2000年4月
グランドキャニオン
4月28日(金)アメリカへ

ロサンジェルスの空港は南国の花で美しく飾られていた.一旦建物の外に出て国内線乗り継ぎの別棟へ行き,フェニックスに向かう.フェニックスは暑かった.フェニックスからフラッグスタッフまでの飛行機からの眺めは壮観で,大地が競りあがって山になっている.山の頂上は切り取られたように平らで,そこには木々が生い茂っているのが見える.そしてその緑の中に町が見えてきた.フラッグスタッフの町だ.
いつ来ても,アメリカの壮大な景色には魅了される.オレゴンの深く広大な森や林もそうだが,アメリカ内部の乾いた広い土地は日本にいては想像もできないような規模で,それでもこれらが地球の上のほんのわずかな皺の高低に過ぎず,その中の太陽のあたる面,日陰の側,雨の多い少ないなどささいな気象条件に翻弄されながら私たち人間は生きているのだと思う時,なにか不思議な感慨を覚える.人々の性格もそこの自然条件にきっと大いに左右されるだろう.

空港でレンタカーを借りる.フラッグスタッフは小さな町で,あっという間に通り過ぎてしまった.引き返して泊まる所を捜そうかと思った時,町外れに一軒のロッジを見つけた.7時20分,すでに夕暮れである.
夜,いつものように時差ぼけで目が覚めると,ストーブの薪があかあかと燃えていた.自動で点火されたようだ.しばらく炎をみつめる.しかし朝起きてよくよく見ると,それはいかにも薪が燃えているように見える,よくできたガスストーブだった.
4月30日(日)グランドキャニオンを下る

6時に起き,7時にはカフェテリアで朝食.ここで昼のパンを買い,紅茶を水筒に入れる.りんごと水も買い込む.いよいよグランドキャニオンを歩いて降りるのだ.NPからはWARNINGレターを受け取っていた.「予定時間の1/3で降りたら帰ってくるのには2/3かかりますよ,下へ行くほど暑くなるよ,病気,怪我に注意,死ぬこともあるから気をつけて,能力以上のことをするな,1時間当たり1/4ガロンの水を持って,炭水化物の食べ物を食べて,etc,etc.」そうか,覚悟して降りなければならない.
8時半出発.谷に降りるトレイルに沿って行く.馬の糞が落ちていたりして埃っぽい道だが,どんどん下っていく.帰りはこの道を登って来るのかと思うとうんざりするが,今はとにかくどんどん下る.切り立った崖にへばりつくように折れ曲がって道が続く.崖縁のリムから見下ろしていた岩山がだんだん目の高さに近づいてきて,ついには青空をバックに見上げる高さにまで角度を変えてきた.休み休みだがずい分降りてきた.しかし谷はまだ目の下に続いていて,底を流れているはずの川さえ見えない.出発してもう2時間近くが過ぎる.「昼食を取って,帰りが,この倍の4時間かかるとすれば,そろそろもう引き揚げる時間だな」と思いながら足はまだ下っていく.足元に続く小道の先に豆粒のような小屋が見える.あれは何だろう.「コロラド川が見えるところまで行けるといいんだけれど」と惹かれるように進むうちにもうあの豆粒のように見えていた小屋までやってきていた.回り道もしないでまっすぐ降りていくから思ったよりとても早い.3マイル地点と書いてある.
10時半,小屋に腰掛けて紅茶を飲み,りんごとマフィンを食べた.大きな太ったりすが親しげにやってきて,手からも恐れずにマフィンを食べる.小屋の横には水道があって,立ち寄った人がタオルを濡らしたり水筒に水を入れたりしている.みると,緊急連絡用の電話まで備えられていた.このあたりは気温もだいぶ高いのか,さぼてんが沢山生えている.小屋の周りにはいろんな花も咲いていた.コロラド川は見えなかったけれど,私たちの体力からするとここらが引き返し地点だろう.

