・ポー、「招き猫」マーク・トウェイン、唯一のよそ猫ウォールキャット…。65匹の名前の由来、顔写真つき。 |
2001/11/11-9451 |
海のアリア2 |
萩尾望都 |
小学館文庫 |
2001年9月10日第1刷発行 |
毒毒度:-3
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“ぼくがきみより先に死んだら ぼくに歌を歌ってくれないか”
アリアドは、ベリンモンが入り込んだアベルを、楽器として共鳴させることができるのか? 封印されたナイト・メアの記憶は? あの原始惑星で、アリアドとライバル・ダリダンの間になにがったのか?
実は『半神』であり『アロイス』であり『トーマの心臓』であり『十一月のギムナジウム』であり『銀の三角』であり『マージナル』であり『赤っ毛のいとこ』であったりする。萩尾ワールド。 |
2001/11/10-9452 |
海のアリア1 |
萩尾望都 |
小学館文庫 |
2001年9月10日第1刷発行 |
毒毒度:-2
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“ぼくたちはもとどおりにならなかった
船を出した八月の朝から ぼくたちは
はるか遠くへきてしまったのだった”
ヨットの事故で行方不明になった音羽アベルは半月後に還ってきた。記憶を喪失し、以前にはなかった音楽の資質を持って…。音楽教師アリアドは言う、「わたしはフィーリングプレイのプレーヤー。きみはベリンモン、わたしの楽器だ」と。
萩尾望都を読んでいたからこそ、SFに対処できるのではないかと思うときがある。たとえば『ハイペリオン』『ゲーム・プレイヤー』を読むときに想像する絵は、萩尾望都の描くキャラ、背景なのだ。悠久の時、全宇宙をたった1ページで表現できてしまう力。少女漫画だからこその自由。意外なジャンルの作品が実は萩尾望都作品へのオマージュだったりするのがわかるような気がする。 |
2001/11/10-9453 |
とらちゃん的日常 |
中島らも |
文藝春秋 |
2001年10月30日第1刷 |
毒毒度:-3
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“もし物を書いていなかったとしたら、おれはただの半病人のゴロツキだったろう。こんな人間が神聖な生き物である猫を飼っているということがそもそもおかしい。その資格に欠ける。無理がある。ふらちである。そんなじくじたる気持ちで、おれはとらちゃんに接している”
ついに来たのか、およそ悪業(本人によると殺人とレイプ以外すべて)の限りを尽した中島らもが猫に遊んでもらう日が。古くからの「らも」ファンはどう感じているのか知りたいところだ。それにつけても、とらちゃんは可愛い。美猫である。カメラ目線も、ただの尻尾も、耳だけでもいちいち可愛い。こりゃーメロメロになるわなー。歯医者の待合室で一気読み。とらちゃんカラーの装幀も可愛い。 |
2001/11/09-9454 |
帰ってきた紋次郎
最後の峠越え |
笹沢左保 |
新潮文庫 |
2001年11月1日発行 |
毒毒度:2
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“死ぬときがくりゃあ、生きていたくともそうはいかねえ。たとえナマスに刻まれようと野垂れ死のうと、それまでは生き続けるのが渡世人ってえものじゃあねえんですかい”
1971年からのこのシリーズは計百十三編。いよいよシリーズ最終作なんだそうな。渡世人の足の運びのごとく無駄なく歯切れのよい文体は相変わらず。情景描写の筆も冴える。中年になった紋次郎は多少とも情をのぞかせて去っていく。終わりのような終わりでないような。峠はいくつでも越えることになる。 |
2001/11/08-9455 |
ラム・パンチ |
エルモア・レナード
高見浩 訳 |
角川文庫 |
1998年3月25日初版発行 |
毒毒度:1
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“おめえも男だったらな、いったんこうと決めたら、とことんやるんだよ、途中下車したりしねえで。ハジキが必要なら、それを使うんだ。おっ死ぬのは相手か自分か、って場合も同じことよ”
男が迷っていると女は言った、57歳にもなって、自分の本当の気持ちがわからないなんて信じられない。少なくともあたしは、自分の望みってものがわかっているわ。いらっしゃい、この現実から遠く離れたとこへ連れてったげる、あたしがね。
タランティーノが憧れの女優パム・グリアーを起用した映画「ジャッキー・ブラウン」の原作。犯罪小説だが、武器の取り扱い説明書が読めなくてドジふむチンピラやら、女にしてやられる大の男やらがごったがえしていて、結構笑える。場面の変わり目は、たちの悪いジョークで彩られていて、なるほど映画的。ええい、いまいましい、徹夜である。例によって出力センターへデータをブチ込み、待ちの間に深夜営業の寿司店へ行く。実は直前に課長昇格が判明したばかり。命がけのロールプレイングゲームは意外な展開。さらに厄介ごとをしょいこむのかと思うとユーウツではあるが、とりあえず乾杯なのか。いいんだな、乾杯で? |
2001/11/05-9456 |
初期短編集II
セバスチャン |
松浦理恵子 |
河出文庫 |
1992年7月4日初版発行
1995年5月20日8刷発行 |
毒毒度:2
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“あなた、もっと人間を嫌いになるべきだ。意地悪く、偏執して絵を描くんだよ”
残酷な女友達に魅かれ、片足の不自由なロック少年が気にかかる。あなたが欲しいとは決して口にしない。痛々しい。このひとことにつきる。心の異形、畸形であること。 |
2001/11/05-9457 |
