●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2002-12

2002/12/31-9157
ホラ−SF傑作選
影が行く
P・K・ディック、D・R・クーンツ 他
中村 融 編・訳
創元SF文庫 2000年8月25日初版
2001年2月16日再版
   毒毒度:4
“すべての奇人変人に申しあげたい--独立独歩で行け。つまらないものをつかまされたり、値打ちものを奪われたりするな。”(「歴戦の勇士」フリッツ・ライバー)
“…吸血機械であるというのは、孤高を保つことなのだ”(「吸血機伝説」ロジャー・セラズニイ)
“あたかも地獄の竪穴のなかでうごめくかのように、おびただしい数の這いずる影が、蛆虫めいた動きでひしめきあっているのである。影は暗闇のなかで煮えこぼれたように見えた”(「ヨー・ヴォムビスの地下墓地」クラーク・アシュトン・スミス)

アンソロジーはいい。これがSFなら私はSFファンですと言ってしまいそうなくらい好きなものばかりだが、クーンツの「悪夢団」がヤワに思えるくらい厭わしい「ヨー・ヴォムビスの地下墓地」と吸血鬼の孤独が滲む「吸血機伝説」が特にお気に入り。ジョン・W・キャンベル・ジュニアの「影が行く」は映画「遊星からの物体X」(ジョン・カーペンター監督)の原作。「遊星よりの物体X」(ハワード・ホークス監督)とはどえらい違いであることがわかる。以前深夜に2作品連続放映があって「より」の方を観て笑ってしまったことを思い出した。ラストを飾る「唾の樹」(ブライアン・W・オーティス)は1966年ネビュラ賞受賞作品で本邦初訳とのことだが、長さがアダとなった。目に見えぬ怪物はラブクラフト『ダンウィッチの怪』を思わせるが、主人公のロマンスがからむあたりがどうも冗漫。いったいいつの時代の初訳?と気になる部分もちらほら。

2002/12/29-9158
ポーの一族(3) 萩尾望都 小学館文庫 1998年8月10日初版第1刷発行
 再再再再再   毒毒度:5
“船よ 帆かけて進め 空の下 星の下
 東へ 黎明へ
 わたしの心は はるか--
 あの果てをいく”

それは中洲にあり ちょうど教会の塔を舳先として波をわけすすむ船のように見える 150年ほど前ガブリエル・スイス・フォン・ヘルスハイムという領主がぶちたてた城で…とそらんじているものを書き記してもこのシリーズの素晴らしさは伝わらぬ。中洲の学校でのシーズンが綴られた「小鳥の巣」(1973年)は文句なく好きだ。「小鳥の巣」の連載が終わったとき、“それはもっとのちの話となる”というひとことに期待した私たちだが、渇きは満たされることはなかった。絵としては「ポーの村」や「すきとおった銀の髪」のころ(1972年)に比べ、1975年のエドガーが妖しくてよい。

2002/12/29-9159
ポーの一族(2) 萩尾望都 小学館文庫 1998年8月10日初版第1刷発行
 再再再再再   毒毒度:4
“香るさんざし 白い窓 どこか遠くの いつかの日々の
 人間であればかなえられたであろう夢”

けっしてこんな呪われたものにはなりたくなかった…。エドガーとメリーベル出生の秘密、そしてポーの一族となった経緯がわかる「メリーベルと銀のばら」。一族として、兄としてのエドガーの苦悩の巻、と思いきや「ピカデりー7時」と「ホームズの帽子」はモーさまの一面コミカルな味も楽しめる。

2002/12/29-9160
ポーの一族(1) 萩尾望都 小学館文庫 1998年8月10日初版第1刷発行
 再再再再再   毒毒度:4
“創るものもなく 生みだすものもなく
 うつるつぎの世代にたくす遺産もなく
 長いときをなぜこうして生きているのか
 …すくなくともぼくは
 ああ すくなくともぼくは…”

