●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2002-07

2002/07/29-9267
リターン・マッチ 後藤正治 文春文庫 2001年9月10日第1刷
   毒毒度:3あるいは-3
“「人生が楽しいか」と尋ねられて答えられないように、「ボクシングが楽しいか」と尋ねられたら答えられない。実際自分でやっているときや、今のようにコーチしているときは、苦しいときはあっても、楽しいことは絶対にない。済んでから語るときは楽しい。これは「楽しむ」スポーツではないことは確かだ。一瞬一瞬を生きていくスポーツ。自己に挑戦する作業という意味で、堅苦しく真面目に考えた人生と似ているのかも知れない”
“しかられたこどもが 目を伏せて立つほどの
 しずかなくぼみは いまもそう呼ばれる
 ある日やさしく壁にもたれ 男は口を 閉じて去った
 〈フェルナンデス〉
 しかられたこどもよ 空をめぐり墓標をめぐり終えたとき
 私をそう呼べ 私はそこに立ったのだ”(「フェルナンデス」石原吉郎)

ヒゲ先生とゴンタクレたちの日々。文春文庫ならではのスポーツ・ノンフィクション。しかも後藤正治であるからして、定時制高校のボクシング部にかかわる真摯な人間ルポとなっている。主人公の定時制高校教師、脇浜義明が、成績は悪いがケンカが強かった子供たちが、成績も悪くケンカも弱くなってしまったことを嘆きつつ、ボクシング部を創設、何度も負けながら(一時は熱心な子もなにかを機にボクシングも辞め学校にも来なくなることがある、そのことを脇浜は自分の負けと呼ぶ))人生の挑戦をしてゆくさまが、気負わない文章で語られる。
文庫化にあたって語られる番外編『フェルナンデスの男』に涙。

2002/07/28-9268
和のアルファベットスタイル 堀井和子
   毒毒度:-3

2002/07/24-9269
イグナシオ 花村萬月 角川文庫 1999年5月25日初版発行
1999年9月20日3版発行
   毒毒度:4
“知性とは詰めこまれた知識の総量ではない。思考の筋道のことだ。”
“悲しいよな。自分が生きてくためには、誰かを否定しなけりゃならないんだよ”

聖殺人者イグナシオ。ひと目でそれとわかるハーフの美貌。IQ178。暴走する機械。イグナシオをめぐる3人の女性、修道女文子、女子大生幸子、売春婦の茜。そしてイグナシオにからむ男達もひどく存在感がある。特に、『ブルース』の徳山を思わせるヤクザの大谷などは。
このまま萬月にはまり続けるのは危険な気がする。が、毒を喰らわば皿まで。

2002/07/23-9270
重金属青年団 花村萬月 角川文庫 1993年6月19日初版
1999年9月20日7版発行
   毒毒度:3
“わたしはスピードに対する欲求を、本能であると信じている。みんな女に対して幻想を抱いている。女だって脳ミソが片寄ってしまうような加速とスピードに酔うのだ。いや、正確には、速度は人を覚醒させていく”

タカミ。元女子大生、元ホステス。仲間とともにカタナを連ねて北海道へ向かっている。その名もヘヴィ・メタル・ボーイズ。バンク、ヤー、右翼、ベース、クリア、オッサン、そしてひとり異質なブンガクさん。初心者マークのブンガクさんはヤクをやりながらひとり、改造Zに乗っているのだ。置屋の娘でありながら、暴走族に一目おかれながら、タカミは実は先日までバージンだった。だがヤク中で一行も書けないブンガクさんのクスリを手に入れるため、売人に奪われた。しかも売人は優しかった、ブンガクさんよりも。
青春の痛みフルスロットル。青年団それぞれの心の痛みが露になっていくロード・ノヴェル。そのくせ、こんなにハッピーエンドでいいんかい?

