(1)これでよし、と。
日誌を書き上げて艦長室に送信する。艦長から代理に任命されて数日。引き継がれた仕事は多岐に渡り、連日残業の嵐。
あらゆる報告が全てあがってきて、それらに目を通すだけで結構時間がかかる。
あー、ちくしょう。こういう仕事はだいっきらいなのに。
かるく伸びをして立ち上がる。ちょっと農園に行って来ようかな。
一区画だけ作物の発育が悪いと報告書にあった。もう原因はわかっただろうか。
Tweeeeeen――――
地球時間の深夜にあたるこの時間、もう生活班はひきあげたみたいだ。
報告書にあった奥の区画へ向かう。
あれ、何してんだ?
誰もいないと思ったのに、ユキが一人ではしごにのぼっていた。
「え?あ、古代くん。ここのパネルの光量がおかしいのよ。遠隔操作もきかなくて。
ここに手動の調節スイッチがあるはずなんだけど」と照光パネルをいじっている。
ふうん、修理は頼んだの?
「ええ、明日真田さんが人をよこしてくれるって。でもできることはしておこうと思って」
危ないから代わろうか。
「あら、大丈夫よ」つんとして彼女が言う。
こういう時の彼女は強情だ。
「お姫様扱いなんてまっぴら」なんだそうだ。
でもそんな踵の高い靴で、危ないと思うけど?落ちるなよ。
「落ちません!!」と彼女が言うか言わないかのうちに。
ぐら。
「え?きゃっ!!」
艦がつんのめるように大きく揺らぎ、彼女がはしごから放り出される。
どさっ!!
考えてる暇なんてなくて。
すんでのところで、落ちてきた彼女をキャッチする。
と、倒れてくるはしごが視界に入った。
自動でステップが昇降するようになってるタイプだ。当たりゃ相当痛い。
飛び込んだ勢いのまま、左手で彼女の頭を抱えて転がる。
がしゃん!!
右手で払いのけたはしごが、派手な音を立てて床に倒れる。
他に落ちてくる物がないか、周囲に注意を向けながら。
彼女を腕の中に抱え、背中を壁に預ける。
大丈夫?怪我は?
「あ、うん。大丈夫みたい」声をかけると、くぐもった彼女の声が答える。
そっか。よかった。
ぎゅっ。
彼女の背に回した両腕に、一瞬力を込める。
と、そこへ。
ピー。ベルトにつけた通信機がなる。
『古代。島だ』
「おう。何だ?今の」
『すまん。自動操縦に切り換えるときに、誤って制動がかかったみたいだ』
「故障か?」
『わからん。今機関室をチェックしてる』
「わかった。艦長へは?」
『報告した。処理は任せるってさ、艦長代理』
あ、そうか。いけね。
「わかった、すぐ戻る。島は引き続き、故障かどうか確認を急いでくれ。相原はいるか?」
『はい』
相原にかわる。
「各部署で事故や怪我人が出てないか、確認するように各班長に連絡してくれ」
『わかりました。古代さんは今農園ですね?』
「ああ。生活班長もここにいるから、彼女への連絡はいいよ」
『了解です』
そのまま加藤と南部を呼び出し、事故や怪我人のチェックをするよう伝える。
『了解』『わかりました』
さて、と。
あれ?
彼女がさっきと同じ体勢のまま、腕の中で固まってる。
おい、大丈夫か?
「え?あ、ごめんなさい。大丈夫」
そう言って顔を上げたけど...どういうわけか、じっと俺の顔を見上げたままだ。
どうしたの?
「あ、うん、ちょっと...ぼーっとしちゃったみたい」
脳震盪でも起こしたかな。立てる?
