1.予感
「ユキ、晩飯食いにいかないか?」ユキが進の兄、古代守に声を掛けられたのは、彼女の恋人の進が宇宙勤務に出て、何日か経った夜のことだった。
「はい。」
守がイスカンダルから帰って、既に数ヶ月という月日が流れていた。
彼は、進が宇宙勤務で不在の時には、時折こうしてユキを食事に誘ってくれる。
忙しい筈なのに弟の恋人を気に掛けてくれる守の優しさは、寂しい時間を過ごさなくてはならないユキにとって、ありがたいものであった。
ユキと二人で食事をするときは、いつもアルコールを控えめにしている守だった。
確かに弟と3人の時には、彼も良く飲んでいる。それに、少々の酒では酔いつぶれたりしない守である。
しかし、弟が不在の時には、紳士らしく彼女を送っていかなければ・・・という思いが働くのか、彼はあまり飲もうとはしない。
その彼が、今日は珍しく酒が進んで、酔いがかなり回っている。
守の傍らには、既にワインボトルが一本、空になった状態で置かれていた。
そんな守の様子を、ユキはいぶかしげに見つめている。
(守さんたら、こんなに飲んで、一体どうしちゃったのかしら?)
しかし、ユキの思いをよそに、守はいつにも増して饒舌だった。
「でね、進のヤツ、俺の後ばっかり追いかけてきてさ。おかげで俺は散々友達からからかわれたもんだったよ。」
「でね、進のヤツ、雷がなるとすぐ俺の布団に潜り込んできてさ。あいつ、一晩中出ていかないんだ。」
「でね、進のヤツ・・・。」
先ほどから守が話しているのは、弟の小さい頃のことばかり。
彼があまりにも楽しそうなので、一人っ子のユキは、すっかりうらやましくなってしまっていた。
「うふ、守さんたら、さっきから古代くんのことばっかりですよ。」
「え?ああ、うん・・・。」
と、今まで饒舌だった守が、ふと口をつぐんだ。
「守さん・・・?」
不思議に思ったユキが、守の顔をのぞき込む。
今までの陽気さが、彼の中からすっかり形(なり)を潜め、ワイングラスを見つめる目が、少し翳っているように見える。
「なあ、ユキ。あいつは俺のこと、どう思っているんだろうな。」
「?」
「俺は兄としてあいつに何もしてやることができなかった。あいつが彗星帝国との戦いで窮地に追いやられていたときも、俺は何も知らずにイスカンダルで暮らしていた。」
「だってそれは・・・!」
「ああ、仕方のないことかもしれない。しかし、あの時俺が地球にいたら、或いはあいつはあんなにも苦しまずに済んだかもしれないんだ。」
決して激しい口調ではなかった。淡々としたその言葉には、むしろ深い苦しみさえ感じられる。
たった一人の肉親である、弟、進。
自分の命を蘇らせてくれたイスカンダルの女王スターシャ。
その狭間で取らなければならなかった究極の選択。
守に後悔はない。なぜなら、スターシャを心から愛していたのだから。
『しかし・・・。』
・・・答えは出ない。出せる筈など無い。
だからこそ彼は今、尚更苦しんでいるのだ。
(苦しまないで。あなたのせいじゃないわ・・・。)
ユキはそう言いたかったが、なぜだか言葉が出てはこなかった。
守は、顔をあげると、ユキをじっと見つめて言った。
「ユキ、これからもあいつを頼むよ。」
「守さん、頼むよだなんて・・・。私は一人っ子だから、兄弟ってよくわかりませんけど、古代君、どんなに守さんを頼りにしているか・・・。守さんだってよくご存じでしょう?」
「ああ、そうだね。でもね、ユキ。あいつがあんな風に笑えるようになったのは、君がいてくれたからさ。君に出会う前のあいつときたら・・・。」
両親を亡くしてからの弟の姿が、守の脳裏に蘇る。
「守さん・・・。」
「だからさ、ユキ。いつまでもあいつの側にいてやってくれないかな。そうすれば、あいつはきっと、いつまでも笑って暮らしていけるんじゃないかと思うんだ。」
そう言ってふっと微笑む守の顔を見たユキの心に、今度は漠然とした不安がよぎる。
その不安の正体をつかもうと慌てて手を伸ばしたが、「それ」は、するりとユキの手から逃げて行ってしまった。
彼女は急いで言った。
「守さんこそ、いつまでも古代君の側にいてあげてくださいね。それに、一人っ子の私にとっても、守さんはお兄さんのような存在ですし。」
「お兄さんのような・・・じゃなくて、お兄さんだ。俺はもうそう思ってるんだけど?」
そう言っていたずらっぽく笑う守は、もういつもの彼に戻っていた。
ユキはとりあえずほっとはしたものの、先ほどからしきりにまとわりついてくる不安を、とうとう拭うことはできなかった。
そして、その不安の正体をユキが知るところとなるのは、それからしばらく経ってからのことになる・・・。
「お、もうこんな時間か。ユキ、送っていくよ。あんまり遅くなると後で進に何を言われるかわかったもんじゃないからな。」
そしてこれが、ユキが守とゆっくり話をした最後となってしまった。
暗黒星団帝国が地球を侵略したのは、そのわずか数日あとのことであった。
2.決別
