【 君に遭えたことに 

By 京 さ ん
 

君に逢えたことに

間違ってなどいないからねと

誰かが言ってくれたら少しは救われるだろうか


その光景は僕にはとてもショックなものだった。

照明が落とされた雰囲気の良いレストランの一角で、彼女が僕の見知らぬ男性と向き合って談笑していた。

一瞬、はらわたが煮えくり返りこの激情のままに怒鳴り込もうかと、身体が動いた。

けど・・・・、楽しそうな彼女の横顔がそれを止めた。

拳をきつく握り締め、自分自身に言い聞かす。彼女は僕を裏切ったわけじゃない。

おそらくこれはわざわざ僕を、ここへ呼び寄せた彼女の父親の差し金だ。

このまま会わずに帰ろうかとも一瞬思ったが、それも悔しい。

精一杯の虚勢を張り、彼女の傍へと歩を進めた。

突然現れた僕に対し顔一杯に驚きを浮かべた彼女。

一瞬不審そうに僕を見やった男性の顔。

こいつが、彼女の父親が認めた男なのか・・?

半分麻痺しかかった頭の中にその男の顔を刻み込む。

でも、そこまでが僕の限界だった。

精一杯にこやかに「お邪魔だったね。」と言って僕は早々に逃げ出した。
 

車を激情のままに飛ばしながら、さっき見た男の顔が僕の脳裏をよぎる。

僕よりも、遥かに頼りがいのありそうな大人の男性、僕とは違った頼もしさとか、誠実さがにじみ出たような容姿。

彼女の父親推薦の男なら、きっと相当の経済力とかあるんだろうな・・・。

ふとそんな事が頭の中をよぎる。

情けないを通り越し、惨めな気分になってしまった。

帰還直後の態度とは変わり、いくら連絡を取っても彼女の父親は僕に逢ってはくれず、僕を毛嫌うようになってしま
った。

自分が何かした覚えはなかった。

強いて言うなら、この間の彼女との喧嘩とゴシップ記事だけれど。

だから、やはり僕自身と僕の境遇が気に入らないのかも知れない、とは思っていたが、まさか、こんな手に出られるとは思いもしなかった。 

しかも彼女がその場に、にこやかな顔をして談笑していたなんて・・・正直見たくなかった。

彼女は、今日の出来事をどう思ったんだろう。さっきの顔つきからは、後ろめたさなんて感じられなかったけど。
 

散々好き勝手に車を飛ばして、いつの間にか僕は官舎へと帰っていた。

冷たいシャワーを自分自身に浴びせかけ自分に落ち着くように言い聞かせる。

いつもの時間に連絡を入れると、彼女はいた。妙にホッとしてしまう。

画面の向こうの彼女は、一生懸命に今日のことは自分の本意ではないといってくれた。

心の中では万歳したいほど嬉しかった。けど、口から出た言葉は自分でも思いも寄らないセリフだった。

「気にしていない。だから、ユキの好きにすればいいよ。」

我ながら、不気味なほどにこやかな顔と、口調。

それを聴いた彼女の顔がこわばった。

でも、感に触れたのだろう、いつもの強気な口調で

「じゃあ、今週末にご飯でも奢っててもらってくる。どうせ、古代君いないんでしょ。」

言い返す。僕はそうしな、なんて言って電話を切った。
 

後悔と悔しさと情けなさが、頭の中をグルグルと回っていた。

本当なら、「やめろっ」というべきだったのに。いや 喉元まで出かかったのに。

気弱な僕が顔を出し、それを遮ってしまった。
 

部屋の電気を消し、ソファに身体を沈めた。

開け放したカーテンの陰から強い月明かりが部屋を照らす。

段々と自分が馬鹿のように思えてくる。

自分の恋人の見合いも阻止できなくて、いや・・・見合いを設定されてしまった自分の不甲斐なさが、現実の厳しさを嫌というほど僕に叩き込んでくれた。

・・・・どうあっても、彼女の父親は僕を認める気はないらしい。

それも仕方のないことかもしれない。

結婚というのは現実の生活だ。

ただ好きだ、とか一緒にいたい、なんて甘い感情が通用するものではないと暗に僕に告げているのだ。

生活するのにはそれなりのものが要るんだ、君は自分の娘にはふさわしい人間ではない。

そうはっきりと宣告されてしまった。

勿論、自分自身もそれはよくわかっているつもりだし、浮ついた気持ちで彼女にプロポーズしたわけでもない。

