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堂ノ前遺跡は縄文中期中頃を中心とする集落跡で、平成3〜5年にかけバイパス道路工事に伴う発掘調査で発見された。 19軒の住居跡と共に、多くの土器・石器などが検出された。 |
堂ノ前遺跡現場
一つの住居跡に炉が四つ方形に並んでいる遺構が見つかり注目を集めたと云う。
擦り石・石皿などが多数検出されたことから、ドングリなどのアク抜き作業場と考えられる。 土器に関しては、縄文中期の装飾土器では北陸系と信州系土器が多数出土したが、飛騨では両地域との交流が盛んであったことを裏付ける。
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粘土ヒモを貼り付けて隆帯文を作ったり、半分に割った竹の管を押し付ける竹管文様は、三地域に共通する土器表面の装飾法で、各々共存する関係にあったと見られる。 動物意匠文付土器は北陸系のモノで、尖った口先や鼻の表現からクマ・シカ・ネズミ・イヌなどをイメージしたように見える。 いろいろな動物に見せる精霊の姿を想像したのかも知れない。 一方彫刻入り石棒・吊手土器・ヒスイ製装身具など宗教的色彩の強い用具は、富山を中心とした地域に分布しており飛騨は南限に当たると云う。 生活・信仰に共通したスタイルを持つ集団が広域にわたり存在していたと云える。
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縄文中期には共同作業の単位でもある複数の家族から構成されるムラ社会が隆盛し、一定の組織・ルールの下に様々な儀礼・祭祀が行なわれたと見られている。 石棒・吊手土器・ヒスイ製品など呪術に関連する遺物は、ムラの秩序維持に不可欠な「聖なる装置」であったと考えられる。 宮川縄文人は、豊かな自然環境を背景に食糧の確保・調理・加工作業・住居の構築・各種道具製作・祭祀など共同作業を通じてムラ社会を創り上げていったと見られる。 |