●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2003-02

2003/02/26-9114
酔いどれの誇り ジェイムズ・クラムリー
小鷹信光 訳
ハヤカワ・ミステリ文庫 1992年4月30日発行
1999年9月30日3刷
   毒毒度:4
“長い間合いをとって、おやじはつけ加えた。「もう一つある。便所に這いつくばってるときしか、酒飲みを信じちゃいかん」”

私の名はミルトン・チェスター・ミロドラゴヴィッチ三世。職業は酔っぱらい。神様も公認済みだ。人が酒を飲むのは忘れるためか、あるいは忘れずにいるためだ。その昔おやじから聞かされた、酒と酒飲みについての話を思い出している。酒場の便所で吐いていたのを私に見られたとき、おやじは言った。「坊主、酒を飲まない男を信じちゃいかん」と。そういう手合いはひとりよがりで、自分はいつでも善悪の区別がつけられると思い込んでいるが、その実、世の苦しみの大半を作り出しているのだと。酒を飲んでも酔いつぶれない奴らも信用できない。なぜなら自分が臆病者か狂暴ではないかと怖れているからだ、自分を怖れるような男を信じるわけにはいかないだろうと。便所で、薄汚れた便器に吐いているような男は信用していいときもあると。だが忘れちゃいけない、信用していいのは便所に這いつくばっているときだけさ。
酒を飲みながら、かっぱらいが逃走中に轢かれて死ぬのを眺めていると、女が訪ねてきた。行方不明の弟を探してくれという。一旦はビジネスとして成立しなかったが、ほどなくその若者が麻薬の打ちすぎで死体で発見され、酔いどれ探偵が調査に乗り出すこととなった。姉は天使のように思っているがあの若者はそうではなかった。人は見かけではない。事件は解決したが、私は気づかなかった、女の外見の下に隠されているものについて。

2003/02/24-9115
きつねうどん口伝 宇佐美 辰一
聞き書き:三好広一郎・三好つや子
ちくま文庫 1998年10月22日第1刷発行
   毒毒度:-4
“プロはお味にこだわると同時に、仕事のしやすさということを大切にせんとあきません。それは手を抜くということとは違います。手を引くということなんです。
 つまりええ材料を使うと量が少なくてすむ。技術を磨き、手順を考えることによって、同じものをつくるにも時間をかけなくてすむ、ということなのです。上手な引き算をするには、自分の片腕となる道具のことを考えんとあきまへん”

あっさりで、まったりで、こってり。ひとつにまとめて、はんなりした味。適温、適材、適技、適量、適心で、はんなり。語るのはきつねうどん発祥の店、松葉家の二代目。100%の腕の職人が作る、85%くらいの出来のうどんなら、毎日飽きずに食べてもらえるそうな。

2003/02/23-9116
舞え舞え断崖 赤江瀑 講談社文庫 1989年1月15日第1刷発行
   毒毒度:1
“古い骸をつつみこむ、それが都の春衣なのだ。
 都は、今年も騒然と花めいて、人を呼び、人を呑む”(棺の都)

そしてときどき、本の幽霊に会う。

2003/02/22-9117
昼下がりのギムレット オキ・シロー 幻冬舎文庫 1999年11月25日初版発行
   毒毒度:2
“「インドシナからなくなっても、人間はまたどこかで始めるでしょうよ」
 ジムは小さく何度か首を横に振り、それからちょっと眉をしかめて、ギムレットを少しすすった。
 そうかもしれない。わたしはどこかで聞いた《男は三つのWをやめられない》という言葉を、苦い気持ちで思い出していた。三つのWとは、WhiskyとWomanとWar”

明日カンボジアへ発つというジムと、グアムのコンチネンタルホテルで飲んだギムレット。生のライムを使ったそれは、甘ったるいと思っていたギムレットの、本当の味を教えてくれた。トーキョーでの再会を約束したが、以後10年彼からの電話は、まだ鳴らない。
男の友情もある、男と女の恋、スレ違い、男が抱く男への思いまであって、都会の夜は深いのだ。

