冷戦

冷たい戦争(米ソの対立)
第二次世界大戦の終わりごろになると、アメリカとソ連との間に戦後処理に関して対立が目立つようになった。
ソ連は東ヨーロッパ諸国を勢力下においてアメリカと並ぶ強国となり、アメリカは西ヨーロッパ諸国を援助して資本主義陣営を強化しようとはかった。
この結果世界は、アメリカを代表とする資本主義陣営と、ソ連を中心とする社会主義陣営に分かれて、「冷たい戦争」と呼ばれる対立の状態に入った。
1949年自由主義陣営側では、社会主義陣営からの防衛をはかるため、西ヨーロッパ連合5ヶ国(イギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)とアメリカ合衆国・カナダ・デンマーク・イタリア・アイルランド・ノルウェー・ポルトガルの12カ国できた大西洋条約機構(NATO)を成立させました。
一方、社会主義陣営でも団結をさらに強化するため、1955年にソ連と東ヨーロッパ7ヶ国(ドイツ・ポーランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・チェコスロバキア・アルバニア)で、東ヨーロッパ友好協力相互援助条約(ワルシャワ条約)が結ばれました。

 

 

核兵器競争
この冷たい戦争は国際情勢を不安定なものにし、またいつ戦争がはじまるかわからないといった危機感が世界をおおっていました。
1949年、ソ連が原爆実験に成功して、アメリカ合衆国の核保有独占は終わりました。両国は、やがて水爆(水素爆弾)をも完成し、果てしない核兵器競争を続けていきました。
さらに、1957年からはアメリカ・ソ連が、それぞれ大陸間弾道弾(ICBM)を完成して、核兵器を地球上の何処へでも命中させることが出来るようになり、人類破滅の危機を招く可能性が生まれたのでした。


宇宙競争

1957年にソ連がはじめて人工衛星(スプートニク1号)の打ち上げに成功してから、宇宙開発は急速に進展しました。
ソ連は、人工衛星についで月ロケットを打ち上げ、はじめての人間衛星船に成功してアメリカに一歩リードしました。
アメリカ合衆国は、これに大きな衝撃(スプートニク=ショック)を受け、科学教育・技術教育を含めた改革運動をおこし、人工衛星・人工宇宙船を次々に打ち上げ、1969年には世界ではじめて月面着陸に成功し、2人の宇宙飛行士が月に 降り立ちました。
冷戦の終結
こうして、アメリカ合衆国とソ連両大国の激しい競争を続けてきましたが、やがてぼう大な軍事費の負担からソ連経済は行きづまり,ペレストロイカ(ゴルバチョフがすすめた改革 )がすすんで東欧諸国も民主化したため,1989年12月のマルタ会談で,ソ連とアメリカの大統領は,冷戦の終結を確認した。