いよいよ登り道のはじまりだ.ゆっくり登っていく.正さんは山登りの経験もあるし,休憩のペースを決めてくれる.「さあ,少し休んで水を補給しよう」とリュックを下した正さんが,「あれえ」と叫ぶ.水のキャップが緩んでいて,リュックに入れた正さんの上着が水を全部飲んでしまっていた.あと飲み物は水筒に半分残っている紅茶だけだけれど,先ほどの3マイル地点に戻る気はしない.朝読んだWARNINGレターがちらと頭をかすめる.落ち着かなければ.今,文句を言ったり非難したりしても仕方ない.昼食はパンだから,水なしでは食べれないな.リムに戻るまで食べない方がいい.大丈夫だろうか.大丈夫なふりをしていよう.仕方ないといった感じで「あーあ」とだけ言った.予想していた通り,絶え間なく登り続けていく道は結構きつい.呼吸を調え,リズムを合わせて登っていく.「いざという時には女性の方が生き残る確立が高い」とどこかで聞いたなあとか考えながらゆっくり足を踏みしめて歩く.「さあ休憩しようか」正さんが声をかけ,少しづつ紅茶で口をうるおして又,登り始める.向かいの岩山の見える角度がどれ位変わったか何度も確かめながら,ひたすら登る.正しさんは濡れた上着をリュックに広げて,「こうすると上着も乾くし,涼しいし,一石二鳥だ」と言って笑った.その上着がほとんど乾いた頃,1/2マイル地点の休憩所をみつけた.降りてくる時には人が大勢いて,気がつかなかったのだけれど,3マイル地点と同じ小屋が建っている.そして,やったあ,水がある.

お昼のパンを食べ,紅茶を全部飲み,りんごを食べ,そして,ペットボトルに水道の水を一杯に入れた.2時半リムに帰着.結構いいペースで帰って来ることができた.カフェテリアでコーヒーを飲んで,ほっと一息.靴もずぼんも埃だらけ,砂だらけ,カメラにも砂がかんでぎしぎしいっている.

フラッグスタッフの空港に近いINNに泊まって,空港の下見に行く.地図もあるし,空港までの道は簡単だったのに又,間違えてしまった.空港まで2マイルの表示を見て,「じゃ次は左折ね」と言ったら,左の車線に寄ってしまったので,空港出口の標示を見逃してしまったのだ.アメリカでは左折といっても出口はいつも右,道は立体交差していて,いつも安全第一に作られていると知っているのについ日本の習慣で行動してしまう.情けない.

5月1日(月)飛行機乗り換えのトラブル

フラッグスタッフからフェニックスへの飛行機は36人乗りのアメリカウエストだった.フェニックスからサンフランシスコへは乗り継ぎでシートも決まっていたので,土産物屋をのぞいていた.ポケモンを売っている.説明書きは中国語と韓国語のようだ.サボテンの形のカクタス鉛筆もある.と,正さんが「みんなチケットを交換するのに並んでいる」といって呼びに来た.係員に尋ねると,チケットを交換するよう言われたので仕方なく列の一番後に並ぶ.アナウンスが入った.飛行機が小さいのに変更になって,50人オーバーブッキングになっているので,400ドルと何とか割引でこの後のカナダ航空ロサンジェルスへ乗り換えのボランティアを募っている.私たちの順番が来て,チケットを渡すと取り上げられ,「後から名前を呼ぶから待つように」と言われた.出発時間が迫ってドキドキしたけれど30分延期された.さらに45分延期された.ボランティアは,今度は次のユナイテッドのサンフランシスコ行き4時45分を募集している.次々に誰かの名前が呼ばれて,呼ばれた人は嬉しそうにチケットをもらっていく.子供のように若い女の子が一人,先ほどかんかんに怒って係員に早口で何かまくしたてていたが,今はにこにこして,その係官と話をしている.ボランティアのアナウンスはサンフランシスコ8時着に変わっていた.正さんは「黙っていたら後まわしにされるで」とか言いに来るけれど,もちろん文句を言う程の英語力はない.「一体何て言えっていうのよ」.それより,遅れたら,予約しているレンタカーに何て言えばいいのだろう.その時には航空会社に何か言わなければならないだろうか,とか考えようとするけれど何も思い浮かばない.いよいよ搭乗が始まった.「子供の席はとりません」との係員の声が聞こえてくる.そのうちチェックインしないで搭乗口に並んでいた人の一団がみつかり,喧騒の中で私たちはぎりぎり,名前を呼ばれてチケットを受け取ることができた.4Aと13B.やれやれ

