●あと10000冊の読書(毒読日記)  ※再は再読の意 毒毒度(10が最高)

2003-07

2003/07/31-9010
祈りの海 グレッグ・イーガン
山岸真 編・訳
ハヤカワ文庫SF 2000年12月31日発行
   毒毒度:4
“自分はほんとうのぼくだろうか。それとも、ぼくになることを学んでいる、ただの宝石だろうか、と” (ぼくになることを)
“自分という存在が、自分の行動を決める--それ以上のどんな《自由》を、人は要求できるというのか?” (百光年ダイアリー)
“ありとあらゆるかたちでわたしが生き、そして死ぬだろうというときに、わたしが引きかえさないことで、恥辱にまみれずにすむ者、それこそが--
 わたしというものなのだ、と”(無限の暗殺者)

テーマはどこまでも切ない、自分さがしの旅。人はただ死ぬだけだがどんな人生も生きられる、あるいは死は避けられないが、生きている間にどんな可能性をも想像することを許されている。人生に意味はないのだが、それでも生きるに値する。すべてが一人称で語られているから単純に《哲学小説》というわけではないだろうが、カントがどうしただのフッサールがこうしただの語るのが哲学ではない、本来哲学とは他の誰でもない《わたし》の問題のはずだ。というわけで再毒である。これだけ読みやすいのは作者の力はもちろんのこと翻訳がきっと素晴らしいのだと改めて思う。『しあわせの理由』中の「ボーダー・ガード」の超遠過去話が収録されていることも確認。

2003/07/29-9011
しあわせの理由 グレッグ・イーガン
山岸真 訳・編
ハヤカワ文庫SF 2003年7月25日初版発行
 毒毒度:4
“というわけで……あたしは死も踏みにじったし、母性も踏みにじった”(適切な愛)
“老いはなにかのまちがいか、まわり道か、災厄のように感じられる。二十歳のわたしは不死だったではないか? あと戻りする道を見つけるには、まだ手遅れではない”(移相夢)
“もし、闇の中ですごした長い年月を通して、ぼくがかたくなに信じていたことがあるとすれば、それは自分が種子のようなものをもっている--自分の中にはもうひとりのぼくがいて、そのぼくはチャンスさえあれば、生きているといえる人間にふたたびなれる--という可能性だったのではなかろうか? そして、そんな希望的観測はまちがいだったことが、これで証明されたのではないか?”(しあわせの理由)

あなたは不老不死を望むか。脳だけを残し他の部所をまるっきり別の他人のものに変えてしまってもなお愛する人の生を望むか。人生が痛みに満ちていてもほんのちょっとのよろこびに人生の意義を見いだせるか。やがては死という避けられない結末を迎えるこの人生を、泣いたり笑ったりしながらまっとうできるか。イーガンの物語でなされる問題提起はすべて哲学、倫理学、宗教学の領域といってよいだろう。哲学を専攻する者の間では「私が誰であるか。人生は生きるに値するか? という問いに科学は何も答えてはくれない」とよく言われる。その問いに答えようという試みができるのは哲学においてしかない…と導かれていくわけだけれども(そうやって極端に就職率の悪い学科へ入学してしまった学生にも生きる意味を確信させてくれるのだ、まあそれはさておき)、イーガンの作品を読むとまさにこの流れが無理なく小説化されているではないか。本来哲学がなすべきことをこの作家はSFでやってのけている、という思いは2年前に『祈りの海』を読んだときと変わらない。どこにもない物語とか哲学小説と解説されても、今さらなのである。

2003/07/28-9012
猫たちよ! 浅井慎平 角川文庫 1995年12月25日初版第1刷
  毒毒度:0
友人が古本屋にて収穫。別に猫からしてみればカメラマンは浅井慎平じゃなくてもいいんだけど。世界の猫たち。「いいちこ」ポスターの撮影で出かけた場所かもしれない。どうせなら個々の写真に撮影場所の明記が欲しいところだ。

