9/20(月)地図上の距離感がわからない

実はアメリカ旅行の前から正さんのお父さんの体の具合が心配だったので電話して田舎の様子を聞くことにした.
昨日同様,1時頃から目が覚めていたのだ.今日は正さんも目覚めている様子.
KDDを通してコレクトコールで電話した.こちらが2時だと日本は夕方の6時頃のはずであるが誰も出ないという.KDDの応対でVISAカードも使えることがわかったので,2回目はカードでかけると直接電話がつながって,留守電にかかった.5回コールしただけで留守電に切り替わるのでは電話代がもたないなあとぼやきながら,夕方8時に家にいないのもちょっと変なので,義妹の米里子さんの家にかけたがここも出ない.
あきらめて眠ってからもう一度米里子さんの家に電話すると,お父さんは具合が悪くなって入院していた.誰も出ないはずである.義妹はゆりの所にも電話したと言った.
旅行の前の週に正さんはお父さんをつりにつれていってあげたし,できるだけの事はしてきている.こちらの事情も説明しておかなくては突然叔母さんから電話された娘たちが心配するだろう.
朝8時,日本では夜中の12時だが娘たちなら起きているだろうと,今度は娘の家に電話をかけまくった.

ここらあたりは朝7時頃になると夜が明け始める.朝の林の中はさわやかだった.
大きなりすたちがそこらじゅうを駆け回っている.松の木の幹を2匹のりすが連なってくるくると,すごいスピードで走る.子供の頃に見たディズニーのアニメに出てくる,とっても早口でしゃべるいたずらりすの兄妹,チッチとデールを思い出した.
お父さんの事は心配ではあったが,アメリカの広大な自然はすぐに私の気持ちをやさしくなだめてくれ,すべて了解の上で出てきたのだから娘たちにまかせて,旅行の間はこの貴重な経験を十分に味わおうというふうに気持ちを切り替えることができた.
朝食は昨日買ったりんごと洋ナシで済ませることにし,ナイフを持っていなかったのではさみで半分にわって二人で分けて食べ,出発した.

West-20をさらに西に行くと程なくポートエンジェルスに着いた.
カナダのビクトリアへ行くフェリーの港もある大きな町である.
一番にInformation Centerに立ち寄ったが閉まっていた.夏場は9時まで開いているはずであるが,もう冬時間の営業になってしまったのだろうか.
この町にはレストランもモーテルも沢山並んでいる.2階へ荷物を運び上げるのはたいそうなので,平屋作りのモーテルを選んで入ると,オーナーは韓国人夫妻であった.
主人は少し話せる日本語で嬉しそうに私たちを迎えてくれ,いつアメリカに出てきたか,どこで日本語を覚えたか,親戚がどこに住んでいるか,私たちがどこに住んでいるか,阪神大震災がどんなであったか,など話がはずんだ.ばらがきれいに植え込まれたかわいいモーテルであった.

夕食は,中国人の経営するほんものの味の中華料理店を紹介してもらって,散歩がてらはるばる出かけていくことにした.
味は確かに美味しかったうえに,量はアメリカ風で,安い方の中華コースを頼んだのに,スープ,鶏肉ハムのごまケチャップからしあえ,グラタン味はるまき風,鶏肉天ぷら,鶏えび揚げケチャップ味,ベビーコーン肉きぬさやいため,やきそば,ピラフ,デザートと,とても食べきれないほどの料理がずらっと並んだので驚いてしまった.テイクアウトして翌日の昼食に十分間に合う量であった.

フェリー $10.10
Ruffles Motel, Port Angeles $60.45
Golden Gate Restaurant $31.24

フェリーに乗り込んで甲板に上がると,もう船は出港していた.1時間に1本の便なので道に迷ってロスした分を一気に取り戻した計算になる.ほっと一息して,強い潮風に心地よく身をさらしながらAdmiralty海峡を越える30分程の短い航海の,船からの景色を楽しんだ.やがてすぐにポートタウンゼントの町が海の上に現れ,船着場がこちらに向かって突き進んでくるのが見えた.今日はオリンピック国立公園のゲートシティー,ポートエンジェルスで宿をとろう.