ただ、生活という現実よりも、何よりも傍にいて欲しい。

そう思ってしまう気持ちが強いのは確かなんだ。

きっとそんな僕の気持ちに彼女の父親は気がついているのだろう。
 

ユキはどう思ったんだろう、今日の見合い相手のことを・・・。

やっぱり心が動いたんだろうか・・・。

そう考えた途端に、僕の心は凍りつきそこから一歩も動けなくなった。
 

それからの僕達は、ひどいものだった。

連絡しても、実際にデートをしていてもギクシャクした雰囲気がとれず、いたたまれず僕は仕事を口実に逃げてしまったことも有った。

自分自身のイライラした気持ちを彼女にぶつけるのも、筋違いだと思ったし何よりも彼女の物問いた気な視線が僕をイラつかせた。

必死になって自分自身を誤魔化し、何も無いように振舞う僕を僕は嘲笑いたいそんな日々だった。

防衛軍内の噂も、次第に僕の耳にも入るようになっていった。

「森ユキと医者の男がレストランでデートしていた。」

「古代と森ユキは別れたらしい。」

「古代は、振られたんだってさ。」

嘲笑を含んだ様々な噂話が飛び込んでくる。しかし、その噂の陰には真実が隠されているはずだ。

全く何もなしに、こういう噂が立つことはないだろうと思う。

彼女が、僕がいない間にあの男と会っているのは事実なんだろうし。

逢いたくない相手だったら彼女ははっきりと断るだろう。けれど、・・・・事実は違う。

好きにすればいい、なんて言ってしまった僕が口出しできる資格はないのだろうけど。

・・・・・・彼女の気持ちが僕には正直わからなくなっていた。

逢っている時の、フトした拍子にみせるつまらなさそうな表情。

あの顔を思い出すと、僕とこうしていることが苦痛なのだろうか、やっぱりあいつの方が良いのだろうか、と邪推が止まらなくなってしまう。

同時に僕の心は再び凍り付き動きを留めてしまう。それに絡め取られてこれ以上僕は動けない。
 

それでも、あの日、僕の感情はとうとう爆発してしまった。

レストランの中庭でユキを腕に抱き、彼女に唇を寄せようとしている、あいつに我慢がならなかった。

考えるよりも先に勝手に体が動き僕はユキを取り返し、僕から彼女を奪おうとしたあいつを力一杯殴りとばしていた。

「ユキに触るなっ!! 」 

次の瞬間、僕の腕の中で呆気に取られていた彼女の瞳がギリッと吊りあがった。

「なんてことをするのっ!!」

叫び声と一緒に、間髪置かず彼女の右手が僕の頬を打った。

そのまま僕を突き飛ばす勢いで、腕の中から逃れたユキは、尻餅をついて頬を押さえているあいつに駆け寄り奴に寄り添う。

その姿に、僕は心臓を握りつぶされるかのような感覚を始めて味わった。目の前が一瞬暗くなった。
 

・・・・・・終わった。・・・・・そう、思った。
 

これがユキの出した答え。

凍りついた頭の中で繰り返し繰り返し。
 

誰にも渡したくなかった、でも彼女は僕に背を向けたのだ。

これ以上は・・・何もするべきじゃない。何も言うべきじゃない。

寄り添う二人の姿なんて見ていたくなかった。

踵を返して、僕は逃げ出した。

背後から僕を呼び止める声が聞こえたけど、振り返りもせずに僕は逃げ出した。
 

正直な話、この状態は想像していた。

けれど、認めたくはなかったけれど、現実のものになってしまうとどう対処していいかなんて皆目わからなかった。

ただ、悔しくて、情けなくて。

それ以上に、ユキに逢いたくてたまらなかった。
 

あの時に、僕のところへ帰ってきてくれたと信じたのに、この結果が自業自得の部分がかなりあるとはいえ僕は悲しくてしょうがない。
 

凍りついて止まっていた感情が、次第に溶け大きな流れになって僕を飲み込んだ。

涙と嗚咽が止まらない、人気のない海岸で大音量で音楽を掛けながら僕は泣いた。

ハンドルに力一杯握り締めた拳を何度も叩きつけながら。

失恋とはこんなものなのか、頭の中で妙にそう思った。

けど、それ以上に僕の中が空っぽになっていくのが感じ取れた。