2003/07/24-9013
野菜いっぱい大地の食卓 鶴田静/写真・エドワード・レビンソン 知恵の森文庫 2003年7月15日初版第1刷発行
  毒毒度:-2
“太陽が育てた料理を食べる。それも地球に感謝する一つの方法でしょう”

自分でも信じられない話だが電車の中に読みかけの『クリムゾン・リバー』を忘れ(というより落とし)茫然。前代未聞のできごとである。実は古本屋で収穫してここ数週間持ち歩いたもののゼンゼン毒破できなかった本(尾道行きにまで連れていったが広島の雨でボロボロ)。さてはとことん縁がなかったのか。家には積毒本も数々あれどさしあたっては復路に読む本がない…というわけでYブックセンタを覗く。こんなことならイーガン『しあわせの理由』を今買えばよかったなどと思いつつ。
房総の田舎暮らしを続けるカップルから贈り物。個々の素材の歴史、エピソードを盛り込みながら、ヴェジタリアンのレシピがいっぱい。これでわが家の粗食(素食)化推進に拍車がかかるか? 週末は工作台を引き取りに伊那から来客予定。もちろん得意のインドカレーと最近得意のダンドラナイチキンでおもてなし予定。

2003/07/22-9014
書斎曼陀羅/本と闘う人々2 磯田和一 絵と文 東京創元社 2002年3月15日初版
2002年5月15日3版
   毒毒度:4
嗚呼、16畳もある部屋なのにカニ歩きしかできず、素敵な窓もいつしか本に埋もれ(鹿島茂邸)、確かに住居であるのに居住スペースのない石原祥行邸…そんな家全体「まるごと書庫」的風景に圧倒される。石原祥行氏は2003年1月発行の「男の隠れ家別冊」でも取り上げられているが、蔵書が多すぎてついに私設図書館を作ってしまった方。『書斎曼陀羅』では独身の才人として登場しているが、「男の隠れ家」では美しい伴侶を娶られた様子。「男の隠れ家」より石原氏の言葉を引用しよう。

“本は聡明で、悲しく、たくましく、静かで、あたたかく、ときにうっとうしいものですが、コンピュータ上の情報とは違う。愛すべきものですよ”

2003/07/22-9015
書斎曼陀羅/本と闘う人々1 磯田和一 絵と文 東京創元社 2002年3月15日初版
   毒毒度:3
実は蔵書数を把握していない。計算上では毒読日記をつけはじめてからの4年分で1000冊弱なのだが。地下の図書館は未だ未完成だが、ここいらで本と日々闘う人々の書斎を再び眺めることとする。本棚を高くしすぎて上段の本のタイトルが見えないため部屋の中で双眼鏡を使うという阿刀田高氏。膨大な数の本に加えワインを2千本も貯蔵する藤野邦夫氏…嗚呼。

2003/07/21-9016
市場の朝ごはん 村松友視 小学館文庫 2000年10月1日初版第一刷発行
 毒毒度:-1
“金沢の奥は深く、そしてしたたかに屈折しているようだ”

「さて築地場外のおすすめをひとつ。住吉神社近く、鰹節店の斜め前あたり、建物自体が傾きかけているがひるんではいけない、営業中だ。天丼と天ぷらごはんのみのメニュー、どちらも1000エン也。親父が揚げて娘さんがご飯を盛ってくれる。漬物のひと皿はおかわりが出ることも。午前5時から午後2時。築地にお越しの節はお試しあれ」と毒読日記に書いたのは3年前。実はこのときすでにこの店は無かった。跡地は駐車場になっている。あの親爺さんはどうしたのか。私の勤務先ももはや築地にはない。月日は巡り行く。
さて金沢の下調べ。前置きが長かったり道草するのは個人的には好きだけれど、千差万別、十人十色、いらつく人もいるだろう。そういえば尾道のまちも載っていて、おいなりさん誕生秘話なんて感じでちょっとつまらぬ問答がある。おいなりさんは漁師でなくても誰でも食べる。ちなみに業界人もこれを急いで食することが多いんだけどな。もしかしたら村松さんは蕎麦派なので、「うどんといなり」なんてメニューにあんまり馴染みがないのかも。

