さて,いよいよ今回の観光旅行も終わりとなり,あとはなつ子のアパートを訪ねてひた走るだけとなった.早い目にI-5に乗れれば,後はまっすぐEUGENEに向かえばよい.どれ位かかるだろうか.
今日中に着ければよいが,明日はホストマザーと会う約束をしている.なつ子と学校のことも話し合いたいし,できれば早い目に着けた方がいい.

初日は道順だけでなく,道路標識や車線や右側通行や道路の端に寄り過ぎていないかなどまるで自分が運転しているレベルまでナビしなければならなかったのだが,次第に慣れてきて,「右に寄り過ぎているんじゃない」などと言おうものなら「わかってる!ちょっと向こうの川を見ていただけだ」などとうるさがられるようになった.
ところが油断は禁物,それはSAUTH-101からEAST-12へ左折しようとしていた時のことであった.
この乗り継ぎはJUNCTIONではなく,町の中で幹線道路が3方向へ伸びている,その1つから入って他方へ抜けて行くというものであった.Hoquiamというこの大きな町にさしかかると町中に縦横の道路が出現し,Routeの標識が消えてしまった.「次,左折」とナビが叫んでいるにもかかわらず右折したあげく,「あれ,合図しないで曲がったからかな」などと言いながら車は止まってしまった.
後ろを見ると,かわいい星をきらきらさせた嬉しそうな車がピタッとついて止まっている.ポリスカーであった.若い女性のポリさんがつかつかと寄ってきた.あわててシートベルトを外して降りようとする正さんを押し止めて,座ったまま窓を開けるようにと合図する.「40マイルの速度制限の所をあなたは44マイルで走っていた」というのだ.
免許証を見せろというので,私もシートベルトを外して,かばんから国際免許証を出して渡すと,彼女はそれを持って行ってしまった.若いきれいな女性のポリさんだった.
アメリカのポリスカーはかわいい星をぴかぴかさせたまますぐ後ろに止まっている.ちょっと外に出て写真に撮っておきたかったが,不真面目だと思われてもいけないので我慢することにした.
やがて彼女は戻って来た.「タダシ,ムネK⋯」「むねかげです」「ここはスクールゾーンなので20マイル以下で走らなければならない.相手は子供だから十分注意しなければいけない.スローダウン,スローダウン」 と繰り返し,最後に「ワシントン州の法律ではシートベルトを着用するように決められている」と言って,去って行った.
やれやれ.国際免許証と,レンタカーであったので見逃されたのだろう.朝,8時半頃,丁度通学時間帯である.スクールバスも見かけた.町を外れた山の中の道では,制限速度は65マイルなどと精一杯出しても出し切れないほどの規制であるが,町中,そして学校近辺では十二分に注意させるようになっている.
合理的なきめ細かいシステムであると感心したが,しかし,私たちは道に迷っていたのだった.「さっきのポリスレディーに道を教えてもらえばよかったなあ」と言いながら,何度も同じ道を言ったり来たりしたあげく,やっとこの難関をくぐり抜けたのだった.

ほどなくして私たちはI-5を南下していた.片道4車線の大きな,しかし目的地に着くためだけのおもしろみのない幹線道路である.20マイル毎のRest areaで休憩を取りながら行かなければやってられないよと言いながら2回目の休憩に入った正さんであるが,堂々の制限スピード一杯に飛ばしている.
Columbia Liverが見えてくるとやがてポートランドである.懐かしい町並みとビルが見えてきた.この道は覚えている.この橋はクリスマスの飾りを見に行った時に通った橋ね.私たちはちょっとはしゃいでいた.
橋の上で車の走行距離が1000マイルになる.997,8,9,1000と数えているうちに又,道をそれてPotland市街地へ入っていってしまった.見覚えのある通りと町並み.何度も来た所なのですぐに回って,また,I-5に戻って来ることができた.