サンフランシスコ空港は広くて,レンタカーまでシャトルバスで行かなければならない.大きな荷物もあってバスは満員だ.バスは少し走って止まり,人が乗ったり降りたりした.一緒に乗り合わせたお兄さんに「AVISなんだけど,どこで降りたらいいのでしょう」と聞いたら,「どこのレンタカー会社もみんな同じ場所だろう」と教えてくれた.日本だったら,会社毎で営業所の場所が違うかもしれないなと思った.次回は分かり易いもっと小さな空港でレンタカーを借りることにしよう.やっと車を借り,ビルの建ち並ぶサンフランシスコの街並みを横に見ながら,ベイブリッジを渡り,サクラメントへ向かった.渋滞というほどではないが,混み合っていて,アメリカで始めてののろのろ運転を経験した.

サクラメントに到着.大きな中国系ホテルを通り越したところにみつけた安いモーテルに落ち着く.1泊45ドル.ここで弘伯父さんに電話しようとしたが,かからない.オフィスに言いに行くと,メキシコ訛のわかりにくい英語で,10ドルの保証金を払うと電話を繋ぐと言ってきた.アジア人なので信用されていないのかと思う.こちらも信用できないので,外に出て,先ほどの中国系ホテルまで行って電話した.今夜はゆっくりして,明日伯父さんに会いに行こうと思っていたのだけれど,是非にと誘われ,夕食をご一緒することになった.準備していなかったので,場所の説明は適当だったのに,伯父さんは,私たちの小さなモーテルを探し当てて,車で迎えに来てくださった.親戚の丹原さん夫婦も一緒に,伯父さんの知り合いのイタリアレストランでご馳走になった.
4月29日(土)広大なアメリカの地

朝6時半.すでに明るい.無事に着いたと娘に電話して,9時に出発し,一路グランドキャニオンに向かう.私が知っているアメリカ,私がアメリカを想像するのは,それは小説からだ.怒りの葡萄,ローラインガルスの大草原の小さな家シリーズ,そしてシドニーシェルダンのコインの冒険.広い大地,他には何もない広い広い大地と真っ直ぐに続く道.それが今,目の前にある.車が故障して,大金を担いだ主人公が,一枚のコインがないために自動販売機の水が飲めなくて行き倒れるというストーリーが,あながち小説の中の話ではなく,現実味を帯びて感じられる.
真昼間のグランドキャニオンはぺたーとした平らな一枚の絵のようであった.ウエストリムへはシャトルバスでしか入れないので,イーストのデザートビューの方へ行く.インディアンの塔が立っている.このような地帯にも彼らは住んでいたのだ.
夕日のキャニオンを見て,7時にロッジへ着く.ここだけは前もってインターネットで予約を入れておいた.ここで,正さんの職場の友人と夕食をご一緒した.何という偶然だろう.彼らも,今日,このグランドキャニオンのロッジを予約していたのだ.これに気づいた時,私たちはほんとうにびっくりした.

夜,なつ子と長電話をした.1.20$.今回アメリカまで来て,なつ子と会う予定はないのだが,生活の時間帯が同じなのでこうして夜ゆっくりと話をすることができる.機嫌よくやっているようだ.