2003/07/17-9017
猫の宇宙 写真・文 赤瀬川原平 柏書房 1994年10月25日第1刷発行
再再 毒毒度:1
“世の中にはほだされるという受身の力だけが存在していて、ほだすという力は存在しない。猫はその関係を熟知した上で、自分の存在をほだされるという受身世界の延長線上で待ち受けている。ほだすということは最初からできないのだから、ただじっと眠っていればいいのであって、相手がほだされるのをじっと待つ。”

猫の振る舞いに人間がほだされる、というのはもちろん猫の差し金(笑)。尾道の猫写真はまあ思ってたことの10%くらいしか撮れなかった。ゼンゼン修業足らず。路上の猫といえば赤瀬川先生。パリの猫を阿佐ヶ谷に連れていく。金沢の猫が築地の空家にいる。ところで赤瀬川先生も尾道を訪ねたことがあるらしい。先日、尾道の下調べをしていたらそんなサイトもあった。「どこか懐かしいまち」というような先生らしからぬフツーの発言でちょっとガッカリしたのだが。

2003/07/16-9018
リトルスタイルブックス2
FRENCH STYLE
SUZANNNE SLESIN, STAFFORD CLIFF
Photographs by Jacques Dirand
嶋田洋書 1994年10月
  毒毒度:-2
外まわりからキッチン・バスルームまで暮らしのヒント、コンパクト版。印刷写真のクオリティがちょい低めなのは仕方ないか。

2003/07/16-9019
The Country Quilter's Companion Linda Seward
Photography by James Merrell
MITCHELL BEAZLEY 1994 Reed International Books Limited
  毒毒度:-3
たぶん写真集のコンパクト版のはず。昔はカントリーに憧れたこともあったけれど、今は全部が全部カントリー!だと、きっと疲れる。

2003/07/16-9020
タダで入れる美術館・博物館
お得で楽しいTOKYO散歩
東京散策倶楽部 新潮OH!文庫 2000年10月10日発行
  毒毒度:-1
行ったことのない場所へ足を踏み入れるのは旅かも知れない。近々予定している中央線古本屋めぐりの際に「山本有三記念館」へと寄ってみようか。

2003/07/15-9021
玲子さんの私の好きなもの 西村玲子 講談社文庫 1994年11月15日第1刷発行
 毒毒度:-2
“何かを見つけて、衝動的に買いたくなったとき、それはきっと潜在的な何かがあるはずだ”

中身を見て買ったはずだけど、読みはじめてからうん?やっちゃったかも。そうもしかしたら既読かもしれない。俗にいうブランドにはまったく興味はないが、一応流行をおさえておくアンテナはね。

2003/07/15-9022
「旅のように暮らしたい。」 西村玲子 講談社文庫 2002年8月15日第1刷発行
 毒毒度:-2
“旅に出ると解放感と共に寂しさがついてまわる。楽しければ楽しいほど虚しい気持ちが芽生えてくる。人間とはどこまでも単純に割り切れないやっかいな動物である。その日その時を丸ごと楽しめばいいのに、旅人だということで、日常を引きずっているのだ”(旅のように暮らし、暮らすように旅を)