まるで、そう兄さんが死んだと知らされた直後のように。この世のなかで、大切にしていた人たちが自分の元から去っていくあの冷たい感覚。

あの時の絶望、喪失感。

それと同じものが再び僕の前に現れ、僕はそれを受け入れなくてはいけないのだ。

絶対に嫌なのに。もうあんな淋しい思いはしたくなかったのに。

ユキは絶対に僕の傍にいてくれるんだ、そう信じていたのに。

唇を噛み締めながら、僕は泣いた。ないて、泣いて。・・・でも気持ちが晴れることはなかった。
 

次の日はひどいものだった。

いったい何処から聞きつけたのか、もっと確信的な噂が飛び交い僕は耳を塞ぎたくなった。

仲間達が心配をして、所用で本部に出向いた僕に尋ねてきたりもした。

僕は一言「ほっといてくれ。」

そういうと皆、押し黙ってしまった。気まずくて僕は早々に本部から退出した。

いたたまれず官舎へ戻った僕は、島が訪れた時だけは感情を露に爆発してしまった。

「どういうことか。説明しろよ」

今にも殴りかからんばかりに迫る奴の顔を見ていると、無償に腹が立って仕方がなく

「俺が振られたのが、お前に関係あるのかよっ。いい加減にしてくれ、ほっといてくれよっ」

力任せに、ヤツの腕を掴み上げ部屋から追い出した。

ドアをドンドンと叩く音がしばらく響いた。僕はソファに座り込んで耳を塞いだ。

もう何も聴きたくない。

何も見たくない。そう思った。

こんな思いをするのなら、あの時何故帰ってきてくれたんだ??

いや、どうせならこんな僕の思いに応えてくれなければよかったんだ、こんな結果になるのならば、島と恋人になってくれればよかったんだ。

あいつなら納得できる。

自分が辛くても祝福も出来るはずだ。とまで考え出す始末だ。

けど、横から現れあっという間に、ユキをさらっていったあいつだけは許せなかった。

だからといって、何も出来はしないけれど。

ただ、単に気に食わないだけなら喧嘩のしようもあるが、突き詰めたところユキが僕よりも、あいつを選んだという事実がある限りどうしようもない。

あいつに何かあったら、今度はユキが僕を憎むことになるかもしれない。

それだけは嫌だった。愛し返してもらえなくても、絶対に彼女から憎まれたりはしたくはなかった。
 

ひっきりなしに留守電が入ってくる。

その音すら聞きたくなくてコンセントから引き抜き、携帯の電源も軍の非常呼集回線だけを空けてあとは切ってしまった。

・・・・心配したユキが何度も掛けていたことなんてこの時の僕は知りもしなかった。

風が開け放した窓から、部屋の中へと吹き込んでいる。

何の音もしなくなった静かな部屋に取り残されていると、今までの彼女との時間が、思いだされてしまう。

この部屋にも彼女はよく訪れてくれていったけ、今座り込んでいるこのソファで、ユキを抱き締めキスを繰り返したこともある。

愛おしくて可愛くて、そのまま自分のものにしてしまいたい、と願った時も数え切れないくらいあった。

サイドテーブルには彼女の持ち込んできたフォトフレームの中に僕達二人の笑っている写真が飾られている。

ほんの数ヶ月前の写真、バックには海が広がり彼女の肩を抱き寄せて笑っている自分の姿。

もう二度と自分には向けられないのだろうあの彼女の笑顔。

僕は、そのフォトフレームの中の自分が悔しくて、力いっぱい床にたたきつけた。

粉粉に割れたガラスが四方に散らばる。

割れた拍子に飛び散ったガラスが僕の右手の甲にキズをつけていった。

細い傷から不思議なくらい赤い血が流れる。僕はそのキズを見つめたまま拳を握り締めた。

彼女の残り香の残るこの部屋にはいたたまれない。

ジャケットとカギをわしづかみ僕は部屋を飛び出した。
 

行く当てなんてなかったけれど、昨日のように車を飛ばす。

窓を全開にして、吹き込む風を頬に感じながら運転に僕は没頭して行った。

今にも雨が降りそうな日だった、輝く太陽なんて見えず鬱陶しい雲が立ち込めているばかりだ。

いつの間にか遥か向こう側にどんよりとした海が見えていた。

(そうだ、故郷に帰ってみよう・・・。)