2002/07/22-9271
凶天使(下) 野阿 梓 ハヤカワ文庫JA 1986年6月30日発行
   毒毒度:3
“神は実在するだろう。しかし救済はしないだろう。人間的存在は、少なくともそれが造りあげた宗教という装置によっては、救済されるに値しない。ホレスはそう絶望していた。”
“すべて人の世界のことは、俺には対象だ。いまさらどんな記憶が、蘇生が、創造が必要なのだ。俺は世界によって埋葬された人間。すでにいかなる和解もありえない。”

読む萩尾望都。たとえば、『銀の三角』のような? デンマークの王家を襲う連続殺人事件、真犯人を暴くホレイシォこと燭天使セラフィの暗躍。翻訳ではどうしても生まれ得ないドンピシャの流麗な日本語の連続は、溜息ものである。

2002/07/21-9272
書斎曼陀羅/本と闘う人々1 磯田和一 絵と文 東京創元社 2002年3月15日初版
   毒毒度:3あるいは-3
Amazonの個人おすすめでかなり上位に残ったので収穫(それはいいんだけど、グイン・サーガをいつまでもおすすめに入れてくるのはやめてほしい。最新巻を持っているのはわかっているのだから古い巻をしつこくすすめてこなくてもいいと思うのだが)。野阿梓の下巻を毒了する予定だったのにもかかわらず、読みはじめて(というかイラストが多いので見はじめたと言った方が適切か)やめられなくなった。私は一般人でありながら本と闘う。ここに登場するのは作家・翻訳家・装幀家など、まさに職業からして本と闘っている人ばかりである。家全体が本の山なんてザラなのである。菊地信義や大沢在昌、山田風太郎など書斎が見てみたかった人ばかり。変わりダネは本と闘わない作家、花村萬月。意外なかんじ。

2002/07/17-9273
凶天使(上) 野阿 梓 ハヤカワ文庫JA 1986年6月30日発行
   毒毒度:3
“ここでも人間たちは闘っていた。理由は愛、あるいは憎悪。生きるために、また理想のために闘いつづけていた。悲惨な矛盾。生きるために死を賭して闘い、理想を守るために自らの戦いがその理想を裏切る。それが彼奴らだ”
“にんげんは世界の中にたったひとり裸で投げだされて在るのだという、虚無的で無気味な恐怖と不安に、いてもたってもいられなかったはずだ。そして、その瞬間に、おまえたちは〈文化〉を創造した。死の認識--つまりは生のあるがままの不安と恍惚に耐えきれず、文化という仮面をつけることでその事実を隠蔽したのだ”

毒読初登場。端麗辛口。東洋のタニス・リーか、はたまた読む萩尾望都か。そしてたしかに萩尾望都が表紙絵も挿絵も描いている。竜を追う天使。炎に蹂躙される美都アレクサンドリア。豪華な脇役陣。デンマークのバカ王子ハムレットや、悪魔と出会ったテイヤール・ド・シャルダンまでも。ニューヨークから古代ローマですらも舞台となる。

2002/07/16-9274
狼の領分 花村萬月 徳間文庫 1996年8月15日初刷
2000年9月25日7刷
   毒毒度:4
“男というのは、忘れられない奴のことだ”
“人間というのは、不幸な生き物でな。殺戮のときにさえも、ゲーム性を求めるんだ。とくに自分が強い立場にあると信じている奴は、遊ぶ”

獣の闘い、それは狼の領分だと言った最後の敵は、実に晴朗な男である。惚れ惚れするような笑顔。しかも、山の民であった彼は、故郷ではもっと笑顔が素晴らしかったというのだ。いやはや。
突然人が死ぬのにも馴れた。おいおいと言ってる間に行われる完璧な殺し。『なで肩の狐』続編。

