頼山陽
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鞭声は粛々として夜に乗じて河を渡り
暁に数千の兵が大将の旗を擁して前に
あるを見る。
敵は不意に出て大いに驚きぬ。
謙信は信玄に急迫し、一刀信玄の肩先
深く切り下したが、そのままあの憎い
信玄を打ち洩したのは遺恨千万、即ち
十年以来一剣を磨きて信玄を斃さなか
った事が残念至極であった。
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鞭聲粛々夜過河
べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる
暁見千兵擁大牙
あかつきにみるせんぺいのたいがをよおするを
遺恨十年磨一剣
いこんなりじゅうねんいっけんをみがき
流星光底逸長蛇
りゅうせいこうていちょうだをいっす
作者略伝
頼山陽
安永9年(1780)−天保3年(1832)
江戸後期の儒者(学者)名は襄(のぼる)字は子成といい、山陽は号である。
大阪の江戸堀で父春水(広島の儒者)の長男として生まれた。著書・詩多く、
日本楽府・日本外史等あり我国近世屈指の大儒者である。
京都丸太町橋三本木に於て53才歿。(遺邸現存)
円山公園内「長楽寺」に頼家一族と共にその墓標あり。
関西吟詩文化協会・教本詳解より

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