週末の小さな旅に出た。2日目はお約束の自転車だが初日は夕方までフリーということで、広島空港からバスと電車を乗り継いで尾道へ入る。坂と路地と猫のまちと聞いている。「招き猫美術館」の看板猫・小梅ちゃんに会えるだろうか? 駅舎から出ると海である。歩いていると茶色の犬が近寄ってきて、それはなんとインターネットでもウワサのガイド犬「ドビン」ちゃん。しばらく商店街を案内してくれるが、突然寝そべって休憩に入ったのでそこで別れる。小路をウロつき、人気店「朱華園」にてラーメンを食す。並ばずに座れてラッキー。私には脂玉がちょっとしつこいような気もするが量はほど良い。千光寺山ロープウェイに乗り山頂へ。たった数分で味わえる360度パノラマ。歩いて降りて、いよいよ「招き猫美術館」へ。玄関で靴を脱ぐか脱がぬかうちに、小梅ちゃん発見。うーん数々画像も見たけれど実物はさらに美しい。女王の品格である。しかし気さくに挨拶に来てくれてお腹をさするとごろん。歩いて汗だくだったので手はたちまち小梅ちゃんの毛だらけ(ちょっと嬉しい)。展示物の招き猫そっちのけで撮影会となった。そこへ先程別れたドビンちゃんが登場。もともと山の手の子だとか。この時点で私は本日のエネルギーを使い果たし、時間的に食事にありつくチャンスを失ってしまう。その後れんが坂で思いがけずグレちゃんとハナジロちゃんと思われる猫に遭遇、坂の途中に坐り込んで遊んで貰った。情報ほどには猫の姿を見かけないがまあこの暑さではね。恒例酒の買い付けを向酒店で済ませ、集合場所の三原へと向かったのだった。

2003/07/14-9023
奇妙な味の物語 五木寛之 集英社 1988年7月25日第1刷発行
1990年6月10日第8刷発行
 毒毒度:3
“ポルシェのエンジンが背後で歌っている。ぼくの心も歌っていた。五月の夜は若かったが、ぼくらはもっと若かったのだ”(ファースト・ラン)

クルマ好き、女好きがニヤリとできるか。某BOOK-OFFにて収穫。ふだんはあまり単行本の棚は見ない。絵が宇野亜喜良ってのは、幼い少女のカタチをした怪物にふさわしい装幀である。

2003/07/11-9024
東京古本とコーヒー巡り 散歩の達人ブックス
[大人の自由時間]シリーズ
交通新聞社 2003年3月1日初版第1刷
2003年4月1日初版第3刷
 毒毒度:2
地下のブックカフェには壁(エコカラット)も床(コルク)も貼られ完成に近づいている。いや、ここに収められる本のことを考えるとまだスタート地点にすぎないか。書棚と読書テエブルと居心地のよいチェアー。旨い珈琲と濃い目のミルクティ、本日のケーキと特製インドカレー。裏メニューでカレーライスってリクエストもあるがそれはどうかな。
荻窪、西荻、三鷹あたり…中央線沿線の古本屋&ブックカフェ探索に出かけたい今日このごろ。

2003/07/11-9025
ふだん着のパリ野菜料理 平野由希子 雄鶏社 1998年8月30日
再再再   毒毒度:-2
黄ピーマンとトマトで何かできないかな。にんにくの残りと鷹の爪をオリーブオイルでいためて、みじん切りの黄ピーマンを加え、さらに1cm角のトマトを加えてちょこっと煮込む。味つけは塩・こしょう。平野さんの「ピペラド」を参考にしてみた。ナンやトルティーヤに続き東急ストアで最近売られはじめたピタパンにはさんでいっただきまーす! 余りは瓶づめにして冷蔵&冷凍保存。

2003/07/10-9026
フランケンシュタイン メアリー・シェリー
山本政喜 訳
角川文庫 1994年11月25日改版初版発行
 毒毒度:1
“人間はみんな不幸なものを憎むものだから、あらゆる生きものよりみじめなおれが憎まれねばならないわけだ!”
“呪われた創造者よ! 自分ですらいやになって顔をそむけるような、そんな怪物をどうしてつくったのか? 神は、慈悲心をもって、人間を自らの姿に似せて美しく愛らしくつくられたのに、おれの姿は、似ているがゆえにかえってよけいに不快な、きたないおまえの典型だ。”