2002/07/15-9275
なで肩の狐 花村萬月 徳間文庫 1996年8月15日初刷
2000年9月25日7刷
   毒毒度:3
“だから意地になった。どうでもいいことはそれなりに、しかし肝心なときは裏切らないようにした。そうしたら、たくさん裏切られた。べつに恨みや泣き言を言うつもりはない。俺は他人に気づかれぬよう誠意を示し、それで自己満足を得た。充分だ”
“本音はめんどうなのだ。それに奇妙な美意識とでもいったものがある。当たる奴には当たる。当たらぬ奴には当たらない。居直って、いまだに未舗装の路地をいく。固まった土の凸凹が、足の裏に懐かしい。生ゴミの匂いに、弓張り月。とてもよく似合う。中学のころに読んだ太宰の焼きなおしだ。ニヤついた”

元ヤクザ、今はバーのマスターをしている俺「木常」が預かった2億円。預けた徳光の遺言は半分を北海道のおふくろへ届けてくれというものだった。連れは幼馴染みの玲子とその娘遥、新宿で拾った元関取蒼ノ海。俺は災厄をちぎっては投げちぎっては投げ…。
われながら、もの凄い速度で、呆れている。翻訳ものを時速100ページ強でいけるからには、和ものなど夕飯前に3冊なのか。和ものであるからだけではない。読者サービスについついのっているせいであろう。おバカな会話についうっかり笑っていると壮絶な殺しの場面にでくわす。嶺岡林道の先に、始末する場所があるなんてリアルすぎ。相撲取りの出てくるハードボイルド&ロードノベルなんて凄すぎ。

2002/07/15-9276
グッドラック 山際淳司 中公文庫 1995年10月18日発行
   毒毒度:1
“敬意をこめて、ぼくは星の輝きをおそれる”

それぞれのスポーツの至福の瞬間。
入手できていなかった山際淳司作品。2年ほど前に諦めていたが、偶然BOOK-OFFにて収穫。手にとった途端どこかで見たことがあると思ったのは、カバーイラストのせいだった。なんと、左手に携えている集英社文庫の花村萬月のカバーと同じイラストレーターなのだ。

2002/07/15-9277
わたしの鎖骨 花村萬月 文春文庫 2000年5月10日第1刷
   毒毒度:1
うーん。この人の短編のよさがわかるほど、読み込んでいないということだ。時期尚早であった。

2002/07/14-9278
渋谷ルシファー 花村萬月 集英社文庫 1994年3月25日第1刷
2000年6月7日第10刷
   毒毒度:2
“「手紙が好きか」桜町はうなずいた。”
“「それは、おまえさんが刻みこまれたことばを欲してるってことだ。電話の『愛してる』は一瞬だが、文字に書かれた《愛してる》は、そいつらが死んだって残るんだ。手紙を欲しがる奴ってのは、欲がふかいんだよ」”

渋谷は道玄坂、ブルースを看板にした「ルシファー」のマスター桜町の過去。破滅的な愛。実は『ゴッド・ブレイス物語』の続編。朝子のバンドは今回脇役として出てくるが、こういう展開は、キライではない。ブルースの悪魔がドアをノックする。こいつに遭ったらもう逃れられない。その昔ブルースの悪魔に魅入られて、女と酒とスリクに堕ちた伝説のブルースメンやジャズメンに思いを馳せて。

2002/07/14-9279
ローマ人の物語5
ハンニバル戦記(下)
塩野七生 新潮文庫 2002年7月1日発行
   毒毒度:2
“優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人である。持続する人間関係は、必ず相互関係である。”
“このわたしを、高慢な男とは思わないでもらいたい。現在からは予測できない未来があるということであり、良きことはより大きいほうを選択し、悪しきことはより小さいほうを選ぶやり方でしか、それへの対策はないと言いたいのだ”
“ハンニバル、あなたには明日の会戦の準備をするようすすめることしか、わたしにはできない。なぜなら、カルタゴ人は、いや、あなたはとくに、平和の中で生きることが何よりも不得手のようであるから”

