本刈谷貝塚は本刈谷神社境内から西隣に広がり、衣浦を挟んだ三河地方最大の縄文晩期貝塚として位置付けられている。

 ハイガイ・ハマグリ・オキシジミ・オオノガイなどの出土貝類のうち、浅瀬の砂泥質を好むハイガイが約70%を占めることから、当時の衣浦には軟弱な砂泥地の続く遠浅の海岸が広がっていたと見られる。

 県の指定史跡である本貝塚から出土した土器は、押引文・平行線文・波状文を特徴とする“元刈谷式”として縄文晩期前葉の土器文化を代表する。

 数多くの土器片以外にも、20体以上の人骨、シカ・イノシシ・イヌ・アナグマなどの獣骨、キジ・マガモ・カラス・ツルなどの鳥骨、フグ・クロダイ・スズキ・エイなどの魚骨、シイ・ミズナラ・クヌギ・クリ・トチ・ドングリなどの堅果類などのほか、石製品・骨角器・貝製品等々が出土している。

貝塚現場 神社境内

 塚が所在する神社境内の工事現場。
今年4月から6月にかけ本刈谷神社の社務所建替えに伴い、緊急発掘調査が行なわれたと云う。

 今回の調査で特徴的な点は、土壙内に幾つかの焦土が検出され、その中からは焼骨も見つかった。

屈葬人骨 盤状集積人骨

 前の発掘調査で犬歯の“抜歯”や、フォーク状の切込みを施した“叉状研歯”を伴う10数体の埋葬人骨が検出されたが、今回の調査でも屈葬人骨・土器棺埋葬幼児骨の他、頭蓋骨や一部のみが残る人骨など合計10体分ぐらいが発見されたと云う。

 人骨の特徴は、狩猟・漁労・植物採集などハードな労働のため下肢の筋肉が異常に発達していた点、更には歯の磨耗が著しかったことから、当時の厳しい食生活環境が窺い知れた点が指摘されている。

 盤状集骨葬人骨は壮年男性1体分の骨を集め、割られた頭蓋骨や大腿骨などが四肢骨で四角い枠が作られ、その中に配置されている。
改葬による格別な埋葬方法として注目される。
この被葬者の身長は四肢骨の長さから158.7cmと推定され、当時の平均的縄文人男性の身長と云われる。

本貝塚の出土遺物のうち、特徴的なモノを以下紹介する。

矢形骨製品 弓筈形骨製品

 カ・イノシシなどの狩猟には弓矢が不可欠な道具であったと見られ、石鏃と共に矢形骨製品(骨鏃)や鏃を矢柄に装着するための矢筈形骨製品(根バサミ)などが出土している。

 唯一埋葬された動物と云われるイヌが、手厚く埋葬された形で発見されていることから、足の速いシカ・夜行性のイノシシなどの狩猟にはイヌの強力な援護を必要としたと考えられる。

貝輪 硬玉製丸玉 土製垂飾玉

 刈谷縄文人の豊かな暮らし振りを偲ばせる装飾品が数々検出されている。

 貝塚らしく貝輪が目立つが、中でもサルボウ貝製が数多い。
硬玉製丸玉や土製垂飾玉はネックレスというよりペンダントとして装着したと見られる。
刻みや細線を施した土製品もペンダントとして使われたと考えられる。

 これら装身具以外にも、魚椎骨製や土製の耳飾り、牙製勾玉などの首飾り等々が出土している。

 以上の出土遺物から、本刈谷縄文人の生活文化や風習の一端が垣間見られる  

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