最近出た田中芳樹の文庫をぱらっと立ち読みしていると「萩尾望都ショック」という言葉が出てきた。田中芳樹や森博嗣の例が示す通り1950年代60年代に生を受けている男子はこれにとらわれている(現在進行形)ケースが多いらしい。ヴァンパネラが時を超えた存在であるように、萩尾望都の生んだ「ポー」は永遠の名作と呼んでよい作品。私の持っている新書版は既にボロボロ。今回文庫版を収穫した。

2002/12/28-9161
骨(下) ジャン・バーク
渋谷比佐子 訳
講談社文庫 2002年6月15日第1刷発行
2002年12月2日第4刷発行
   毒毒度:0
“わたしはどんな障害でも必ず乗り越えるんだから”

連続女性殺人の容疑者パリッシュはシエラ・ネバダ山中で捜索隊に罠を仕掛けた。他の被害者の埋められた現場に案内するというのだ。負傷して病院送りになった弁護士、遺体を運ぶため現場を離れていた森林監督官と警官ひとりを除き、この新たな発掘現場で警察官全員が死亡してしまう。脚に重傷を追った人類学者ベンと、捜索犬ビングル、そしてアイリーンは奇跡的に生還を果した。だが悪夢はそれからだった。
パリッシュには手助けをしている人物モースが存在する。こいつが誰なのかがひとつの謎なのだが、イマイチ盛り上がらない。ビングルや飼い猫かわいさに最後まで読んだようなもの。実はシリーズとしては7作目ということで、人物像や主人公の背負ってきたトラウマがあまり見えてこないのはこのあたりに原因があったようだ。

2002/12/27-9162
骨(上) ジャン・バーク
渋谷比佐子 訳
講談社文庫 2002年6月15日第1刷発行
2002年12月2日第4刷発行
   毒毒度:0
“ママは死んだけど無駄じゃなかった。そのことを、みんなに、大勢の人たちに伝えてよね”

連続失踪事件の容疑者パリッシュを連れシエラ・ネバダ山脈での遺体発掘に向かった一行の中に、女性記者アイリーンがいた。彼女は、失踪者のひとりジュリア・セイヤーの娘ジリアンから相談を受け事件を追っていたのだ。最近になって別の失踪事件の容疑者が逮捕され、ジュリア・セイヤーの遺体を埋めた場所へ案内するという。犬猿の仲である捜索隊長、いけすかない弁護士、気難しい人類学者ベンに反発を感じながらアイリーンを落ち着かなくさせるのは執拗に見つめる容疑者パリッシュの視線だった。
ブンヤという稼業、しかも女性となるとアイリーンには敵が多い。が、夫、夫の友人、従弟、同僚など味方も多い。捜索犬ビングルに愛情は湧くが人物像に関してはどうも散漫な気が。

2002/12/26-9163
オールド・ルーキー
先生は大リーガーになった
ジム・モリス、ジョエル・エンゲル
松本剛史 訳
文春文庫 2002年12月10日第1刷発行
   毒毒度:-3
“きみたちがそろそろ知っておいたほうがいいのは、何事かをやりとげるには夢が必要だってことだ。夢をもたなきゃいけない。夢のない者はこの世界ではゼロに等しい。きみらには夢が要る。夢は大きいほど、なしとげられるのも大きくなる。そして大きなことをなしとげるほど、きみたちはさらに先まで進むことになる”

1999年9月18日、アーリントン・パーク。地元テキサス・レンジャーズ対タンパベイ・デヴィルレイズのマウンドに立つ背番号63番ジム・モリス。前日にトリプルAから昇格したばかり。時速160キロ近い速球で鮮烈なデビューを飾った男は35才、3人の子持ち。肩の故障でメジャー入りを断念したが、15年後、指導する少年野球チームとの約束からプロテストを受け、メジャーのマウンドに立つことになったのだ。まさにアメリカン人好みのこの話は映画化され、来春には日本でも公開されるという。生い立ちから早すぎた結婚、苦学の日々に重点が置かれ、デビュー後のことはあまり語られない。2001年にモリスは移籍先で引退している。忘れてはならないのは、夢には必ず果てがあるということだ。

