経塚遺跡は、白山を源とする手取川によって形成された手取扇状地北端の湧水地帯に位置しており、縄文時代後・晩期にかけて営まれた径200m以上に及ぶ環状大集落跡。

 昭和29年に発見されて以来、平成8年まで27回にもわたり発掘調査が繰り返されて来た。
その結果、30軒の住居址と共に多量の土器・石器などが出土している。

遺跡公園全景 遺跡公園

 和52年に国の指定史跡となり、現在公園として保存されている指定地域(約15,000u)が公有地化された。

 指定地域の道路を挟んで反対側が道路建設に伴い発掘調査され、住居址・土壙墓などは出土した配置状態をそのまま史跡公園に再現していると云う。

 大量の出土遺物も道路建設工事に伴うモノで、指定地域自体の発掘調査は為されないまま、永久保存されることになった。

 以下当遺跡から検出された御物石器他珍しい石器類を紹介する。

 初の発掘調査で石囲いの中に安置された御物石器が見つかり、はたして何物か注目を集めたと云う。

 御物石器は中部・北陸地方を中心に多数見つかっているが、当遺跡のモノは中型で丹精に仕上げられている。

 御物石器以外にも呪術具と見られる石器として、石棒・石刀・石剣・鰹節形石器・石冠などが検出されている。

 以下御経塚式土器類を紹介する。

注口土器1 注口土器2 御経塚式土器

 陸における縄文時代晩期初頭の標準となる御経塚式土器として標式認定されている。

 約15,000uにも及ぶ史跡公園地下には大量の遺構・遺物が未だ眠り、未知の世界が閉ざされたままの状況で誠に残念であるが、いずれエクサイティングな新発見の路が開かれることを念じて止まない。