戦術家としての師匠と弟子。おそらく古代の武将の中で5本の指に、現代までの武将を入れても十指に入るであろうふたりの闘い。友人を持たないハンニバル。一方、マシニッサとレリウスとの共同作戦をはるスキピオ。全地中海世界の将来を決する戦闘「ザマの会戦」直前の、両者の会談。勝者と敗者となってから数年後の再会時、スキピオからの「誰が最も優れた武将であるか」との問いに対するハンニバルの答え(自己評価)が面白い。ハンニバルはまずアレクサンダー大王、エピルスのピュロスを挙げ、自らの名を3番目に挙げる。しかし、もしザマの戦いに勝っていれば自分はアレクサンドロスを抜き一番目になると答えるのだ。
「歴史を書く作業は歴史と斬り結ぶこと」と言い切る著者の意志、歴史への惚れ具合には相変わらず圧倒される、心地よいほどに。が、恍惚に浸ってばかりもいられぬようだ。9月にカエサル前のローマ人が出てからは第2期文庫版刊行まで待たねばいけないのだ。それはなんと2004年。ひえー。

2002/07/13-9280
ゴッド・ブレイス物語 花村萬月 集英社文庫 1993年9月25日第1刷
2002年4月9日第14刷
   毒毒度:3
“空が泣いてるぜ”
“涙が俺にふりかかる”

空が落ちてくる。坂東齢人絶賛。プロダクションの社長にダマされて京都のクラブへタダ働きに出された朝子とバンドの運命は? 花村萬月デビュー作。通常の音楽小説ではとかくおっ恥ずかしい描写になりがちなコンサートの場面が、花村作品では泣けるほど素晴らしいのは何故だろう。本当にうたが聞こえるのだ、ブルースが。ブルースが書ける作家、こいつは凄い。

2002/07/13-9281
ローマ人の物語4
ハンニバル戦記(中)
塩野七生 新潮文庫 2002年7月1日発行
   毒毒度:2
“ロ−マ軍が、飢えて疲れきって降りてきたハンニバル軍をアルプスのふもとで待ちうけていたら、簡単に勝てたのではなかったか、と書いた学者がいる。不可能事を弄んでいては、歴史とつき合う資格がない。”
“リーダーとして成功する男の最重要条件として、彼がかもしだす雰囲気がイタリア語でセレーノ、強いて日本語に訳せば晴朗にある”

子供の頃、動物の出てくる本が主な愛読書であったのだが、実は二度、題名で本選びをして失敗している。一冊は『オオカミに冬なし』(人間の話だった)もう一冊が『ハンニバルの象つかい』であった。
さてハンニバルである。三万三千もの屍を後に残し、アルプス越え(しかも象を連れている)を15日で敢行。凄まじい。やがてハンニバルと闘うスキピオも登場するが、グインではカメロンとイリス、あの銀英伝ですらなぜかファーレンハイトが好みという私の脇役好きはここでも発揮され「イタリアの剣」と称される武将マルケルスが気に入ってしまうのだった。

2002/07/12-9282
ローマ人の物語3
ハンニバル戦記(上)
塩野七生 新潮文庫 2002年7月1日発行
   毒毒度:2
“ローマ人の面白いところは、何でも自分たちでやろうとしなかったところであり、どの分野でも自分達たちがナンバー・ワンでなければならないとは考えないところであった”
“夜間の歩哨勤務中に眠りこんだりして任務を怠った兵士には、事実上の死刑が待っていた。両側に並んだ全員が棒でなぐりつけるので、生き長らえることはほとんどなかった。また、盗みを働いたり、偽証したり、三度まで集合に遅れた兵士にも、罪に応じた罰が与えられた。”

知力に優れたギリシア人はローマに屈服した。だが経済力にも優れハンニバルという類い稀な名将を擁した軍事力にも長けたカルタゴですらなぜロ−マ人をやっつけられなかったのか? いよいよハンニバル編。戦記ものというのはいったん読み初めてしまうと止らない。架空のものであっても優れたものならば。たいていいにしえの記録を参考にしていたりするわけで。さて単行本の『ローマ人の物語』は確かに美装だが、実際に読むのは、こうして持ち歩ける文庫本に限る。字も大き目、年配の本好きに優しい作り。