2002/12/25-9164
奪われぬもの 後藤正治 講談社文庫 2002年12月15日第1刷発行
   毒毒度:3
“人はだれも、いつも途上にある” (甦るロード)
“福永洋一の騎乗には「形」がなかった”(伝説への旅)

『スカウト』の後藤正治によるスポーツ・ルポルタージュ。マラソンの有森裕子、ジョッキー福永洋一、阪神の投手・福間納、最強のラガーマン林敏之、56歳の競輪選手・中川茂一、ボクサー高橋直人。6人のスポーツマンの、自己表現へのこだわりを描く。「最初の天才騎手」であると同時に「最後の勝負師」福永洋一の章が印象深い。

2002/12/24-9165
天国の囚人 ジェイムス・リー・バーク
大久保寛 訳
角川文庫 1991年12月25日初版発行
   毒毒度:1
“嘘をついたり、よからぬたくらみをしたり、ごまかしたり、盗んだりする人間がそういう悪いことをするのは、まともな仕事をうまくやれるだけの脳ミソと計画性がないからなのだ”
“あんたは自分で自分に不可能なルールをつくっちゃう人なの。だから、やる事が混乱しちゃうの。”

ロビショーもの偶数号シリーズ第2作。ロビショーと妻アニーは貸しボート屋を営業している。メキシコ湾に墜落した飛行機の中から救出した少女にアラフェアと名付けた。死体は4つあった。だがロビショーを訪ねてきた出入国管理局の役人は死体は3つだったと言う。なぜ隠す? 例によって近寄ってはいけないものへと、ロビショーは吸い寄せられていく…何が犠牲となるのか気づかぬまま。そう、問題の、隠れ家に忘れてきた一冊。ロビショーが妻アニーを殺され、復讐に燃えはじめるところから出直しである。
こうしてメチャクチャな順番で読んでいる自分の非はもちろん、本作より先に3作目『ブラック・チェリー・ブルース』を発売してしまったカドカワくんにはどう考えてもかなりの非があると言えるだろう。しっかし、イヴには全然ふさわしくない一冊だった、反省。

2002/12/22-9166
死者の長い列 ローレンス・ブロック
田口俊樹 訳
二見文庫 2002年12月25日初版発行
   毒毒度:2
“我々は互いに強く結ばれてはいるが、みなひとりひとりが究極のゴール--墓場に向かって別々の狭い道を歩いている。そのゴールまでの長い道程を一歩一歩確認し合う。それだけがこの会の主旨だ”
“でもそれを言えば、世界貿易センターだって彼らが生まれるまえからあったわけだ」
「そして今もまだ同じところに建っている」”
“三十一人の男が集まり、ひとりひとり死んでいって、最後のひとりがまた新たな会を始める。つまり死んだ男たちの長い列が何世紀にもわたって続いてるってわけだ”