2003/02/20-9118
土を喰う日々 --わが精進の十二ヵ月 水上 勉 新潮文庫 1982年8月25日発行
1998年5月30日17刷
   毒毒度:3
“人間は、不思議な動物で、口に入れる筍の味覚のほかに、とんでもない暦のひき出しがあいて、その思い出を同時に噛みしめる。土にうまれたものを喰うことの楽しみ、といってしまえばそのとおりだろうが、口に入れるものが土から出た以上、心ふかく、暦をくって、地の絆が味覚にまぶれつくのである。これも、醍醐味の一つか。”

ゆり根の甘炊き…今年の正月は作らなかった。嗚呼ゆり根喰いたい。9歳から禅寺の侍者をし、毎日精進(料理)していた著者が、軽井沢住まいの今日、畑の野菜、山菜、果実といった旬の材料で綴るクッキング・ブック。五月の章、筍。十月の章、栗。いいですねえ。表紙も扉絵も描いちゃってます、多才。ほんとに今の今までミナカミツトムと呼んでいました、ごめんなさい。
ところで今日は上海へ赴任する友人の第一回壮行会。高田馬場の餃子店、ここは十年ぶりぐらいか。今週は極めて人間的な生活を回復しつつあって、よろこばしい限りである。いつまで続くかは神のみそ汁。

2003/02/19-9119
オトコ、料理につきる 三善 晃 文春文庫 1990年6月10日第1刷
    毒毒度:3
“厨房作業のどのプロセスにも、孤独の楽しみがある。孤独といっても、他人の悪口つぶやいたり、独りよがりな考えにおちいって自分をおだてたりする、メメしい孤独でなく、言ってみれば精神の旅である。カミュ流に言えば、日常における自己離脱(デコルマン)だ。”
“鍋の中にジンセイが見える。来し方、行く末の自分がそこにいて、これほどおもしろい見ものはない。おもしろくてタメになる、つまり、生きた辞典みたいなもので、これを男がひもとかぬ手はない。”
“夏の夕方、冷えたシェリーの一杯のあと、冷たい白磁のカップに注がれたヴィシソワースを掬(きく)する刻(とき)、貴方(あなた)の生は世界を抱擁しながら凝縮して宴(うたげ)となる”

なりたかったのはウォーターシュートの船頭と動物園の園丁と料理人。実際には、東大の仏文科を出て仏蘭西留学、結構晩婚の作曲家、毒読初登場。手際のよさが目に浮かぶ文章。実は同僚からの借り物。料理関連3冊と『暮らしの手帖300号記念号』と『文藝春秋12月臨時増刊号』をまとめてセレクトしてくれた。風呂の中で読むクセがあるらしく、いずれもシワとヨレが目立つ(笑)。
料理とは精神の旅なのだそうな。然り。最近旅してないなー。一昨年はクリエイティブなことといえば料理だったのだが、昨年夏の忙しさからこの半年、休日はといえば寝ていたりもしばしば。文章も、シゴト文ばかりで渾身の毒読とはずいぶんごぶさたではないか。1カ月もすれば筍の殺戮と苺ジャムの季節、ル・クルーゼも買ったし、そろそろ始動ですかね。

2003/02/18-9120
夢の10セント銀貨 ジャック・フィニィ
山田順子 訳
ハヤカワ文庫SF 0000年0月00日初版
   毒毒度:2

2003/02/17-9121
悩ましき買物 赤瀬川原平 光文社文庫 2002年6月15日初版第1刷発行
    毒毒度:2
“またふっとバッグが目に入ってしまった。
 またもや出合いがしらだ。
 いいなあ。一目でわかる。もう自分はあれを買うだろう”

珍しく、平日の昼間に池袋で2時間の空きが生じる。書店とも思ったが思い付いてハンズへ。バッグのコーナーでPowerBook運搬用を探してみるが購入には至らず。もう大人なんだからホントに欲しいものを買いたいものだ。妥協はいけないのだ。と思うのだが実は、家に置く電話ひとつ探せないでいる。充電池切れで通話不能、どうせパソコンに繋いでいるだけなので気に入ったのが見つかるまでと思ってから2年経過。ついに友人から不要の電話機が与えられてしまった。
路上観察の達人でも買物には迷いがあるようだが、よくしたもので夫人の「あら、いいじゃない」で結構問題は解決しているもよう。通販も数々あれど、自分の目でいいモノを探すのにはやはり歩かないと。

