昭和20年代は標準語が美しい日本語だと一般に考えられていた.今のように方言の価値は認められていなかったのだ.私は「あらない」という言葉を時々使っていた.「あらへん」という大阪弁を使いかけて途中でそうそうと思い直し,「ない」という標準語に切り替えた結果の新語である.母はその努力を評価してにこにこしていたので,「あらない」という言葉は長く定着することになってしまった.四条畷小学校では美しい日本語を話す時間があって,俳優のしまやすひこ先生が教えに来ていた.私たちは「が」「ぎ」「ぐ」「げ」「ご」はきたない言葉だから,「にんぎょう」と鼻濁音で話しなさいと教えられた.