朝一番のスーパーあずさに乗って信州の雪景色へと向かった。ひとしきり笑ってこの15年をフラッシュバックさせ再びあずさに乗って眠り惚ける、窓辺に文庫を二冊積みながら。ちきりやで買い求めた、ティーテーブル用クロスと、青い陶製ワイングラスと、駅ビルの輸入衣料店で一目ぼれしたインド綿の外套が自分への土産。
思いがけず文庫のスカダーシリーズが出た。遠きバビロンよりメンバーを代えつつ執り行われている、三十一人の会。三十一人の最後の生き残りが新たなメンバーを発表し、年に一度食事会を開く。その一年に亡くなったメンバーの名が読み上げられ、また次の一年がはじまる、ただそれだけだ。だがこの32年間にメンバーの死亡率は統計学的に見ても多すぎた。生き残っているのは14人。殺された者もいる、自殺者も事故死もある。もしかして誰かが殺しているのか。だとしたら殺人者はメンバーの中にいるのか? 依頼を受けたスカダーの調査がはじまった。
クイーンの短編「双面神クラブの秘密」を思い起こさせるような、男ばかりの会合で発生する殺人事件。17人が死んでいるという事実が変わらぬまま、つまり新たな殺人が発生せぬまま366ページが経過するが、退屈は決してしない。酒を断って十年。五十五歳になったスカダーの人間関係に生じた変化を楽しむことができるのだ。元高級娼婦のエレインと棲み、エレインと共に新しい店を開拓したりしている。酒を飲みたい衝動にかられると、かつての依頼人リサ・ホルツマンに電話し彼女が話し相手を必要としていれば訪ねて肌を重ねる。あるいはプロの殺し屋ミックの酒場を訪ねて、自分はアルコールを一滴も飲まずに一晩語り合う(そのまま肉屋のミサに出ることもある)。調査の途上で知り合った元警備員をAAの集会に誘い助言者の役回りをするようにもなった。悪名高き弁護士の自宅を訪ね人間的に気に入ったりもする。木枯らし紋次郎が歳を重ねてから積極的に他人と関るようになったのを思い出してしまう。書かれたのが1994年、このニューヨーク紀行にはまだ世界貿易センターが存在する。2001年9月11日以後のニューヨークをブロックはどう描くのだろうか。

2002/12/20-9167
若き実力者たち 沢木耕太郎 文春文庫 1979年2月25日第1刷
1989年11月5日第12刷
   毒毒度:3
“命なんて、棒に振るためにあるのさ…”(廃虚の錬夢術師 唐十郎)

実は不思議なほど私は沢木耕太郎を読んで来なかったと言ってもいいのだ。ただ今『沢木耕太郎ノンフィクション』選集が刊行中。さてどうするか。第1巻は『激しく倒れよ』。実に衝撃的でスリリングなタイトルではないか。第2巻『有名であれ無名であれ』に収録されているのがこの『若き実力者たち』を発端とする人物ノンフィクション編。『若き実力者たち』の取材当時24歳。その後、はじめてスポーツを書こうとする者の多くが目指すようになる沢木耕太郎ノンフィクションの《駆け出し》時代。好奇心、熱意、パワー、そして誰よりもまず自分が面白いと思って書くこと。当たり前のことを再確認する。
ここ数年書く前にスリリングだと思えなくなっていたという沢木だが、最近「もうノンフィクションは書かない」宣言を撤回しつつあるようだ。

2002/12/19-9168
ヤーンの時の時
グイン・サーガ第87巻
栗本 薫 ハヤカワ文庫JA 2002年12月15日発行
   毒毒度:2
“何ひとつ、まともなことをなしとげ得なかった私のこの人生の中で、ただひとつ--さいごにいたって、このような瞬間を得られたこと……それだけでももう、私は、ヤーンにも--ヤヌスにも、いくたびも帰依し直してすべてを捧げるだろう”

疾走するグイン・サーガ。ついにグインがアルド・ナリスに面会。なに気に手にとって読んでしまってからオドロイた。こ、これは…。そう、懸念されていたけれどもこういう日がついに来てしまったのだということだった。うむう。ア◯もア◯◯◯◯も死んで奇しくもアの付く人が…。

2002/12/18-9169
フラミンゴたちの朝 ジェイムス・リー・バーク
大久保寛 訳
角川文庫 1994年11月25日初版発行
   毒毒度:2
“彼女の電話番号と番地が、ナプキンの一番下に書き添えてあった。
 時計店のドアを開けた途端に無数の時計のうなり声に巻き込まれるように、死すべき宿命と喪失の悲しみに瞬時にして捉えられた心が、暗い淵に沈んでゆくことがある”
“長い期間をとって見れば、結局、人間は誰も死ぬ運命を免れない。人生なんてどこを切っても同じ、がらくたの寄せ集めなのさ”