手を貸して彼女を立ち上がらせる。
「ありがとう。えっと、もう大丈夫だから。あの、生活班のチェックをしてきます」
髪をなおしながら彼女が言う。本当に大丈夫なのかな。外傷はないみたいだけど。
じゃあ、医務班を待機させておいてくれ。怪我人がいるかもしれないから。
「わかりました」
無理するなよ。
「大丈夫」そう言って出ていく彼女は、まだ少しふらついていて心配だったけど。
ずっとそうしてるわけにもいかず、俺は急いで第一艦橋に向かった。
どっくん、どっくん、どっくん。
頭の血管が脈打っている。
どっくん、どっくん、どっくん。
きっと今、私の顔は真っ赤になっているに違いない。
抱きしめられた。
彼に「他意」はないだろう。
私が落っこちたから、それをキャッチしてくれただけ。
落ちてきたのが他の人でも、子どもでも、
ネコでも犬でも、たとえパラノドンだろうと。
きっと彼は同じようにするだろう。
彼はそういう人だ。
どっくん、どっくん、どっくん。
耳打つ心臓の音を聞きながら、
それでもどこかに『特別』がなかったか、一生懸命探してみる。
通信機がなる直前、強く抱きしめられた気がしたけど。
でもきっと、落ちてくる物からかばってくれただけだろう。
すぐ緊急時の顔になって、私の頭を抱えたまま次々指示を出していたし。
「どうしたの?」なんて言ってたし。
こんな時私がネコなら、顔をすりよせただろう。
もし犬なら、尻尾を振ってなでてもらう。
パラノドンだったら、どうするのか、わからないけど。
でも自然な形で、彼に感謝と愛情を伝えることができるはず。
ネコでも犬でもない、彼を意識してしまっている人間の女の子であるところの私は、
お礼を言うでもなく、ただ彼の腕の中で固まってるだけだった。
変に思われたかもしれない。
足手まといって思われたんじゃないだろうか。
でも、そんなことより。
今は彼と顔を会わせて、平静を保てる自信がない。
だって、抱きしめられた。
彼にしてみれば、タイタンやビーメラ星の時と同じ救助活動だとしても。
私にとってはそうじゃない。
どっくん、どっくん、どっくん。
とにかく仕事しなくちゃ。
(2)
小1位時間後。
あの振動は単純な操作ミスとわかり、艦内のチェックも済んだ。
「すまなかったな」島が言う。
いや。島のせいじゃないし。それに非常時訓練にもなったしな。
「そうですね。大きな事故もなく、怪我人も軽傷者7名ですみましたし」と相原。
「そうだな。ま、艦長代理、お疲れさん。もうあがるところだったんだろ?」
「ああ。やっと書類が終わったんだよー」うんざりとして俺が言うと、
「お前は本当にそういうの苦手だからなあ」と島が笑う。ふん。
「じゃあ、あと頼むな。島たちも適当にあがれよ」
立ち上がり、じゃ、と右手を挙げようとしたとき。
っつうう。
痛みが肩まで走る。
「どうした?」島が振り返る。
...さあ?
「右腕、腫れてません?どこかにぶつけませんでしたか?」
かけよってきた相原が言う。
ん?ああ、そう言えばぶつけたかも。
「なんだ、気がつかなかったのか?医務室に行って来いよ」
面倒くさいなあ。ほっとけば治るよ。
「だめですよ。利き腕でしょ。ちゃんと診てもらってきて下さい」
...相原、お前けっこううるさいんだな。
「そうですよ。姫に手当してもらうチャンスでしょ?」
南部...お前はほんっとうにうるさい。
余計なことを言う奴に軽く蹴りを入れ、俺は第一艦橋をあとにした。
それにしても、緊急時の対応はあれでよかったんだろうか。
廊下を進みながら、『一人反省会』をする。
島から連絡が入る前に、俺から確認するべきだったよな。
一度メインクルーで、緊急時の打ち合わせをしておいた方がいいかもしれない。
ぶつぶつぶつ。
Tweeeeeen―――
「おう、古代か。どうした?点検か」医務室では、佐渡先生が一人で酒を飲んでいた。
いえ、俺もちょっと。ぶつけただけなんですけど。
「ふーん、かなり腫れとるな。これ痛いか?」
俺の右腕を押したり引いたりしながら、先生がきく。
っ。…けっこう。
「これは?」
...平気です。
「ふん。まあ打撲じゃろう。おい、ユキ。怪我人一人、古代が追加だ」
「え?あ、はい!」
奥のスペースで人が立ち上がる気配がする。
ユキ、いたんですか?
「ああ、報告書を書いてるんじゃがな」
どさどさどさ。
何かが落ちる音がして、彼女が慌てて出てくる。
そんなに慌てなくても。
看護服姿の彼女は、まだどこかぼんやりとしているように見える。
「今日、明日はあまり動かさんようにな。無理に動かすと」
お、おい。足元。
「え?」
うわ。
彼女が置いてあったコンテナにつまづき、バランスを崩す。
あわてて右腕を伸ばし、その体を支える。
…ってえ。
「痛いぞ」
佐渡先生があきれたような声を出す。
そう、みたいですね...
「ご、ごめんなさい。あの、ありがとう」
包帯をまきながら彼女が言う。
いや。それにしても今日はよく転ぶ日だな。大丈夫?
「さっきから、ずっとそんな調子じゃな。物を落とすわ、つまづくわ」
へえ。やっぱり、落ちたときにどこか怪我したんじゃないか?
「大丈夫。どこも怪我してないわ」彼女が首を振る。
「あちこちちらかして、雑用と古代の怪我が増えるだけじゃよな?」
そういう先生はおもしろがっているようだ。
俺の怪我は増えてませんよ。でも、そんなにちらかしたんですか?
「す、すみません...」
あれ?いつもならこういう時、強気で言い返すのに。
赤い顔でうつむいたりして、今日の彼女は妙にしおらしい。
「ユキ、今日はもうあがっていいぞ。ご苦労さん」俺とユキの顔を見比べて、先生が言う。
「でもまだ報告書が」彼女は不満そうだ。
報告書なら明日でいいよ。どうせ、俺が見るんだもの。
「...でも」
いいって。俺ももうあがるし。部屋まで送ろうか?
