真宮遺跡は矢作川左岸の段丘上に所在し、昭和48年から平成5年までに12回にわたる試掘・発掘調査の結果、遺跡面積は約40,000uという広大な範囲に及ぶ、縄文から鎌倉時代にかけての複合遺跡であることが判明した。

 昭和51年に国史跡の指定を受け、現在は史跡公園として整備されている。

真宮遺跡遠景 発掘復元状況 円形住居址

 跡公園は昭和49年当時の発掘調査情況を復元したもので、実際の遺構は公園の地下約1m辺りに眠っていると云う。

 縄文晩期の円形竪穴住居跡6軒・土器棺37基・弥生中期の方形周溝墓・古墳後期の竪穴住居跡などが再現されている。
土器棺墓の出土状況が再現されているが、37基もの大量土器棺発見が国史跡指定の背景・理由と云われる。

土器棺

 河地方縄文晩期の代表的土器が土器棺として再利用されたと見られている。
土器棺の中に人骨も発見されたと云う。

 乳幼児の埋葬形態と考えられる土器棺墓は、三河地方では縄文晩期の風習で、成人の場合の土壙墓数に比し多く検出されていることから、乳幼児の死亡率が高かった点と合わせて遺骸を手厚く葬った点が指摘されている。

次に片足欠落土偶、大小様々な石棒、文様付石棒及びイノシシ形土製品を順番に紹介する。

土遺物については、土器のほか石鏃・石斧・石皿・磨石など日常道具と共に、祭祀用具として土偶・岩偶・イノシシ形土製品や石棒・石刀・石剣などが見つかっている。

 写真のように土偶は地元ローカル色の強い扁平な形を成し、又石棒の中には頭部に文様を施したモノも見られる。

 全面発掘調査面積は約1,000uに過ぎず、遺跡全体の2.5%ほどで、集落の全貌解明には程遠い状況。

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