頭の中に掠めた思い、そのままに僕は車を走らせ続けた。
 

数ヶ月前に、ユキに婚約指輪を贈った岬が見えてきた。あの時の僕は幸せだったな、なんて思ってみる。

あの時こんな今の状況なんて考えもしなかったのに。

さすがに、あの岬の先端には行く勇気は出なかった。

あの幸せな思い出の地には・・。

あの岬が眺められる海岸沿いから、車を止めぼんやりとそこの光景を見るだけで精一杯だった。

頭の中のユキの面影を振り払い車を発進させた。

僕の生まれ故郷のはずなのに、何ひとつ思い出に引っかからない道が続いていく。

同じなのは海から吹く風の姿だけだ。

ここには僕を知っている人はいない。

懐かしい光景も何もない。

母の服の千切れた布切れを見つけたあの大きな松の木も今はない。

どちらかというと、もっと雑然とした町だったことを覚えている。

その町の中を幼い時の僕は遊び、駆けずり回っていた。

そして、そんな幼い僕を大切に愛してくれた両親と兄の姿がいつもいつも僕の前にはあった。

決して今目にしている綺麗で整然とした町ではなかった。僕はこの町では受け入れられない異邦人なのだろう。

ここは、いやがおうにも、自分が一人ぼっちになってしまったことを、痛感させてくれる町にと変貌していた。
 


あなただけしか見えないのじゃなくて

あなただけしか見ないのです。


 