悪魔ですら同胞を持っていた。それにひきかえモンスターの孤独。孤独を癒してくれるイヴもいないのだ。『ドラキュラ』『ジキル博士とハイド氏』と並ぶホラーの古典を読んではいないような気がしていたが、はたしてその通りであった。巻末に風間賢二の渾身の解説「モンスターとしての作品」あり。不倫関係のメアリーとパーシー・シェリー。シェリーがお近づきになりたい詩人バイロン。シェリーに嫉妬するバイロンの侍医ポリドリ。嫉妬を通じたメアリーとポリドリの友情。メアリーのステップシスター・クレアはバイロンの子を宿しつつシェリーにも言い寄る…この作品が生まれたときにレマン湖畔にいた人びとの相関図がなかなかである。

2003/07/09-9027
田園に暮す 鶴田静/写真・エドワード・レビンソン 文春文庫PLUS 2001年9月10日第1刷
   毒毒度:-2
“私達は量的に、体が必要とする以上に食べ過ぎているのではないだろうか。現代はソローが言うように、「シンプルに、シンプルに、シンプルに」食べ、簡単に、質素に、本質的に生きなければならなくなってきた。飢餓、環境、ごみ、健康、どの問題をみても、この「シンプルに」はキーワードになるだろう”

どこから種が飛んできたのか木いちごの樹が2本生え、今年はわずかだが収穫があった。たった1回分のジャムを作るのも悪くないだろう。田園でオーガニック・ライフ。全てをなぞるのは無理だが、これからのヒントに。シンプルには難しい、ホントに難しい。

2003/07/08-9028
紐育のドライ・マティーニ オキ・シロー 角川文庫 1994年5月25日初版発行
   毒毒度:2
カクテルにこだわり続けたたのは、つい10日ほど前、名古屋までダイキリを飲りに行ったからだ。
というと話は作りすぎ。途中下車で、名古屋のとあるバーへ立ち寄ったのだ。正統派。そう言ってよいだろう。ラム・ベースにこだわりダイキリとキューバ・リブレをいただいた。ソフトな物腰ながら真の姿はジミヘン命のロック・ギタリストという店主とは、次回音楽話で盛り上がらせていただこうかと思っている。久々、旨い酒をありがとうございました。JEFF BECKのTシャツなんて大人げない格好で失礼しました。

2003/07/08-9029
昼下がりのギムレット オキ・シロー 幻冬舎文庫 1999年11月25日初版発行
   毒毒度:1
こうして一滴も飲まずにカクテルの話を読み続ける不思議。

2003/07/08-9030
雨の日のチェリー・ブロッサム オキ・シロー 幻冬舎文庫 1998年10月25日初版発行
   毒毒度:1
“春の雨は意地が悪い。
 桜がやっと満開になると、まるでそれを待っていたように降りはじめる。花を散らし、女のよそゆきの髪を濡らし、そして、男を酒場へ走らせる”

その昔何度か連れられて行った銀座のバーはどうやら「テンダー」ではなかったかと。

2003/07/08-9031
テキーラの朝やけ オキ・シロー 幻冬舎文庫 1998年6月25日初版発行
 毒毒度:1
“朝もやをオレンジ色に染めながら、今しも真っ紅な太陽が昇らんとしている。”

マルガリータはテキーラ・ベース。私はテキーラはほとんど飲らない。その昔「ぼくとレコーディングしませんか。滞在中マルガリータ飲み放題」というBON JOVIからのファクスにつられて映画のサントラを録りにのこのこ出かけちゃったのはJEFF BECK様だった。ビデオ・クリップにまで登場し、かなりゴキゲンだったはず。そうそう、誰かがグラスの底のイモ虫をつまんで食べるシーンがあった。ありゃーできん相談だな。

2003/07/08-9032
ギムレットの海 オキ・シロー 幻冬舎文庫 1998年2月25日初版発行
 毒毒度:1
“優しい甘味が、ギムレットをいっそう深く、いい味にする”