「そうか・・・。」進とユキは、守が生前暮らしていた部屋に来ていた。
守の遺品を整理するためである。
辛い作業ではあったが、このままにしておくわけにもいかず、思い切ってこの部屋へとやって来たのだった。
遺品を整理しながらユキは、以前交わした守との会話を、進に語って聞かせていた。
「兄さんはもしかしたら・・・予感・・・していたのかもしれないな。」
進の言葉にユキははっとする。
「だからそう言って、ユキに僕を託して逝ったんだ・・・。」
人は、自分の死期が近づくと、知らず知らずのうちにその予感を覚えるという。
だから自分はあんなにも守に対して不安な気持ちになったのだ・・・。自らの死を予感した守に・・・。
ユキは呆然としてしまった。
「・・・ユキ、ごめんよ。」
進がそう呟きながらユキの肩を抱き寄せると、彼女は怪訝な面持ちで、彼の方に顔を向けた。
「どういうこと?どうして古代君が、謝るの?」
「だってさ、兄さん、ユキに甘えたんだぜ。弟を頼む、だなんて。ユキにとっちゃ、良い迷惑だよな。」
「・・・。」
「それに、いつまでも僕を子供扱いしてさ。もう子供じゃないって言ってんのに、わかんないんだよなぁ、あの人。そうさ、そうやっていつまでも、子供扱い・・・し・・・て。」
こらえていたものが、突然堰を切ったように流れ出した。
「そんなにも自分のことを責めていたなんて、兄さん、一言も言わなかったじゃないか!言ってくれてたら、僕だって心配させたまま逝かせたりなんかしなかったのに!いつだってそうさ、肝心なことは何も言わない。僕はもうあの頃の僕じゃないのに!!」
進の言葉に慌てたユキは、更に彼の顔をのぞき込んで、諭すように言った。
「古代君、聞いて。親ってね、いつまで経っても子供は子供なんですって。だから、守さんも、親代わりとしてあなたを心配してらしたのに違いないわ。」
ユキがそう言うと、進は、体ごと彼女に向き直ってその肩を掴むと、思い切り揺さぶった。
「じゃあ、どうしてあんなに早く逝っちまったんだよ!心配なら側にいてくれたらよかったんだ!なんでだよ、なんでだよ!!畜生〜ッ!!」
進はそのままユキの膝に泣き崩れてしまった。
一度は死んだものと諦めていた兄。
生きていたとわかったとき、進は奇跡というものの存在を信じた。
しかし、その奇跡も、もう二度とは起こらない・・・。
小さな子供のように泣き続ける進の声が、兄の部屋を悲しげに漂っていた。
どのくらいの時間が経ったのだろう。進が体を起こした。
「・・・ごめん。」
顔はまだ伏せたままだったが、その声は、すっかり落ち着きを取り戻していた。
大声で泣いてしまったせいなのだろう、少し照れたような彼の声に、ユキは安心した。
ユキは、進の頬を両手でそっと挟むと、彼の顔を上げさせ、ハンカチで頬に残る涙をぬぐってやった。
(誰だったろう、昔、こうやって僕の涙を拭いてくれたのは・・・?)
そんなユキの仕草に、進は小さい頃のことを思い出した。
『しょうがないな、進は。ほら、もう泣くな。』
(そうだ、兄さんだ。いじめっ子に泣かされて帰ってきた僕の顔を、兄さんはそう言って拭いてくれた・・・。)
「もう、いないんだな。兄さん。」
進がぽつりと呟いた。
「古代君・・・。」
「はぁ〜っ。もう、これじゃ、いつまで経っても兄さん、僕のこと心配するわけだよなぁ。」
大きな溜息と共に、進が、やれやれと言った表情をする。
「僕は小さい頃いつも兄さんの後をくっついて歩いてた。その上泣き虫で。」
「知ってるわ。」
ユキの言葉に進がニッコリと笑う。
「もう、いい加減兄さんをスターシャさんとサーシャに返してやらないといけないよな。」
それは、進が兄の死を、本当に受け入れた瞬間だった。
兄の死を聞かされたその時、進は、その事実に浸る間もなく地球の運命を背負った航海に出発する直前だった。
色々な出来事に次々と遭遇しなければならなかった彼の心は、だから、兄の死を受け入れる事を無意識に拒否していたのかも知れない。そう、今、この瞬間まで・・・。
ユキは、思う。
(では、今、自分が彼のためにできることは・・・。)
「ねぇ、古代君、私じゃだめ?これからも私が側にいるわ。私はどこへも行ったりしない。ずっとあなたの側にいるわ。約束する。あなたが私に約束してくれたように・・・。」
「ユキ・・・。」
「私ね、あなたのお兄さんにはなれないかもしれないけれど、あなたを愛しているということは、守さんにだって負けないつもりよ。」
そう言って微笑むユキの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「古代君、愛してるわ・・・。」
ユキは、進をぎゅっと抱きしめた。ありったけの想いを込めて・・・。
兄さん、ごめんよ。僕はもう大丈夫だと思う。何たってユキがこうして側にいてくれるんだからね。
だから兄さんは、これからはスターシャさんとサーシャの側にいてあげてよ。
さあ、今度は僕が言う番だ。二人を頼んだよ、兄さん。
Fine.