ロビショーもの偶数号(笑)シリーズ(爆)第2作『天国の囚人』を入手したのになんともおマヌなことだが、読みかけで隠れ家に忘れてきてしまった。どうするんだ1週間。やむにやまれずロビショーもの第4作にあたる作品に手をつけてしまったというワケ。
囚人を護送中に狙撃されたロビショー。復帰後のおとり捜査で麻薬組織の元締宅へ潜入するが…。ロビショーが友情を感じるようになる元締トニーと、対照的にヤナ奴代表でニューオーリンズ警察のネート・バクスター。謎の女キムや、ロビショーの元恋人ブーツィーがロビショーの人生にからんでくる。そして今回もクリータス登場。体を張ってロビショーをバックアップするイイ役どころである。

2002/12/13-9170
さらばヤンキース 下巻
--
運命のワールドシリーズ--
デイビッド・ハルバースタム
水上峰雄 訳
新潮文庫 1996年3月1日発行
   毒毒度:2
“カーディナルスが優勝できたのは、頭を使い、真剣かつ積極的に野球と取りくんだからであり、また、スポーツ界ではまだきわめて希有な形で人種の壁を打ち破やぶった目的意識を選手がもっていたからである
 だがこの特別な団結は、一九六八年のワールドシリーズのあと消滅してしまった”

1964年のメジャーリーグ。下巻はいよいよ運命のワールドシリーズ。やっとこリーグ優勝を遂げたヤンキースと、激戦を勝ち抜きリーグ最終戦て優勝を決めた勢いのあるカーディナルス。疲労困憊しつつも、一球ごとに唸りながら、自分に喝を入れながら投げるカーディナルスの投手ギブソン。ギブソンを信頼し、「ギブソンのハートに賭けた」ジョニー・キーン監督。結果は4勝3敗でカーディナルスの勝ち!ヤンキースがこの後凋落の一途を辿る運命にあるとはほとんど誰も思っていなかった。そしてカーディナルスの栄光も永遠ではなかった。
なにぶんと古い話で、しかも映像として見ていないので、想像を働かせようとして帰ってこれないことしばしば。それでも知っている人物発見。このワールドシリーズにヤンキースの選手として出場、その後日本でプレーした(実はしなかった)ペピトーン。こいつはスワローズ球団史上最悪の外人でした。1973年シーズン途中から鳴りもの入りで来日、当時のヤクルト・アトムズに在籍したものの、ナマケモノで乱暴者で、具合が悪いはずなのに夜の東京では遊び回り、野球選手として使えないのなら警備員にでも使うか〜とオーナーを嘆かせた(オーナーもオーナーだ)悪名高き人物である。こんなところで出会うとは思わなかった。

2002/12/11-9171
中国茶めぐりの旅
上海・香港・台北
工藤佳治 文春文庫+ 2002年12月10日第1刷
  毒毒度:-4
“中国では古くから「お茶はお金が好き」といわれてきた”

だそうだ。中国茶ブームの先駆者が、上海・杭州、台北、香港をそれぞれ3泊4日でまわるという企画、2000年の情報である。日本人行列の店から、地元人ばかりのとっておきまで、この店のこの品はどれも美味しそう。茶館でいただくお茶は、お茶請け食べ放題とはいえ、レストランでいただく食事のメニューに比べて割高?な気が。あちらで売られているペットボトルの緑茶や烏龍茶にはなんと加糖されているものもあるそうでちょっとびっくり。先日からアジア周遊の毎日なわけで、これはちょっとシゴト本。