2003/02/16-9122
玲子さんの「好きなものに出合う旅」 西村玲子 講談社文庫 2003年2月15日第1刷発行
    毒毒度:-2
“雑草を手で折って押し花にしていた私、後ろめたい気持ちにさせられた。庭の花も公園のも、そして道端のも窓辺の花も、すべてみんなのために存在しているのだ、イギリスの花は”

やっぱり旅に出たくなる。今の時期京都か奈良かな。旅心を刺激してくれる本。でも花は美しく咲くけど刺もある。ニューヨークの旅。シックで憧れのフォーシーズンズ・ホテルでさえ気を抜いてはいけないのだ。作り付けの棚に買ったたものを並べて最終日にペンダントヘッドがひとつ紛失しているのに気づく。こういうのは後味悪い。

2003/02/15-9123
モンスター・ドライヴイン ジョー・R・ランズデール
尾之上浩司 訳
創元SF文庫 2003年2月14日初版
   毒毒度:2
“そうなのさ、相棒、《オービット》には、特別わくわくするものが満ちあふれていたんだ。ロマンティックなもの。ぶっ飛んでいるもの。いかれたものが。
 そしてついにはとんでもないものまでね。”

いつもの週末、お約束のB級ホラーオールナイトのはずが…真っ赤な彗星が襲来してドライヴインシアターに閉じ込められた。脱出しようとした家族はクルマごと消え去り、取り巻く黒い物体に腕を突っ込んだカウボーイは外からだけでなく内側からも何かに喰われた。食べ物もなくなり時間さえもわからない。やがて狂気にとらわれた人たちは殺し合い、喰い合いをはじめる。そんな中でぼくにとって一番怖かったのは、クールな大人として尊敬していたウイラードと、シャイな仲間のランディが合体して邪悪な怪物となったことだった。
お待たせ、ランズデール。なのだが、あまりに創元らしくないカバーゆえ平積みの中からさがせなかったほど。そして薄く、読みやすい。怪物、クルマ、宗教団体というランズデールのホラーではおなじみのキャラ(?)総出演。謎の飛行物体の襲来で閉じ込められる話といえばマキャモン『スティンガー』で、隣人が飼犬と合体して化物になって出て来るシーンがあったので、どうも新鮮味に欠けてしまう。もっと以前に訳されていたら私ごときにこんなこと言われなかっただろうに。人肉喰いでもケッチャムほどに嫌悪感を感じさせないのはランズデールの人柄(笑)なんだろうか、不思議。序盤の主人公の両親の出演場面が結構好き。原作が読みにくいとかいう評判はランズデールの場合は聞かないが、一度手にとって雰囲気をつかんでみるもの悪くないか。

2003/02/14-9124
青の時代
伊集院大介の薔薇
栗本 薫 講談社文庫 2003年1月15日第1刷発行
   毒毒度:1
“そうですね。ぼくの専攻は、人間なんです”

西北大学で名探偵を目指していた伊集院大介若かりし頃の、ある事件。カリスマ学生演劇主宰者、主演女優の座をめぐる争いの渦。モノローグの担当は女優・花村恵麻。当然キャンパスのモデルは作家が卒業した早稲田大学で、70年安保に遅れてきた活動家や学生演劇やら当時のまま懐かしく描かれているようだ。ヒロインの恋人は京都の料亭のぼんぼんで小柄な美形ということはまんま当時の作家の恋人がモデルなのだろう。携帯電話もない時代に殺害現場の舞台からかかってきた電話の謎を解明してくれよ〜、電話は稽古場の中にはなかったよね、だって発見したときに近くの公衆電話に行って警察に通報してくれって会話があったものねと少々不満も残るが。ま、ミステリだと思わなければ腹はたたんのだった。

2003/02/13-9125
12宮12幻想 津原泰水 監修 講談社文庫 2002年5月15日第1刷発行
   毒毒度:1
3日連続で和もの、しかもホラー・ジャパネスクに浸ったが少々苦痛。だってどんどん読めてしまうのだもの。読みやすいというのは長所だけではない。400円文庫を年間1000冊とか読んでも決して幸福ではないだろう。

2003/02/12-9126
血の12幻想 津原泰水 監修 講談社文庫 2002年4月15日第1刷発行
    毒毒度:3
“みんなの血の中には、現在--若い時しか含まれない成分が熱くたぎっていた。愛や希望や友情や思いやりや情熱や怒りや喜びや悲しみや慈しみが。おれたちは、それから出来ていたのだった”(早船の死/菊地秀行)