曇天だったけど、わずかに感じられていた陽が傾き闇が迫る。

精一杯やったんだ。その上でのことだから仕方ないんだ。

サングラスの向こうに沈み行くのだろう今は見えない夕日の影を睨み付けながらも、僕は自分自身に言い聞かせているしかなかった。
 

陽が沈むのを待ち受けていたように、雨が降る。

車外にでて天を仰いでいた僕をたちまち雨粒が襲う。

あっという間にまとっている服が雨を吸い込んでいく。

なんとなくそれが心地よかった。闇の中に立ちすくんでいる僕にはそれが至福のひと時に思える。

両手を広げ降りしきる雨を感じていた。

目を閉じて自然の姿を感じようと努める。

耳元で響く雨音、ザワザワと聞こえる海鳴り、強くなった風のうなり声。風に踊る木の葉のさざめき。

こんなのは昔と変わらないんだ・・。

何故だか安心した。変わらないものを確認できて自分の存在が許されたような気がしたのだ。
 

すっかり濡れそぼった身体をシートに沈めて闇に姿を消した海を眺め続けた、時折船が行くのだろう、輝くいくつかの光点が通り過ぎていく。

宇宙にでて、宇宙空間を眺めているのはまた違った光景だと思う。

どちらが好きかといわれても、返答は難しいけれど。
 

ヤマトの旅を僕は思い出していた。

いろんなことがあった、死を覚悟した日もいくつもあった。けれど決して僕は逃げずに立ち向かっていったはずだった。

今の僕のように、逃げ回っているなんてことはなかった。

ユキのことをただ一人の女だと思った・・・、神は僕から家族を奪ったけれど、その代わり僕に最高の宝物を与えてくれた、そう確信していたっけ。

急に昨日からの自分の振る舞いがおかしくなってしまう。
 

考えてみれば、僕は彼女にはっきりと別れを告げられたわけじゃない。

ただ、彼女の後姿をみて勝手に判断を下したんだ。彼女の口から告げられる前に、自分自身で防衛線を張ってしまった。

――――僕は逃げずに彼女に会おうと決めた。

やり直して欲しい、僕はそういうつもりだけれど・・・。
 

その上で、サヨナラを言われたら、それはそれでいいじゃないか。その時は今までありがとうって言えばいいんだから。

あいつと幸せになんて、今の僕には言えないけれど。彼女がそう望むのだったら、はっきりとした区切りをつけるのが僕達には必要だろう。
 

一日揺れつつ続けていた気持ちが治まってくると、やけにスッキリした気分になっていた。

言い方は悪いけれど、開き直ってしまったんだろう。きっと。
 

落ち着いたせいか、妙に眠気が襲ってきた。

考えてみれば昨夜から一睡もしていない。悪い方にばかり考えを持っていき、自分自身を追い詰めてばかりいたものだから疲れて当然だ。

ここからなら、地下都市のあの部屋が近い。

両親を失ってから半年だけ住んだあの部屋が。

今になれば、あの家では一緒には暮らせなかったけれど、それでも両親の匂いが微かでも残っているあの部屋が本当の僕のマイホームなのだ。

すっかり濡れた髪の毛を掻き揚げながら、エンジンを掛けて僕は地下都市への出口へと車を進めていった。
 

人気のない、地下都市の部屋を下から眺める。

明かりのついている部屋なんて一つもありはしない。人の気配も感じられない。静寂だけが周りを支配している。

ただ申し訳程度の常夜灯だけがぼんやりと辺りを照らし、その姿を浮かび上がらせている。

ただ、淋しいだけの部屋だ。それでも、懐かしさが胸に迫る。

入り口で、ロックを解除し部屋の中に入る。

イスカンダルから帰還してから一度だけこの部屋に帰ってきたことがあった。

部屋の中はその時のままに時を止めていた。

リビングに入って小さく「ただいま・・・。」とつぶやく。

空耳だろうが、何処からか母の声が聞こえた。「おかえり」と。
 
 

うっすらとホコリが積もっているソファを少し叩きながら、ドサリっと腰を下ろす。

もう動くのが、億劫なほど疲れて濡れた洋服も着替える暇もないほどに僕は睡魔に引きずり込まれてしまった。
 

(寒い・・・)

目をうっすらと開けると、僕は自分が何処にいるのかわからなくって一瞬パニックを起してしまった。

ガンガンと頭痛がする。なんだか吐き気も。

やけに重たい身体を何とかソファの上に起して周りを見やり、そしてここが自分の家であることを思い出した。

(そっか、昨日帰ってきて、そのまま寝ちゃったんだ。)

濡れた身体のまま眠ってしまった僕は、見事に風邪を引き込んでしまったようだ。

職業柄、健康管理は怠っていないはずだったのに、全く情けない。これが現役の軍人のすることだろうか?
「薬なんて、あったっけ・・??」

僕はフラフラとしながら、応急箱の中を覗き込み目当ての薬を見つけるとキッチンに行ってそれを飲み干した。

そのまま、今度はベッドルームに直行し、兄の残したパジャマを見つけ着替えるとそのままベッドに倒れこんだ。

気分が最高に悪い。熱が高いんだろうな、

ほこりっぽい枕に顔を押し付けながら、ユキの顔が目の前に浮かんでくる。

「・・・今、君に逢いたいよ、ユキ」

朦朧とする頭の中で、彼女の面影が僕の唯一の安らぎだった。
 

夢の中の彼女は、優しく僕に微笑んでくれていた。

「何も心配することなんてない。私はあなたの傍にいるから。」

そう何度も言ってくれた。

その言葉に安堵し、ユキを抱きしめる僕が夢の中にいた。

涙がこぼれるほど、幸せな夢だった。

ユキが僕に向かって差し伸べてくれた手を握り締め、僕は安心して眠り続けた。
 

なんだか額が冷たい。一体なんだろうか・・?

目を開けると真っ暗だ。顔に近づけた手の先にひんやりとしたものが当たる。

「えっ???」

額にのっていたのは濡れタオルだった。

どうして?僕以外この家に誰もいないのに。

上半身を起して部屋の中を見回した。ぼんやりとしたルームライトの明かりの中に部屋の様子が浮かび上がる。

サイドテーブルの上に水差し、氷の入った洗面器がおかれている。

「なんで・・・・。」

訳がわからない。

僕はひょっとして自分の家だと思って別の所に入り込んでしまったのだろうか・?