2002/12/10-9172
和のアルファベットスタイル
日本の器と北欧のデザイン
堀江和子 文化出版局 2001年10月14日第1刷発行
2001年11月12日第2刷発行
   毒毒度:-3
雑誌PENの特集は売れっ子作家による酒器ということで、芋野憲夫の作品もあって、ちょっと嬉しかった。私は高杯を持っているのだが、この低いやつもいいかも。
鉄なべやほうろうなべが欲しい今日このごろ。参考にしたいのは、食のスタイリングでおなじみの著者が普段使いにしている器&道具たち。やっぱりル・クルーゼか。今は製造されていないというDANSKのほうろうなべにも惹かれますなあ。

2002/12/08-9173
ディキシー・シティ・ジャム ジェイムズ・リー・バーク
大久保 寛 訳
角川文庫 2001年4月25日初版発行
   毒毒度:1
“サディストが、島の賛美歌と、法的また経済的隷属に耐え忍んだ人種の三百年におよぶ精神的戦いに起源を持つ音楽を愛することが可能か?
 私には信じられない。残忍性と感傷癖は一個人の中でほとんどいつも一対の特性だが、残虐生と愛は相容れないものだ”
“黙示録によれば、獣が海からやってくる。聖書では、海は政治を意味する”
“おおぜいの人間があの男の脚本を書いたが、きみはそのひとりじゃなかったんだ、ルシンダ。われわれはときどき、句読点をつける役目をするだけだ”

デイヴ・ロビショーものの奇数号?シリーズ7作目。かつての相棒・いま私立探偵クリータス・パーセルのどハデな立ち回りにはじまる。なまじ法を背負っているせいかロビショーがいじいじと思い煩う場面が多いのに対して、クリータスの行動はといえばパワーショベルでギャングの邸宅をぶっつぶしたり、いちいちハデである。完全にロビショーを食ってるのではないか。さて今回は大戦中に沈んだナチの潜水艦をめぐってギャングやネオナチや自警団や呪術まで出ての大騒ぎ。なんだかまとまりがないのには困ったことだ。

2002/12/06-9174
さらばヤンキース 上巻
--
運命のワールドシリーズ--
デイビッド・ハルバースタム
水上峰雄 訳
新潮文庫 1996年3月1日発行
   毒毒度:2
“この時代のヤンキースは、豪華で精密な機械を連想させるチームだった。
 この時代のヤンキースを支えていたのは、奥行きの深いファーム制度である。このシステムはきわめて巧みに運営されており、機械のようなヤンキースの重要な《部品》が磨耗したときには、常に新しい--そして、品質がより優れてすらいる部品を供給できた。たまたまこのシステむが必要な部品を提供できなくても、それ以外の部品を豊富に抱えていたので、三対一のトレードによって、不運な《持たざる》チームからそれを獲得することができた。ロジャー・マリスを引っぱってきたのが、その例である”
“カーディナルスは、人種問題に大多数のチームよりもうまく対処しただけでなく、何年ものちにティム・マッカーヴァーが指摘したとおり、ペナントを獲得する前にそうしたのである。いっぽう、他の大多数の球団には、人種問題で黒人選手と和解するのは優勝したあとでいい、という考え方があった。
 カーディナルスでは、互いへの敬意が人種の壁を崩した”

1964年のメジャーリーグ。1949年以降リーグ優勝13回、ワールドシリーズ制覇9回という輝かしい成績を誇るニューヨーク・ヤンキースは、前年のワールドシリーズでロサンゼルス・ドジャースにストレート負けしたのにもかかわらず自信満々で春のキャンプに臨んだ。その黄金時代には翳りが見えていた。それは特別な集団であるという驕りと、優秀な黒人選手を認めたがらない体質にあった。50年代から60年代に少年時代を送った、野球を愛するアメリカの男たちのほとんどが偶像視するミッキー・マントル。トレードでひっぱられてきたロジャー・マリスは敵役として扱われ、ストレスで髪が抜け落ちるようになりながら、マントルとホームラン王争いをする。タイトル争いの最中も、獲った後もマスコミには執拗に追い回される。そもそもニューヨークは好きではない街だったが、ここへきてますます大嫌いな街となった。ニューヨークのマスコミを巧みにかわすのには、ニューヨークという都会のことがわかっていて、辛辣な精神の持ち主でなければならないのだ。そのころカーディナルスでは…という具合に二つのチームを軸に、歯切れのよい文章が綴られる。この時代のメジャーリーグを知らぬ者にとってわかりやすい。まずジャーナリストであり、ベースボールを敬愛する人物だという印象である。ある日のロッカールームでのエピソードひとつひとつがおそらく何人もの取材を経て生まれているのだろう。

