ハルビン市平房区・関東軍731部隊のあった街

名前の記録が残っている犠牲者
生体解剖などの実験のため中国人,朝鮮人,ロシア人などが犠牲者となった.その数は3000人以上と言われている.彼らは「マルタ」と呼ばれた.人間ではない材料の「マルタ」である.

ハルビン平房区は中国・旧ハルビン市の南に位置する.
1933年第731部隊は正式名関東軍防疫給水部隊本部として,大陸命によりハルビン郊外に設置された.
表向きは防疫・給水であるが,対ソ戦に備え,通常兵器を補うため,「細菌兵器」製造を目的としてつくられた部隊である.細菌兵器の効果を確かめるため,「生体解剖」,つまり生きた人間を解剖するなど残虐な行為をしたことで知られている.この施設は1939年,平房の6キロ平方メートルにわたる広大な敷地につくられ,特別軍事区となった.機密保持のためその上空は,日本軍機の飛行さえ禁じられた.
この部隊の存在は日本では終戦後長い間知らされなかった.
司令官・石井四郎中将が終戦と同時に施設を破壊し,生き残ったマルタ,使用人など全員を殺害し,部下に秘密保持を約束させ,研究資料を密かに東京に持ち帰ったからである.日本で一般に知られるようになったのは,1980年,作家の森村誠一が『悪魔の飽食』で部隊の全容を書いてからである.
私は2008年8月末から9月中旬の約2週間この街に滞在した.街は喧噪とし,人々の生活が営まれていた.出会った街の人々は無言のようにみえるが,この街の歴史は知られ伝えられている.

焼き栗を量り売りする女性

人力三輪車
車の増えた今も市民の大切な足となっている.

ハルビン市友働第一小学校
侵華日軍731部隊罪証陳列館の道路を挟んで向かい側にある.
下校時間になると子供を出迎える家族で校門は混雑する.

旅社(旅館)で働く女性
女性は夕方から次の日の夕方まで一人でカウンター横のベッドに泊まり込み勤務する.
この旅館は1部屋60元(約800円),部屋には4つベッドがあり,朝食付きでシャワーとトイレは共同だった.

731部隊本部棟
戦後は学校として使われていたが,現在は「侵華日軍731部隊罪証陳列館」となっている.

結婚式の日
新郎は新婦の自宅まで出迎えに行く.二人は間もなくリンカーンリムジンに乗り,車列を連ね,結婚式場に向かう.

洗濯屋さん
歩道も仕事場の一部となっていた.

ボイラー室の残骸
石井部隊長は引き上げに際し,研究実験施設の徹底破壊を命じたがソ連軍の侵攻が早かったためボイラー室の一部などが残った.今は塀の間際まで民家となっている.

日本軍が作った住宅
60年以上経った現在も商店やアパートとして使われている.

平房の夕景
旧ハルビン市街はロシア人によって造られた街,アールヌーヴォー様式の建物が並び,かつては東洋のパリとも言われた.
郊外に位置する平房の街にもその雰囲気が漂う.

靴屋さん
野外のギャラリーに靴が陳列してあった.

毎朝,多くの人で賑やかな市場
日常生活で必要なものは何でも売られている.

地下道の陥没跡
施設には60km先の飛行場に通じる広大な地下道があったと言われている.