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NTT退職時の小生

 永年、「NTT」に勤務していたが昭和**年某所を最後に退職した。
現役時代は、「すぐつく電話」、「すぐつながる電話」を二大目標に、わき目もふらずに突っ走していた時代であった。ろいろな出来事のうち、特に○○局 自動改式なんかでチョンボしたことは、今でも鮮明によみがえってくる。人間、都合の良いことよりも、悪いことの方が脳をより刺激し、記録されるのか、再生も正確かつ迅速に行われるようである。

 退職後は「日本自動車電話KK」に再就職した。当時のお客様は4県下で、たしか2万そこそこで携帯電話よりも自動車電話のほうが主体であった。現在と違って移動機がレンタルで、電話をひくのに20万円の保証金を必要としていた時代である。乗用車のトランクにすくっと立つオレンジトップのアンテナはステータスシンボル的な存在であった。せめてマイカーにアンテナだけでも付けてみたいという心境からか?アンテナの盗難が多発していた時代でもあった。

ドコモ時代の小生。左から2人目

 今では、携帯電話が主流で幅広い年齢層に定着しその数も100倍以上に成長しており、全く隔世の感がいなめない。社会は不景気だというのに「インターネット」と「移動通信」の成長は止まることを知らないようである。
 小生が入社した後、会社の方も「ポケットベル」「PHS」などと統廃合をし、現在は「NTT東海移動通信網」(通称:NTTドコモ東海)と変わった。さらに「ドコモエンジニアリング東海」などの会社も設立された。 小生も会社変遷につれ「NTTドコモ東海」から「ドコモエンジニアリング東海」へと転籍し、平成**年に第2の職場も卒業しました。

 その後、「ドコモエンジニアリング東海」から基地局の敷地内管理の仕事を受託しました。仕事は主に敷地内に生える雑草類を当該市町村に設立されているシルバー人材センターさんに除草をお願いするとともに当日の作業管理と門扉の開・閉門であります。したがって年間を通して働かなくてすむことが年寄りにとっては適当な刺激と休息を与えていただくまことに結構な仕事で、身体の元気なうちは続けなければと思っています。

 家族は、小生と家内と二人の息子と強いてあげるなら二匹の犬で構成されていた。二人の息子はともに、なるべく親に負担をかけまいとする殊勝なこころがけからか???いずれも地元の学校をでて、サラリーマンとして社会に巣立っていきました。NTTの頃、親しかった友人M氏なんか二人の子息が、同時に親元を離れて学校にいっていたため、仕送りに追われ、家計のやりくりに大変苦労していたケースを目のあたりしていたから、それに比べ恵まれていたなぁと感じている。
 息子達は、小生が第二の職場を退職した平成**年5月に次男が、その年の12月に長男がそれぞれ結婚しました。同じ年に2回の結婚式は大変なもの入りであるが、縁ものである以上延期するようなことは出来ない。止むを得ないことだ。二人とも学生時代の恩師をご媒酌人にお願いし、挙式をあげ一本立ちした次第てす。

親族紹介の間にて(次男) 披露宴を前にして(長男

 現在、二人の息子は、勤めの関係上、長男が横浜に、次男が京都に住んでおり、顔を合わせるのは、せいぜい盆と正月ぐらいなものであろう。
 まぁ!親の努めと云われるものがあるとすれば、それも果たしたことである。これからの余生は、少々品が悪いが道楽であるパソコンと遊んで暮らしていこう。この道楽が「ボケ防止」につながるならば、こんなラッキーなことはないのだが!!