「え?あ、大丈夫。一人で帰れるから」
そう?それならいいけど。
じゃあ、佐渡先生、ありがとうございました。
「お先に失礼します」
先生にお礼を言って、二人で医務室を出る。
「…今日はありがとう。怪我に気がつかなくてごめんなさい」
いや、気にするなよ。大したことないし。それよりまだ顔が赤いけど?
「そ、そんなことないわよ。大丈夫」
そうかあ?
思わず彼女の顔をのぞきこむ。
「...あの、私寄るところがあるから。お休みなさい」
言うが早いか、彼女はいきなり走っていった。
え?あ、おい。
…変なの。大丈夫かなあ。
ずんずんずん。
泣きそうな気分を抱えて、早足で自室に向かう。
彼はまるっきり平然としてた。
これってつまり、さっきのことは私にとっての特別で、彼にとっては特別じゃないってこと。
あのHUGに少しは意味があるかもって、そう思いたいけど。
もしそうなら、彼の性格であんな風に平然としているとは思えない。
彼にしてみれば、ただどじな仲間を助けただけ。
それだけのことなんだ。
でも、私にとってはそうじゃない。
...彼の腕の中は、居心地が良かった。
でも、彼が怪我してたのにも気がつかなかったなんて。
もう。
あああああ。
んもう。
ずんずんずん。
恥ずかしさと腹立たしさとみじめさと、もやもやした気持ちを抱えて歩く。
今夜は、眠れそうにない。
本当に、彼女は怪我してないだろうか。
自室に向かいながら、農園での出来事をもう一回思い浮かべてみる。
艦が大きく揺れて、彼女が落ちてきて。
彼女をキャッチして。
はしごが倒れてきたから、左手で彼女を抱えて右手でブロックして。
うん。どこかに頭を打ったってことはなさそうだ。
落ちたときの衝撃のせいかなあ。
そう言えば腕の中で固まってたもんな。
ん?腕の中?
ぴた。
思わず足を止める。
あれ?俺、何をしたんだ?
今まで気がつかなかったけど。
俺、もしかして彼女を抱きしめてなかったか?
う?
頭の中でエマージェンシーコールが鳴り響く。
待てよ。待て、落ち着け。
えーと、えーと。
落ちてきたのを抱き留めた。うん。
で、怪我がないかどうか確かめた。うん。
大丈夫ってわかって。
で、あれ、俺彼女を強く抱きしめた気がする。
おいおいおい。
それからどうしたんだっけ。
そうだ、島から通信が入って。相原や加藤、南部に連絡をとって。
その間、彼女の頭を胸に抱えたままだったんじゃないだろうか。
わ。
だとしたら、ずいぶん長いこと抱きしめてたことになる。
頭にかーっと血が上る。
今、顔も耳も首筋も真っ赤になっているだろう。
べ、別に他意はないぞ。
誰にともなく弁解の言葉が浮かぶ。
救助活動しただけで、スケベ心出したわけじゃないぞ。
落ちてきたのがユキじゃなくても、同じようにキャッチしただろうし。
同じように、倒れてくるはしごからかばったはずだ。
でも。
本当にそうだろうか。
自分で自分につっこむ声がする。
もし彼女じゃなかったら。
そんなに長い間抱きしめていただろうか。
少なくとも男にはしないよな、うん。
やっぱり、思わず気持ちに正直な行動をとってしまったってことだろうか。
うわわ。
どうしよう。
明日顔を会わせづらい。
彼女はどう思っただろう。
下手したら「セクハラ」ってことになるんじゃないだろうか。
げげげ。まずい。
さっきの様子がおかしかったのは、もしかして怒ってたのか?
うわうわうわ。
どうしよう。嫌われたかな。
ぐるぐるぐる。
頭の中がパニックになる。
おまけに。
腕の中の彼女の感触が、今になってよみがえってくる。
...とてもやわらかかった、気がする。
う。
焦るやら、後ろめたいやら、落ち着かない気持ちのまま自室へ急ぐ。
今夜は、眠れそうにない。
そのころ第一艦橋では、当直の南部と相原のみが残っていた。
かちゃかちゃかちゃ。
相原のキーボードが音を立てる。
「何してるんだ?」隣の南部がのぞく。
「今日みたいな時にさ、メインクルーがどこにいるか一目で見られると便利だろ。
通信機を使って、すぐに表示できるようにプログラムしたんだ」
「ふうん。もうできたのか?」
「ああ、ほら。今第一艦橋に、南部と俺だろ。徳川さんが機関室、真田さんが工作室、艦長は艦長室。島さんと太田が移動中。自室にいるのがユキさん。古代さんも自室だな」
「なるほど。でもこれじゃ、プライバシーないな〜」
「まあね。緊急時だけにするけど。」
「…待てよ。これってさ」
「ふふん」相原の目が光る。
「なるほどな」南部の目も光る。
「おもしろいことになりそうじゃないの」
「だろ」
にんまりと二人が顔を見合わせる。
この装置が活躍するのは、まだ先の話。
眠れない二人とそれぞれの思いを抱えながら、今日もヤマトの夜は更けてゆくのでした―
Fin.Another World INDEX