2002/07/11-9283
凍てついた夜 リンダ・ラ・プラント
奥村章子 訳
ハヤカワ文庫HM 1996年1月31日発行
   毒毒度:1
酩酊状態で捜査にあたり、無実の少年を狙撃してしまった女性警部補。離婚し、酒のために身を滅ぼしてどん底までいった主人公ロレインが、売春婦連続殺人事件の捜査を通じて立ち直ってゆくまでを描く。
勢いで読んではみたもののどうも詩的ではない文章なので引用は、無し。気の利いたキメ科白のひとつやふたつあってもよいはずなのだが。脇役陣も少々書き込み不足。陰惨な事件だからこそコメディタッチの会話がひきたつパトリック&アンジーシリーズ(レヘインの)ぐらい引用ばかりしたくなるハードボイルドだったら文句はないのだが。

2002/07/09-9284
諜報指揮官ヘミングウェイ(下) ダン・シモンズ
小林宏明 訳
扶桑社ミステリー文庫 2002年6月30日第1刷
   毒毒度:3
“おれがいい仕事をしたり、あの人が見ているまえで野球のいいプレーをしたりすると、パパはときどきおれを見つめるんです。そのときの目は、ほんとの息子たちを見つめる目とそっくりなんだ。だからあの人をパパって呼べたら”
“フィクションを紡ぐ芸当は、バランスを失わずにボートに荷を積む芸当のようなものだ”

エージェント22が喉を掻き切られて殺された。この孤児はヘミングウェイをパパと慕い、わたしSIS特別捜査官ジョー・ルーカスの良き相棒になりつつあったのに。誰の陰謀だ? どこの謀略だ? 
米英独入り乱れての諜報活動。ヘミングウェイとルーカスの命を奪うべく送り込まれた殺し屋「パナマ」と「コロンビア」とは? クルック・ファクトリーのかなり近しい所に、意外な姿で存在しているようなのだが。
実在の人物をこれだけ登場させて迫真のフィクション仕上げ。さすが。世界規模の最悪の戦争の最中に、なおも子供達にロマンチックな冒険と夢を体験させようとするヘミングウェイ。泣く子も黙るフーヴァー長官に、溺れることなくペテン師の正体を暴けと命じられても、やっぱりパパ・ヘミングウェイの魅力に勝てなくなってしまう読者なのだった。

2002/07/08-9285
諜報指揮官ヘミングウェイ(上) ダン・シモンズ
小林宏明 訳
扶桑社ミステリー文庫 2002年6月30日第1刷
   毒毒度:2
“意味するところはみんな同じ--腐敗のにおい。悪臭。膿のにおい。まともな女は晴れた日の海の匂においがする。娼婦(プータ)はいつも死んだ魚のにおいがする。あいつらの体内で死んだ精子がにおうからだ。生命を宿さない子宮のにおいなのさ”
“海に無関心か、それとも海に敬意を払っているかで、その男の本質がわかる。また、ひとりであろうと複数であろうと、広い海のほんとうの力が見えなくなるかどうかでも、それはわかる”

