1998年12月
ネパール
キルティプール,ネパールのその町はサランギという弦楽器の音色の似合うレンガの町だった.町を散策している間中おじいさんの弾くサランギの和音がついてくる.お祭りのメロディー,軽やかなピチカートがすばらしい.自分で彫ったのだという.楽器の中まで彫刻が施されていた.おじいさんはこの楽器を売るために私たちの後をついてくる.どこまでも,どこまでも.サランギの音色は町に溶け込み,レンガ色の風景と一緒になって私の心に流れ込んできた.

毎朝カトマンズは霧に包まれる.カトマンズ盆地は昔湖だったそうだ.朝6時,窓の外が薄明るくなり,犬の声が聞こえた.霧をとおして朝のお祈りの鐘の音が響いてくる.昨日は暗くなっても人々のお祈りの声が聞こえていた.早朝からお供え売りの人が出ている.霧の中のダルバール広場では町の人たちのための野菜が売られていた.お祈りする人たちは足早に通り過ぎて行く.観光客向けのお店は10時にならないと開かない.朝と昼でこの広場は全く異なる2つの顔を持つ.

カメラを持っていたが,それを町の人たちに向けて彼らの生活を撮ることはためらわれた.彼らは家の外,道端で生活していた.外の水道で髪を洗い,母親は子供たちの体も洗う.川では大勢が洗濯していた.道端の筵の上にとうがらしや穀物を広げて乾かし,その傍で何人かが座り込んで話をしている.壁にもたれて小さな子がノートに何か書いて勉強している.お母さんは埃を巻き上げながら箒で道をきれいに掃いている.私の子供時代も似たような生活だった.しかし今は,あまりにも彼らの生活の内面に,ことわりもせずに踏み込むような気がして撮れなかった.彼らは私たち旅行者のことをどう思っているだろうか.私は道路をうろうろしている雄鶏やあひるばかりをねらって撮った.

パシュパティナートはネパール最大のヒンズー教寺院である.人々の願いは最も尊い寺院で火葬され,ガンジスの支流の聖なる川に流されることだ.死者の身内の男性は頭を剃って身を清める.葬儀では,死者の周りを歌いながら3回まわった後,火がつけられ,灰は川に流される.
ボダナートはネパール最大の仏塔(ストューバ)であり,チベット仏教徒の巡礼地で,宇宙とか世界平和とか曼陀羅とかを表わしている.ヒンズー教のカーストはブラマン,チェトリ,バイシャ,スデュラの4つで,1つめは聖職者など,2つめは国王など,3つめはシェルパ族など.ヒンズー教で最も下の階層の人で仏教徒になった人は多いそうだ.今は階層が上でも貧しく,階層が下でもお金持ちの人は沢山いる.
ヒンズー教の神様たちはおどろおどろしかった.シヴァ神は破壊と創造の神だという.神様の性はあまりにもリアルだ.いけにえとして捧げられるのは水牛,羊,山羊,鶏,あひるの5種類の動物.そして,クマリの館には生き神様と崇拝される汚れのない少女が住んでいる.家柄の正しい,聖なる顔立ちと聖なる身体の特徴を持った無傷の少女が選ばれ,初潮をみるまで親とも離れて神様としての生活を送るのだ.町中の至る所に寺院がある.人間の住む家より多い寺院,人の数より多い神様たちがいると言われている.「ここに寺院が建てられたので人々はわざわざ遠くのお寺に行かなくてもここでお祈りすることができるようになりました」とガイドのクリシナさんは言う.
宗教は彼らの生活そのものであり,親から子へ伝えられる習慣であり,人々に共有される規範だ.そしてお祈りは彼らの生活の一部なのだ.だから身近な所,中庭や広場の一角に,そして山の上の小さな村にも仏像や寺院が建てられている.そしてそこはまた,子供たちの遊び場所にもなっている.町中のいたる所に子供たちの姿があり,めんこ,ごむとび,せっせっせなど,昔私たちがやったのと全く同じように遊んでいた.キチ,まるで今山羊がそこで生贄に捧げられたかのような生々しい朱の色,しかしキチは幸運の印だという.女の子が私の額にキチをつけてくれた.言葉は通じないが,子供たちは私を受け入れてくれたようだ.
テンプーと呼ばれる乗り合いタクシーはインド製の中古車で排ガスをまき散らしながら走る.道路は,横に並んだ人と自転車,バイク,テンプー,車,バス,牛が渾然一体となり,クラクションに支えられた信号のない危なっかしい秩序を保ちながら流れて行く.車には200%の税金がかかるそうだ.