先苅(まずかり)貝塚は、昭和53年名鉄知多新線の内海駅高架工事に伴い発見され、ボーリング調査の結果、現地表面下約10mの地底にあって、縄文早期中葉の遺物を包含する貝塚であることが判明した。

 本貝塚は東海地方最古の貝塚であると同時に、現在の海水面より約10mも深い地中に発見され、その多彩な遺物と共に“縄文海進”の世界的現象を裏付ける一大発見となった。

 南知多町は知多半島の最南部と十余の島から成っているが、温暖な気候と豊かな自然環境に恵まれて原始時代から人々が暮らし始め、縄文遺跡25ヶ所を含め多くの遺跡が発見され、その数は知多半島の60%以上を占めると云う。

貝塚現場 周辺環境 町内遠景

 下の岩盤から掘り出された貝塚遺跡現場は、写真のように知多新線の高架内海駅及びその周辺に当り、現地表面下約10mに存在したと云う、海面変動を実証する異例の貝塚として世界的注目を集めたと云う。

 
出土したハイガイによる放射性炭素(14C)年代測定では貝塚成立が8,330年前(±260年)という結果と合わせ、海抜−10mに立地していることは、8,300年ほど前の海水準を直接示す地理学的・地形学的にも重要な資料を提供したことになる。

地下岩盤上の黒色有機土層からは石器類・骨角器・土器類が検出されたが、以下出土した自然遺物と共に、次の順番で紹介する。

先ず押型文土器片、獣骨・ヤス・石器など、ハイガイ・サルボウ・石錘など、石鏃・叩石などの石器、そして鹿角製ヘラの順でご覧下さい。

型文土器は縄文早期中葉の標識土器として時代的にも整合する。

 シカ・イノシシの獣骨及び加工品、貝類ではハイガイを主にサルボウ・カキ・アカニシ・ヤマトシジミなど、石器類では石錘・石鏃などの漁労・狩猟用具、珍しい遺物としては鹿角製ヘラが出土している。

 この他にもウニ・クロダイ・カニ・スズキ・アジなどの魚骨や先苅縄文人の頭骨なども出土していると云う。
自然の漁場に恵まれたこともあり、海との関連が深く、漁労生活が中心であったと考えられる。

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