オレゴン州に入ったのでなつ子に電話することにしたが,同じオレゴン州と思ったのに,フルダイヤルを回さなければ電話はかからず,またQuarterを10枚以上用意しなければならなかった.
テレホンカードを買えばと思ったが,Rest areaの電話をなでまわしてみてもカード差込口は見つからない.
Rest areaの電話はテレホンカード対応ではないのだろうとか思ったりしたが,実は後で聞いたら,アメリカの電話機にカード差込口など始めからないのだそうである.テレホンカードといっても暗証番号が書いてあるだけで,その暗証番号をダイヤルすれば電話をかけることができ,その後,所定の口座から電話料金が引き落とされるという仕組みなのであった.
今回の電話でやっとなつ子の口座番号と暗証番号を教えてもらって,両替の手間が省けることになったが,結局はその後この暗証番号を使う機会はなかった.

やがてEUGENE.予定より以外に早く来た.なつ子のわかりにくい地図ながら,私たちも道の聞き方にも慣れたおかげで市街地に辿り着いた.
StreetとAvenue,住所がわかればアメリカではどこへでも行くことができる.壁に番地の書いてある家もある.便利なシステムである.そのうえ壁の番地も,アメリカの家にはデザインのようで似合っている.なつ子は大学から少し離れたアパートの2階に住んでいた.

夜7時にはあたりはもう薄暗くなってきた.前にこのオレゴン州に来た時にはかなり遅くまで明るかったが,あれは7月の半ば頃だったから日がまだ長かったのだ.さすが緯度が高いからこんなにも一日の長さが違うのだと感激したものだったが,考えてみればお彼岸.朝7時に夜が明け,夜7時に日が沈む.地球上どこにいても昼と夜の長さは同じなのだ.ここでは長かった昼の時間は急速に夜の長さに接近し,そしてこれから冬に向かって夜の長い季節を迎えるのだ.
普段は何も感じないただの季節の通過点も違う場所で迎えるとその意味が強く胸に迫ってくる.間もなく夏時間から冬時間に切り替わると,日本から夜,なつ子に電話する時間帯がずれて,かけにくくなるだろう.

関空からバスを乗り継いで家の庭に降り立った時,家を発つ前には芽吹きさえなかった彼岸花がこの1週間の間に20センチほども伸びて真っ赤な花を4,5本咲かせて私たちを出迎えてくれた.

なつ子のルームメイトのチーホンがベッドのマットを買いたいそうなので,食事に出るついでにGoodwillに寄って行くことにした.セカンドハンドのお店である.服,敷物,食器,日用品からタンスまでありとあらゆるもののお古が並んでいた.なかには本当に使えるのか,壊れているのではないかと訝るほどのものまで並んでいた.
お目当てのものはなく,次にFred Meyerに行った.アメリカではよくみかける大手のスーパーマーケットである.ぶどうが安い.マスカットや甲州ぶどうよりややこぶり.
車で来ているので,なつ子たちは安心してつぎつぎ食料品を買い込んでいる.
私は少し大きめの丸いチョコレートを見つけた.4こで1ドル.きれいな青い銀紙で包んである.1つ買って食べてみたら,外回りは硬く,中はとろっと柔らかい美味しいチョコレートだったのでおみやげにすることにした.
野菜売り場のビニール袋を取って来て40個入れた.正さんもおみやげにしようかなと言う.32個袋に入れてレジに持って行った.
レジの若いお兄さんがいくつ入っているかと私に尋ねるので,40個,こちらは32個と言うと数えないでそのままレジに打ち込んだので,あっと驚いてしまった.アメリカ人て,なんておおざっぱなんだろう.日本人ならきっと40個だろうと50個だろうと丁寧に数えたに違いない.
そこへなつ子がやって来た.お父さんの買ったビールだけ別にレジを通してほしいと言う.アメリカでは未成年者にはアルコールは売ってはいけないことになっている.もちろんなつ子は20歳を超えているが,年齢確認のため,身分証明書を見せろと言われると面倒だからと言う.
分かれてレジを通った後,落ち合った時,どうだった?となつ子は聞いてきた.額が少し上がってきたのを気にしていたり,髪に白いものがちらほらする私たちに,もちろん身分証明書を見せろなんて言ってくるはずがないでしょう.

Travelers Inn and Motel 2泊 $113.88
Shari’s of Eugene-223 $33.61

9/22(水)パトカーに止められた