アメリカと日本の開国

アメリカの来航
 日本の開国を求めるため、ロシア・イギリスに続き、アメリカも日本にせまってきた。アメリカは19世紀になり太平洋沿岸の各地への開拓が進み、中国と貿易する商船が寄港する港、捕鯨船の燃料や水を補給する港を求めていた。1853年6月、アメリカの東インド艦隊指令長官ペリーのひきいる黒船4隻の艦隊が、突然浦賀(神奈川県)の沖に現れた。ペリーはアメリカ大統領からの国書を渡して開国を強く要求したが、幕府は「すぐには回答出来ない。」と行ったので翌年に回答すると言う約束をして帰った。

日米和親条約の締結
 翌年ペリーは再び日本に来航した。日本は去年から意見の一致が出来ないまま、アメリカと日米和親条約を結んだ。そして、ロシア・イギリス・オランダとも日本は同じ条約を結んだのでアメリカは日本を開国させることを成功させた。

日米和親条約の内容
@ 下田(静岡県)・函館(北海道)の二つの港を開かせた。
A 下田に領事を置かせた。
B 入港する船に燃料・食料・水を配給させる。

攘夷論と日米通行通商条約の締結
 下田に着任したアメリカの総領事ハリスは、幕府と通行通商条約を結ぶ交渉を始めた。しかし日本の中には交渉に反対するものが多数いた。このような中で、反対派をおさえた幕府の大老井伊直弼と1858年にアメリカは日本と日米通行通商条約を結んだ。
日米通行通商条約の内容
@ 函館・神奈川(横浜市)・長崎・新潟・兵庫(神戸市)の5港を開かせ貿易する。
A 治外法権・領事裁判権を認めさせる。
B 関税自主権をなしにした。