太平洋戦争勃発から半年後。パパ・ヘミングウェイの諜報活動を探れ。FBI長官J・エドガー・フーヴァーから特命を受けたジョー・ルーカスは、「クルック・ファクトリー(悪党工場)」呼ばれるヘミングウェイの隠密作戦に参加することとなる。フィンカに出入りするイングリッド・バーグマン、マレーネ・デートリッヒ、ゲーリー・クーパーら著名人。ナチス工作員、FBI、OSS(後のCIA)、BSC、伝説のD捜査官…。ヘミングウェイは果してフーヴァーいうところのペテン師なのだろうか。案外、単なる戯れではないのかもしれない。
なるほど。ヘミングウェイを題材としたダン・シモンズ作品というのはこれのことだったわけか。書店で見つけたときに、一筋縄にはいかない気がした。それはヘミングウェイという作家が一筋縄にはいかないせいだろう。単純なマッチョのように見えて、複雑。エルロイ作品と同時代であることも興味深い。諜報活動につきものの3文字略語にいちいち悩んでも仕方ないので、お気楽に読みすすめることとする。ただ、翻訳版のタイトルはいけませんなー、センスないぞ。

2002/07/05-9286
世界で一番美しい病気 中島らも 角川ランティエ叢書 2002年6月28日第1刷発行
   毒毒度:1
“夜が降ってくる。こいつは傘ではよけられない。夜はやさしい尼僧であったり、無情な肉屋のオヤジであったりする”

先月見つけてヒトには教えて自分は今どき収穫したのだが、読みはじめてわかったやっぱり角川の所業、書き下ろしは1本のみ、単行本未収録もたった1本。こんなカタチでの再会はむごいぞ。だいたい黒と特色金で凝りまくった「今月の新刊」なんて要らないから、よい本をとっとと絶版にするのだけはカンベンしてくれ。

2002/07/04-9287
眠れる森の惨劇 ルース・レンデル
宇佐川晶子 訳
角川文庫 2000年4月25日初版発行
   毒毒度:2
“人にこれだけおびただしい血があろうとは、誰が想像しただろう(『マクベス』第5幕第一場)”

ウェクスフォード警部シリーズ。銀行強盗に撃たれたウェクスフォードの部下。現場から無くなった銃があるとは気づかれなかった。立ち去ったのは誰かも気にされなかった。何ヶ月かたって、森のお屋敷で3人が惨殺されるまでは。
犯罪は私生活を奪う、生きている人間のものであれ、死んでいる人間のものであれ。そしてウェクスフォードが秘かに想っていた純真さすら奪われていくのだった。

2002/07/02-9288
愛しき者はすべて去りゆく デニス・レヘイン
鎌田三平 訳
角川文庫 2001年9月25日初版発行
   毒毒度:4
“あまりにひたむきであり、犯罪的であると言えるほどの愛”
“あの変態たちが生きて家を出ることがなくてうれしいよ。乾杯しないか?”
“わたしたちの目の前には水路の向こうに街の中心部の輝く灯火があった。ガラスと特権の背後、赤レンガと鉄と鋼鉄の廻り階段の背後に保護された、優雅な生活が、清潔で、食事も充分で、手厚く世話をされている命があると約束しているビロードの闇があった。月明かりに照らされた水面、この大都市を作っている島々や半島の周囲を穏やかに流れ、醜悪さや苦痛と戦っている水面があった”

その男のことはかなり気に入っていた。大柄で引き締まった体躯に、トム・ソーヤなみの純真な笑顔。この醜い世界で、子供が傷つけられるのを何よりも憎んだ男。この世の中が本当に子供にとってよくないものだと知ったとき、大声でなきじゃくることができた男。好きだと言える人間だったと思う。だがわたしは探偵だ。かつて「情け容赦のない」とその資質を讃えられたこともある。自分のことをいい人間だと思ったことはないが、自分の正体をごまかす者を憎み、許すことができないのだ。しかし、すべてが終わったとき、すべて愛しい者はわたしの元を去っていった。
何げなく最初の4ページ余に表現されている事柄の深さと痛みに、読後愕然とする。ついに第4作に至ってしまった。行方不明の少女。「無関心」という虐待。パトリック・ケンジーの語り口が好きだし、アンジーを思う気持ちも好きだった。《歩く死刑宣告》ブッバにも親しみを感じていたほどだ。こうして空虚さに取り巻かれて、私は5冊目の翻訳をひたすら待つ。

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