植民地の抵抗 上のような本国の政策に対し、植民地は「議会には、アメリカの代表が出ていない。だから納税の義務もない。」と言って本国に対抗した。 さらに1773年には、本国が東インド会社に茶を独占的に販売させようとしたので、ボストンで船に積んであった茶を海の中に投げ込むと言う事件が起こった(ボストン茶会)。そして、アメリカが本国と戦う決意を固めたため、1775年のレキシントンでの戦いをきっかけに独立戦争が始まった。 独立戦争と入ってもアメリカは最初から独立を考えていたわけではありませんでした。このころ、トマス=ペインが「コモンセンス(常識)」と言う書物を書き、「植民地の人々が幸福になるためには独立しなければならない。それは常識であると解きました。」この書物 は人々に大きな影響を及ぼし、人々は独立を目指して戦うようになったのです。
独立宣言と独立 1776年7月4日、大陸会議は、トマス=ジェファーソンやフランクリンによってつくられた独立宣言を、 フィラデルフィアで発表しました。この内容は、イギリスのジョン=ロックの思想をとり入れて、人間の自由・平等、主権在民などの民主主義の原理をもりこんだものでした。 この独立宣言に感動したヨーロッパの人々は義勇軍として戦争に参加し、フランス・スペインも独立軍を助けたために、8年間も続いた独立戦争は、1781年植民地側の勝利に終わりました。合衆国は1787年に憲法が定められ、連邦制度をとる三権分立に基づいた共和政が生まれた。そして、この独立に攻のあったワシントンが初代大統領として人民全員が選んだ。
イギリスとの独立戦争の最中のアメリカ。 フレンチ・インディアン戦争で活躍して「パトリオット(愛国者)」の称号を得たベンジャミンだが、戦場の悲惨さと自らの残虐行為を憎み徹底した反戦主義者になっていた。しかしイギリス軍に息子を殺されたことから彼は再び戦いに身を投じる。