小学校に並んで建つ高校のプールは大きく,小学生では足も立たないほど深そうだった.冬も水は抜かれないで,深い緑色の水をたたえていた.その水面にあめんぼうがすいすいと泳ぎ回っている.私は友達と筆箱のふたでそれをすくって遊んだ.当時の筆箱はプラスチック製で身とふたに分かれる.私の赤い筆箱のふたにはABCの字が入っていた.幼稚園の時に,ABCの幼稚園というラジオ放送に出て歌を歌った記念にもらったものだ.「ABCのAの字はお遊戯室のお屋根です.赤がいいかな黄色かなそれとも青にしょうかしら.楽しいみんなの幼稚園.ABC,ABC,ABCの幼稚園」カラーン,カラーン.あめんぼうをすくった時にその筆箱のふたがすべって,あっという間にプールの底に沈んで行ってしまった.岡山竜太郎先生は「まりちゃん,あきらめなさい.あのプールの水は来年の夏まで抜かないそうや.来年掃除した時に見つかったらとっといてもらってあげるから」とおっしゃったが,その筆箱のふたはそれっきりになってしまった.ABCも何も書いていないただの赤い筆箱の身だけが手元に残ったが,いつまでもその身を捨てる気にはならなかった.