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金清神社遺跡は飛騨と越中の境界に所在し、石棒が多数出土する遺跡として明治時代から知られていたが、縄文後期を主体とする石棒の製作工房遺跡。 昭和48年と平成4年に発掘調査が実施され、多量の石棒未製品や石器製作用の加工具が出土したと云う。 |
金清神社遺跡現場
当遺跡は金清神社の鳥居前から宮川に降りる河岸段丘の斜面にある。 発掘調査前は段々畑で、斜面には大きな石ころがごろごろ露出していたと云う。 平成5年にはわずか約400uの発掘区域から、80個ほどの石棒原石・完成品・半製品・製作用道具などが見つかり、縄文後期から晩期にかけての石棒製作工房跡であることが判明。 |
金清神社遺跡沿いの宮川
金清神社の脇を流れる沢が、この美しい宮川に流れ落ちる。 秋にはドングリなど堅果類が豊富に採集でき、村人は今日でもトチ餅を作る。 宮川には河原石が川幅いっぱいに転がっているが、男性器の形をした石棒の素材は河原石でなく、塩屋石という神社裏山に産する溶結凝灰岩であったと云う。
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黒雲母が入った塩屋石と呼ばれる角柱状の自然石を使い剥離加工し、叩き打って二次加工し、形を整えて研磨し仕上げる。 飛騨だけでなく富山各地から塩屋の石材を使った石棒が発見されていると云う。 当石棒製作工房は全国最大規模のモノで、自家消費をはるかに超え、他地域・他村へ供給していたと考えられる。 角柱状の石質に伸びるような勢いが感じ取れ、人気を博したとも考えられる。 石棒のような呪術的・祭祀的道具は自給自足にこだわらず、良質で仕上がりが良く、商品価値の高いモノが求められたと見られる。 |
縄文中期中頃から後期中葉にかけての土器が検出されている。 当地飛騨では地形的に影響を受けやすかったこともあり、川筋を遡ってきた北陸系土器と峠道を越えてきた信州系土器が共存しているが、飛騨自体の独自性・影響力行使の度合いについてはハッキリしない状況。 個性的な土器文化が栄えた北陸や信州は独自性の強い文化を持っていた集団だけに、強い影響を受けたことは間違いないと見られる。 |