千枚原遺跡

は大場川と沢地川に挟まれた、標高約60〜70mの箱根の尾根上に位置している。

 箱根山麓では最大の集落で、4,500年前頃、箱根山の豊かな動植物資源を背景に、狩猟・植物採集・漁労などにより、自然と共に生計を立てていたと考えられる。

 生活条件の良い箱根西麓は、愛鷹山麓と共に県内では縄文人が多く住みついた地域として知られている。

 登呂遺跡に端を発した考古ブームの最中の昭和23年及び宅地造成に伴う昭和38年の発掘調査の結果、17軒の竪穴住居跡・炉跡などの遺構のほか、多量の土器・石器類などが発見された。

 縄文中期の住居は尾根の先端部に位置し、敷石住居を含む縄文後期の住居は尾根の高所にありましたが、時期差による立地の違いは不明。

遺跡公園 周辺光景

 遺跡は静岡県東部の代表的縄文遺跡として注目された。
遺跡現場からは箱根山頂が望める。

 約4,000年前の住居群のうち、特に特徴のある、床に板状の川原石を敷き詰めた長さ6mほどの“敷石住居”2軒の跡地を盛土して保護し、現在は市指定史跡公園として保存されている。
敷石住居は集落の祭祀場と考えられ、様々な自然現象に対する信仰は、大地の豊穣を願い、病からの解放、出産への願いなどの自然崇拝・世界観を思わせる。

土偶T 土偶U

 れ墨を表現した土偶と抽象化された土偶で、大地の豊穣を願う祀りに使用されたと見られる。
左側の土偶には顔面に入れ墨の表現及び頭部には結い上げた髪の表現が見られる。
右側は目・鼻・口などの表現がデフォルメされており、より新しい時期の土偶と考えられている。

 当集落の精神性の一端が窺い知れる。

次に出土した土器・石器類のうち一部を、鉢類、把手付土器、石皿、石鏃・打製石斧そして磨製石斧の順番にご覧下さい。

 の時期の普遍的な土器・石器類は、それらの出土量・丁寧な仕上げなどから、一時的な“キャンプ場”というより、年間を通して生活する“定住集落”であったと見られる。

 土器・石器類には特に際立った特徴は見られない。

今回もご覧いただきありがとうございます。ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。又のご来訪をお待ち申し上げます!