我が心のよりどころ   五 智 如 来 像 
              (岡部町指定文化財)

非常に珍しい…5体揃った…如来像です。

      五智如来供養祭 毎年8月23日              ( 誓願寺跡の五智如来像 )

                                               

 由縁縁起

 岡部町指定文化財である2組の五智如来像。(上の写真、五智如来像の後ろにもう一組あります。)
この五智如来像の一組は、宝永2年(1705)田中城主 内藤弌信(かずのぶ)の家老 脇田次郎左衛門が
寄進したもので、地元の三輪石(安山岩質凝灰岩)で作られている。
 この五智如来には、次のような伝説が残っている。
宝永2年(1705)内藤豊前守弌信が陸奥棚倉城(福島県棚倉町)から、田中藩5万石の藩主として
転封して来た。内藤家の息女は言語にやや障害があり、殿様と奥方にとって心痛の種であった。
 ある時、奥方が府中の宝台院に参詣した折、ちょうど居合わせた徳川家の奥方に悩みを打ち明けたところ、
岡部宿のはずれに宝台院の隠居寺(当時誓願寺は宝台院末)の誓願寺がある。その誓願寺の仏様を
ひたすら拝むように薦められた。
 そこで田中城主は家老 脇田次郎左衛門を代参役として、奥方ともどもお参りに行くようになった。
毎日のようにお参りを続けていると、不思議なことに姫の口が次第になめらかになって行く。
やがてふつうのように話すこともでき、後には大名の許へ輿入れしたとのことである。
 この霊験を喜んだ代参役の家老 脇田次郎左衛門が宝永4年(1707)五体の五智如来像を寄進した。
五智如来像の傍には内藤弌信の法名を記し「現世安穏後世善所」と刻まれた碑文が建っている。