美しい山の景色に興奮して写真を撮ったりしていたが,昼が近づいているのに地図を見るとまだいくらも進んでいない事に気が付いた.Mazamaを出てからまだ次の町を見ないのだ.小さな町で気づかない内に通り過ぎて,次の町に向かっているのだろうか.内心に焦りを押し込めながら,「これからは寄り道しないで行こう」と決めてしばらく行くと,ようやく町が見えてきた.
とにかくお昼にしよう.ターキーサンドイッチとポテトサラダを注文してから,お店のウエイトレスにここがどこか聞いたらMarblemountだということであった.地図で見るとやはりMazamaのすぐ隣の町なのである.朝モーテルを出てからまだいくらも来ていないのだ.こんなにのんびり進んでいたのでは後半の予定を大幅にカットしなくてはならなくなってしまう.お目当てのレインフォレストに行けないとなると,それはちょっと悔しい.
窓の外を大きな丸木を積んだトラックが走り去っていった.

ところがMazama―Marblemount間の10倍程もありそうにみえた,このカスケードループの終点Burlingtonへはそれからあっという間に付いてしまったのである.
West-20はやがて海岸へ出,湾が深く複雑に入り組んだ半島の道にさしかかる.ワシントン峠は山道で地図上の距離よりかなりの時間がかかったのだろう.
正さんの運転が慣れてきてスピードアップしたという事情も見逃せないかもしれない.まずはめでたしめでたしと,油断したとたんに,またしても道を間違えてしまった.
「右,左,どっち?」と聞かれて「うん!左」と答えている間にもう右に曲がって来ている.「違うじゃない」と言っても,アメリカで左折は意識しないと難しく,右折はいともたやすくできてしまうので,ついふらふらと右に曲がってしまうそうだ.やっと引き返してきてWest-20を目的の方向に進み始めた.
道を間違えると照れ隠しなのか正さんは必ずview pointとかparkとかに勝手に寄り道しようとする.
「ちょっと待ってよ,今日はフェリーに乗るところまでは行きたいんだから,寄り道はよしましょうよ.まだ何があるかわからないんだから」そう言って私たちはやっと先へ進み始めた.

これで後は迷うこともなくフェリー乗り場,キーストーンまで一本道.地図上ではWest-20がフェリー乗り場キーストーンまで続いている.ところが楽勝!のように見えた半島の中の道がまたしても曲がりくねっていて予想外に時間がかかる.
何時になったらキーストーンに着くのだろうか.私たちは菜の花畑の向こうに海の見える田舎の道から,小高い丘に分け入る道に沿って車をどんどん走らせた.
間もなくOak Harborの大きな表示と誘惑するかのような広い道路が右手に現れた.これはきっと大きなリゾート海岸に出る道で,そこで道は行き止まりになっているに違いない.まっすぐだ,と思うのだがそちらはいかにもしりすぼみに見える.ここで油断してはならないと行きつ戻りつして確認したが,わからないまま誘惑に従うことにしたら,よかった,やがて左手にフェリー乗り場が見えてきた.
左折のために表示に従って大きく迂回する.両側は空き地でどこでもゆうゆうとUターンできるのだがずい分遠回りをさせるようになっている.後続車も私たちと同じように律儀に迂回していたので間違ってはいないのだろう.

氷河が削り取った後にできたというロス湖とティアブロ湖もとても美しい眺めであった.ここらあたりはノースカスケード国立公園の一角になり,湖のそばを行くトレイルの案内もある.誰もいない駐車スペースの外れにトイレが1つ.しかしこのたった1つの水洗でもないトイレが車椅子も対応できる広いスペースのもので,清潔に管理されていたのにはとても感心してしまった.案内板も必ず,このトレイルは車椅子でも行けるかどうか表示されている.女子トイレのマークに並んで車椅子のマークのあるトイレ入口で入っていいものかどうか一瞬とまどってしまう自分を情けなく感じた今回のあめりか旅行であった.

間もなく道路横の針葉樹林の向こうに残雪を抱いた岩山が現れた.
道路もぐんぐん登っているようで,見て感じるよりもずっと急な登りなのがアクセルの踏み込みでわかる.ワシントン峠にさしかかったのだ.道路脇の足元にも雪が残っていて踏みつけてみたが,かちんかちんに凍っていた.
見下ろすと今登ってきた道が足元のずっと下,山々の間に連なっている.あの場所はかなりの高度を一気にまっすぐ登りつめてきた所だ.日本でならつづら折りにカーブをとって登ってくるはずの高さだろう.
易々と,気高い山々を間近に見ながらの快適なドライブが続く.