独立戦争
13植民地
北アメリカには、イギリスが植民地を建設していたが、17世紀に入り、国王の清教徒圧迫に対抗して大陸に渡ってくる人々が増え、18世紀の中ごろまでに、北アメリカ東海岸にそって、13のイギリス植民地ができた。これらの植民地に移住してきたものには清教徒が多く、自主独立の精神にあふれていた。
この13の植民地では、どの州にも議会がおかれ、自治が進められていた。そして北部では清教徒を中心に商工業が発達し、南部では、黒人奴隷を使った綿花などの大農場が発達していました。
アメリカを市場と考えていたイギリス本国は、植民地のこうした商工業の発展を抑えようとしました。そして、七年戦争による財政難を解消するため、砂糖条例・印紙条例・ダウンゼント諸法(輸入に対する税)など、植民地に多くの税をかけたのです。このため、植民地の人々は、イギリス本国に不満をもち始めました。

植民地の抵抗
 上のような本国の政策に対し、植民地は「議会には、アメリカの代表が出ていない。だから納税の義務もない。」と言って本国に対抗した。
 さらに1773年には、本国が東インド会社に茶を独占的に販売させようとしたので、ボストンで船に積んであった茶を海の中に投げ込むと言う事件が起こった(ボストン茶会)。そして、アメリカが本国と戦う決意を固めたため、1775年のレキシントンでの戦いをきっかけに独立戦争が始まった。 
独立戦争と入ってもアメリカは最初から独立を考えていたわけではありませんでした。このころ、トマス=ペインが「コモンセンス(常識)」と言う書物を書き、「植民地の人々が幸福になるためには独立しなければならない。それは常識であると解きました。」この書物
は人々に大きな影響を及ぼし、人々は独立を目指して戦うようになったのです。

独立宣言と独立 
 1776年7月4日、大陸会議は、トマス=ジェファーソンやフランクリンによってつくられた独立宣言を、 フィラデルフィアで発表しました。この内容は、イギリスのジョン=ロックの思想をとり入れて、人間の自由・平等、主権在民などの民主主義の原理をもりこんだものでした。 この独立宣言に感動したヨーロッパの人々は義勇軍として戦争に参加し、フランス・スペインも独立軍を助けたために、8年間も続いた独立戦争は、1781年植民地側の勝利に終わりました。合衆国は1787年に憲法が定められ、連邦制度をとる三権分立に基づいた共和政が生まれた。そして、この独立に攻のあったワシントンが初代大統領として人民全員が選んだ。                                                   

 

                           

アメリカ初代大統領
ジョージ・ワシントン<Gerge Washington>
生没:1732年から1799年(享年67歳)
任期:1789年から1797年
出身:バージニア州ウェストモーランド郡
政党:連邦派
婦人:マーサ・ワシントン

 

 



イギリスとの独立戦争の最中のアメリカ。
フレンチ・インディアン戦争で活躍して「パトリオット(愛国者)」の称号を得たベンジャミンだが、戦場の悲惨さと自らの残虐行為を憎み徹底した反戦主義者になっていた。しかしイギリス軍に息子を殺されたことから彼は再び戦いに身を投じる。