ギムレットのグラスを持ったまま、思い迷う女。
どの短編のラストにもレシピとイラストつき。親切すぎやしないか? イメージに魅かれて飲んでみようって気になるってこともあるだろうに。
大人ってなんだろう。実は食べ物の嗜好に関して、私はこどもちゃんと呼ばれたりするのだ。激辛のインド・カレー好きということはまあおいといてということらしいが。昨晩は珍しく、猫社員たち(笑)と外食。ちょっと郊外の和食やへ行った。奥様の会食にもファミリーにもつかえる店。つまり明るすぎる。東京に比べむろん廉価。ただし接客はファミレス並みだった。そしてここのデザートはどうやら年中「柚子シャーベット」でありまして、「柚子禁止」の私には致命的。今回は無理を言ってコースのデザートを抹茶アイスに替えていただきましたとさ。

2003/07/08-9033
寂しいマティーニ オキ・シロー 幻冬舎文庫 1997年12月25日初版発行
1998年1月5日2刷発行
   毒毒度:1
本の山解体中。だが遅々としてすすまんのは読書家ならおわかりいただけるだろう。右のものを左に動かしただけだったりするんである。嗚呼。「飲る」ジャンル。角川があっというまに廃刊した文庫をその後幻冬舎が出したが、既にこちらも廃刊のようである。かつて創刊当時の「ブルータス」が大人の世界の教科書だった世代としては、大人の酒場できちんとバーテンダーに作ってもらうカクテルというものにこだわったりするわけだ。しかし、大人ってなんだろう。12歳が殺人を犯すこの時代に。

2003/07/03-9034
小さな草に 大石芳野 朝日新聞社 1997年4月1日第1刷発行
 毒毒度:1
“もし、豊かさに基準があるとするならば、一人ひとりの表情のあり方かもしれない。”

今力を出さんでどーするという時に力を出せない男性が多い一方で、なんだか昨今の女性はみんな凛々しくすらある。社会的にパワーを求められなかったり出す機会を与えられなかっただけで、女性の持つ力はおそらく人類創世から不変なのではないか。
塩野七生、志村ふくみに続く意志の強さを感じさせる書き手もそこかしこに増えている。書くだけでなく、写真を自ら撮り、絵を描いたりしてしまう。あまりにも威勢がよいので、こちらの体力が弱まっているときには手にとらない方がいい。やられる。吉田匠のスポーツカーの本や赤瀬川原平のトマソンものにガハガハしていた方が無難である。で、この本の作者は写真家。アジアを中心に活動中。朝日新聞連載ということでかなり真面目。少々言い回しに不自然さが残るのが残念だが、目線には好感が持てる。

2003/07/02-9035
ぶらんこ乗り いしいしんじ 理論社 2000年12月初版
 毒毒度:-1
“「わたしたちはずっと手をにぎってることはできませんのね」
 「ぶらんこのりだからな」
 だんなさんはからだをしならせながらいった。
 「ずっとゆれているのがうんめいさ。けどどうだい、すこしだけでもこうして」
 と手をにぎり、またはなれながら、
 「おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、すてきなこととおもうんだよ」”

あのこのふるーいノートの束を見つけた。いなくなってしまった、あたしの弟。ヘンなやつ。天才。あの日あのこは誰よりも遠くどこまでも高くぶらんこを漕ぎ出して、驚いた空が凍った涙を流してそれは弟の喉に刺さったの。
名作『アムステルダムの犬』の作者による処女長編。「指の音」と名付けられた風変わりな犬がいい味出しているのだが、残念ながらそこまで。弟の書く挿入掌編をそのまま集めてもよかったんじゃないかという気も。珍しいことに子供、犬、両親の死という要素をもってしても泣けない不思議さ。おっ泣けるかもという気になったのはぶらんこ乗りの最後の科白。でも涙出なかった。

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