血の物語なればこそ。菊地男爵、小林泰三、柴田よしきなど、気になる作家多数。あの『巨人の星』のちょーブラックパロディと思われる田中啓文「血の汗流せ」には笑わかしてもらった。ごっくん。

2003/02/10-9127
エロティシズム12幻想 津原泰水 監修 講談社文庫 2002年3月15日第1刷発行
    毒毒度:2
“この男は内臓を掻き回されながら勃てているのだ”(FLUSH 水洗装置/南智子)

12人の作家によるエロティックなアンソロジー。今月個人的に注目の津原泰水が監修。ちょっとどころではなくかなり、電車の中では読み憚られる本。

2003/02/09-9128
ホラー小説時評1990-2001 東雅夫 双葉社 2002年8月15日第1刷発行
   毒毒度:2
時折この本を眺めては収穫の目星をたてる。ジャパネスク・ホラーを敬遠しがちな私にとっては指南役としてかなり心強い存在。今回は津原泰水のデビュー作『妖都』をamazonで注文してみたところだ。

2003/02/08-9129
星の葬送
グイン・サーガ第88巻
栗本 薫 ハヤカワ文庫JA 2003年2月15日発行
   毒毒度:1
“もう二度と、少しでも似た存在さえ、生まれ出てくることはないだろう”

アルド・ナリス死す。もはや、敵を欺く偽りではない。まごうかたなき死である。リンダ、ヴァレリウス、そしてパロのひとびとだけでなく中原をそっくり包む、喪失の思い。ひとつの星が墜ちた。それは嵐の到来の幕開けなのか。

2003/02/07-9130
時の本 村上龍・高橋源一郎・二間瀬敏中・
中島善道・川村浩・織田一朗
光琳社出版 1998年10月28日初版発行
    毒毒度:0
“ぼくたちが闇をおそれるのは、記憶の中に埋め込まれた種の本能が太古の、『死』に繋がるむすうの出来事を思い出させるからだ”(時と文学:見出された時 高橋源一郎)

今は亡き光琳社出版のフェアが、さるBOOK-OFFにて開催されていた。300円均一。『空の名前』『宙ノ名前』『色々な色』『草木の本』というロングセラーは1カ月後にはさすがに売り切れ、これは売れ残りというわけである。凝った造りだが、書き手の誰かのファンでない限り3200円では購入しないだろうと思われる。時をイメージした夥しい数の図版(PhotoSHOPのチュートリアルか?)をうっとうしく感じるならなおさら。

2003/02/06-9131
ロスト・ソウルズ ポピー・Z・ブライト
柿沼瑛子 訳
角川ホラー文庫 1995年8月10日初版発行
    毒毒度:3
“小さなナッシングは大きな濃青の目と金茶色の髪をした、砂糖菓子のように愛らしい赤ん坊だった。誰かが彼を愛してくれるだろう。南部から離れた、暑い夜の風と伝説とは無関係の人間が。ナッシングは血に対する飢えから逃れられるかもしれない。完全な人間として幸福になれるかもしれないのだ”
“空気は長く甘い夏の死と、きらびやかな秋の帰還の香りがした”

ニューオリンズの場末のバー、クリスチャンの店。15年前のマルディ・グラの最後の晩、ひとつの生命が宿った。母親はヴェンパイアに憧れる家出娘。父親はシャルトルーズでしこたま酔っぱらった、美貌のヴァンパイア、ジラー。血を吸われた人間はけっしてヴァンパイアになれない。切り裂かれた死体は河に捨てられる。ヴァンパイアと人間は別の種族なのだてヴァンパイアの子供が産まれてくるとき、母親の産道は切り裂かれる。小さなナッシングも例外ではなかった。お産に立ち会ったクリスチャンに名付けられ、メリーランドの富裕な家の玄関に置き去られたナッシングは成長し、ミッシング・マイルのパンク・バンドに憧れて家出する。そして黒いヴァンに拾われた…。
ダン・シモンズに強烈に後押しされた女性作家による、耽美ヴァンパイアもの。安心の柿沼瑛子訳。互いに父子とは知らずに愛人関係となるナッシングとジラー、ナッシングが憧れるパンク・バンド「ロスト・ソウルズ?」のギタリスト・スティーブとヴォーカリストのゴーストもまた美形となるとどうしてもアン・ライスのシリーズを思い起こさせるが、これ1冊で完結しているところがよいかも。角川の陰謀で通常入手はできないが、古本屋ではゲットできそうだ。