ベッドから降りようとして、自分の身体が随分楽になっていることに気付いた。熱も下がったようで頭痛ももうしなかった。

ただ、のどが焼けるように熱かったけれど。

何度か咳き込んだ。

それが合図だったように、閉じられていたドアが開かれた、暗い部屋になれた瞳にはまぶしすぎる光が差し込んだ。

そして、その光を背にした細いシルエット・・・。
 

片手で光を遮りながら、細くあけた目でその光景を僕は見ていた。

なんだか、綺麗だな・・。ただ僕はそう思った。

ぼんやりとしていた僕の耳に

「気がついた?古代君。」

聞きたかったユキの声が飛び込んできた。

跳ね上がるように僕はそのシルエットへと視線を合わせる。

少し小首をかしげて心配そうな顔をしたユキの姿がそこにあった。

「・・・どうして・・・」

情けないことに、僕はそうつぶやくのが精一杯だ。

ユキはこの家のことは知らないはずだ。

僕は一言もこの家のことは彼女には教えていなかったのだから。

僕はまだあの幸せな夢の続きを見ているのだろうか、それともここは天国ってヤツなんだろうか。

驚いたまま、硬直しきっている僕に少し笑いかけながら

「しんどくない??もう少し寝ていたほうがいいから、横になって。」

そのまま、僕をベッドに押し戻しやさしく布団を掛けなおしてくれる。

「ユキ・・・?」

「なぁに。」

「・・・・・ほんもののユキだよな?」

クスリっと笑った彼女が僕の前にいた。

「他の誰に見えるって言うの。」やわらかい彼女の声が心地よく耳の中に響く。
 

「・・・どうして君がここにいるんだ?」

覗き込んでくるユキの眼を見ながら問う。

「・・・あれから、ずっと私電話かけていたのよ。古代君全然出てくれなかったけど」

あれから、と聴いて僕は全身から血が引いていくような感覚に陥った。

さっきまで見ていた、あの幸せな夢のおかげで記憶の底に埋められようとしたあの出来事が、瞬時に僕の頭の中に蘇る。

一瞬にして顔色が変わった僕を見て、心配気だったユキの表情が一層曇った。
 

硬直したままの僕を見ながら、意を決した彼女が口を開こうとした。

僕はそれを見やるなり、恐ろしくなって布団を引っかぶり、彼女に背を向けた。

ユキが何を僕に告げるのか、怖くて仕方がなかった。

さっきまで感じていた幸福を否定されるのが怖くて仕方なかった。
 

そんな僕が隠れている布団の上に、そっと彼女が覆いかぶさってきたのが感じられた。

そして、場違いなほどいたずらっぽい声が響いた。

「こんな古代君ってはじめてね。なんだか嬉しいな。」

嬉しい?嬉しいってどういうことだ?
 

