井遺跡はローム層を表土とする起伏の多い湧水地である七里岩台地に位置する、縄文早期からスタートし縄文中期を中心に古墳時代にかけての複合遺跡。

 大正14年故志村滝蔵氏により発見され、本業の農業のかたわら発掘調査研究が行われ、私有地80アールの調査面積を二代にわたり約77年間の年月をかけて、農閑期を利用し発掘調査が継続されてきた。

 その間昭和23年には地元郷土研究会の支援を得て、組織的に発掘調査が行われ、当遺跡の重要性が認識された。

坂井遺跡の発掘調査現場

 在は二代目志村氏が20年ほど前に遺跡・遺物の保存を継承し、「坂井考古館」として自費運営している。
考古館には約3,000点の出土遺物が保存・展示されていると云う。

 縄文中期には屋内に炉を作る竪穴住居が普及したことが遺構から読み取れ、住居の中央に河原石・岩石を使った石囲い炉、径40〜50cm・深さ20cmほどの炉が多数検出されたと云う。
明かりを灯しながら食物を作り・食事をし・寒い季節には暖を取ったと見られる。

 当遺跡の特徴は、土偶・顔面把手・獣面把手など当時の精神生活を現している祭祀関連の遺物が多数検出されている。
いずれも八ヶ岳山麓地域文化の影響を大きく受けていると云う。

 集落の中央に大型の竪穴住居が建てられ、そこからは大型の祭壇・顔面と獣面把手付土器・土偶などが発見されている。

 以下代表的な祭祀用具を一部紹介する。
最初の3点が土偶、次に顔面把手と獣面把手が合わせて6点、そして最後に珍しい土製品と石器が続く。

 ずは珍しく貴重な土偶3点、特に最初の写真は全国的にも大変珍しい男性器を持った土偶として注目されている。
この他にもこの地方独特な表情と特異性を持つ土偶が完形の姿で見つかっている。

 次に表情豊かな顔面把手4点と獣面把手2点と続くが、八ヶ岳山麓地方文化の共通性が見え隠れする。

 最後の土製品と石器は製作意図・目的がハッキリ分からないが、何らかの祭祀目的のために考案されたと考えられる。

 これ以外にも数多くの祭祀用具や勝坂式土器はじめ多くの土器と土鈴、石斧・石鏃などの石器類等出土遺物は多種類・多方面にわたっている。

 これまで二代77年間の長きにわたり個人的趣味の延長で、文化財の発掘調査研究・整理・保存に鋭意取り組んでこられたが、二代目はご高齢であり又三代目後継者の目途が立たず、先行きは極めて不安・心配な状況に置かれていると云える。

志村氏の所有地については全面的な発掘調査が済んでいるが、所有地が散在しているだけに結論的には断片的調査に終わり、志村氏以外の所有地は全く調査が為されず、坂井縄文ムラの全容解明には程遠い状況と云える。
これだけ希少価値の高い文化財を個人の趣味・財力に任せ、文化財散在の危険に晒されて良いものであろうか?

当事者の意向は充分尊重すべきものの、市町村の文化財行政として一歩踏み込んだ積極的指導・支援を惜しんではならないと考える。

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