2003/02/04-9132
色を奏でる 志村ふくみ・文 井上隆雄・写真 ちくま文庫 1998年12月3日第1刷発行
2001年4月30日第4刷発行
    毒毒度:2
“粋と気品の合った地味好みで、長襦袢だけがいつも匂うようだった。濃いえん脂にグレーの縞や、藍に白と茶の更紗風の花の袖口からこぼれるようなのが美しかった。どこにも売っていない正体不明の、おそらく古径先生が外国の古裂でも買ってこられたのか、そんな裂で帯も無造作にしめていられた。その人の眼だけでつくり上げた着物、ひと筋しゃきっとした軸がとおっていて、抑えても抑えても情のこぼれる装いだった”

ちょうど2年前の春に読んだものである。昨年暮れに人に贈り、手元になくなったので補充してみた。もちろん補充は東銀座K造社書店にて。裏切られることはない。

2003/02/03-9133
異国の窓から 宮本輝 光文社文庫 2003年1月20日初版1刷発行
   毒毒度:4あるいは-4
“私の唯一の特技は、おそらく、三十年前の、いずことも知れぬ道端に落ちていた下駄の片方を、その汚れ方や鼻緒の破れ具合まで覚えていて、たったひとつの下駄を糸口に、近くの安アパートのたたずまいとか、放置されていたドラム缶とかを思い起こせることなのだ”
“創造というものは、おそらく、それまでどうしても見えなかった何物かが、ほんの少し見えた瞬間から始まる。〈創造〉は、人それぞれによって、〈希望〉や〈成長〉や〈闘志〉や〈真の教養〉などに置き換えられるだろう。どこにも線など引かれてはいない国境を一歩またいだだけで、雲の色や草の色があきらかに変わるのを見て、長い苦しい恋に終止符を打てたり出来るのが、人間の心の不思議さである。そして、この不思議なるものの感知は、金では買えない”

その昔、朝日新聞の連載小説に『ドナウの旅人』があった。1982年、執筆に先立ち取材でドナウの国々を訪ねた紀行文集が、本書である。夢のような風景。父への想い、自らの病を抱えた3千キロの旅。けっこう好みの文体。本人の科白はときどき関西弁。ガイドの青年イシュトヴァーン(!)のインポッシブル・ドリーム・日本留学を実現させようと思い立つハンガリー編、女性歌手との一瞬の触れ合いがつづられたユーゴスラヴィア編あたりには、旅=人生という言葉がとても似合う。ファンタスティック。

2003/02/02-9134
何かが道をやってくる レイ・ブラッドベリ
大久保康雄 訳
創元SF文庫 1964年9月30日初版
1992年3月6日48版
   毒毒度:3
“あのカーニバルは、われわれがたがいに犯す罪の毒気と、われわれの最も烈しい悔恨の激情によって、生きながらえている”
“そんなふうにして、広い館内の、広い部屋の空気に無数の本を書き、それを、ことごとく天井から外へ吹き飛ばしながら、生涯をおくってきたのだ。”
“それは、動かなくなった時計であり、喪失であり、終局であり、闇なのだ。無だ。そして、われわれは形のあるものよりも無を恐れていることを、あのカーニバルは賢明にも知っている”

闇のカーニバル。畸形人たち。回転木馬に乗って若返ってくる老人。入った者を溺れさせる鏡の部屋。迷い込んだ子供たち、ジムとウィルは13歳。万聖節前夜、永遠に子供ではいられなくなったあの夜の物語。
図書館勤めのウィルの父親が、いい味を出している。晩婚、遅い子持ち、54歳といえば中年を越え老人とも言える歳だ。だが息子とその友人をとらえようとする闇へ、この父親は戦いを挑む。やるときゃやるのだ。友情、親子の絆、生と死。ブラッドベリ〜マキャモン〜シモンズのボーイズライフものにお約束のキーワードしっかり、ありあり。

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