しばらくの沈黙が訪れた。

「私、古代君の官舎まで行ったのよ。島君から連絡もらって・・・・古代君が振られたって・・・言ってたって聞かされて。驚いちゃった。

お部屋に行ったらフォトフレームが粉々になってて・・、

それでやっと気づいたの、古代君を物凄く傷つけちゃったんだって。

で、相原君に頼んで、携帯を逆探知してもらったの。

そしたら、この地下都市の上のパーキングで反応があった、て教えてもらえて。

でもね不思議だったのよ、どうしてこんなところに古代君が来ているだろうって。

そしたら真田さんが、そういえばこの辺に古代君の家があるはずだって思い出してくれて、住所を調べてくれたのよ。

だから、私ここを尋ねてきたの。」

一気にそう彼女はそう告げると、僕のかぶっていた布団の端を持ち上げて僕の髪の毛を少しすいてくれた。

彼女に背を向けたままだった僕にも、その手はとても優しく感じられる。

「でもびっくりしちゃった。ここへ来たら部屋の鍵は開いてるし、古代君は凄い熱だしちゃっているし。一体何してて風邪引いちゃったの。」

「・・・・君がここにいる経緯はわかったけど・・・・理由が・・・わからない。」

搾り出すように、僕はこれだけのセリフをはいた。

こんなところまできてくれたのは、まだ僕のことを思ってくれている証のような気がして、でも自分で確認できなくて。

背を向けたままだった僕をグイッと力任せにユキは自分のほうに向けた。

「自分の婚約者が行方不明になったら探さないでいられると思うの?」

そして、自分の左手を僕の眼前にかざした。そこには僕が贈ったエンゲージリングがそのままに輝いていた。

「古代君を傷つけてごめんなさい。

私、そんなつもりで北山さんと会ってたんじゃないのよ、古代君がやめろって言ってくれないから、意地になって・・・・・古代君の気持ちを確かめたかったの。

でも、こんなことするんじゃなかった。」

僕は彼女の左手から、顔へと視線を移した。ユキの瞳には涙が浮かび、今にも零れ落ちそうだった。

「謝っても許してもらえないかもしれないけど・・・・私、今でも古代君だけが好きよ。それだけは信じて欲しい。」

まばたきをすると、ユキの瞳から涙が零れ落ちた。

僕はやや震える手を伸ばし彼女の頬にふれて、涙をぬぐった。

そして、遅まきながら気づいたのだ。

今彼女は、僕の気持ちがわからなかった、と言ったのだ。

自分と同じ不安を彼女も感じていたんだということに。

「ごめん・・・、僕もユキの気持ちがわからなくって・・・、謝らなければいけないのは僕の方だね。本当は嫉妬してた、あの男に対して。

でも、言えなかったんだ・・・・、

僕が力ずくで君の気持ちを抑えるのは、君の幸せを壊してしまうような気がして。」

暖かい頬をなでながら、指の腹で涙の痕をたどっていく。

彼女の瞳から、とめどなく涙がこぼれだし嗚咽が漏れてくる。

ベッドに起き上がりながら、彼女の腕をとり抱き締めた。細いからだが腕の中にしっかりと感じられた。

「ほんとにゴメン。 昨日のことだって、君が僕に背を向けただけだったのを、僕は勝手に・・・・その・・・僕たちは終わったんだって思い込んじゃって・・・。」

申し訳なさに、言葉が詰まる。

抱き締めたままで、彼女の髪をなで続けた。ゆるやかな、かすかな芳香が漂ってくる。

「ユキ・・・・・許してもらえるかな?。」

ドキドキしたまま、僕は腕を緩めた。

ユキが、ゆっくりと顔を上げて、涙を湛えながらも、にっこりと笑ってくれた。

「私のほうも、ごめんなさい。」

僕たちは、視線を合わせたままゆっくりと顔を近づけた。唇が重なり合い。抱き締めあった。

こうして僕達の、いや、僕の大いなる勘違いの騒動はやっと結末を迎えた。
 

僕はユキを離したくなかったのに、熱い抱擁のあとユキは看護婦の顔に戻り、さっさと僕にベッドに横になるようにと、命令した。

もう平気だといおうとした僕の唇を、彼女は指で押さえながら、さも可笑しそうに。

「さっき昨日のことって言ってたけど、古代君てば、熱出して丸2日眠ってたのよぉ、アレからもう4日経ってるんですからね。」

ギョッとした僕は飛び起きてしまった。

もう4日たっているだってぇ。嘘だろ・・・・・?

それじゃ次の航海って、あさって出発じゃないか。

「嘘だろ~~、嘘だって言ってくれよ~。」

情けない声を出してしまった僕を尻目に、ユキはますます面白そうに笑う。

「熱出して、こんなだぁれもいない所で倒れてるからよ、携帯だけでも持っててくれれば、連絡取れたのに、車に置きっぱなしなんだもの。ま、今日もここに泊まって明日、官舎の方に帰りましょ。準備のほうは私がしてあげるから安心してね♪」

ニコニコ笑うユキを見ながら、僕はベツドの上で盛大なため息を吐くしかなかった。
 

今回の休暇は、一体なんだったんだ??

ひとりで落ち込んで、悩んで、悲しんで、決死の思いでやり直してもらおう、なんて決心したのに。

結局、僕一人の思い込みだったなんて。馬鹿丸出しじゃないか、全く。
 

後日談

あの部屋で、僕が見ていた夢は夢ではなかったのを彼女から知らされた。

ずっと、囁いてくれていたのは紛れも無い彼女自身で、僕は熱に浮かされながら、ずっと傍にいて欲しいと、恥ずかしげも無く言い続けていたらしい。

あんなに嬉しいことってなかった、とケラケラと楽しそうに笑い転げるユキを横目に、僕は頭を抱えてしまった。まったく人の気も知らないで、いい気なもんだ。

――――これで、僕はユキに弱みをまた一つ握られてしまった。このあと、ことあるごとに散々使われてしまうのだろうな。

今回のことはヤマトの連中にも、全部バレてしまっているし。

(真田さんには、喧嘩するのもいいが俺を巻き込むな、と笑いながらしっかりと釘を刺されてしまった。島達に到っては・・・散々笑い転げたあげく、益々、僕をおもちゃ扱いしてくれる。)

まったく、自分自身の蒔いてしまった種とはいえ、とんでもないことをしてしまったものだ。

僕が、ユキやあの連中に勝てる日なんて来るのだろうか?

それだけが僕の気がかりである。

END
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