ストレンジ・ハイウェイズ1
奇妙な道 |
ディーン・クーンツ
田中一江訳 |
扶桑社ミステリー |
1999年5月30日第1刷 |
毒毒度:1
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“ぼくは道をまちがえちゃったんだ。奇妙な道に乗ってしまって…なんといったらいいか…そのまま帰り道が見つからなかった。”
アル中で40歳、しがないカジノ勤め。ジョーイは父の死の知らせを受け取り、20年ぶりに故郷へと帰った。思いがけぬことに父は遺産を残している。しかも、できのいい兄PJにではなく、ジョーイだけに? 動転して町を離れる途中、ジョーイは今は存在しないはずの道に足を踏み入れる…。20年前、ジョーイがその道を辿らなかったばかりに起きた忌まわしい事件を、彼は防ぐことができるのか? ジョーイは“現在”を変えられるのだろうか。久々のクーンツ。ここ数年はひたすら改稿にいそしんでいるらしい。その結果が悲惨な『デモン・シード完全版』だったりするわけで、なんだか哀しくもある。 |
2001/11/04-9458 |
蒼い時 |
エドワード・ゴーリー
柴田元幸訳 |
河出書房新社 |
2001年10月20日初版発行 |
毒毒度:2
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“人生のすべてがメタファーとして解釈できるわけじゃないぜ”
山口百恵ではない。黄昏れ時を意味するタイトル、L'Heure bleue。一説によれば旅に触発されて書いたらしいが、そんな気配はない。ただひたすら、犬のようなバクのような2匹の動物が、心臓を掴まれる程に美しい蒼色をバックに語り合ったりスポーツしたり。相変わらず訳のわからない(と訳者も言っている)ところが妙に心ひかれる大人の絵本。出不精のゴーリーが「行ってもいいな」と思った3つの場所が竜安寺の庭、ボマルツォの庭園、フィレンツェのラウレンツィアーナ図書館の次の間だそうな。おお、趣味が合うではないか。 |
2001/11/03-9459 |
ゲーム・プレイヤー |
イアン・M・バンクス
浅倉久志訳 |
角川文庫 |
2001年10月25日初版発行 |
毒毒度:-3
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“「この世に偽物でないものがあるかしら?」
「知的業績。熟練した技術。人間の感情」
イェイの唇が皮肉に歪んだ。「わたしたちの相互理解は、まだまだ前途遼遠らしいわね、グルゲー」”
“「ぼくがほしかったのは希望だった」”
“よくある誤解だ。楽しみが息抜きになるというのは。もしそうなら、きみはちゃんと楽しんでいないんだよ”
“勝ち、支配し、コントロールせよ。ひとつの欲望を規定するひと組の観点。ただひとつの絶対の決意”
〈カルチャー〉きってのゲーム・プレイヤーであるグルゲーは、究極のゲーム《アザド》への参加を求められた。《アザド》は時として肉体的賭けをともなうゲームでもある。一介のエイリアンのクセに難関を突破しはじめたグルゲーは、記者会見を拒否してマスコミを敵にまわし、帝国政府による暗殺未遂事件まで発生する。グルゲーは現況を楽しみはじめた。強烈な感覚が呼び覚まされた。勝利への渇望、危険と敗北の恐怖、絶えまない不安と安堵の繰り返し、成功と勝利に伴う精神の高揚、征服の満足感、自由で純粋な勝利の喜び。限り無く困難なゲームを通じて、自分の才能の限界を見極める。グルゲーは気づいていなかった。陰謀に。ゲームがゲームでないことに…。
何でこの表紙なのかはともかく、私にとっては『蜂工場』(集英社文庫)以来の作家の新作。読み手としては決してSFに馴れているとはいえないし、決してゲーム好きではないが(おそらく異義が唱えられるだろう、わが日常はまるででわざわざ不安と責め苦を招きよせているようなものだから)、ちょうどダン・シモンズ『ハイペリオン』に接したように流れに身をまかせていけるのだ。私好みの、想像を絶しないSF。いちいち立ち止まったり意味を考えたりしてはいけない(もちろん立ち止まる価値、意味を考える価値は十分ある)。『蜂工場』は怪作だったが、こちらは久々、乗り継ぎのホームでも続きが読みたくなる快作。毒を求めない人にも広くお薦めできるという意味で、もちろん毒毒度はマイナス。
モーターショーへ行った。YAMAHAブースで友人が終礼とバイク磨きを終えるのを待ち、マハラジャにて食事。彼らは人力飛行機での日本記録挑戦(ASのS項参照)を再スタートさせたばかり。興味深い話をしている最中なのに、斜め隣のカップルが痴話喧嘩。女は嘘つき、男は関西弁で粘着気質。今日の悪魔は間違いなくコイツら。 |
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2001/11/01-9460 |
アウェーで戦うために
フィジカル・インテンシティIII |
村上龍 |
知恵の森文庫 |
2001年10月15日初版1刷発行 |
毒毒度:3
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“サッカーに「小さな一点」はない。サッカーの得点は大きいとか小さいとかではなく、すべてが「致命的な」ものだ”
“カタルシスだけでは快感が長続きしない。言ってみれば、からだに刻まれる時間、すなわち歴史が必要なのだ”
すべての得点が致命的なロースコアのゲームである。それだからこそ魅惑的で残酷さが際立つのだ。そしてゴールというカタルシスに至るまでの過程。私達はえんえんと失敗が続く過程、連続して失敗する攻撃を見続けるのだが、実はカタルシスだけでは快感は持続しないことを知っている。この残酷なスポーツがどこかヨーロッパの歴史にフィットしていることに気づく。 |
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