2002/12/03-9175
過去が我らを呪う ジェイムズ・リー・バーク
鈴木 恵 訳
角川文庫 2001年1月25日初版発行
   毒毒度:2
“人間はある年齢に達すると、もう自分に言い訳をしなくてもいいという贅沢を許されるようになる”

タイミングが合わず、1作目、3作目、5作目、7作目という奇数号?しか収集できていないデイヴ・ロビショーものの5作目。アメリカ合衆国で起こる諸悪はともかく、昨年出した本をもう新刊で「入手不可能」にするこの事態を何とかしてくれよカドカワくん。八重洲ブックセンターにまで乗り込んだが既に『ディキシー・シティ・ジャム』と『燃える天使』しか遺されていなかった。ふむう。内容はといえば幼馴染みソニエ家の3兄妹が抱える問題にロビショーが挑む。CIAやマフィアと関係する長兄ウェルドン、今はテレビ伝導師の次兄、兄弟と寝ていた妹、ウェルドンの義兄は、元KKKの幹部である州議会議員。ロビショーの捜査にイラつきながら、ロビショーの元相棒クリータス大暴走というパターンは健在。1作目と3作目に比べれば、展開はスピーディー? 純文学的表現の迸った初期の作品に比べると過剰な感情表現が抑えられ、ハードボイルドが板についてきたってところか。

2002/12/01-9176
「古き沈黙」亭のさても面妖 マーサ・グライムズ
山本俊子 訳
文春文庫 1992年3月10日第1刷
   毒毒度:3
“マキャルヴィの寛容は性や年齢、主義主張や人種には関係なかった。仕事にミスをしないかぎり、彼は限りなく寛大なのだ。そして人間には過ちがつきものだということはじゅうぶん理解でき、同情もできると公言していた。もし猿がほんとうに『ハムレット』をタイプすることができたら、彼は同僚の九十パーセントよりもむしろ猿と組んで仕事をするだろう”
“このクラシックなスペインの曲を引き立てているのは弾き手の《アティテュード》ではなかった。彼がギターを弾いているのではなく、ギターが彼を弾いていた。”

パブ・シリーズ10作目を、こうして残していたのだ。奇しくも、先月の『「悶える者を救え亭」の復讐』に続きハードボイルド刑事マキャルヴィの登場編である。幸せ薄げな美女に心惹かれるジュリーという構図はもはやお約束になってしまったが、今回は結構センセーショナル。なんとジュリーの目前で美女が夫を銃殺するのだ。どうやら、以前起こった継子の誘拐事件がからんでいるらしい。ハンサムで人当たりのよい夫に対して、妻は躁鬱気味だと言われていた、実の親にでさえ。そして荒涼としたイギリスのムアで第二の殺人が…。ヴィヴィアンは例によってイタリアへ旅立とうとしているし、メルローズ・プラントと、初登場の《ニューヤーク》から来た《ホットな》作家エレン・テイラーの乱暴な?ロマンスもある。事件にかかわる、シロッコというロック・バンドのギタリストの謎めいた生い立ち。クライマックスはハマースミス・オデオンでの派手な立ち回り。かなり分厚いが最近の作品に感じた冗漫さは気にならない。ギタリストという人種をグライムズはかなり研究したように見受けられる。謝辞にはほとんどのギタリストの名前が…。そんなわけで得した気分。ところでドタバタアメリカ旅行の後のパブ・シリーズってどーなってんの?

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